2010/12/31

炎上

昔は炎上といえば金閣寺で決まりであったが、近頃ではもっぱらブログのそれをいう。

わたしのブログは、慎ましいわたしの性格を反映してやはり慎ましやかなものであり、そうした「ネット事件簿」的なものとは無縁である。

と思っていたら、実は燃えかかっていたんだって!

なんでも、ビルマのあるキリスト教徒の方々が、わたしの書いたものを読んで激怒したそうだ。なんたるデタラメ、と。それで、日本及び世界各国のビルマ関係者に声明文を出そうということになったらしい。「このけしからんブログは嘘ばっかり書いてあるから信じるな」と。

さいわい、ある人が思いとどまるように説得してくれたという。わたしが知らぬうちに火を消し止めてくれていたのだ。

仏教の説話に、自分の家に火がついているのにそれに気がつかずにのうのうと暮らしている、というようなのがあったと思うが、まさにそれだ。

ちなみに、怒りを買った箇所についてだが、話を聞く限りでは、事実関係の誤りというよりも、誤解、読解の誤りに基づくもののようだ。日本語を読み慣れない人にはわかりにくい表現だったのかもしれない。なんにせよ、今のところは怒っている人々の意見を聞くことができないので、とりあえず削除してある。

さて、今年の更新もこれで終わり。お読みくださった方々、どうもありがとうございます。

「火の用心!みなさん、くれぐれも火の元にはお気を付け下さい!」

この含蓄ある言葉をもって、年末年始のご挨拶に代えさせていただきます。

耳嚢

昔、ビルマ国にて戦ありて、日本兵あまた死にけり。久しくありて近しき村に子むまれし。その子、物心つける頃に、「吾、かの戦にて斃れし異国の兵の生まれ変わりなり」と語る。これを聞く村人驚かぬ者なし。

かの子、耳慣れぬことばもて話し、村人聞けば「これ日本語なり」と。又その身に大痣あり。もつて指して「吾の死ぬるは、この傷によればなり」といひてさめざめと泣けり。あるビルマ難民の語りしを、デタラメ古文にて記す。

森の生活(2)

それ以来、わたしは保証人として定期的に仮放免延長許可申請書に署名するほかは彼と会うことはほとんどなかった。どんな生活をして、どんな政治活動をしているのかも知らなかった。ただ時おり別の人から、体調が優れなくて困っているという話だけは聞いていた。

そこで、仮放免から現在に至る1年9ヶ月の間、どのように過ごしていたのかが知りたくなって、入管でのわずかな待ち時間に尋ねてみると、以前務めていた焼肉屋で暮らしていた、との答えが返ってきた。

「社長さんが良いって言ったんだ」と聞くと、かぶりを振って「ミャンマー人、バングラの人多い」

その店で働いているかつての同僚たちが衣食住の面倒を見ていてくれたらしい。彼は仮放免の身なので給与はもらうことはできない。その代わり、店の仕事を手伝って、食事を食べさせてもらっていたそうだ。身体の具合について聞くと、「咳がとまらない」とだけ言った。

わたしは彼がどうして難民申請をしたのかは知らない。また難民となった事情も聞かなかったので、その難民性の高低についても判断できない。しかし、どうして難民申請を止めたかはわかるように思う。貧困以外に想像はつかないのだ。

ビルマの総選挙が終わった。アウンサンスーチーさんも解放された。それももしかしたら帰国に踏ん切りを付けるきっかけとなったのかもしれない。しかし、 もしも彼が日本で別の生活を送っていたら、つまり、経済的にも自立し、医者にもかかることができたなら、その決断はまた別のものとなっていたろう。

すでに述べたように、わたしと彼は握手をして別れた。彼は入管職員とともに執行部門事務室に入っていった。はじめて会ったとき、彼は収容所 で困っていた。その後、釈放されて2年近くさらに困っていた。そしてその困りが高じて困り果てて再び収容所に吸い込まれることとなったのである。ちょうど 森の生活に嫌気がさして里に出てきたものの、村人の厳しい仕打ちにこりごりして、再び古巣に帰ったタヌキのようなものだった。

もっとも彼にはその先がある。入管職員によれば、年末年始で立て込んでいるので、もしかしたらビルマへの送還は年頭になるかもしれないとのことだった。だが、ビルマに帰ったとて、彼が困らないとは誰もいいきれまい。

森の生活(1)

先日、あるビルマ人が入管に収容されるのを手伝った。

しかし、入管の手伝いをしたわけではない。その人はわたしが仮放免の保証人をしている人だったが、難民申請をやめて、ビルマに帰ることにしたのである。

彼はすでに入管にその旨を伝えており、その指示に従ってわたしはその人とともに入管の7階の執行部門事務室というところに行った。その入り口でわたしたちは担当の職員を交えて今後の成り行きについて少しのあいだ話をし、そこで握手をして分かれた。その瞬間からわたしたちはそれぞれの道を歩み始めたのである。「収容手続き」と「保証金の還付手続き」という二つの道を。

彼の身元保証人を頼まれたのは2009年の春のことだ。彼はそのとき品川の入国管理局に収容されていた。仮放免のための保証人が見つからず困っているとのことだった。わたしは彼のことを知らなかったが、それを頼んできた人のことは知っていたので、一度面会に行った後、引き受けることにした。彼の仮放免許可が下りたのは、申請から一ヶ月後のことだった。

2010/12/22

ジャンピナ

以前「やりくり」で触れた、わたしが6万円ほどお金を貸しているビルマ人が、収容されてしまった。

収入のある身となったその人は、わたしに毎月少しずつ返済すると、約束してくれていた。だが、今やそれも不可能となった。品川の収容所から出られるとしたら、早くて4〜5ヶ月後。しかし、牛久に移送されてしまう可能性もある。そうならば10ヶ月〜1年は覚悟しなくてはならない。しかも、仮放免されたとしても、収入の保証はないのだ。

そもそも、仮放免された人が、収容以前の生活水準にまで戻るのはかなり厳しい。

こう考えると回収の可能性はほとんどゼロに近い。だが、その人を責めるわけにもいかない。

個人的な理由から難民の収容に反対する、そんなわたしの気持ちを込めた謎掛けをひとつ。

入国管理局の収容所とかけて、巷で話題のK-POPのリクエストと解く。

その心は、どっちもカラ(KARA)にして! 頼むから!

2010/12/21

つまるところは(3)

一種の真空ジェネレーターであるシュポポンは、停滞した汚水のリクィディティに圧縮ウェイヴ属性を転移することにより衝撃波を発生させ、詰まりの原因であるパルプ・エクスクレメント結合クラスターを美事に粉砕してみせた。わたしの闘いは終わり、事務所は再び平和を取り戻したのであった。

だが、話はこれで終わらない。

数日後、タンさんが折り入って話したいことがあるといってきた。思い詰めた顔をして、言いにくそうに切り出す。

「トイレが詰まったあの一件について、わたしはずっと考えていたのだ」

こっちはとうに忘れていた。

「こうしたことは残念ながらよくあることなのだ。本当に申し訳なく思う。いや、いや! まずわたしの話を聞いてくれ。わたしには何度も経験がある。たいていは来日したばかりのビルマ人だ。彼らは日本のトイレの使い方をよく知らない。それで、流してはいけないものを流す。特に年配の女性が生理用品を! 繰り返すようだが、わたしには何度も経験がある。面倒な経験だ。しかも、ビルマの人々ときたら、決して名乗り出ない。恥辱に感じて知らぬ存ぜぬを貫き通す。わたしはいくどその尻拭いをしたことか!」

わたしは理解する。最初にタンさんにトイレが詰まったことを報告したとき、彼がどうして馳せ参じようとしたかを。とんだ勘違いをさせてしまったのだ。わたしは心底いたたまれなくなる。

「別に犯人捜しをするわけではない」と真面目なタンさんは続ける。「だが、わたしは誰がこの事務所でそんなことをしでかしたか、この数日気になって仕方がなかった。あの人ではなかろうか、あるいはこの人では、と。だが、いっこうに思い当たらない! しかし、誰にせよ起きてしまったことは仕方がない。水に流そうではないか。肝心なのは再発を防ぐことだ。そこで、わたしはトイレに張り紙をしようかと思うのだ。ビルマ語で、何を流してよいか、何を流してはいけないか、注意書きを・・・・・・」

いくら恥知らずのわたしでも、叫び出さずにいられない。「タンさん、タンさん! しでかしたのはビルマ人じゃない! 日本人、日本人!」

2010/12/20

つまるところは(2)

翌日の朝、一番に事務所にやってきたわたしは、一抹の期待を抱きながら水を流してみた。

「ダメだ・・・・・・この詰まり、本格派だ」

となると、シュポポンしかない。一名シュポシュポとも呼ばれる柄付きゴムカップに一縷の望み。と、そのとき、チン人のTさんがやってきた。待ち合わせしていたのだ。

わたしは英語で「トイレに入らないで」と言い置きして、出かけようとする。すると、何を思ったか、Tさん、トイレに入ろうとした。おそらくわたしの英語がまずかったのだろう。「トイレ」とだけ聞き取って、そこに何かがあると思ったのだ。慌てて「ダメ、ダメ」と叫んで、わたしは買い物に飛び出した。

店で「トイレが詰まったのを直すヤツありますか」と聞くと、年配の店員が「詰まるったって、具合にもよるよ。紙詰まり? 針金でゴシゴシやんなきゃ、ダメかもよ」

そんな絶望的なアドバイスは結構。わたしはトイレ用品売り場を探し回り、目当てのものを購入して事務所に帰還したのであった。

さっそくシュポポンを取り出してトイレに入ろうとすると、Tさんがさっと立ちふさがる。自分に任せろというのだ。それは絶対ダメ! わたしは取り乱しながら、親切なTさんからシュポポンを奪い取り、トイレに駆け込んだ。

2010/12/16

つまるところは(1)

事務所のトイレが詰まった。

ビルマ・コンサーン共同代表であるわたしが尻を拭きすぎたのだ。

さいわい、水は溢れなかった。また、完全に閉塞してしまったわけでもなかった。便器の縁まで溜まった水はしばらく放っておくと、通常の水位にまで戻った。しかし、そこでもう一度流すと、再び水は縁までいっぱいになった。柄付きのブラシで便器の底をかき回してみたが、事態は好転しなかった。

そのときわたしはひとりだった。これはよかった。だが、あいにく、すぐに出かけなくてはならなかった。つまり、腰を据えて修理をする時間はなかったのである。

わたしは、外出中に事務所を使うことがあると大変だと考え、もうひとりの共同代表のタンさんに電話をかけて尋ねた。すると「その予定はない」と返事してタンさん、「だけど、どうしてそんなことを聞くんだ?」

「トイレが詰まったんだ」

「えっ、大変だ! 今から手伝いに行くよ!」

なんてマジメなんだタンさんは、と思いながらわたしは大慌てで断った。

2010/12/15

嘘つき

ビルマの人々の中にはとんでもない嘘つきがいる。

これはビルマの人々の性根がねじくれ曲がっているせいではない。不正な政府に相対するとき、身を守るための唯一の武器が嘘をつくことであるのが普通なのだ。自分についての本当の情報を明かすのは時としてとてつもない災厄を招きかねない。そして、このような自己韜晦のための嘘なら、わたしにもあなたにももちろん、経験はあるはずだ。

しかし、その韜晦ぶりが徹底してしまった人々がいる。嘘をつくことがほとんど習慣のようになってしまったのだ。そうした人々をあるカチンの人がこんなふうに評した。

「あの人たちは1日1回は嘘をつかなきゃ落ち着いて眠れないんだ!」

つまり、連中、夜中にガバと起き出して、つき忘れた嘘を慌ててつくというわけだ。

2010/12/13

から騒ぎ

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)で、今年の夏、恒例のバス旅行を企画し、50人ほどの団体で、大洗の海に海水浴に行った。ぼくは行かなかったが、とんだ騒ぎが起きた。

海の家に陣取って、海水浴をしたり、東京から運んできたビルマ料理を食べたり、お酒を飲んだりして楽しんだ後、帰途につくべくバスに乗り込んだ時、ひとりのビルマ人男性が行方不明になっているのが分かったのだ。

もしかしたら、溺れたのでは? いや、難民申請中なので警察に捕まってしまったのでは?

一同大いに心配する。携帯に電話をかける。出ない。バスを降りて探しに行く。どこにもいない。携帯が見つかった。海の家に荷物と一緒に残されていたのだ。

だが、いつまでも探しているわけにはいかない。そこで、捜索係として数名の役員を残して、バスは出発したのであった。

だが、張本人はなんと東京にいた。さんざん酒を飲んで酔っぱらってしまったのだ。自分のいた海の家が分からなくるほどに。そして、ぶらぶら歩いているうちに駅に出くわしたので、そのまま帰ってしまったという、なんとも迷惑な話。

昨日の日曜日、大塚のビルマ料理屋でBRSAの忘年会があった。みんな飲んだり食べたり、カラオケで歌ったり。すると、役員のひとりがぼくを呼んで言った。「あの人ですよ。海でいなくなったのは!」

ご機嫌そのものだった。熱唱していた。仲間たちと肩組んで陽気に踊っていた。

もう爆笑ですよ。

やりくり

難民申請中のビルマ人Aさんが、ある事情から急に引っ越ししなくてはならなくなった。

仮放免の身なので、なかなか新居が見つからない。そこで、すでに在留許可を得た友人のBさんの名前で借りることにした。

問題はお金だ。家探しに時間がかかったこと、そしてまぎれもなく本人がぐずぐずしていたため、契約を成立させるには、翌日までに11万円払わなくてはならない、さもなければ住むところを失う、そんな状況だった。

そこで、Bさんがぼくに電話をかけてきた。とりあえず立て替えて銀行から送金してくれないか、と。

「で、その人は今いくら持ってんの」

電話口で彼がAさんと話しているのが聞こえる。

「5万円だって」

6万円貸すわけか、とぼくは考える。ぼくはビルマの人々に貸したまま返ってこないお金のことを思う。総額18万。そのうち5万円と6万円を貸した二人のカレンの人は、ぼくのことをスパイだなんだとさんざん触れ回っている。そうすれば借金も帳消しになるかも、という短期的かつ楽観的な経済見通しがあるのだろう。もっとも、こちらは長期的かつ悲観的に考えるほうだ。

それはともかく、Bさんは信頼のできる人だ。それに、損害を被るとしたらBさんのほうがはるかに大きい。なにしろ、彼はAさんの家賃の責任も負わなければならないのだから。

また、ぼくはAさんのことも知らないではなかった。独立して生計を立てている人だ。そんなわけでぼくは踏み倒される可能性は低いと判断し、11万円を送金し、そのうちの6万円を貸すことにした。

もっとも、送金を済ませたぼくはすぐにBさん電話して、こう要求せずにはおれなかった。

「その5万円をすぐにAさんから奪い取るんだ!」

それからしばらくして、ある日本人と話すことがあった。いろいろとビルマ難民の面倒を見ている人だ。たまたまAさんの話題が出た。その人が言った。「Aさんなら、この前電話をかけてきて、引っ越しでどうしてもすぐにお金が必要だからというから、貸したよ、5万円!」

もう爆笑ですよ。

2010/12/07

テンペスト

カレン人難民のWさんははじめ、品川入管のあるブロックの6人部屋に収容された。

彼が連れてこられたのは午後3時頃だったが、夜勤明けだったということもあり、そのまま寝てしまった。

夕方になって彼は目を覚ましたが、その時には同室の収容者たちの確信は揺るぎないものとなっていた。今宵は嵐と雷鳴の一夜となる、と。身の危険を感じた彼らは入管の職員に善処を訴え出た。

入管の職員はこんな要望に慣れっこになっていたのだろう。すぐさま、イビキ抑制テープが届けられた。これは、鼻梁に貼付けて鼻の穴を拡張することでイビキを防止する、現代人体科学の粋の結晶である。

だが、自然の猛威は現代科学をいとも簡単にねじ伏せた。嵐は夜っぴて吹き荒れ、翌朝やってきた入管の職員は、Wさんに部屋の移動を宣告したのであった。

彼が移されたのは、同じブロックの3人部屋だった。二人の先客がいたが、夜になってこの二人も相当なものだということが明らかになった。サイクロン級だった。つまり、この部屋はそれ専用の解放区だったのだ。

Wさんは数ヶ月後仮放免されるまで、ずっとこの部屋に収容されていた。二人の先客はやがて釈放されるか、帰国するかしたが、新しい収容者はついにやって来なかった。Wさんは一人きりになったが、平日は自由時間に他の部屋に行き来することができるので、孤独とはいえなかった。部屋から出ることのできない土日の寂しさを補ってあまりある快適な生活だった。収容所で望みうるかぎりの内面的自由を獲得した彼は、それを著作と描画に捧げた。

Wさんと同じく、やはりすさまじき雷鳴の輩であるわたしは、彼がイビキによって悲しい収容生活を実りある創作生活へと転じえたことを近来の快事とし、ここに書きとどめる次第である。

2010/12/03

虫のいろいろ

小学生の頃、同級生が夏休みの自由研究で賞をもらった。

それは、夏の夜の電灯に集まる虫たちの研究で、彼は毎年同じテーマを選び、その根気と蓄積が評価されたのである。

自分がどんな「自由研究」をしたのかはさっぱり覚えていないくせに、彼の研究だけは印象に残っている。そんなわけで、夏休みの自由研究と聞くと、ぼくは虫のことを連想するようになってしまった。

難民のカチン人家族がいる。ご夫婦とひとり息子。ご夫婦はぼくがずいぶん世話になっている方々で、お二人とも相当の人物だ。

小学校6年生になるその息子さんがこの夏こんな自由研究をしたそうだ。

「独裁者の研究」

ぼくが小学校の頃とは自由研究もずいぶん違うだろうからわからないが、こんなことを調べる子どもはそういないのではあるまいか。はやくも親譲りの大物ぶりを発揮したというべきであろう。

いっぽう、独裁者のほうもまた、虫や花と同列に扱われることで、本来の小物ぶりを明らかにされたのである。

ちなみに、その自由研究によれば、ビルマのタンシュエ大将は世界で第3位の独裁者だそうだ。

世界にはまだまだいろんな虫がいる。

2010/12/01

それにはおよびません

入管で収容された経験のある人たちから話を聞いている。

ある経験者から聴き取りをしているとき、収容施設の日常生活で記憶の不確かな点が出てきた。

彼は嘆息して曰く「ああ、忘れちゃったな。もう一度入らなきゃダメだ!」

2010/11/29

多数派

ある在日カレン人難民の母と9歳になる息子の会話。

「息子や、日本では嫁は姑の面倒を見ないというではないか。嫁にするならカレンの娘を選んどくれよ」

「母さん、日本ではカレンの娘は数えるほどしかいませんよ。どうして日本の娘を選ばずにおれましょうか!」

息子は少なくともしっかり者には育っている模様。

2010/11/25

禁忌

入国管理局のことを悪くいう人がいる。収容された外国人にたいする人権侵害を激しく糾弾しているのだ。

わたしとしてはむしろ入国管理局を擁護したい。入国管理局はとっても外国人思いなのだ。以下証明。

品川入管は建物の8階から11階までが収容施設になっている。各階は4つのブロックに分けられていて、それぞれにAから順にローマ字が割り当てられている。

各ブロックの定員は40人〜50人ほどであり、複数の部屋に分けられている。部屋の数はブロックごとに異なる。あるブロックには7、別のブロックには14という具合である。

これらの部屋に外国人が収容されるのである(部屋の大きさはまちまちであり、それに応じて定員も3名〜10数名と異なる)。

さて、これらの部屋には番号が1から割り当てられている。そこで、ブロック名と部屋番号を組み合わせれば、収容施設内の「住所」ができあがる。7つの部屋があるIブロックを例にとろう。

I-1
I-2
I-3
I-5
I-6
I-7
I-8

「I-4」がないのにお気づきだろうか?

その理由は明白だ。4が忌み数だからだ(ある収容経験者によれば「14」番の部屋も「なかったかも」と)。

3の倍数および3が付く数字の時にアホになった世界のナベアツ同様、古来日本人は4の数に出くわすたびに不吉になってきたのだ。

もし、4のつく部屋に収容された外国人が不吉な感じに苛まれたら・・・そんな日本人らしい配慮を、やさしいといわずしてなんといおう。ゆえに、入国管理局は外国人思いなのである。Q.E.D.

付記

もっとも、それを気に病む人がそこに収容される可能性が果たしてあるのかどうかは、はなはだ疑問である。また、朝鮮の文化でも4を忌避することがあるとのこと。

真面目にいえば、これは収容する側が怖がっているのだ、もちろん。

消息不明

第3国定住のためにやってきたカレン人たちの消息が不明だ。もっともぼくはいろいろ聞き回った結果、一応は突き止めたように思うが、一般的には不明だ。

ある在日カレン人難民が電話してきて怒っていた。

カレン人の伝統行事「カレン新年祭」を今年も開催する予定で、やってきたカレン人難民たちを歓迎の意を込めてぜひ招待したいのに、それすら出来ないとはどういうことだ、というのだ。

「日本政府のやり方はおかしくないですか?」とその人は言った。

ぼくも確かにそう思う。

秘密基地に拉致して、6ヶ月の秘密教育ののち、いきなり日本社会に放り出す、 そんなことがうまくいくわけがない。

ま、日本にもいちど難民になりにきたようなものだ。

2010/11/22

虫けらどもをひねりつぶせ(10)

もっとも、われわれとて笑ってはいられません。日本にだってありますからね。和風の「虫けらどもをひねりつぶせ」が。ネットの書き込みをたっぷり収録した大幅増補版、しかも一切の校正なしのヤツです。それに、中国だってこの分野にかけては一流です。なにしろ紙を発明したお土地柄ですから、大陸級のとてつもない分厚い一冊が無料で配布されています。もちろん、世界初の金属活字を誇る韓国だって黙っていません(北朝鮮のにはノドンの付録付きだとか)。これでわれわれは互いにバンバン頭を殴り合うわけです。バチン! みんなとことんやる覚悟のようです。バスン! 頭蓋骨をぺしゃんこに潰すまで、と息巻いています。バシャ! 飛び散った脳みそは海に流出し、海域の絶妙な位置で寄り集まって島となり、きっと新たな領土問題を起こすことでしょう・・・・・・。

ぼくの話もそれでおしまいです。支離滅裂で、またほとんど聞いている人がいなかったにせよ、ともかく副会長としての責任は果たしました。演説を終えるやいなや、ぼくは列の後ろに逃げて隠れました。人々の頭越しに例の「演説台」をみると、BRSAのモーチョーソー事務局長が演説をしていました。

デモは4時に終わる予定です。人々の背後をぶらぶらし、友人たちと話しているうちに3時半になりました。ちょうど2時間いたことになります。ぼくはゆっくりと後じさりしながらデモの列から離れ、絶妙な距離にまで達すると、素早く背を向けて一気に遁走しました。

デモの翌日、月曜日、ある人がぼくが演説している様子をネットで見たと言いました。ビデオ撮影者がたくさんいたので、それも当然ありうることでしょう。ですが、自分から探して見ようなんて気はてんで起こりません。(おわり)

2010/11/21

虫けらどもをひねりつぶせ(9)

ビルマ人に言わせれば、カレン人もカチン人もそれ以外の民族もみな狡賢く、油断がならず、信用がおけず、やたらと刃向かい、絶えず陰謀を張り巡らせている連中だそうです。それは確かにビルマ軍事政権の少数民族への対応に如実に表れています。ですが、注意すべきは少数民族もビルマ人をそのような剣呑な民族としてつねに語るということです(もっともビルマ人がいないときにかぎりますが)。すなわち、どの少数民族にもそれぞれの言語でビルマ人にたいする「虫けらどもをひねりつぶせ」があるということになります。

ビルマ問題でも何でもそうだと思うのですが、多数派と少数派の争いがある場合、しばしば、多数派が悪、少数派が善という構図が描かれます。少数派のほうに正義があるとされるのです。それはある次元では全面的に正しい。とりわけ多数派の暴力により少数派の血が流されている場合には。命を脅かされている側の命を救うための働きは文句なく正義そのものです。ですが、うっかりそれを別の次元にまで波及させてしまうことがあります。つまり、その少数派の民族性、信仰、伝統、思想、文化もやはり善にちがいないと誤解してしまうのです。

そうすると、ぼくなどは変な期待を持ってしまいます。これら虐げられた人々から、正義や人間の尊厳に関する何か深遠な洞察が聞けるのではないかという期待が。ところが、この期待はまれにしか成就しません。それどころか、口を開けば多数派に負けず劣らずの憎悪、偏見、恨みつらみ、被害妄想、復讐の夢・・・・・・。うんざりさせられますよ、きっと。

そこで、ようやく分かるわけです。要するに、双方とも似たような「虫けらどもをひねりつぶせ」でもってバカスカたたき合いをしているにすぎないのだと。ただ、本のつくりの違いだけなのです。多数派は分厚く、大判で、表紙も固くて破壊力十分。しかも美麗な装丁で、小口三方金ときています。かたや少数派のガリ版刷りのホチキス止め。勝負は目に見えてますが、開いてみれば、まあ、中身は一緒です。

2010/11/20

虫けらどもをひねりつぶせ(8)

1937年にフランスで出版された『虫けらどもをひねりつぶせ』(ルイ−フェルディナン・セリーヌ著、高坂和彦訳、国書刊行会)は、反ユダヤ主義とユダヤ陰謀論を基調とする本です。もちろんそれのみでこの400頁を越える作品が尽きるわけではないのですが、そうした要素抜きでは成り立ちえない本です。例を挙げればこんな具合です。

「フランス人にもし、好奇心があったなら、たとえば自分たちを引き回している連中みんなの名前を、嘘いつわりのない名前を少しでも知ろうとする気があったなら、どんなに物わかりがよくなることだろう。自分たちを支配している連中、それも、とりわけやつらの親や祖父母の名前を。(中略)ドレフュス事件以来、年が経つにつれて、純血種のフランス人が、公然か隠然たるかを問わず、あらゆる指導的な位置からほぼ完全に追い払われ、意気をそがれ、矮小化され、排除され、追放されていることに気づかねばならない。去勢され、徹底的に武装解除されてしまって、もはや自分の土地にいながら、ユダヤ人の言いなりになる得体の知れない家畜の群れでしかないことを。もうすっかり屠殺場行きの準備完了という次第だ。新しい職場ができても、すぐにユダヤ人に占領され、フリーメーソンやユダヤ女の亭主その他の連中によって空席も埋められ、ユダヤのものにされてしまうのが分かっているのか・・・・・・黒人がどうしようもなくのさばりやがる。サディスティックな、頑固一徹の混血野郎どもだ。(中略)ニグロ系ユダヤ人がわれわれの中にいるのではない。われわれこそが、やつらの中にいるのだ。(280-281頁)」

ホロコーストを経験したヨーロッパでこうした主張がとうてい認められるものではないのは当然で、そのため長く絶版となっているとのことです。ぼくはセリーヌやユダヤ民族差別の問題に関しては一般的な知識しか持ち合わせておらず、作者の意図やその問題点についてここで論ずることはできませんが、読み進めていくうちに、ビルマで現在起きている民族差別と重ね合わせずにはいられませんでした。

すなわち、もしビルマ人にセリーヌのような作家がいたとしたら、たとえばカレン人について、『虫けらどもをひねりつぶせ』とかなり同じようなことを書くのではないか、と思ったのです。いや、セリーヌのような文才はなくてもいいのです。別に作家である必要もないのです。普通のビルマ民族が他民族にたいして感じている恐れ、疑い、気味悪さ、憎悪、怒り、恨みを徹底的・直接的に表現したならば、きっと同じような書物、ビルマ語版「虫けらどもをひねりつぶせ」ができるに違いありません。

2010/11/19

虫けらどもをひねりつぶせ(7)

ビルマの新国旗が燃やすに値するものであること、それは誰にもわかりきったことなのです。そして、そんなものを燃やすぐらいのことは、ここ日本でなら誰でも何枚でもできるのです。お尻の穴にこびりついたウンコを拭くことだってできるのです。なんならそれをUstreamで中継してもいいのです。ですが、重要なのは、その旗を燃やした後に、どのような新しい旗が、どのような新しいビルマがあるのか、を示すことです。

もし、これがビルマで行われていたのならば、まったくその意義は異なります。そのような行為が逮捕や殺害に結びつきうる限り、それは解放の表現となります。「わたしたちはたとえ旗を燃やしても逮捕されも殺されもしない国を作るのだ」という極めて鮮烈なメッセージとなるのです。ですが日本ではその鮮烈さは失われます。ただ単に警察を慌てさせた、それだけです。その行為はここ日本でビルマの自由を促進するのにはほとんど役に立たないのです。

おそらく、これが、その出来事が起きたとき、状況全体に間延びした白けたような感じ、他人事のような雰囲気を付与した理由なのでしょう。

さて、演説に話を戻すと、どうしても書き記しておきたい出来事があります。それはぼくが演説の締めくくりに「どんな民族でも平等に」暮らせるビルマとかなんとか言ったときのことです。ぼくが民族問題について言及したのはこの箇所だけで、自分がこの問題に関わってきた関係上どうしても一言入れたいと思ってあえてしたのですが、ぼくがこう言ったとき、ちょうど目の前のデモの前列にいたカレン人のノウ・エムーさんが肯いてくれたのが目に入ってきました。

ぼくは彼女とは長いつきあいで、エムーさんが難民となった背景についても随分詳しく教えてもらいました。カレン民族として民族的迫害を自ら経験してきた彼女が、ぼくの言葉に肯いてくれたことは、本当にうれしいことです。演説している間は夢中で周りの様子などまったく記憶にないのですが、彼女が肯いたときの光景だけははっきりと覚えているのだから不思議なものです。

2010/11/18

虫けらどもをひねりつぶせ(6)

そうした生身の人間の命を蔑ろにしている権力があるという現状に対して、やはり同じ生身の人間として叫ばずにいられない、そうした切実さのみが、こうしたデモ活動に根拠を与えるのだろうと思います。その切実さの裏付けのない行為は単なる憂さ晴らしか目立ちたがりです。もちろん、デモにはお祭り的な要素もありますから、そうした行為があってもいいのですが、それはあくまでも本筋ではありません。

ぼくの古くからの知り合いの男性が、大使館の脇にある花壇を踏み台にして、大使館の敷地内に政治的主張が記されたA4サイズのプラカードを数枚放り投げました。すぐさま警官たちが静かに駆け寄ってきて両腕を掴まえて制止しました。抵抗しなかったのですぐに放されましたが、彼はデモの列に向かって自分のしたことを声高に訴えはじめました。拍手をする者もいれば、歓声を上げる者もいましたが、笑っている者もいました。もし、彼の行為に有無をいわせぬ切実さがあれば、笑う人などひとりもいなかったことでしょう。

正門前に集まった人々が、ビルマの新国旗を燃やすという出来事もありました。警官たちが押しかけてちょっとしたもみ合いになり、デモの責任者たちは他の参加者が騒動に加わらないように制止して回っていました。ぼくは遠くにいたのでどのような人々によって何がどのように起きたのかは実際には分かりません。押し合いへし合いするデモ参加者と警官とビデオカメラを持った人々、時たまちらりと上がる炎が見えただけです。そんなわけでこの行為を正確に評価はできませんが、ぼくの周りにいた人々の「おっなんかがおっぱじまったぞ」という野次馬的な態度やどことなく冷静なまなざしを含めてどことなく牧歌的な雰囲気さえ感じました。

もちろん、それなりの思いがあって旗を燃やしたのでしょうが、その思いが他の参加者たちに伝わったのかどうかははなはだ疑問です。

本当にすべき行為とは、それによってデモ参加者たちが励まされ、より真剣になり、勇気づけられるものでなくてはならない。これは非常に難しいことですが、そこを目指さない限り、ハイテク埴輪のほうがましということにもなりかねません。

2010/11/17

虫けらどもをひねりつぶせ(5)

演説はたいして長いものではありませんでしたが、ここに全文を書き記せるほどはっきりと覚えてはいません。ただ、「選挙反対」関係の言葉からはじめることができたことだけは確かです。このこと、つまり軍事政権が行う選挙によって国はちっともまともにならないという政治的立場をBRSA代表として明確に伝えることはなによりも重要です。500人以上に膨れあがったBRSA会員の命運がかかっているといってもいいのです。

もうひとつ気を遣ったのは、美辞麗句を並べたり、虫酸の走る運動用語で塗り固めたり、わかりきったスローガンでズバリ決めてみたりといったことがないように、ということでした。こうした場では本当はそうした演説のほうがふさわしいし、かえってあっさりして喜ばれるぐらいなのですが、ぼくはどうしても何か変わったことを付け加えたくなります。普段むっつり黙っている分、口を開くとここぞとばかりという感じなのです。

しかし、実際は何を言ってもかまわないのです。眩しい世界に眼をぱちくりさせている無精髭の男が蚊の鳴くような声で話しても、誰ひとりとて耳を傾けないのが実情です。女性や民族衣装を着た人、ひときわ熱狂的な演説者が話し始めるやシャッターチャンスとばかりに突進してくる報道関係者にも、つかの間の休息もしくは別の被写体にじっくり取り組む機会をプレゼントしたという次第です。要するに、代表として前に立って何か話した、という事実が重要なのです。

「では、大きめの埴輪ではいかが?」と誰かが尋ねるかもしれません。つまり「大きめの埴輪にポータブル・オーディオとスピーカーを内蔵させたのを置いていたっていいのでは?」と。もちろんそうしてもいいのですが、そうすると大使館前は埴輪だらけになってしまうかも。もちろんこれは冗談で、やはり生身の人間に勝るものはありません。

2010/11/16

虫けらどもをひねりつぶせ(4)

後から聞いたのですが、BRSAの会長の大瀧妙子さんもすでにお話をしていたそうです。また、後でビルマ市民フォーラムの代表として宮澤さんがお話ししているのも聞きました。デモに協力しているビルマの団体や日本の団体の代表がひとりひとり短い演説をするのが決まりになっていたのです。

もちろんそうした決まりがあるのは知っていましたが、それがこのタイミングで自分に降り掛かってくるとは思いもよりませんでした。ぼくは自分が卒倒しなかったのが不思議なくらいです。ぼくは書くのもダメですが、しゃべるのはそれに輪をかけてダメという手合いで、話し始めるや聞き手よりも先に自分の頭が朦朧としてくることしばしばです。カエルと一緒で口を開くのは食べるときだけです。

いきなり引きずり出されたぼくは「5分だけ待ってくれ」とノートを持った彼に懇願しました。どこからこの5分という数字を自分が引っぱり出してきたのか、いまだに分かりません。多分、5分あれば近くの公園にまで逃げられると思っていたのでしょう。

それはともかく、ぼくはサンダータウンさんとモーチョーソーさんのところに駆け戻り、何を話せばいいのか尋ねました。「総選挙に反対するということだ」という答えが返ってきました。慌ててぼくはメモ帳を取り出し、「選挙反対」と殴り書きしました。このメモを片手にぼくはあの「演説台」に戻ったのですが、まあ、貴重な5分間と紙一枚を無駄にしたわけです。

そもそも『虫けら』なんて読んでいたのがいけなかったのです。そんなものにうつつを抜かしている暇があったら、ネットで仕込んだビルマの最新情勢とか、人権守れ!の記事とか、民主主義育て!の論とか、民衆が今!のニュースとか、誰に見せても恥ずかしくないようなものを読んでいるべきだったのです。もっともたとえそうしたとしても、なにしろ読みつけてないので、ボロを出すこと必定ですが、しかし少なくとも頭はきっと前向きになっていたことでしょう。土の中から引きずり出されたモグラのようにぶるぶる怯えることはなかったでしょう。日頃の行いの罰が当たったのです。虫けらはひねりつぶされました。

でも、今さらそんなことを嘆いてもはじまりません。すでにぼくは「演説台」のところに立っているのです。ノートの彼に「通訳はありますか」とぼくは聞きました。すると「ない」との答え。彼はビルマ語で大声で紹介をし、ぼくは日本語で話しはじめました。

2010/11/15

虫けらどもをひねりつぶせ(3)

ぼくはデモの列の前、各団体の参加者たちがそれぞれ吊るしている色とりどりの旗の横を歩いて行きました。本当は列の後を通りたかったのですが、人で一杯で入るのは無理そうでした。

通過する間に、前面に立つ知り合いたちが挨拶してくれたり声をかけてくれます。久しぶりに会う人もいて、いろいろと話したいこともあるのですが、通行の邪魔になるので呑気に立ち話などできません。しかも、歩いているのはデモの正面という目立つ場所です。いちいち挨拶なんかしていられません。なにしろ日陰の中の日陰から出てきたばかりですから、一刻も早くBRSAの旗に辿り着き、人ごみの中に隠れたい一心なのです。

目指す旗の手前で、BRSAの役員のサンダータウンさんに呼び止められました。彼女の後には事務局長のモーチョーソーさんもいます。ほっとしたのもつかの間、サンダータウンさんが、話が聞きたいみたい、というようなことを言います。なんだろうと思うと、ビルマ人の男性がノートを片手に脇に立っています。彼女がぼくの名前を告げると、その男性はノートにメモしました。

ビルマのメディアが何かコメントを求めているのだろう、と考えました。こうしたことは幾度か経験があるので、ぼくは男性がICレコーダーを取り出すのを待ちました。

ところが、彼はぼくを正面のほうに連れて行こうとするのです。このときぼくは理解しました。彼はあの「演説台」に引っぱり出そうとしていたのです。『虫けらどもをひねりつぶせ』、例の「敗残の巨人」がひり散らした高濃度のどす黒いウンコの中からから出てきたばかりのぼくを。

2010/11/14

虫けらどもをひねりつぶせ(2)

この本は、読んだことのある方ならご存じのように、ウラ本中のウラ本とでもいうべき本で、電車の中で広げるのは気が引けるほど。見た目とは裏腹に意外に誠実な書きぶり、しかし念が入りすぎているのであまり頭に入らず、読み飛ばしていたわけですが、それでも品川駅で降りたときには、日陰の中の日陰からムリヤリ日なたに引っ張り出された気分で、目がしょぼつくほどでした。

その気分を引きずって、ビルマ大使館前まで歩いて行ったわけです。

デモは10時から始まっていて、ぼくはといえばとにかく顔を出すのが目的だったので、そんなに急いでいく必要もない。だから着いたのは1時半頃です。大使館前ではたくさんの活動家たちが一列に並んで、それぞれの団体の旗や、スーチーさんの顔写真、あるいはスローガンを記したプラカードを掲げていました。この日のデモにいったい何人が参加したのかははっきりいって分かりません。800人という人もいます。途中から来たり、途中で帰る人も多いので実数の把握は難しいでしょう。いずれにせよ、普段よりもはるかに多いということは確かです。

また、警察官や公安らしき人々の数も多いように感じられます。ビデオカメラやカメラ、マイクを持った報道関係者の数は間違いなく多い。メディアの注目も高いということです。

歩道にびっしりと並んだデモ参加者は、一方通行の車道を挟んで大使館の正門と壁に対峙しています。関係のない通行人は歩道を歩くことができないので、車道の端に並べられたパイロンとデモの列の間を通ることになります。車ももちろん通行しますが、車道はデモのリーダーたち、記録担当者、報道関係者などが動き回っているので、その度に警察が注意します。

大使館の壁側にもやはりパイロンが並べられていて、壁との間をカメラやビデオを持った人々が行き来しています。

正門横の壁のあたりは、いつものことですが、デモに参加した団体の代表がスピーチをする場所、いわば「演説台」で、ぼくが到着した頃にも数名のビルマの人が立っていました。

2010/11/13

虫けらどもをひねりつぶせ(1)

罰が当たることってあるんですね。

ビルマで総選挙が行われる日、11月7日、ビルマ大使館前でデモがありました。

軍事政権の行う総選挙に対して抗議をするのです。

ぼくはここ3年ほどはほとんど行きませんが、毎週のようにビルマ関係のデモやら、抗議行動やら、アピールやら、行進やらに顔を出していた時期か1年ほどあって、この手のデモがどういうものか、何が起こって、何が起こらないか、だいたい分かるようになった。それで、すっかり飽きてしまった。

もちろん、日本でやるデモの意義を否定するわけではありませんし、役に立つこともあるのですが、かといって政治的に本当に効果があるかというと、どうもそうではない。

そんなわけで、その日はとても重要な日だったのですが、どうも行く気がしなかったんですね。張り切って行くほどのものではないですし、茶番じみた出来事を見て居心地が悪くなることもあるので。

けど、やっぱり行くことにしました。どうせまたウンザリさせられるんだろうな、と思う一方、多少の好奇心もあって、何かマトモなことも起こるのではという気もしていて。それに、なんといってもつきあいというものもありました。ぼくは在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)という難民団体の副会長をしていて、その事務局長のフラティントゥンさんから、顔を出すように、といわれていたのです。

それで、イヤイヤ家を出たわけですが、移動中の暇つぶしにと、本を一冊持っていきました。セリーヌの『虫けらどもをひねりつぶせ』です。 これがいけなかった。

2010/11/12

交通事故

木曜日の夕方、交通事故に遭った。保育園に子どもを迎えに行く途中だった。

停車中の軽自動車の右側を自転車で通り過ぎようとしたところ、急にドアが開いて、自転車ごと横倒しになった。

対向車線から軽トラックが向かってきているのを知っていたので、必死になって這って逃げたが、幸いなことに向こうは停まってくれていた。

後から車が来ていたら轢かれていたかもしれない。子どもを乗せていたらと思うとゾッとする。

血も出ないし、頭も打たなかった。右肩から落ちたので、そのあたりが痛むだけだった。運転手は30代後半から40代の女性で、すぐに飛び出てきて「大丈夫ですか」と言った。

ぼくは動転していたので「大丈夫です」と言ってそのまま自転車を押して行った。女性はそれ以上何も言わず、コンビニに入った。その前はいつも車が路駐していて、毎日「危ないな」と思って自転車で通っていたところだった。

コンビニの脇にまで自転車を運ぶと、年配の男性がやってきて「とんでもない人だ」と怒った。別の老婦人が「あなた連絡先を聞かなきゃダメ」と言ってぼくを連れてコンビニに入った。運転手の女性は小学生四〜五年生ぐらいの息子とコピーを取っていた。

老婦人はその母親に「酷いじゃないの」と言って出ていった。ぼくは気の毒になって、その母親から携帯番号と苗字だけ聞いて再び自転車に戻った。

自転車では男性が待ち受けていて、警察を呼ぶべきだといろいろ助言してくれたが、時間がなかったし、面倒くさかったし、復讐的なことをするのもいやだったので、礼を言って保育園に向かった。

ぼくは以前、日本で詐欺事件に巻き込まれたカチンの人々が適切な行動を取っていないことを罵った。これらの人々が自分のことしか考えていないのに腹を立てたのである。しかし、いざ自分がそのような目に会ってみると、自分がやはり自分のことしか考えていないことに気がついた。

もちろん警察を呼ぶべきだったのである。これは後になって冷静に考えてみて気がついたことだ。ぼくはそのあたりが路駐が多くて危険だと前から思っていた。だからこそ、警察を呼んでそのような事故があったことをしっかり記録に残してもらうのは重要なのだ。

ぼくが通報しなかったせいで、誰かが同じような事故に遭うかもしれない。そしてその被害者はぼくよりも幸運とはかぎらないのである。ぺしゃんこで血まみれ、脳みそをぶちまけて、遺族も見分けが付かないほど、しかも、前と後ろの補助席に子どもまで乗せていて、一緒にぐちゃぐちゃ、だなんて可能性だってあるのだ。そのときはぼくもやはりそれらの死に責任があるのだ。

復讐はいやだ、面倒くさい、オオゴトになるのは恥ずかしい、そんな個人的な思惑、くだらないかっこつけのために、ふさわしい行動を取れなかった自分を恥ずかしく思うとともに、ぼくは自分が非難したカチンの人々よりも立派でもまともでもないのだということを痛感している。

それにしても、教えてもらった電話番号、 何度かけても出てくれないのだ!

2010/11/10

悪徳の栄え

国際的なニュースメディアで、時々日本のニュースでもソースとして取り上げられるアルジャジーラ(英語放送)に、日本の難民状況についての取材に協力した。

いつ放映されたのかは知らないが、2分半ほどのニュース映像となってアルジャジーラのYouTubeのページで視聴することができる。

日本ではアルジャジーラの放送を直接見る機会はあまりないが、中東やアフリカ、ヨーロッパではよく見られている。アラビア諸国ではもちろん、英語放送よりもアラビア語放送のほうが親しまれているが。

映像にはぼくの顔も紛れ込んでいるので、チュニジアの友人に知らせたら面白かろうと思ってメールを出そうとした。そこで、気がついた。

チュニジアでは検閲によってYouTubeは見ることができないのだ。

ポルノグラフィを含むけしからん映像は御法度なのである。もっとも、周知の通りYouTubeはそのようなサイトではない。本当のところは、国民に見せたくないような情報が含まれているからだろう。たとえば、大統領の顔に落書きされていたり、罵詈雑言が浴びせかけられていたり。

芸術か猥褻か、議論はつきない。

2010/11/06

族か人か(4)

ならば、この曖昧さをまず除去しなくてはならない、というわけで、「〜人」と「〜族」の使い分けに関して、こんな原則を定めてみることもできる(実際に、これを実践している人もいる)。ある国の国民を意味する時は「〜人」を用い、民族的な背景を意味する時は「〜族」を使う、と。だが、これもさまざまな問題をはらむことがすぐ分かる。

まず、ある国の国民でなくても「〜人」とする例も豊富にある。これは先に挙げたバスク人の例がそうである。バスクという名の国は存在しない。「クルド人」にもこれは当てはめることができよう(もっとも、「クルド族」のほうももよく用いられるが)。

また、民族的な呼称として「〜人」が用いられている例としても、バスク人やクルド人の例は使える。そもそも、後で述べるように、民族的背景をさす「〜族」はすべて「〜人」に置き換えることができるのだ。もちろん、それで問題のすべてが解決するわけではないが、そうしないで引き起こされる問題のほうがはるかに大きい。

さて、ようやくビルマの話。上の原則に従えば「ビルマ人」とはビルマ国民のことを指し、「ビルマ族」とはビルマ民族を指す、ということになる。すなわち、ビルマ人というのは民族性を越えた総称であり、そこに「ビルマ族、カチン族、カレン族、チン族」などなどの民族グループが含まれるということになる。これは確かに理にかなっている。二つの問題点を除けば。ひとつは、ビルマにはかなりの数の中国と南アジアからの移民がおり、これらの人々もやはりビルマ国民であるが、「〜族」という形では決して表現されないことがある。要するに、「中華族(あるいは漢族など)、インド族」というよりも、「中華系、華人、インド系、インド人」などとするほうが普通である。しかも、この中華系、インド系などなどにしても、民族的に単一の存在ではない。移民と民族の問題についてはまた別に触れるけども、すくなくとも、ビルマのあらゆる国民が民族という属性できれいに分類できるわけではない、ということはお分かりいただけると思う。すなわち、この原則が前提とする「上位区分としての国民、下位区分としての民族」という二部構造では上手くいかないのである。

2010/11/05

族か人か(3)

例えば、「日本人」。「日本人」と言われる集団が、大部分「日本民族(大和民族)」からなっていることは一応認められるとしても、「日本人」がそのまま「日本民族」であるとは言えない。アイヌの人々が「日本人」であることは、誰も否定できないことであるし、異論もあるかもしれないが、韓国でも中国でもアメリカでもどこでもよいが、そうした外国の出身者で、「日本国籍」を持っている人もやはり立派に日本人と呼ばれるだけの資格はある(「国籍」にしても「帰化」にしてもそれぞれ議論すべき問題があるが、ここでは省こう)。

そんなわけで、「日本人」という言葉はそれが民族を指しもすれば、国籍をも指しうるという点で、はなはだ曖昧なものとなっており、まともな理性を持った人間ならば、この言葉をためらいなしには使えない。ある人が「日本人の伝統的な食事を子どもに伝えよう」という主張のもと、米だの、菜っ葉だの、漬け物だの、お豆だので一杯の怪しげな菜食を推奨していたが、その人は「日本人の伝統食」に、ルイベだの、ホルモンだの、ラペットゥ(ビルマのお茶のサラダ)なども含まれうる可能性には気がつかなかったのである。

もっとも、これは「日本人」だけの状況ではない。たいていの日本語の「国+人」で似たような問題に出くわすことだろう。

対照的なのが、朝鮮民族の場合だ。周知の通り、この民族は、日本やアメリカなどへの明白な移民を除けば、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中華人民共和国の三国にまたがって居住している。要するに、朝鮮民族は、「韓国人」であり、「中国人」であり、「朝鮮民主主義人民共和国人」であるのである。ところで、もちろん「朝鮮民主主義人民共和国人」などとはいわない。また「北朝鮮人」とも。おそらく「朝鮮人」と呼ぶのが普通であり、それゆえ、在日韓国人、在日朝鮮人と呼び分けたり、あるいは総称として在日コリアンなどと呼ぶのだろうが、この問題は複雑なのでこれ以上触れない。いずれにせよ、国の国境線が「〜人」の呼び分けに深く関わっていることが分かる。

そこで、次のような傾向を指摘することが適当に思われてくる。まず、日本語の「〜族」は民族的な背景を指し示すためだけに用いられる言葉であること。少なくとも、「〜族」に「〜国民」という意味を読み取ることはできない。いっぽう、日本語の「〜人」とは、国家の領域に関わる政治的な概念であると同時に民族的な背景を指し示すのにも現状として用いられていて、民族的な「〜族」と重なって、かなりの曖昧さを帯びている(具体例は「日本人」)。

2010/11/03

族か人か(2)

先に示したのはやや形式的な議論だが、もう少し実質的な根拠を主張することもできる。つまり、自分の国を持っている民族には「人」を、そうでない民族には「族」を当てはめるというものである。

これももっともらしい。だが、例外はいくつもある。例えば、バスク民族はフランス、スペインにまたがって居住する民族集団であるが、これをバスク族というのは聞いたことがない。バスク人のほうが定着している。

また同様に、フランスの少数民族のひとつ、ブルトン人をブルトン族とするのは耳慣れないし(歴史資料の翻訳にはあるかもしれないが)、アメリカ合衆国の日系人を日本族という人はいないだろう。在日韓国人、朝鮮人を、韓国族、北朝鮮族と呼ぶ人がいたらお目にかかってみたい。

もっとも日系人や在日コリアンを族で呼ばないのは、これらの人々が土着の民族ではなく、移民であるという事情も関わっているに違いない。

なんにせよ、「人」と「族」の境界線は、その民族が国を持っているかどうかであるわけではないようだ。

そもそも、国を持っている民族とそうでない民族を区別するこの考え自体が、近代的単一民族国家のイメージに由来するもので、この国家観がすでに現状に即していない以上、言葉のほうでも、いろいろと問題が生じてきている。

族か人か(1)

どのような民族名でもいいのだが、例えば、カレン「族」という人がいる。一方では、カレン「人」という人がいる。

どちらが正しいということはないのだが、ぼくは「人」のほうを用いているし、新聞でも何でも「人」派が増えつつあるように感じるのは、ぼくがこちらのほうが好ましいと感じているせいかもしれない。ま、それでも「族」の使用例のほうが圧倒的に多いのだが。

なぜ「人」のほうがいいのか。もちろんそれなりの理由はある。

ひとつは「人」と「族」には明確な区別が存在しないこと。もうひとつは「族」には差別的な含みがあること。

まず前者から論じてみよう。

われわれは自分たちのことを日本人と呼び、まず日本族とは呼ばない。いっぽう、例えばビルマの少数民族を「〜族」と呼ぶ人は多い。そして、「〜人」とするのが少数派であることはすでに触れた。

では、なぜ、日本人、あるいはアメリカ人、イギリス人、中国人などは「人」で、一方はカチン族、チン族、パラウン族と「族」が用いられるのか。

もっともはっきりした答えは、前に国名が来る場合には「人」、それ以外の場合には「族」を用いるというものだ。

これはもっともらしいが、いくつかのレベルで破綻していることがすぐ分かる。

まず、「人」の前に来る国名は必ずしもその国の国名と一致しないことがあげられる。すなわち、日本語では通常「アメリカ合衆国人、中華人民共和国人、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国人」とはいわずに、アメリカ人、中国人、イギリス人とするのであり、これは「〜人」の前の「国名」が、正式国名とは異なるニュアンスを帯びていることを意味する。

2010/10/22

先生ども

東京都庁の27階にある都民生活部にビルマ・コンサーンのNPO法人の設立申請に行った。

申請を受け付けてくれたのは年配の男性で、ちょっと厳しそうだ。前回は若い女性で威圧的な印象は受けなかった。しかし、書類の不備を指摘され、受理してもらえなかった。

今回は万全を期したつもりだ。ぼくは共同して代表をしているタンさんと、再び都庁に乗り込んだのであった(もっとも、申請は郵送で済ませることもできる)。
 
カウンターに座ると、職員が書類を一枚一枚念入りにチェックしはじめた。ぼくたちはハラハラしながら見つめる。だが、そんな心配はないのだ。ぼくたちは抜かりなかった・・・・・・。

ぼくたちはまず、申請書類の中に茶封筒を挟んでおいた。 そいつに気がついた職員は、周囲に気がつかれぬようそっと手で隠して、ポケットに入れた。

だが、職員は再び書類に目を戻した。理事の名前に間違いがないか、眉根を寄せてひとつひとつ指でなぞっている。ぼくたち理事全員を指で潰してやろうかというぐらいの力の入れようだ。

おそらく封筒が薄かったのだ。手触りで分かったのだ。こうなりゃ、プランBだ。

ぼくはおそるおそるいう。「先生のお部屋はどちらでしょうか・・・・・・いや、たいしたことじゃないんです。だたちょっと後でご挨拶にでもと思いまして」

だが先生、これには返事をせず、理事の住民票と理事のリストに記された住所の照合に没頭している。ますます険しい顔して。きっと部屋ではなにか不都合があるんだ。いや、単に虫の居所が悪いだけなのかも。

では、次の手に打って出るしかない。「あの、先生、こう根詰めてお仕事したんじゃ、お体にも障りましょう。ちょっと、外でお茶でもいかがですか」

喫茶店でちょいと鼻薬を効かせようっていうのがこっちの魂胆だ。だが、うんともすんともいいやしない。こいつは手強いぞ。ひょっとしたら、朝から同じような手合いにお茶ばっかり飲まされて、腹がはち切れんばかりなのかもしれない。

それとも、疑り深くなっているのかも。「先生、お茶代をどうぞ」などといわれて渡された封筒に、本当にお茶一杯分しか入っていなかった、マジで一杯食わされた、なんてことが続いたので。

見れば、苦虫をかみつぶしたような顔。ムネン、全部裏目に出たか。これじゃ、いつ突っ返されるか、もうわかりゃしない。

こんなことならはじめからブローカーに頼んでおけばよかった! 金はかかるが、役所とツーカーでちょちょいのちょいだ。その間ぼくたちは、家で寝転んでいいればいいって寸法だ・・・・・・。

すると、職員は言った。「では、少々お待ちください」 書類を持って奧に引っ込んだ。なんと第1段階を突破したようだ。

職員が申請書類を目の前で精査するその緊張感に耐えかねて、ぼくはすっかりビルマ風のやり方に空想で逃げ込んでしまったらしい。もちろんここは日本だ。ここでは職員を「先生」扱いしないし、職員たちはといえば、ぼくたちを「お客様」と呼んでいる。それに、担当してくれた職員もなかなか腰の低い人だということがわかった。

【追記】

この文を発表した後、ある人からこれはとんでもない問題だというご指摘をいただいた。あたかもぼくが賄賂を支払ったかのように読めるというのである。もちろんそんなつもりはないし、そんな事実もない。

また、都庁の職員の方の対応に何か不満があったわけでもない。むしろ適切なものだったと思っている。この文の主眼は、ビルマの役所でこの手の申請をしたら一般的にどのような事態が起きるかということのみにある。だから、文中で妄念に苛まれたぼくが手渡したお金は、円ではなくチャットであり、お茶というのも深蒸し茶とか昆布茶とかダージリンとかではなく、ビルマ風のミルクティーだ。

だが、役所と交渉する時はどうしても緊張してしまう。ビルマと日本の役所の対応には雲泥の差があるが、ぼくはその緊張にひとつの共通点を見いだし、そこから話を広げてみたというわけだ。

とはいえ、誤解をした人がいる、あるいはその可能性があるということは看過できないので、もとの文に少しだけ修正を加えた。

(2010/X/28)

民主化の木(2)

演説会の演説など、たいていは紋切り型、スローガン以上のものではなく、おそらくまともに聞いたらすぐさま退屈してしまうに違いないが、いわばこの木はどの聴衆よりも辛抱強く聞いているわけで、まったく立派なものだ。

つまり、この木は日本における民主化活動の生き証人とでも言うべきで、ビルマが民主化されたあかつきには、宣伝次第によってはちょっとした観光地にもなりそうだ。「民主化の木」だなんて呼ばれて。

それに、よく植物に音楽を聴かすとよく育つとか、味がよくなるとかいって、それを実践している人もいるが、これだけ演説を聴かされれば、木の方にも何か変化が起きているという可能性だってないとはいえない。

ある民主化活動家が五反田南公園の立派な木に感心して撫でたり触ったりしていると、別の民主化活動家がそれを見咎めて言った。

「あぶない! ちょっとの力でヒビが入るから。なにせウロだらけだからね」

こっちのほうのジョークは、ぼくが作ったもの。

2010/10/21

民主化の木(1)

あるビルマの人から面白いジョークを聞いた。書くなといわれたが、どうしても書かずにはいられないし、それほど害があるとも思えない。

在日ビルマ人が品川のビルマ大使館に向けてデモを行うとき、たいてい出発点となるのは五反田南公園で、これは五反田駅前にある、小さいわりに木陰の多い公園だ。デモ参加者の集合場所として利用されているわけだが、8月8日のデモなどの大イベントとなると、参加者も千人を超え、公園には入りきれないほどになる。

デモ行進というものは、集まってすぐ出発というものではなく、その前に整列や演説会などが行われる。

公園の敷地いっぱいに列をなしている参加者に向けて、行おうとしているデモの意義、民主化に向けての決意表明、軍事政権にたいする批判、政治信条の開陳などが行われるのが、出発前の演説会で、政治指導者が前に立って檄を飛ばす。

このような場で演説するということは、政治指導者にとっても、またその人が代表を務める政治団体にとっても重要な機会なので、いつも5〜6人ぐらいの政治団体代表が入れ替わり立ち替わり登場することとなる。

五反田南公園にはひときわ大きな木が一本あり、これがいわば集会の中心の役目を果たしている。整列もこの木を起点にして行われるし、また演説者もこの木を背にして立つ。

さて、ある日あるデモの集会で、この木がこんなふうに言ったそうだ。

「演説する連中はコロコロ変わるが、お前たちの国は一向に変わらないな!」

こうしたジョークを喜ぶ人々がいる限りは、ビルマの民主化もまだ大丈夫という気がする。

2010/10/20

追放

在日ビルマ難民たちで選挙ボイコット委員会が結成されたこと、そしてその委員会で数名の活動家が不当に非難されていることはすでに書いたが、先日これらの活動家が、この委員会から一方的に除名されたそうだ。

追放された活動家、というか政治指導者はそれぞれ少数民族団体の指導者である。委員会はおそらく、これらの活動家がビルマ民族であったら同じことはしないに違いない・・・・・・つまり、その背景には民族的な差別があると、ぼくは見ている。

追放した側は反論するであろう。少数民族であることが理由なのではない。その証拠に、われわれの委員会にはまだ少数民族がいる、と。

それは確かにそうかも知れない。おそらくそれらの少数民族はたまたま停戦協定を結んでいるだけなのだろう。

それは冗談にしても、選挙ボイコット委員会がビルマ国民全体をまとめるという努力を放棄したことは事実だ。だが、委員会はこう感じなかったのだろうか? それはやはり軍事政権がとうの昔に放棄していることでもあり、その放棄こそがビルマの問題の根源であるのだから、その点に関して自分たちは徹底的にセンシティブでなくてはならない、ということを。

要するに、委員会はこれらの5名の活動家を不当な理由によって追放したことにより、国民和解の努力を、民主化の大義をも追放してしまったのだ。

民主化がビルマ民族中心の国を作るためだけに行われるのならば、民主化などくそくらえだ。

2010/10/13

こんがらがってPART2

選挙ボイコットでまとまりつつある在日ビルマ政治活動指導者たちから、「選挙参加派」を支持したと見なされた活動家たちが非難されたことについては前回書いたが、その非難がなされた場で、ある指導者が一同を前にこんな風に啖呵を切ったそうだ。

「あなたたちは親選挙派なのか、ちがうのか!」

政治的指導者を自認する者がこんなことをいうとは情けない。これでは軍事政権の尋問と一緒ではないか。

「お前はスパイか、そうではないのか?」

「お前はこいつの協力者か、違うか?」

軍事政権に手ひどくやられた経験が甦ったか、こんがらがってしまったらしい。

政治はレッテルからはじめるべきではない。レッテルが覆い隠す現実から出発するのが本当の政治である。

2010/10/12

こんがらかって

在日ビルマ政治活動家は、11月7日の選挙をボイコットするという方向で一致団結しようとしているが、ヨーロッパで活動する著名な政治活動家の来日が引き金となって、これに水を差す出来事が起きた。

この政治家は選挙とは関係のない目的で日本の国会議員に会うためにやってきたのだが、問題は
彼が、選挙に参加すべき、という立場を取っていることであった。在日ビルマ政治活動指導者たちはこの「親選挙派」が日本政府にビルマ軍事政権の進める選挙を認めるように訴えに来たのだと誤解し、来日中の彼と行動を共にした活動家たちを非難したのである。

しかし、よく考えてみれば分かるように、選挙参加を容認することは必ずしも軍事政権の側に付くことにはならない。軍事政権にたいする抵抗活動のひとつとして選挙に参加するというストラテジーもあってもよいはずだし、実際、このヨーロッパの活動家の立場もそのように思える。

そして、選挙ボイコットもやはりビルマ軍事政権を変えるためのストラテジーのひとつでしかないのであり、つまり目的が同じであるならば互いに排斥する必要もないはずである。むしろ、選挙参加とボイコットという両面作戦で軍事政権に影響力を行使する道を探っていくほうが効果的なのではないか。

ところが、みんな怒っちゃった。

それというのも、目的と手段が頭の中でこんがらかってしまったからだろう。手段にすぎないボイコットが目的になってしまったのだ。ボイコットこそが、軍事政権に立ち向かっていることを示す最良のポーズになってしまって、それ以外のポーズはもってのほかということになってしまった。

敵との握手を拒否するばかりが抵抗ではない。拱手しているばかりではダメ、相手を引きずり出すにはその手を掴むことも手の内に入れておかねばならない。

もちろん、軍事政権はそうした手業を披露するにはかなり剣呑な差し手であることは承知しているが、あえてそのような手にで出ようとする人がいるのならば、むしろ応援するべき、とまではいわないまでも、すぐさま「軍事政権の敵」とするような短絡は止めたほうがいい。こうした方策をとる人から思わぬ成果が生まれないともかぎらないのだから。

民主的な社会を目指すという目的の下に、さまざまな議論、方法、ストラテジー、利害を調整・共存させ、総体として「民主化をもたらす力」を上げていくのでなければ、民主化というものはうまくいかないだろうし、たとえうまくいっても、別の形の独裁政権を誕生させるだけだろう。

ボイコット以外の選択肢を認めない活動家は、軍事政権に妥協しない選挙参加があるのと同様に、軍事政権に迎合するボイコットもありうることに気がついていない人だといえる。ボイコットそのものに隠された現状変化にたいする消極性、惰性こそが、この立場にたいする重要な反論となっている。

2010/10/09

文化的独断論をめぐって(8/8)

それはまさに大仕事だ。腰を据えた議論、長期のトレーニングやワークショップが必要だし、BRSAだけでなく在日ビルマ人社会そのものも変わらなくてはならない。残念ながら今のBRSAにはその仕事に取り組むだけの余裕はない。いかに生き延びるか、それでみな精一杯なの だ。また、ちょうど大瀧会長が試みたようにいきなりビルマの人々の考えを変えようとするのはかえって混乱のもとでもあるように思う。それがで きない以上、ビルマの人々のやり方を尊重するほかはない。ぼくはそのように判断していたのであった。

大瀧会長のお気持ちはわからないではなかったが、そのやり方ではビルマ役員たちは決して納得、いや理解すらしないだろうとぼくは考えていた。 それゆえ、ぼくにとっては、BRSAの執行委員会における選挙をめぐる、大瀧会長VSビルマ役員の議論は時間の無駄のように思えた。そこで、ぼくが何をしたかというと、手っ取 り早い妥協点を双方に提案して、擬似的な合意を形成して、この議論にケリを付けようとしたのである。なにしろ話し合うべきことはいくらでも あった。いや、口ではなく、手を動かして仕事をするべきだった。無益なものと知れている議論に使う時間はなかったのである。

「擬似的な合意」とはつまりすでに書いたように同床異夢の合意のことであるが、そのようないい加減な合意を作り上げて事足れりとしたぼくの姿 勢に対して、不誠実であるとか、いい加減であるとか、批判する人もいるかもしれない。そういわれてもぼくは反論はしないが、ひとつだけ理解し ていただきたいのは、ぼくはそれでも選挙は上手くいくと考えていたことだ。ぼくはビルマ人役員の選挙の運営能力にまったく疑念を抱いていな かったのである。もちろんそれはビルマ流のそれであり、それ相応の問題点もあるだろうが、そうだとしても、少なくともビルマ流として理解され るかぎりにおいては、役員たちならば、かなりの程度満足のいく選挙を実施してくれるはずだったし、事実その通りになったのであった。

総会の終わりにぼくは副会長の言葉として次のようなことを述べた。「日本人のやり方がよいわけでもない。ビルマ人のやり方がよいわけでもな い。これらのふたつよりもよいやり方を見つけていくのが重要なのだ」と。繰り返すようだけれども、日本でこの作業を行い続けているのはBRSAだけなのだ。そして、大瀧会長がそうであるように、これらの困難な問題と格闘するの は、このような団体にいる者のみが味わえる特権なのだ(おわり)

2010/10/08

文化的独断論をめぐって(7/8)

また、他のビルマ団体との兼ね合いと同様に、もうひとつ考慮しなくてはならない文脈がある。それはBRSA会員の反応である。BRSAは 日本人とビルマ難民が共存する団体だが、数からいえばビルマ難民のほうが圧倒的に多い。BRSAは 会員の会費によって運営されているため、ビルマ難民会員の会に対する満足度は特に重要だ。会員の多くが会に不満を抱いたり、その活動への参加 に興味を失ったりして、会費を滞納したり、退会するようなことになれば、BRSAはす ぐに消滅してしまうだろう。それゆえ、選挙はもちろんのことBRSAのあらゆる決定は これらビルマ難民の反応を考慮に入れてなされなければならない、というのがぼくの考えだ。

大瀧会長のお考え通りに選挙が実現していれば、それは素晴らしいものになったにちがいない。また非常に民主的なものになったとも思う。だが、 それを会員が理解できなければ意味がないのである。それどころか、会員がそのやり方に満足しなかったり、ビルマ風のやり方のほうがよいと感じ たり、あるいは自分が選挙に参加した気にならなかったら、かえって逆効果なのである。忙しいなか総会にやってきてくれた会員たちが、日本の中 でビルマ民主化運動に加わっているということ、自分たちも選挙を通じて会に対して意思表示をすることができたということに満足と喜びを感じて くれ、BRSAに対して愛着を深めつつ帰ってくれること、これがぼくがまず総会に期待 していることで、それが手っ取り早くできるのは、お馴染みのビルマ流のやり方以外にないのだ。

しかし、だからといって、ぼくはビルマ流のやり方に問題がないと感じているわけでもないし、また会員に迎合しているわけでもない。さらにいえ ば、この現状を無批判に容認しているわけでもない。ビルマの人々の「気持の民主主義」の問題点については、前回の記事で誰もこれ以上書けない ほど辛辣に書いたつもりだし、これこそがビルマ民主化の核心であるとぼくは考えている。法律や制度、いや政権ですら変えるのはある意味で簡単 なことだ。だが、人の心性、心の構え、あるいは文化的な独断を揺り動かし、変容させるのは、そう単純な話ではない。BRSAの選挙ひとつとっても、それに関する意識を本当に変えるには、BRSA役員だけを相手にしていてもはじまらない。BRSAの 会員、そして在日ビルマ難民社会全体に働きかけなければ、意味がないのである。

2010/10/07

来日カレン人の居場所

第三国定住プログラムとして来日したカレン人が現在どこで研修を受けているのか、とあるメディアに尋ねられた。

何人かのビルマの人々に聞いてみたが、どうも分からない。とはいえ、今現在ぼくがもっている情報は次の通り。

○東京にいる。

○新宿区にいる。

○国立オリンピック記念青少年総合センター(代々木)に滞在している。

○難民事業本部(RHQ)の研修センターで研修を受けている。この研修センターはRHQのサイトを見るとRHQ支援センターというもののようだ。地図は掲載されてはいないが、難民が日本語研修を受けるために通っているところだ。早稲田にある。

○早稲田通り沿いに、「ミッチーナー」というカチン・ビルマ料理の店があるが、その近辺のビルに来日したカレンの家族が住んでいるらしい、という情報。

いずれも噂の域を出ないが、記録として書き記しておく。

文化的独断論をめぐって(6/8)

BRSAの 選挙においてもそうだったように、在日ビルマ難民団体の選挙においては、他のビルマ団体の代表が選挙委員として参加し、選挙を取り仕切り、そ の正当性を確保するのが通例である。これはただ単に、選挙を成立させるだけの手続きであるだけでない。それは同時に、自分たちの団体が、他の 民主化団体とともに働き、ともに反政府活動を行っているということの確認作業でもあるのだ。それゆえ、この他団体の選挙委員の存在は、在日ビ ルマ難民の団体においては非常に重要な要素なのであり、これを抜きにしては選挙は成り立たないといってもよい。

これは日本人が思うよりはるかに切実な問題だ。選挙委員がいるということは、その団体が軍事政権を支援している団体ではない、もっとはっきり いえば裏切り者ではない、ということを意味しているのだ。

当然のことながら、在日ビルマ人団体においては選挙のやり方そのものも、この選挙委員の存在を前提として構想されることになる。選挙の方法 は、まずこれら外部の選挙委員たちが理解できるものでなくてはならない。これは、在日ビルマ難民の社会で一般的に実践されているやり方の踏襲 を意味する。もし、BRSAが慣習からかけ離れた独自の選挙方法を実践しようとし、そ れを他団体の選挙委員にまで強制しようとするのならば、それは選挙委員たちを困惑させる事態にもなりかねず、ひいては選挙そのものを混乱に陥 らせるかもしれないのである。いや、そもそも、そのようなことはありえない。ビルマ人にとっては、選挙委員こそが正当性の根拠なのであるか ら、事前にいかなる議論が行われようと、選挙委員が壇上に上がった以上は、これらの人々の権威に服さなければならないのである。

総会当日、自分たちの思う通りに選挙を取り仕切ろうとした選挙委員をご覧になった大瀧会長は「あの人たちはただの監視員なのだから、勝手なこ とをさせないように」と役員たちをお叱りになったが、これは大瀧会長がビルマ団体における選挙委員の役割を理解なさっていなかったために起き た出来事だと思う。また、ビルマ人側としては、自分たちは標準的な選挙をやっているつもりなので、大瀧会長の不満はまったく理解できないので ある。

ぼくがいう現実的な判断とは、ビルマ人にとっては選挙にはただの選挙以上の役割があり、この役割が非常に重要である以上、別の選挙方法の実施 は容易ではない、という判断なのである。

2010/10/06

文化的独断論をめぐって(5/8)

ぼくの基本的な立場は、ビルマ役員が思う通りに選挙を すればよいというものであった。とはいえ、それはビルマ人のやり方がよいと感じているからではない。大瀧会長がビルマ役員の選挙のやり方につ いて感じている不満のいくつかは、やはりぼくも共有している。その意味では、大瀧会長はある程度は正しい。だが、ぼくがそれでもビルマ流のや り方を推すのは、それがもっとも現実的、プラクティカルだと判断しているからだ。

選挙のやり方にせよ何にせよ、BRSAのすべての活動はある一定の文脈に依存してい る。まず、BRSAは日本に存在するたったひとつのビルマ難民団体ではない。それは、 いくつもある他のビルマの政治団体との関係において存在している。したがって、BRSAの 決定は、それらの他の団体との兼ね合いをも考慮に入れてなされなくてはならない。

具体的にいえばこういうことだ。BRSAの総会において行われた選挙のやり方は、大瀧 会長から見れば異常なものだったかもしれないが、これは実のところ、ビルマ難民の団体の選挙ではごく普通のものなのである。いや、それどころ か、これら団体の水準からみれば高くすらあったといっていい。民主化をうたいながらロクな選挙もできない団体もあるのだ。

それはともかく、もちろん在日ビルマ人社会においてひとつの共通したやり方が実践されているからといって、その正当性が保証されるわけではな い。だが、これは少なくとも次のような事態を意味しうる。すなわち、選挙にせよなんにせよ、ひとつの実践を共有することが、在日ビルマ人社会 において自分たちが協力して民主化運動に参加している、軍事政権を倒すために共通の目標に向かっているという意識の共有につながっているので ある。

2010/10/05

文化的独断論をめぐって(4/8)

さて、文化的独断論の話に戻ろうと思う。そして、それと同時に「書くべきであった背景」についても詳しく触れよう。

ぼくを含めたBRSA役員たちは、選挙の方法について事前にさまざまに議論したが、結 局、誰もこの文化的独断からは抜け出すことはできなかったのである。大瀧会長は、ご自分のとられた民主的なやり方によって意見を取りまとめ、 ある程度満足のいく選挙の準備ができたと確信されており、それだからこそ、実際はそう実現されなかったことについて、ビルマ人役員たちを怒 り、非常な失望を感じておいでだったが、まさにその点にこそ、日本人の文化的独断を見なくてはならない。ビルマ人役員たちは大瀧会長を失望さ せるようなことは何一つしなかった。役員たちは自分たちは会議で決まった通り選挙を実行したのだと考えており、選挙当日の大瀧会長の憤慨を理 不尽なものとすら感じているのである。

どちらが間違っているのか。ぼくの見るところ、どちらも間違ってはいないし、どちらも間違っている。いやそもそも、正しい、正しくないの問題 ではない。日本とビルマの文化的独断がつばぜり合いを演じている、それだけである。

会議の末にわれわれが達した合意は、二つの顔をもっていた。ひとつの顔は日本風に微笑み、もうひとつの顔はビルマ風に微笑んでいた。大瀧会長 は日本風の微笑みだけを見ていた。ビルマ人役員たちはビルマ風の微笑みだけを見ていた。だが、すべての人が微笑みを見ているからといって、そ の微笑み方が、その微笑みの由来が同じだと誰がいえよう。われわれは同じ合意に達したと確信しながら、異なる選挙を思い描いていたのだ。どち らも「独断の眠り」を眠り、別々に夢を見ていたというわけだ。そして、その二つの夢が破られたのが、選挙当日の出来事なのであり、まさにその ときビルマと日本の独断論が対峙したのである。

では、お前はどうしたのだ、眠れる人々の間にあって目覚めていたと自称するものよ、と人は問うだろう。副会長という責任のある地位にいなが ら、そして、日本人とビルマ人が別々に抱く夢に気づいていながら、お前は何をしていたのか、と。ぼくは堂々と答えるだろう。「すいません!  狸寝入りをかましていました!」と。だが、そうであるにしても、その理由を説明することはやはり義務であるように思われる。

2010/10/04

文化的独断論をめぐって(3/8)

さて、先に大瀧会長について独断的では決してなかった と訂正・謝罪させていただいたが、別の意味では大瀧会長は独断的であったと思う。別の意味というのは、ある社会においてのみ妥当する思考様式 をあたかも普遍的であるかのようにみなし、別の社会においても当然適用されるべきものと独断するという意味であり、会長はいわば文化的な独断 論に陥っていたと思うのである。

もっとも、この文化的独断論(別の言葉でいえばエスノセントリズム)は文化的な行動様式に属するものであるから、決して大瀧会長個人の行動に 還元できるものではない。むしろ、社会全体の問題として捉えるべきものであり、また個々人に明瞭に意識されないという意味で、集団的、無意識 的なものでもある。この文化的独断、いわば日本社会なりビルマ社会の「独断の眠り」をいかに表現するか、というのが、前回の記事の主眼であっ た。

しかし、前回の記事では、この集団的な文化的独断と、個人的な独断との区別を曖昧にして論じていた。そのため、ぼくとしては社会のもつ独断 性、認識の限界を論じたつもりだったが、大瀧会長が独断的であったと読み取った人もいるかもしれない。すでに述べたようにこれは誤解であり、 ぼくの書き方が不十分であったのである。

2010/10/03

文化的独断論をめぐって(2/8)

さて、大瀧会長がおっしゃったのは「会議においては議論のたびごとに副会長であるぼくに意見を尋ねており、独断で物事 を進めたことがなかったにもかかわらず、あたかもそのように書かれているのはおかしい」ということだった。この点に関しては、ぼくも物事を単 純に示そうとするあまり、記述において公平を欠いていたと率直に認めなくてはならない。少なくとも、大瀧会長は他者の意見を聞かず、自分勝手 に物事を進めるという意味では独断的ではなかった。

また「会長が非民主主義的な提案をなしたかのように取れる部分」とは、前回の記事でぼくが「なんなら(と日本人会長は考えを進める)、中央執 行委員会で次期役員を決めてしまって、総会ではただ会員から承認の拍手をもらうだけにしたらどうだろうか」と書いたことを指す。大瀧会長は自 分がこのような事実を主張したことはない、とおっしゃった。ここで訂正と謝罪をしたい。


前回の記事でもすでに書いたように、ぼく自身としては大瀧会長を非難したり揶揄したりするつもりはまったくなかった。ただ、BRSAの選挙を通じて、日本人とビルマ人との(あるいは日本社会とビルマ社会との)考えの違 いを描写しようとしたにすぎない。しかしながら、その書き方には十分練られていなかった部分があることは認めざるを得ない。ぼくは書くべきこ とを省略し、また重要な点で概念を整理し損ねていた。


書くべきことというのは、大瀧会長の行動や反応が日本人ならば誰でも取るもので、決してそれ自体は悪くも何ともないということだ。ぼくが前回 の記事で書いたのは、そうした日本人の行動が、ビルマ社会においては理解されない場合もあるという事態であるが、その背景に関しては十分書い ていなかったため、大瀧会長があたかも非難に値する行為をしたかのような誤解を与えてしまった。これはぼくの意図しないことであることをはっ きりさせると同時に、ご迷惑をかけた大瀧会長に謝罪したい。


また、もうひとつ書くべきことがあった。前回の記事でぼくは日本流の考え方と、ビルマ流の考え方の違いを述べたが、ただ2つ並べただけで、一 切の解決を示さなかったのである。解決を示さなかったのは、もちろんそれが自分にも分からないからであるが、少なくともぼくは次のように書き 加えるべきであったと思う。


「日本人とビルマ人との考え方は異なり、その溝は深いが、そうした問題そのものに気がつかせてくれるのは、日本人とビルマ難民がともに活動す るBRSAだからこそである。この問題の解決はそう簡単ではないが、このような問題に 直面すること事態、類い希なことであり、有り難く、楽しいことなのである」と。


だから、もしもこうした出来事をもって読者がBRSAに関して否定的な評価をするとし たら、それはぼくの狙いとはまったく別だ。ぼくむしろ多くの日本人にこういいたいぐらいなのだ。「ここに非常に解決が難しい問題が、歴史学、 人類学、哲学、言語学、政治学、社会学などなどあらゆる学問の知を集めなければ解けない問題がありますよ。どうです。やりがいがあるでしょ う!」 このような問題に日々直面できること、これがBRSAの魅力なのである。

2010/10/02

文化的独断論をめぐって(1/8)

「平和の翼」誌(第10号、2010年8月8日)」にぼくが発表した「和の民主主義」と「気持ちの民主主義」に関する 記事を読まれた大瀧会長の呼びかけにより、話し合いの場が設けられたのは、8月15日のことだった。その日は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のセミナーが開催された日でもあった。

話し合いは散会後の会場(大塚地域文化創造館の会議室)がそのまま利用され、使用時間が尽きた後は、同会館のロビーで継続された。出席者は、 大瀧妙子会長、大川秀史弁護士(BRSA顧問)、モーチョーソー事務局長、通訳を引き 受けてくださった会員のタンチョーテイさん、そしてぼくである。


大瀧会長がおっしゃるには、ぼくの書いたことはとんでもない間違いなので謝罪して欲しい、とのことだった。具体的に何が間違いかというと、BRSAの選挙の準備の過程ではあたかも会長が独断的に事を進めているかのように描かれてお り、これは実情とは異なること。また、会長が非民主主義的な提案をなしたかのように取れる部分もあり、それも問題だとのことだった。


大瀧会長は、ぼくの件の文によって、会長とBRSAに関する間違ったイメージが、「平 和の翼」に乗って広まってしまったことを深刻に懸念されていた(もっとも、平和の翼はそれほど遠くまでは飛んでいかない)。会長とBRSAの受けたダメージは取り返しがつかないにしても、せめて次号の「平和の翼」で謝罪文を 公表して欲しい、とのことだった。


同席された大川先生は、記事の内容にはご理解を示して下さったが、やはり何らかの謝罪なり訂正が必要とお考えのようだった。また、大川先生は 「謝罪文」という形よりも、きちんと説明したうえで謝罪すべきはするという形のほうがよいのでは、ともご助言くださった。これに対して大瀧会 長よりは格別の異議もなかったので、大川先生の助言に従わせていただこうと思う。

2010/09/27

無駄話

「もちろん強制するわけではないのですが、政治活動はしっかりやった方がいいですよ」とぼくは、あるビルマ人難民認定申請者に語る。

「ええ、それは分かっているのですが、どうも引き籠もりがちで」

「少しの間ですよ。ビザが貰えるまでの間、一生懸命デモに参加したり、集会に参加したりすればいいのです。何も一生続けろというわけじゃないんです。もし、デモだのなんだのが性に合わなければ、雑誌に記事を書いたり、インターネットで自分の意見を発表してもいい。要するに、自分のやりたいように政治活動をするのが一番なんです。とにかく、保証人であるぼくとしてはあなたに早くビザを取って欲しいんです」

「ええ、ええ」と肯きながら、彼は仮放免期間延長届をカバンから取り出し、ぼくの前に差し出す。彼は、身元保証人であるぼくの署名の入ったこの紙を持って、3ヶ月ごとに入管に出頭しなければならない。

「最近、入管もちょっと厳しくなっているようです。ことによったらもう一度収容だなんてこともあるかもしれません。そうなってからでは遅い。収容される前にたくさん活動して、しっかり準備しておかなくてはなりません。収容されては何もできませんからね。ところで、入管に行くのはいつです?」

ぼくの署名の入った紙をカバンにしまいながら彼は答える。「明日です」

「そうですか。政治活動のことだったらいつでも相談に乗りますよ。じゃあ、また何かあったら連絡下さい」

翌日、彼からの留守電。「もしもし、わたしは今入管の中にいます!」

2010/09/17

菜っ葉

他者に対する恐怖、あるいは自信のなさ、果ては単なる習慣から、萎縮してしまって自分らしさを発揮できないというのが、多くの非ビルマ民族に見られる共通の態度であるが(これには反動として、虚勢を張るというのも含まれる)、これはもちろん長年の弾圧を生き延びる中で身に付いたものである。

日本では少なくとも民族や政治を理由に弾圧を受けることはないのだが(差別を受けることはあっても)、それでもこうした態度はなかなか抜けないものだ。

あるカチン人夫婦がいて、難民認定申請をしているにもかかわらず、外の世界が怖くて、仕事以外はいつも引きこもってばかりいた。その妻の姉に向かって、あるカレン人がこう言ったそうだ。

「あんたの妹夫婦はなんなの、毒かけられた菜っ葉みたいなツラして!」

1107

CRAZY KEN BANDの新曲「1107」は、滋味のあるいい曲だが、これで「いいおんな」と読ませる。

われわれビルマ問題に関心を寄せるものにとっては、1107といえば、今年の11月7日に行われるビルマの総選挙である。

なので、「いいおんなの日はビルマの総選挙」と覚えることを提唱したい。

2010/09/06

盛夏

8月のはじめ、あるビルマ人に、金曜日に仮放免で出てくる人がいることについて話したら、その人がいうには「よかったね。入管では土日にシャワーを浴びることができないから。この暑さでは大変だものね」とのこと。

2010/09/03

入管でみるみる痩せる

仮放免の申請に行ったら、昨日書いた収容中に10キロの減量を果たした人にたまたま会うことができた。

この人とのつきあいを数えてみれば14年。ともに飲み食いし、ともに肥えてきた仲間といっても過言ではない。

ひとりだけ痩せるなんて・・・・・・という気持ちがないといえば嘘になる。そこで、どうして痩せたのか聞いてみた。

彼がいうには、断酒をしたことと、適度に運動したこと、寝る前にさらに運動をしたことによるのではないかという。

収容中はお酒は飲めないから、断酒は当たり前。運動は毎日45分の運動タイムで。この運動の時間では若い人はよくサッカーなどをするが、彼は歩いたのだそうだ。

3つめの寝る前に運動、というのには理由がある。入管の就寝時間は午後10時で、それ以降、何もすることはできない。ライターも使えなくなるので煙草も吸えない。喫煙者の彼は、はじめの頃、夜中に目が覚めてしまい、煙草が吸えなくて困ったそうだ。それで、寝る前に体を動かしてみたら、ぐっすり眠れたので、それが日課となったのだとのこと。

無事でなにより

入管に6ヶ月収容され、今週釈放されたカレン人について「80キロの体重が70キロになった! 入管で痩せた!」との報告が入った。

ま、無事でなにより。

素晴らしき安定政権

ビルマの人から、どうして日本の首相はコロコロ変わるのか、ダメではないかといわれた。

22年も軍事政権が居座っている国の人にいわれる筋合いはないよな。

それはともかく、不安定な政治状況は、たとえ政権への信頼と政策の一貫性を損ねるとしても、すくなくとも日本が民主主義の証明なのだから、積極的に評価されるべき面もある。

国のトップが容易に変わるというのは、本当はありがたいことなのだ。

もっとも、日本社会が憂さ晴らしとして首相の交代を悪用している傾向は否定できないが。

2010/08/31

2010選挙ボイコット委員会

8月29日、16の在日ビルマ民主化団体、非ビルマ民族政治団体が集まって「2010選挙ボイコット委員会2010 Election Boycott Committee (Japan)」が結成されたとのこと。日本のビルマ活動家による反選挙キャンペーンが本格的に動き出したといえる。

参加団体は次のとおり。

1  国民民主連盟解放区日本支部(NLD-LA-JB)
2  ビルマ民主連盟(LDB)
3  ビルマ民主アクション(BDA)
4  ビルマ民主連合(DFB)
5  全ビルマ学生連盟(ABSFU)
6  新社会のための民主党(DPNS)
7  在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)
8  SAVE BURMA
9  PEACEFUL BURMA
10 在日ビルマ市民労働組合(FWUBC) 
11 SCI
12 アリンエイン
13 ビルマ民族民主戦線日本代表(BDF-B)
14 パラウン民族協会(PNS)
15 在日アラカン民主連盟(亡命)(ALD-Exile-Japan)
16 在日チン民族協会(CNC-Japan)

JACが今も存続していれば、JACが中心となってこうしたキャンペーンを張るところだろうが、あいにく分解してしまったので、新たな集合体が作られたとのこと。JACの牽引役のひとつであったビルマ日本事務所(BOJ)の名前が加わっていないのも気になるところだ。もっとも、BOJ自体には実質的な動員力はないようなので、運動の規模にはさほど影響はしないだろう。

この委員会の具体的な活動についてはまだ情報がないが、次の4部門に分かれて活動するらしい。

1.Public Education
2.Public Awareness Campaign
3.Election Watch
4.Logistics

参加団体の初期のリストではAUN-Japanの名前があったが、最新のリストでは、その代わりにNDFとパラウン、チン、アラカン民族の政治団体の名前が入っている。

想像するに、最初のリストではこの委員会の多数派のビルマ人が、会議に参加した非ビルマ民族政治団体の名前を個々に記さずに、勝手にAUN-Japanでまとめてしまったので、非ビルマ民族のほうから訂正の申し入れが来た、というところではないか。

JACが弱体化したのは、BOJとNLD-LA(JB)などとの間に意見の相違が生じ、後者が脱退したからだとの話を聞いている。

この委員会もせめて選挙の日まで保って欲しいものである。

なお9月18日に公式発表をするらしい。

2010/08/30

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」評

日本在住のビルマ人監督の製作した「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会に行きました。

編集や録音は必ずしも良いものではなく、また上映中にも映像と音声がずれるというハプニングもありました(これは第1回の上映なので仕方がない)。

ですが、映画そのものはすごかった。笑いあり涙あり、歌あり踊りあり、恋ありアクションありという何でもつまった娯楽映画の王道でした。2時間の間にこれでもかといわんばかりに詰め込んだ感じは、インド映画にも似ている。

しかも撮影地が、江戸川に見えない。本当にビルマのイラワディ川の情景のようだ。もちろんそう見えるように撮影し、その感じを出すべくいろいろセットにも工夫を凝らしているのですが。これにはどんなCG・特撮よりも、感心させられました。

物語の舞台は、イラワディ川の村。新任教師と同僚の美人教師。その美人教師を狙うどら息子。借金取りに悩まされる一家。弟思いの少女。村の悪党たち。軍事政権の手先の村長。カレン人の婚約者たち。歴史を語る老人などなどの登場人物による「織りなし」型のストーリーだが、その織りなし方も堂々たるもので、安心してみていられる。

基本的には、ビルマの伝統的なドラマの運びで、音楽もビルマ音楽を用いている。しかも滑稽なところには滑稽な音楽、悪人には暗い音楽が流れるのでわかりやすい。

物語の中盤で、サイクロンが襲来する。これは実際の映像を用いているが、その後の映像処理は、伝統的というよりも現代的で、ビルマのPV風の流れを挟みつつ、ハリウッド大作流の技法で終わるという、驚異の展開。監督の「やりきった!」という声が聞こえてきそうなほど。しかもラストシーンが泣ける。

主役の少女は、素人の演技とは思えませんでした。その他の俳優も基本的には素人。知っている人ばかりで、デモなどでお馴染みの女性活動家が悪役で登場したときには、観客も大喝采を送っていました。えっ、あの「スター」がこの役で?って感じで。そういうローカルな楽しみにも溢れている。

奇妙に思ったのは、サイクロン襲来が映画の中盤で、その後にタイトルが挿入されること。それと後半、軍事政権の軍人が村人を虐待する場面がいくつかあるが、その度に観客のビルマの人々が笑うこと。以前にも、軍事政権の弾圧を描いた劇で同じような笑いが漏れたことがあった。これがどうしてなのか分からない。ある種の文化では残虐さは笑いと結びついているが、ビルマもそうなのだろうか。

それにしても、田舎のつましい暮らし、子どもたち、童歌、川の風景などなどいかにもビルマらしい情景に溢れたこの映画を見て思うのは、みんなビルマに帰りたいのだな、 ということ。民主化運動の「政治的プロパガンダ」的な部分(決して嫌みにならない程度の)もあるが、基本的に望郷の映画というか、そういう意味で「亡命者たちの作った映画」ということを強く感じました。


舞台挨拶の様子

借金のカタに牛を取り上げるシーン

2010/08/28

ドイツの寿司

ドイツで難民認定されたTさんはフランクフルトの寿司屋で働いていた。

かなりの人気店だったそうで、週に同じ魚を36本も捌いたことがあるという。もっとも、それがどれくらい多いのかは分からないが。

ドイツではどんな変わった寿司があるのですか、と尋ねたら、申し訳なさそうに「日本ではありえないけど、ピーマンの寿司かな」と答えてくれた。

握りか細巻きか軍艦かは聞きそびれたが、カッパ巻きを考えれば、決して「ありえない」味とはいえない。むしろ、歯ごたえと苦みでけっこう美味いかもしれない。

回転寿司のメニューにあっても良さそうなものだが、ざっと調べた限りみあたらない。 ということは少なくとも一般的ではないのだろう。

ところで、河童といえば謎に満ちた生物である。ドイツにおいてこの謎に匹敵するのはカスパー・ハウザーを措いてない。

ゆえに、ピーマンをネタにしたこの新種の巻き寿司を「カスパ巻き」と呼んだらどうかと提案したい。

2010/08/26

異邦人たち

ドイツで難民認定されたビルマ人、Tさんから聞いた話。

Tさんが暮らしていたのはフランクフルトで、滞在資格を得てからは寿司屋で働いていた。

ある晩、いつものように店にいると、見知らぬ若い日本人が入ってきた。パスポートもお金もなくしてしまったので、働かせて欲しい、というのだ。Tさんは日本人の社長に電話したが、無理だという。

この若者が不憫になったTさんは、閉店まで待っているようにいい、その後、いくつか心当たりに連絡してやった。だが、あいにく無一文の外国人を雇ってくれるところなどなかった。

青年は途方に暮れて、しょんぼりしていた。Tさんは、日本で働いていた経験もあったから、多くの日本人を知っていた。どうやら、そう悪そうな人間にも見えなかった。

そこで、彼が事情を聞いてみると、青年は、ドイツに音楽の修行に来たのです、と語った。

「ですが、空港で置き引きにあって、全財産をなくしてしまいました。日本にいる親に連絡を取ってお金を送ってもらうつもりなのですが、時間がかかるようです。それまでどうしたらよいか、本当に分からなくて・・・・・・」

Tさんは言った。

「ならば、わたしの家にしばらく泊まりなさい。朝にはわたしと一緒に家を出て、わたしが働いている間は、公園かどこかで時間を潰しなさい。夜はこの店で待ち合わせてわたしと一緒に帰りましょう」

この提案に、青年は涙を流して感謝した。

Tさんはこの青年を注意深く観察していた。その人間性の善し悪しが問題であった。だが、いたって真面目な若者のようにみえた。彼はTさんの言いつけを良く守り、また金品をくすねたりなどもしなかった。

そこで、数日後Tさんは彼に自転車の鍵を渡し、「わたしが働いている間はこの自転車で好きなところに行きなさい」と告げた。

10日あまりが過ぎた。その間、Tさんは青年に寝場所はもちろん、食べ物まで提供した。毎朝、同じものを食べて外出し、毎晩、同じものを食べて、眠りについた。Tさんは自分がこの青年の善良さを確信したのは誤りではなかったと感じていた。

そして、ついに青年の元に両親からお金が届いた。青年は大喜びでTさんの前に立った。彼の手には、お金が握られていた。

「Tさん、このお金で・・・・・・」

Tさんは友人(そう、もはや2人はそう見なせるほどに腹を割って話せる間柄になっていた)をじっと見た。その目は輝き、頬は紅潮していた。もとよりそんな礼など期待していたわけではなかった。人間として当然のことをしたに過ぎない、と拒絶を仕草で示そうとしたTさんにむかって、青年は言った。

「このお金で、わたしを風俗に連れて行ってください!」

Tさんはそうしたところに足を踏み入れたことはなかったが、仕方なく案内してやったのだそうだ。

致命的

あるカチンの女性が教えてくれたことには、来日したばかりで日本語も何もまだ分からなかった頃、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を取り違えて、アルバイト先で恥ずかしい思いをしたことがあったとのこと。

まあ、それくらいならば害はないが、彼女の知り合いには「大丈夫」と「あぶない」を取り違えていた剛の者もいたという。

その強者の仕事先は、建築関係か何かだとのことで、ある日現場の片付けを命じられた彼がドラム缶を開けようとしていると、日本人のボスが遠くの方から「あぶない! あぶない!」と叫んでいる。

ならば「大丈夫」と思った彼は、そのまま蓋を開けようとした。すると、その日本人が血相を変えて飛んできて彼を殴ったので、「ああ日本とはなんというところか」と憤慨したという。ちなみにそのドラム缶には有害な薬品が入っていたらしい。

2010/08/20

ボルヘスでお馴染み

2006年に入国管理局に収容され、そこで難民認定申請を行い、長い審査の後不認定処分となり、処分取り消しを求めて裁判を起こし、最高裁まで行ったが敗訴し、2010年現在、振り出しに戻って再び難民認定申請中の身となった人に、「最近いかがですか?」と尋ねたら、こんな答えが返ってきたそうだ。

「わたしはまだ迷路にいます」

2010/08/19

5対1

8月8日の民主化デモで、たくさんのビルマの人に会いましたが、そのうちの5人の人に

「太った?」

と言われ、ひとりに

「痩せた?」

と言われ、今年の夏は1勝5敗の結果に終わりました。

ちなみに、ビルマ社会では「太った?」と挨拶代わりに聞くのは普通のことで、一種の褒め言葉です。ですが、そんな風にビルマ流の挨拶をする人は、日本社会をよく知る人から「日本人に対しては失礼だから止めなさい」とたしなめられたりしています。

「太った?」というのは決まり文句の挨拶であるということは、すべての挨拶がそうであるように、必ずしも事実に即している必要はないということでもあります。たとえば、日本語の「お元気ですか」にしても、本当に相手が元気であるかどうかはあまり関係ありません。

すると、わたしを大いに喜ばせたところの「痩せた?」にしても、ビルマ流の「相手の体型をほめる」を日本社会にいわば逆に修正して反映させたにすぎないのかもしれません。日本人相手に「太った?」と聞くのは失礼なので、逆に「痩せた?」と気を利かせた可能性も大なのです(しかし、これもまた間違いで、正解はもちろん「人の体型については何も言わない」です)。

つまり、この「痩せた?」も必ずしもわたしの現在の体型に即したものとは限らないわけで、どうやら全敗の気配が濃厚になってまいりました。

まだ

8月8日のデモで久しぶりに会ったビルマの人から日本語で

「奥さん、まだ元気?」

と挨拶されました。

2010/08/12

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (5)

まず、気持ちが場に依存したものであるかぎり、「気持ちの民主主義」に蓄積はありえない。それは絶えずその場限りに始まって終了するものであり、制度上の改良点や反省点の次回への適用はありえない。これは日本の選挙制度が絶え間ない振り返りと改良の結果であるのと好対照をなす。また、民主主義を愛する気持ちが重視されるのに対して、肝心の民主主義の内実そのものは案外問われることがない。これは、ビルマの人々が民主化を声高に叫ぶ割には、具体的なビジョンとなるとからきしなのと軌を一にしている。さらに、「気持ちの民主主義」は、制度的、理念的裏付けを欠くがゆえに、容易に独裁へと転じうる。

気持ちはあくまでも強度によって計られ、その内容は二の次となる。すると、気持ちの強さが、公平さ、人権、平等に優先するようになり、また、強い気持ちの存在する関係のほうが、弱い気持ちしかない関係よりも重視されるようになる。国民、市民といった包括的なカテゴリーよりも、同じ民族、いや同じ家族のほうが強い気持ちを惹起するに決まっている。かくして、「気持ちの民主主義」は、ビルマの軍事政権と重なり合うこととなる。軍事政権の中心人物たちこそ、気持ちの権化である。彼らは国を分裂から救おうという強い気持ちゆえに、国家を非常事態に置き、武力で「反逆者」たちを虐殺している。彼らは気持ちの強度が遠近法に従っていることを知っている。だから、身内以外に信頼関係が築けるとは信じない。彼らは気持ちを大事にするあまり、気持ちより大事なものがこの世にあることを知らないのだ。

ビルマ人と交流した日本人がしばしばこう感激するのを耳にする。ビルマの人々は本当に真心がある、と。気持ちがこもっている、日本人が忘れてしまった思いやりがある、と。そして、こう言ってみせた後に、多少ましな人ならこう首を傾げる。こんなに素晴らしい心をもっているビルマ人の政府があんなにも残虐なのは信じがたい、と。だが、称賛に値するその「真心」も「素晴らしい心」も、実際のところ、その残虐行為と地続きなのだ(「ましでない」人の場合がどうなるかというと、ビルマ政府の「真心」にもすっかり感激してしまい、その熱心な擁護者となってしまう)。(おわり)

2010/08/11

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (4)

件の選挙で会長が固執したのはこのような「和の民主主義」であり、これはもちろんビルマ人会員には理解できないものであった。そもそもビルマ人はそのような「和」を民主主義における最優先事項とは認めないのである。では、ビルマ人たちは何をもって民主主義の最優先事項と理解しているのか。ぼくの経験からいうと、それは「気持ち」である。ビルマ人は、自分たちが民主主義に関わっているという気持ちが満たされないかぎり、それを決して民主主義とは認めないのである。

だから、その気持ちを満たすためならば、どのようなことでもする。一度決まったことをひっくり返すことも問題とならない。それでみんなの気持ちが満たされるのならば。なぜなら、会員たちの民主主義手続きに関わっているという気持ちこそが、選挙に正当性を与えるものだからだ。日本人のように念入りな準備によって選挙は正当化されはしないのである。それゆえ、どのような選挙がふさわしいかは、集まった人々次第で大いに変わりうる。その意味では、準備など無駄なのだ。

また、気持ちの盛り上がりが大切という点では、選挙は同時に祝祭でもある。権利の祭典でもある。気持ちの解放の場でもある。そのようなお祭りに水をさす行為、つまりここでは会長の振る舞いであるが、それはひそかなブーイングの対象となる。

気持ちが大事、これは当然のことだ。ビルマ人たちはそうした民主主義的な気持ちを認められない国から逃げてきたのである。ビルマの民主化は、抑圧されてきた民主主義を切望する気持ちを解放するところからはじめなくてはならない。だが、同時にこのビルマ的な「気持ちの民主主義」は欠点や危険性をはらむ。(続く)

2010/08/10

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (3)

さらに指摘しておくべきは、「想定外の事態」と「危機」とはまったくの別物だということだ。「想定外の事態」には危険な事態をも含みうるが、それ以外の事態(「サプライズ・ゲスト」「意外な発見」「予期せぬうれしい展開」などなど)をも含みうる。また、危機は想定外の事態からばかり発生するわけではない(われわれは自動車教習所でこれをいやというほど叩き込まれるのだ……)。しかし、この部分的に重なり合うにすぎないものを、あたかも丸ごと重なり合うかのように思い込まされ、何につけても危機管理、危機管理と怯えさせられるのが、現在の日本の治安状況なのだ(これで、わかろうというものだ。どうして外国人が入国管理局の収容所に閉じ込められなければならないかが。外国人は想定外であるがゆえに危険なのだ。「連中は何をしでかすかわからないからな!」)。

さて、この予防措置が、どのようにして民主的であることにつながるのか。それは、この危機管理が、あらゆる人のためになされるということに関係する。それはすべての人々をやさしく包み込む親心であり、老婆心だ(いらぬおせっかいでは断じてない)。誰でもみんなおいで! ここにいれば安心だよ! こうすれば安全だよ! そのようなあったかーい配慮のもと、万人に対してなされる事柄が、どうして民主的でないことがありえようか。もちろんそうに決まっている。民主主義とは、みんな平等、みんな安全に暮らすことなのだ。それを確保する手だてが、どうして民主的でないなどといえるだろう。そうだ、和をもって尊しとせよ、これこそ、日本の民主主義だ。聖徳太子は民主主義の先駆者なのだ!

人々の関係の平穏さ、和合を民主主義の実現態と捉える、日本人の民主主義観を「和の民主主義」と呼ぶことにしよう。日本人の民主主義的努力は、この和の実現に対してのみ費やされる。和は、民主主義を成り立たせる他の要素、公平さ、正義、人権、言論の自由に対し優先的な地位を与えられる。これらの諸要素が、和の達成にとって有害であると判断される場合には、躊躇なく抑圧されるのである。

しかも、重要なのはこの和そのものが、ある種の民主主義的手続きとは無関係であるということだ。ここでぼくが念頭に置いているのは投票だ。確かに、有権者の登録から、通知はがきの送付、投票所の開設、実際の投票、開票と集計までのあらゆる手続きは、和の民主主義の関心の中心的事柄をなす。滞りなく、無事に投開票が完了するよう、あらゆる配慮がなされるのである。投票所では、子どもに配るための風船まで置いてある。誰が膨らませてくれたのか知らないが。だが、こうした完璧な準備、配慮にも関わらず、和の民主主義は肝心な事柄に触れるのにつねに失敗する。その関心からは、個々の有権者の投票したいという気持ちをどのように盛り上げるかという問題はすっぽり抜け落ちてしまうのである。和の民主主義は、和の実現が確信されるだけの準備ができるやいなや、姿を消してしまう。あたかも詳細な計画を立てるだけで満足してしまう人のようでもあり、笛さえ入念に磨き上げておけば、誰ひとり踊らなくても結構、と考えている笛吹きのようでもある。だが、人は投票所が安全だからとか、十分に準備されているからという理由で投票に行くのではない。投票によって自分の意見を表明できると確信している人、あるいは表明できるかもしれないと思っている人が行くのだ。和の民主主義からは、この確信は決して生まれてこない。なぜなら、意見を表明するという行為は、つねに他の意見表明との関連においてなされうるものであり、意見相互の関係は必ずしも調和的なものとは限らないから。(続く)

2010/08/09

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (2)

だが、総会の日がやってきて、選挙が始まったとき、会長は驚愕する。なぜなら、選挙は、あたかも準備などされていなかったかのように行われたからだ。あらかじめ決められた効率的な投票法のかわりに、無駄の多いやり方が採用されていた。立候補はすでに締め切られているにもかかわらず、選挙委員たちは公然と呼びかけた。「この会場に立候補したい人がいるのなら、名乗り出てください!」(なお、選挙委員はBRSAの会員以外の第三者、具体的には他のビルマ民主化団体の代表が務めていた)。

会長は抗議をする。まったくもうめちゃくちゃ! 会議で決めた通りになんでできないの? 規則もへったくれもないなんて、まったく民主的ではない! だが、ビルマ人たちは聞く耳を持たない。なかには「はて、会長、なんでそんなに起こってるの?」という顔をする人もいる始末だ。

とうとう果敢な会長も諦める時がきた。大きなため息をついて、やりきれないといった体で、椅子に座る。そして、そのまま選挙は続行され、滞りなく終わり、投票した会員たちは満足して会場を後にしたのだ。

若干脚色を加えたものの、ぼくの意図は会長を揶揄することではない。そうではなく、この会長の行動、総会や選挙に対する態度、ビルマ人会員の「やり方」に関する反応が、多くの日本人が共有するものではないかと考えているからだ。つまり、会長は日本人なら当たり前のことをしたのである。

会長の思考で何よりも特徴的なのは、選挙を滞りなく終わらせることのみを至上の目的としていることだ。会長の関心、その努力はこの目的の実現のみに向けられており、さらにいえば会長(もしくは役員)という職の自己規定は、この目的の達成に関わるものであったといってよい。

こうした態度は、実は日本社会に溢れている。いわゆる「シャンシャン総会」というものがそうだ(用意周到な想定問答集も忘れてはなるまい)。イベント前の度重なる打ち合わせ、あるいは根回しと呼ばれる非公式の打ち合わせがそうだ。そして、次回につなぐための反省会もそうだ。議会で官僚の用意する答弁書やあらゆるやりとりが定められた「脚本」がそうだ。

これらはすべて、日本人がいかに「想定外の事態」を怖れ、それを排除しようと躍起になっているかの証拠であり、この恐怖は、突き詰めていけば日本人の社会の秩序の意識、治安感覚、危機管理、ひいては統治のあり方にまで行き着くだろう。とはいえ、ここではこれを論じるわけにはいかないので、ただ2点だけを指摘しておこう。まず、ある事態が「想定外」もしくは「不確定」であるかは、必ずしも客観的なものではない。ある人にとっては想定外のものが、他の人にとってそうであるとは限らない。事態が不確定かどうかは、それを受け取るものの経験や知識に左右されるのである。想定外の事態が誰にとっても想定外とは限らない。天気予報を見ない人に限って、ずぶぬれになるのだ(しかも、天に向かって「さっきまで晴れていたのに、今になって振り出すとはなんというヤツだ!」と罵りだすときたもんだ)。

また、想定外かそうでないかは、文化や習慣の問題でもある。日本人が想定外と感じるものも、他の文化に属するものにとってはそうでもないかもしれない。選挙のとき、会長が、日本人にとっての想定外として忌避したものは、あるいはビルマ人にとっては想定のうちだったのかもしれないのだ。(続く)

2010/08/08

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (1)

2010年5月16日、在日ビルマ難民たすけあいの会(ビルマ難民と日本人で運営している難民支援団体。略称はBRSA)の役員選挙が「民主的に」行われ、副会長のぼくを含めた中央執行委員が選出された。

ここで「民主的に」と括弧付けしたのには意味がある。ビルマ人(ここでいう「ビルマ人」は必ずしもビルマ民族のみを意味するわけではない。ただし、現在約 460人いるBRSAの会員のほとんどはビルマ民族)の会員の目から見れば、それはかなりの程度「民主的」であったに違いないが、日本人(もちろん、大和民族に限らない)会員の目から見れば必ずしもそうとはいえなかったからだ。

とはいえ、選挙を担ったBRSAのビルマ人執行部や、それを受け入れたビルマ人会員が民主的ではなかったといって非難したいわけではない。ただ、今回の選挙を通じて、ぼくはビルマ人と日本人とでは「民主主義」という語に込める意味、「民主的であること」に関する解釈が異なることを感じて、非常に面白く思ったのだ。

さて、BRSAの選挙で何が起きたかを簡単に記そう。

今回の選挙に先立つ会合で、BRSAの日本人会長は次のように執行委員会でたびたび訴えていた。「BRSAの選挙も3度目なのだから、しっかり準備して、混乱も滞りもなく、すみやかに終わらせましょう!」

そのためには、何が必要か? もちろん、あらかじめ立候補者をリストアップしておかなくてはいけない。前回の総会での選挙のように、当日その場で立候補者が出るなんてもってのほかだ。そんなことがあったら総会は大混乱に陥ってしまう。それに、立候補者が前もってわかっていれば、不適格な候補者がいた場合、前もってふるい落としておくことができる。泡沫候補は選挙の手間を増やすばかりだからだ。しかも、そんなおかしな候補が何かの間違いで当選したらどうなる? そうなったら、今後の会の運営にも支障が生じてしまう!

会長の考えをぼくなりに要約すれば、次のようになる。中央執行委員会の責務は、総会と選挙を無事に終わらせて、次の役員に会を手渡すことにあるのだから、あらゆる不確定要素は除外しておかなくてはならない、と。

なんなら(と日本人会長は考えを進める)、中央執行委員会で次期役員を決めてしまって、総会ではただ会員から承認の拍手をもらうだけにしたらどうだろうか。そのほうが時間の節約にもなるし、無用の混乱も避けることができる。これはいい!

だが、そう思ったのは会長だけで、ほかのビルマ人役員たちはむしろ困惑顔だ。会長は会議に出席するもうひとりの日本人である副会長に加勢を求めようと目を向けるが、こいつときたら肝心な時にあらぬほうを見つめている。目を合わせまいとしているのだ! 

こんなふうに多少の後退を余儀なくされたことはあったものの、会長はそれ以外の点では決して譲歩をすることなく、選挙の準備を進めていったのだ。(続く)

2010/08/07

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会

在日ビルマ難民の映画監督テイティッ(HTAY THIT)さんのことは以前にも書いたが(江戸川と映画監督)、とうとう映画が完成したようで、8月29日に上映会が行われるそうだ。

【以下案内】

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会 

これがミャンマー(ビルマ)の現実だ!
2008年5月、サイクロン・ナルギスがミャンマーを襲った。
15万人もの命が失われた。被災者は250万人。
なぜこれほどまでに被害が拡大し、悲劇を生んだのか?

日本に住む映画監督ティッターが事実に基づいた脚本を自ら執筆、撮影にあたった。
助監督はアウンリンナイン。多数の在日ビルマ人が出演するなど制作のすべての面で協力。サイクロンに襲われたビルマで何が起こったのかを赤裸々に再現した。

ミャンマーのエヤーワディー(イラワジ)管区、サイクロン・ナルギスが襲われた被災者たちが実際に体験した恐怖や悲嘆を、人びとの暮らしぶりや社会のありようをふまえて描いた映画です。この映画を通じてミャンマーのありのままの姿を知っていただきたいと願っております。上映に際してご協力いただいた寄付金は、関係団体に託し、被災地域の再建に役立てます。

上映会

期日:2010年8月29日(日曜日)

場所:南大塚ホール(大塚駅)

スケジュール:
第1回:午後1時30分〜3時30分
第2回:午後4時00分〜6時00分
第3回:午後6時30分〜8時30分

なお、次のリンクも参照されたい。

http://www.badauk.com/tokyo_biruma/event_report11.html

2010/08/06

アラカン民主連盟(亡命)第5回総会(2)

ALD-Japanの顧問を務めさせていただいている関係で壇上に呼ばれ、あらまし以下のようなスピーチをさせていただいた。

「あるアラカンの人が教えてくれたのですが、アラカン州で話されているアラカン語は、ひとつではなく、いくつもの種類(方言)があるとのこ とです。日本でもさまざまな方言がありますが、若い世代の間では古い言葉はどんどん失われています。そのため、地元の人や研究者が方言を記録に残そうと一 生懸命活動をしています。

日本語の方言ですら、きちんと記録しなければ失われてしまうかもしれないのに、ビルマ民族以外の民族の自由、ビルマ語以外の言語研究・教育の自由が認められていないビルマで、多くの方言、言語が消失の危機にあるというのは当然のことです。

また、日本に暮らす多くの難民、特に子どもを持つ難民の悩みは、子どもたちが自分たちの民族の言語を習得することができずに、日本語話者となってしまうということです。

アラカン民主連盟のみなさんは、アラカン民族の権利、文化、言語を守るため、ビルマ軍事政権と闘い、その結果、日本に難民として逃げてこなくてはならな かったのですが、そのように民族のために闘った結果、日本で民族としてのアイデンティティの喪失に直面しているという皮肉な事態が生じているのです。

ビルマ国内と、日本国内の二つの状況が指し示すのは、アラカンの文化、言語を全面的に守り維持するために、アラカン民主連盟として積極的に行動を起こさなければならないということです。

とくに、日本社会は他の文化、言語に対して決して理解があるといえませんから、日本に定住するアラカン民族として、自分たちはどのような生 活を望んでいるのか、自分たちの子孫がどのようになっていってほしいのか、しっかり日本社会に対してアピールする必要があると思います。

ぼくとしてもそのためのお手伝いを今後一緒にできればと考えております。」

2010/08/05

アラカン民主連盟(亡命)第5回総会(1)

在日アラカン民主連盟(亡命)(Arakan League for Democracy [Exile] Japan, ALD-Japan)の第5回総会が、7月25日、東京高田馬場で開催された。


ALD-Japanの総会には毎年招待されていて、また中心人物である前会長ZAW MIN KHAINGさんと現会長HLA AYE MAUNGさんとは親しい友人でもある。

ALD-Japanは組織としてもしっかりしていて、それにも非常に好感を持っている。

毎年総会で配布される報告書も、必要な事項、活動報告、会計報告などがすべて収められた見本にしてもいいぐらいの出来だ。


ちなみに報告書によれば、ALD-Japanの会員数は81名。2003年にはじめてZAW MIN KHAINGさんに会った時は、ほとんど彼ひとりといってもよかったのだから、たいした発展である。

2010/07/30

熊猫

日本在住の子どもたちに会いにきたカチン人の老人が、動物園のパンダを見て、この動物なら昔カチン州で見たことがある、といったそうだ。

もとよりカチン州は中国と接しているから、あるいはそんなこともあるのかもしれないが、たとえ本当だとしても、金、宝石の乱掘、材木の伐採により、深刻な環境破壊が進行している今のカチン州にパンダの住む場所はあるまい。

弁護

在日ビルマ難民の民主化活動につきあっていると、必ずしも民主的とはいえない行為、考え、運動方法に出くわすことがある。

そういうおかしなことには黙っているのが、品のあるオトナの日本人のやり方だが、ぼくはどちらかというと品がないので、面と向かって批判してしまう。

その結果、批判された人から、スパイだといいふらされたり、民族の敵としてひどく憎まれることとなる。

権威に対する批判を許さない社会に育った人間のすることだから、まあしょうがない。それに、バカほど人の上に立ちたがるのは、日本もビルマも変わらない(いや、彼らとてすきこのんで人の上に立ちたいわけではない。ただ自然の摂理として、軽いものは自然と上方に押し上げられていくのである)。

ある在日カレン人のリーダー(より正確にはミスリーダー)が、ぼくのことをひどく中傷していたとき、ある別のカレン人がこう言ってぼくを弁護してくれたという。

「あの人は汚い服を着ているが、信頼できる人だ」

これを聞いて、ぼくは多少着るものに気を使うようになった。

NHKカレン語放送

NHKがカレン語のできる人(カレン人)を募集しているとのこと。

9月の難民受け入れ(ほとんどがカレン人らしい)に合わせて、カレン語放送をはじめる予定なのかもしれない。

NHKがすでに行っているビルマ語放送はこちら

2010/07/19

パスポート

ビルマから日本に逃げてきたある難民、空港に到着した飛行機の中でパスポートを破り捨てた。

そうすることで、空港から本国へ強制送還されることを阻止しようとしたのである。

2010/07/16

肌の色

ビルマの人の肌の色はさまざまだ。必ずしも民族の違いというわけではなく、同じ民族でも浅黒い人もいれば白い人もいる。肌の色が直接差別意識に必ずしも結びついているわけではないと思うが、それでも中には白い肌に憧れる女性もいるようだ。

日本で約10年働いた後、夫の暮らすマレーシアに移住したある年配のカレン人の女性がこんなふうにいって嘆いていたのだという。

「せっかく日本にいる間に白くなったのに、またもとに戻っちゃった!」

2010/07/14

恩人

「あなた、ここで何の仕事がある? 生活の心配をしなくていいのだから、毎日30分でも1時間でも、将来のために日本語を勉強しなさい!」

あるビルマ人難民が、入管でブラジル人の収容者に叱咤激励されたおかげで、1年以上の収容の間に日本語がかなり話せるようになった。

その難民がいうには、まさに恩人ともいうべきこのブラジル人は、「泥棒」して刑務所に入った後、入管に収容されていた人だったこと。

難民申請者と不法滞在者、そして犯罪などにより強制送還の対象となっている人が同じ場所に収容されるという、日本の難民政策の問題点ゆえに生じた話のひとつ。

2010/07/12

不老不死

高齢化社会の労働力、医療、介護などの担い手とし、日本の経済力を維持するために、外国人を受け入れる議論が盛んだ。

だが、聞いていると、まるで年を取ったり死んだりするのは日本人だけで、日本にやってきた外国人は永遠に年もとらずに若々しく働き、和風のじじいとばばあのために尽くしてくれるかのような具合だ。

年をとったら、日本の外に追い出して、若者を連れてこようとでも考えているのだろうが、そんな魂胆では、いずれ誰も日本に来なくなるにちがいない。

国を若返らせる養老の滝を探しに出かけたら、辿り着いた先が姥棄て山、などということのないようにと、老婆心ながら忠告しておく次第なり。

2010/07/09

帰っちゃダメ

あるビルマ難民が数年の不法滞在の後に1999年にビルマに帰国した。

彼は政治活動ゆえに逃げてきた難民だが、そろそろほとぼりも冷めた頃だろうと考えたのだった。ところが、ビルマに帰ると相変わらず危険で、ついに一度逮捕されてしまった。そんなわけで釈放後、再びビルマを出て、日本に逃げてきた。

日本について驚いたのは、入国管理局の対応の厳しさ。1999年に彼が十条にあった入管に行った時とはまったく対応が違ったのだ。

出頭申告にやってきた彼に対して、当時の職員はこんなふうにいったのだという。

「どうして帰るの? 仕事の問題? 彼女の問題?」

「故郷の父が病気なのです」

「お父さんが病気! じゃあ、しょうがないねえ。でも、今すぐ帰ることはないんじゃない。1ヶ月ぐらいよ〜く考えてから、本当に帰りたければ、帰りなさい!」

2010/07/07

豚ども

品川入管の1階の面会受付にこんな張り紙がある。

面会のため来庁された方へ

今般、世界各国で豚インフルエンザの人への感染が発生し、厚生労働省において、新型インフルエンザの発生が正式に公表されました。今後、入国管理局としては新型インフルエンザの感染防止を図るために新型インフルエンザの流行状況により下記の通り対応しますのでご理解の上でご協力をお願いします。(中略)平成21年5月

その隣に、英語訳、中国語訳も張り出されているのだが、今年の3月、ぼんやり眺めていたらおかしなことに気がついた。

それは、中国語訳のほうの張り紙で、次のように書かれている。

到来局面会的各位
目前在世界各国発生了人感染猪流感、并且厚生労働省正式発表了新型流感已発生(以下略)

これが、日本語の最初の一文に対応することは何となくわかる。ぼくの気を引いたのは、この文の一部「人感染猪流感」に赤ペンで「人」と「猪」に×が記され、その上にそれぞれ「猪」と「人」と記されていた点だ。

つまり、修正者はこうせよと主張しているのだった。

目前在世界各国発生了感染流感、并且厚生労働省正式発表了新型流感已発生

いったいどちらが正しいのか。漢文程度の知識では前者が正しいように思える。7階の面会待合室に貼ってあったほうでは修正はなされていなかった。だが、それだけでは結論は出せない。

入管の職員による公式の修正なのか。それとも、中国語に詳しい者が親切心で行った修正なのか。いや、そうではなく、中国語に通じた者のいたずらなのか。あるいは、本当に「人インフルエンザが豚に感染」していて、豚が人類に警告を発しているのか・・・。

2010/07/05

異民族防止装置

東日本入国管理センターは茨城県牛久にある。西日本入国管理センターは、大阪府茨木。

2つとも「いばらき」というのは、いろいろと連想させられる。

「いばら」というのは、もちろん棘の多い植物のこと。「き」については2つの考えがある。ひとつは「木」とするもの。もうひとつは多賀城や磐舟柵の「き」。古代の防備施設である城柵だ。

古代の城柵は蝦夷や熊襲などの異民族から大和民族を守るために設けられたのだという。

現代の入国管理局も、やはり異民族からの防波堤として機能しているのが面白い。

むろんのこと、古代の「き」として登録されているもののうち、「いばらき」なるものはないし、また、大阪の場合、あんな朝廷の近くに城柵などあろうはずもないから「茨木」の「き」は、漢字の通り「木」なのかもしれない。

しかし、人間というものは、無意識の世界ではたいてい駄洒落で動いている。

これらの入国管理センターがどうしてその場所に建設されたか、その理由についてはいろいろもっともらしいこともいえるのであろう。「空港に近い、つまり空港に収容者をむりやり運びやすい」というのもある。もっとも、それはどうも疑わしいが。

むしろ、大和民族が異民族をどのように処遇してきたかというその無意識の積み重ねが、「いばらき」という美しい大和言葉に結節し、現代に甦ったのではないかという気もしないではない。

もうひとつの収容センターである長崎の大村入国管理センターに行けば誰もが「これは現代の出島だな」と思わずにはいられない。これは少なくとも理があることである(つまり、大村の入管を見てカステラを連想するのに比べれば)。

その程度の理において、現代の2つの入国管理センターに、古代の異民族防止装置の反響を聞き取るのはそうおかしなことではあるまい。

それに、現状において入国管理センターは収容者にとってまさに「イバラの城塞」なのだ。

2010/07/02

ネピドーのNGO(3)

山の中にある村から強制移住された村人たちの間では、別の問題が発生しています。

以前は煮炊きに使う薪は、山の中で自由に集めることができたのに、移住先では薪がないので、買うしかないのです。

以上が、ネピドーのあるNGO職員から聞いた話である。軍事政権による一方的な強制移住によって、村人たちの生活が破壊されている様子がうかがえる。

さて、このNGOの資金源について聞いてみたら、外国からの支援には頼ってはいないとのことだった。そんなわけで、運営は大変なようだ。

そこで、もし日本人の中でこういう活動を支援したいという人がいて、寄付をしたい場合どうしたらよいか、と尋ねたら、銀行を通さずに直接団体に手渡すのが一番確実という返事だった。

安全上の理由から、このNGOの名前は公表できないが、このNGOの活動について詳しく知りたい、あるいは直接連絡を取ってみたい、という方は、ご連絡いただければ、お教えします。

2010/06/30

ネピドーのNGO(2)

ネピドーの町には11のキリスト教教会があります。いずれも、40年〜50年前に建てられたもので、相当老朽化していますが、改修や新築などはできません。政府が認可しないからです。

また、新たに教会をつくることも禁止されています。

こんなことがありました。

山にあるキリスト教徒のカレン人の村が、強制移住の対象となりました。村人たちは別の場所に移って住みはじめたのですが、そこには教会はありません。ですが、新たに教会を建てることは禁じられています。

以前の村には教会があったので、その教会を持ってくる形にできないかと申請したのですが、その教会の建築を許可した書類がないので不可能だということになりました。半世紀も前の教会です。政府の許可のいらない時代に建てられた教会なので、そんな書類などないのです。

結局、強制移住とともに教会がひとつなくなってしまったのです。現在、村人たちは外で礼拝をしている状態です。(続く)

2010/06/28

ネピドーのNGO(1)

ネピドーで活動するキリスト教系のNGOの職員と話をする機会があった。以下はその時に聞いた内容。

わたしたちはピンマナがネピドーと名前が変わる前から活動しています。活動の内容は、ネピドー周辺の村の支援です。村人のための診療所を運営し、移動クリニック活動を行っています。医薬品が手に入らないのが悩みの種です。

子どもたちのためのデイケアセンターも運営しています。これは教育活動でもあります。

わたしたちはキリスト教の団体ですが、村人たちにキリスト教徒が多いわけでもありません。宗教に関係なく、村人ならば誰でも支援しています。また、宣教活動ではないので、改宗を求めたりすることはありません。

地域の村人たちが直面している問題は、貧困、医療の不足などですが、ネピドーが首都になって以来の最大の問題は、村人たちの強制移動です。

政府は首都建設のために、村人たちを追い出しているのです。

タンシュエ大将が住む家が、ダムの上にできたのですが、安全上の理由で、近くの村々が強制移住の対象になるということもありました。

政府が移住させられた村人たちのために与えるものはといえば、竹でできた粗末な家だけなのです。(続く)

2010/06/25

外国人研修生制度(3)

研修生のパスポートを取り上げる、などというと、ずいぶんあくどい人間がやることのように思われるが、その研修生がいうには、社長さんはいい人で、とくに悪い印象はないとのことだった。

それで、推測するのは、パスポートを取り上げること自体が、研修生受け入れ先で当たり前に行われているのではないかということだ。

つまり、社長もそれを研修生の面倒を見る行動の一環として、特に悪意なく行っていたと考えられる。

おそらく、先に触れた怪しい媒介団体がそのようにしてくださいといったものもを、社長も「そういうものか」と受け入れたにちがいない。

あるいは国際研修協力機構そのものがそんなことを言っているのかもしれない。「パスポートは一括して管理したほうがいいですよ」というような形で。もちろん、おおぴらにではなく。

いずれにせよ、パスポートの取り上げ問題は、個々の受け入れ先の問題、事業主の性質の善悪の問題に還元できるような問題ではなく、制度運用の問題として捉えるべきことなのだろう。

2010/06/23

外国人研修生制度(2)

外国人研修制度の問題点として、受け入れ先が研修生のパスポートを取り上げることがあることは、すでに触れたが、以前、難民認定申請を考えている研修生のビルマの人から、電話をかけてパスポートを取り返してほしい、と頼まれたことがあった。

研修先に電話をかけるのかと思ったら、そうではないとのこと。研修先の社長はすでに彼のパスポートを日本のビルマ人研修生受け入れ団体に送り返してしまったのだという。

おそらく、そうした団体が、企業とビルマの間に入って、研修生を供給しているのだろう。

まったく気の進まない電話だったが、とりあえずその「ミャンマー・日本なんとか協会」に電話をかけてみる。

ところが、電話が通じない(こちらとしては願ったりかなったりだ)。住所もあるというので確認してみるが、ネットで調べてもそれらしきものはないのであった。

難民申請するにはパスポートが必要だ。ない場合には、ない理由を書いて提出しなければならない。

そこで、事の次第を代筆して提出したが、要するに「頑張ったけどダメでした」という内容で、「おそらくタヌキかキツネの仕業ではないかと思われる」と書き足したかったがやめといた。

2010/06/21

外国人研修生制度(1)

外国人研修生制度は、「日本が技術移転により開発途上国における人材育成に貢献することを目指して、より幅広い分野における研修生受入れ」を行う制度(財団法人国際研修協力機構HP「制度の主旨」より)であるが、実情は大いに異なることが指摘されている。

外国人研修・技能実習制度は、「国際貢献」や「途上国の人材育成」という理念を掲げながら、実際には建設業、農業、漁業、縫製業、食品加工業など人手不足の分野を中心に、1年から最大3年のローテーション方式の安価な労働力として利用されています。(外国人研修生権利ネットワーク 設立趣意書より)

度はずれた低賃金、行動制限、パスポートの取り上げなどのさまざまな人権侵害から「現代の人身売買」「現代の奴隷制」と呼ばれているほどだが、多くのビルマ人もこの研修制度によって来日し、実数はわからないものの、研修先を逃げ出して、難民認定申請を行う人もいる。

もっとも、こうした難民認定申請者が、まったくの虚偽申請というわけではない。その多くは、もともとビルマにいる時から逃げるべき理由があり、日本の研修生制度を利用して国外脱出を図ったというところだと思う。

これらの人々が研修生として日本に来るためには、ビルマでそれなりのお金を払ったに違いない。それは向こうの送り出し機関かもしれないし、あるいはその機関との間を取り結ぶブローカーにかもしれない。

いずれにせよ、パスポートでも何でもブローカーと賄賂に頼らざるをえないビルマの現状からすれば、まったく公正にというわけにはいかず、この制度のおかげでさまざまな人々が潤っている可能性がある。そして、研修生自身をのぞけば、それら得をした人々のほとんどが軍事政権の関係者なのである。

元研修生の難民申請者に対して「制度を悪用した」と考える人もいるかもしれないが、そもそも制度自体に無理がある。

外国人研修生制度に詳しい人によれば、こうしたこそくな手段で安価な労働力を確保しようとする魂胆自体が間違いで、労働力として外国人を必要とするならば、きちんと移住労働者としての権利を保障するような環境を整備した上で、正々堂々と入国してもらうのがいいのだという。

いずれにせよ、この極めて問題の多い制度によって、日本政府はブローカーである軍事政権の関係者に幾ばくかの利益を与えて上げているわけだ。

なお、ビルマ人の研修生についての統計(2007年まで)などについては次を参照のこと。

http://www.jitco.or.jp/send/situation/myanmar/index.html

2010/06/18

男女比

在日ビルマ難民の男女比については、統計資料がない(と思われる)のでわからないが、この間の投票集会で立会人をした関係で(ひまつぶしに)、女性投票者の数を数えてみた。すると、105人であった(あくまでも外観で判断できるかぎりだが。またこれは正式発表ではない)。

全投票者数は326名だから、女性の占める比率は約32%ということになる。

この数字を評価するにあたって、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の女性会員の比率を出してみる。

2010年4月現在の会員総数が451人で、そのうち女性会員は136人。女性の占める比率は約30%となる。

つまり、在日ビルマ難民の成人のうち3割は女性と見てもよいことになる。

もっとも、このサンプルがそのまま現状を反映しているとは考えられない。

夫婦の場合、投票集会にそろって来た人もいるにしても、どちらか片方だけ、とくに夫だけが来た場合が多いと考えられる。 妻は家で子どもの面倒を見ていたり、仕事に行っていたり、あるいは単に来なかったというケースは多くありそうだ。

またBRSAの場合は、多くの夫婦がともに会員になっているにしても、いくつかの場合には夫だけが会員となっているケースもあり、また会が独身の男性が中心となってはじまった関係上、独身男性がやや多いかもしれず、ビルマ難民の既婚率がわからない以上、会の男女比がそのままビルマ難民社会全体を反映しているとは言い切れない。

したがって、実際には成人の在日ビルマ難民の女性はもっと多いと考えたほうがよさそうだ。

それゆえ、この少ないデータから把握できるかぎりでは「在日ビルマ難民の成人のうち少なくとも3割は女性」とするほうがより妥当だろう。

2010/06/16

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(3)

細かいことかもしれないが、そう簡単に片付けられるとは思われない。軍事政権の選挙に反対するということには、二つのことが含まれている。ひとつは 軍事政権の「政治」(もっともそれが本当の意味で政治とみなせるかどうかはさておき)であり、これに反対を表明するのはある意味では簡単だ。

もうひとつは、軍事政権の選挙の進め方、投票システムに対して反対するということで、これを表明するには、現物をもって、すなわち軍事政権のそれに対置されるより民主的な投票のシステムをもってするほかない。

その点からすれば、今回の「投票行動」は、準備不足であったように思う。

ビルマ民主化運動では、理想は高邁、スローガンは勇ましいが、現実的具体的な政策、方策となるとからきし、という事態にしばしば直面する。そこまでひどくはないが、今回の集会も、それに似た詰めの甘さを感じた。

もっとも、こうした試み自体を否定するわけではない。限られた時間、予算の中で精一杯やったのだ、ということは理解している。しかし、日本の民主化 活動がどのようなビルマをつくりあげるのかを現実に即した形で構想し、今回のような集会においてもできるかぎり実践する、という段階に達しないかぎり、本当に効果的な運動はできないだろうし、また日本社会の理解も得られないのではないかと思う。

(ちなみに今回、日本人が4名、投票の立会人として参加し、そのうちのひとりに加えてもらった。)

開票

2010/06/15

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(2)

好意的に解釈すれば、参政権自体が奪われているビルマの人々にとって、たとえ擬似的、象徴的であっても、投票という行為自体が、政治的に意味を持つと考えることもできる。

とくに1990年の総選挙で投票したことのない若い世代にとっては、これは貴重な体験であろうし、この投票集会が、政治的自由についての感覚を養うきっかけになるかもしれない。

しかし、そうであるならばなおさら、その政治的自由という感覚を保障する投票システムについてももっと鋭敏であってよかったのはないかと思う。

今回の投票にさいしては、投票者はまず受付で名前、所属団体、電話番号を記し、次に投票用紙をもらい、会場の前面隅にあるホワイトボードの裏でチェックを記入し、その後前面に据えられた投票箱に入れるという仕組みになっていた。

これでは厳密にいうと、多重投票は防ぎえない。つまり、「有権者名簿」にあたるものがないため、投票者の照合(と排除)ができないのである。もちろん、民主化活動家を自認する人々の投票であるから、そのような不届き者はいるはずもないが、実際の投票ではそうした「経歴」や「良識」「善意」をアテにすることはできないし、そうしたものに依存せざるをえないようなシステムは、決して公正には機能しないだろう。

受付


 
記入所


 投票箱

2010/06/14

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン

2010年のビルマ軍事政権の選挙への意思を表明する信任投票集会(6月13日、池袋)に、投票立会人のひとりとして参加しました。

320人以上の民主化活動家が参加し、その投票の結果は次のようなものでした(詳しい結果は声明文で発表されるそうです)。

投票者数:326名

民主的選挙を支持:312票
軍事政権の選挙を支持:1票
無効票:13票

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(1)

2010年のビルマ軍事政権の選挙に反対するグローバルキャンペーン(The Global Campaign Against Burma's 2010 Military Elections)の一環として、6月13日午後1時から、豊島区立健康プラザ7F会議室で、在日ビルマ民主化活動家による信任投票集会が行われた。

信任投票集会というのは、民主的な選挙と軍事政権による選挙のどちらを求めるのか、ということを投票によって意思表示しようというもの。

投票用紙は、この日用いられたものとは若干異なるが、似たものをグルーバルキャンペーンの日本語版オンライン署名のサイトで見ることができる。B5の紙にスーチーさんの顔とタンシュエ大将の顔の写真が上下に並べられていて、スーチーさんの横には「本当の選挙」、タンシュエの横には「軍の選挙」と書かれていて、それぞれの選挙の特徴も記されている。この顔の横にある升目にチェックを入れる仕組みだ。

どちらにするかといわれれば、スーチーさんのほうに決まっている。そんなわけで、もともと結果のわかりきっているこの投票は、政治的な意思表示以上のものではない。

もちろん運動としてはそれでよいのだが、こんなわかりきったことをやるために、300人以上もの人が集まって、箱に紙を入れる行為に何らかの生産性があるのかは、意見の分かれるところだろう。

2010/06/09

アルファベット

ビルマ国内で用いられている文字には大まかにいって2つの系統がある。

ひとつはインドのブラーフミー文字に由来するもので、モン語、ビルマ語、シャン語、カレン語などがそれぞれの言語に適応させてこれを用いている。

もうひとつはいわゆるローマ字で、カチン人の諸言語やチン人の諸言語がこれで表記されている。

もっとも、ブラーフミー文字もローマ字も起源は一緒で、古代の中東で使われていた文字体系にさかのぼる。

ローマ字のほうは、 英領時代にアメリカ人宣教師によってもたらされたもので、この文字体系を用いるチン人とカチン人にキリスト教徒が多いのと無関係ではない。

文字体系の優劣は一概にいえることではないが、少なくとも現在のインターネットの世界ではローマ字、特に英語の文字体系が標準なので、これはローマ字系の文字体系をもつチン人とカチン人には大いに有利に作用している。

もちろん、ビルマ文字などを用いることも可能だが、その簡便さは比べものにならない。

あるチン民族がインターネットでチャットをしながらこんなことをいった。

「こんなふうにチン語で言葉のやりとりをしていると、事情を知らないビルマ人が驚くよ。お〜すごい、英語でチャットしてるって!」

2010/06/07

短命政権

菅直人が首相になった日、あるビルマ難民がこう言った。

「ビルマ軍事政権トップのタンシュエ大将が日本の政治家を招いて訓練すれば、長期政権間違いなしだね。」

2010/06/04

退会届

BRSAの会員が亡くなったので、前年度の事務局長のウ・テインリン(U Thein Lin)さんと葬儀に行った。

斎場に運ばれる前の棺は小さな霊安室に置かれていて、遺族とビルマのお坊さんがその部屋にぎゅうぎゅう詰めになっていた。

ぼくとウ・テインリンさんとほかの参列者たちは入り口にたむろして、遺族たちの唱和するお経を聞いたり、雑談したりしていた。

30分ばかりの儀式が終わりに近づいた頃、ウ・テインリンさんがふところから封筒を出した。中には手書きの手紙が入っている。それは何か、と聞くと彼は

「この人は亡くなったので、退会届を持ってきたのです」

と答えた。いくらBRSAの会員だからといってそんな形式的で、遺族感情を逆なでするようなことをここですることはないだろうと、ぼくは、ビルマの人々が時おり妙に官僚主義的な振る舞いをするのを思い出しながら考えた。だが、すぐに気がついた。

「ああ、それがビルマのやり方なのですね」

「そうです」

お経が終わり、泣き崩れる遺族たちを知人たちが抱え、部屋を出ていく。ウ・テインリンさんは、棺に近寄り、封筒からその退会届を取り出した。そして、死者の前で読み上げ、棺の蓋をちょっと開けて中に入れた。

2010/05/31

地域通貨(2)

というのも、日本では地域通貨は人の生活のすべての必要に応えるほど、発達してはいないからだ。

おいしい野菜や、卵ぐらいなら何とかなりそうだが、それだけでは生きてはいけない。

2010/05/30

地域通貨(1)

不法滞在の状態で難民認定申請をした人は、基本的に就労してはいけないことになっている。

難民認定審査が2〜3日で終わるならば、それもよかろうが、平均2年かかるのであるから、これでは申請者はからからに干上がってしまう。

RHQなどが申請者に生活費を支給する場合もあるが、全体からみればわずかなもんだ。そんなわけで、たいていの申請者はどこかで働いている。

以前は、こうした人々も入管の職員が逮捕して懲らしめたものだが、支援弁護士たちが裁判を起こしたおかげか、最近はそうした話は聞かなくなった。いわば黙認している状況だ。

ぼくとしては、申請中であれなんであれ、日本にいるかぎりはきちんと生活できるように配慮すべきだと思うので、就労不許可というのはできるだけ早く変えてほしいと考えている。

すると、難民たちのこうした状況について、ある人が地域通貨でもって生活を支えるプロジェクトをしたらいいのでは、という助言を与えてくれた。

2010/05/28

死装束

ビルマ人とカチン人の夫婦がいて、2人の幼いこどもがいた。

夫はしばらく前から入管に収容されていて、ぼくが彼の保証人になり、仮放免申請を行っていた。

カチン人の妻は、夫が収容された頃から精神的に不安定になり、夫も、その周囲の知人も、彼女が何か早まったことをしやしないか、心配していた。

ある水曜日、品川の収容所の夫から電話があった。妻とこどもが入管から金曜日に呼び出されており、収容されるのではないかと怖がっているので、一緒に行ってほしい、というのだ。

ぼくは、あいにく金曜日には入管に行く予定がないのでと断った上で、彼にこれまでの経験から幼児のいる夫婦が同時に収容されることは今はまずない、ということを説明し、おそらく書類上の手続きのために呼ばれているのだろうと話した。

するとその夜、入管から電話が入り、別の仮放免の件で金曜日に入管に行くことになった。それで、ついでにカチン人の母子にも入管で会うことができるだろうと考えた。

ところが、翌日木曜日の夜、再び入管が電話をかけてきて、件の夫の仮放免許可が下りたので次の月曜日に来てほしい、と告げたのであった。ぼくは金曜日にも行くので、いっそのこと前倒しにしてもらえませんか、と虫のよいことを尋ねたが、それは無理のようだった。

それはともかく、ぼくの推測は誤っていなかった。月曜日に夫を釈放するいっぽう、その妻子をその前の金曜日に収容するなど、ありえない話だ。

ぼくは、さっそく彼の妻に連絡をして、この吉報を伝えようとしたが、果たせなかった。いずれにせよ、明日入管で会うだろう、とぼくは考えた。滅多にないよい知らせを告げる楽しみは明日にお預け、というわけだった。

金曜日、入管の玄関でカチン人の妻と、2人のこどもに会った。3人は、一緒に付き添ってくれるカチン人の友人を待っていたのだった。ぼくはその友人と入管に向かうバスの中でたまたま一緒になり、すでに夫の仮放免許可のことを伝えてあった。

妻は、夫が月曜日に出られることを聞くやいなや、その友人に抱きついて涙を流した。

こどもたち、3歳にならない娘と、ベビーカーに座った1歳半の息子は、無表情だ。

2人ともやけに派手できれいな服を着ていた。姉はピンクの上着を着て、弟は青いシャツに、水色の靴を履いていた。

ベビーカーのハンドルにはピンクのぬいぐるみのリュックがぶら下がっている。

カチン人の友人は、妻としばらく話した後、ぼくにいった。

「この人は、今日、こどもと一緒に収容されると思い込んでいたんです。そして、ビルマに送り返されて、全員殺されるって。それで、せめて最後にこどもたちを喜ばせてあげようと、きれいな服を着せて、好きなおもちゃを買ってあげたんだっていうんです」

こどもたちはむっつりした顔でおとなたちを見ていた。

2010/05/23

眞露のおかげ

酔ったビルマの人はやたらと酒瓶で人の頭を殴りたがる。つい最近、ぼくが保証人をしている人も、ビンで殴られて怪我をした。

ぼくがこれまでに聞いたかぎりではほかに2件ある。調べればもっとあるにちがいない。

ひとつは2年ぐらい前のことで、ビルマのレストランで起きた。殴られた人は、意識不明になり、一時は生死も危ぶまれた。

次の事件もやはりビルマのレストランで、起きたのは今年の2月。被害者は大けがをしたそうだが、それほど長くは入院しなかった。加害者は逮捕されたが、詳しいことはよくわからない。殴った理由についても、双方で言い分が異なっている。

ぼくが保証人をしている人の場合はといえば、部屋でみんなで飲んでいたら、泥酔した1人がいきなりビンで殴りかかってきたとのこと。

10針縫う怪我だが、さいわいにも頭の内部には特に影響はなかった。しかし保険がないので7万円かかったという。

その被害者に、どうしてビルマの人はビンで殴りたがるのか、と聞いたら「わからない」との答え。

酔っぱらって喧嘩を吹っかける日本人が「表に出ろ」とわめくのと同じく、ビンで殴るのはおそらくビルマの人々の間でひとつの行動パターンとして定着しているのかもしれない。

なんにせよ、彼の怪我が比較て軽く済んだのは、ビンが割れなかったせいだ。ちなみに何のビンかというと眞露。

酒癖の悪いビルマの人と飲む時は眞露をお勧めする。

2010/05/21

死後の世界

仮放免申請している収容者の仮放免が認められた、と入管から保証人に連絡が入るのは、たいてい予定される仮放免の日の2〜3日前だ。月曜日に連絡が入って、水曜日に、水曜日に連絡が入って金曜日に出る。あるいは木曜日に連絡が入って翌週の月曜日にという場合もある。慌ただしい場合には前日、などということもある。

入管の指定した仮放免の日が保証人にとって都合が悪ければ、後にすることができる。前倒しになったケースはないようだ。

仮放免許可の通知の際に保証人が入管の職員から告げられるのは、

収容者の名前
仮放免の日時
保証金の金額
保証金と身分証明書と印鑑を持参すること

である。

もうひとつ要求される事柄がある。それは、仮放免の許可がおりたことを、当の収容者に教えないでほしいということである。

この理由については、入管の人に尋ねたこともあるが、よくわからない。

仮放免許可を聞いた収容者が、うれしさのあまり卒倒する可能性があるとか、大はしゃぎして、周りの収容者に迷惑をかけかねないことを心配してのことであろうか。

あるいは、入管は収容者を小学校よろしくみんな平等に扱っているので、ひとりだけ突出するということを憎んでいるからであろうか。

それとも、仮放免許可の出た者に対する、他の収容者のねたみ、さらにはそれによって引き起こされる暴動を恐れてのことだろうか。

いや、もしかしたら、仮放免許可という吉報を収容者に伝えるのを入管の職員は無上の喜びとしているのかもしれない。「許可が出たことを知ったときのあの顔、あの喜びようときたら!」 よい知らせの運び手になることを拒む者は誰もいないのである。

とすると、入管は収容者にこの吉報を告げ知らせる幸福を独占しようとしているのかもしれない。何たる巨大利権であろうか。

あるいは、収容者のことを考えたのではなくて、収容者を管理する側である職員のことをおもんぱかってであろうか。つまり、これらの人々にしてみたら、収容者がいなくなることは、職務上さみしい出来事であり、心の傷となって残りかねないのである。

入管側にとって収容者の仮釈放は、他界であり、昇天であり、永久の別れだといえよう。

そのようなわけで、心のケアの一環として、収容者をなるべくそっと釈放することにしているのかもしれない。気がついたらいなくなっていた、ぐらいの感じがちょうどいい。

(おそらく、仮放免が本決まりになるのは保証金を支払ってからなので、それまでは確定事項とはいえないので教えない、ということだろうと思う。なお、仮放免許可手続きについては以前、BRSAのブログ(仮放免の詳細)に書いたものもあるので、そちらも参照していただきたい。)

2010/05/20

不正投票

ビルマの団体の選挙では、たいてい他所の団体から3人ほど人が来て、選挙委員として、公平な選挙を行うべく、その場を仕切ることになる。

この選挙委員はぼくもやったこともあるが、開票や集計もやるので結構いそがしい。

この間、BRSAの選挙があった。選挙の最中、票を数えていた選挙委員が、不正投票らしきものを発見した、といって会場の注意を喚起した。

その委員が鋭くも見抜いたところによれば、全く同じペン、同じ筆跡で、同一候補者の名前が記された二枚の投票用紙が出てきたのだという。

「何者かが二重投票をした疑いあり」と、厳しい目つきで会場を見回す委員たち。今年はビルマで軍事政権の選挙が行われる。その意味でも、民主化活動家たる我々はささいな不正も許してはならぬのだ・・・。

すると、ひとりの女性が手を挙げていった。

「それは、わたしたちのです。夫が赤ちゃんを抱いているので、代筆したのです」

2010/05/19

民主党本部

民主党本部の5階で開催された「新しい公共」づくりをめざした市民と民主党の政策形成プロジェクト第5回会合に出席する。

議員会館とか国会議事堂ではなく、一政党の本部ということで、何となく油断していたのだが、本部の建物に向かう道で警官に行く先を聞かれたり、入り口で警備の人にどこに何の用事で行くのか、と質問されたりして狼狽する。

ごにょごにょ答えていると、後ろから車いすの人が来た。警備の人がそっちの対応(入り口には段差があるので)に気を取られているうちにまんまと侵入する。

そしてぬけぬけと5階の大部屋に現れ、のうのうと座り、無料のお茶をごくごく飲み、しゃあしゃあと質問し、そそくさと退散した次第。

10人ぐらいの議員が来たと思うが、司会の大河原雅子参院議員を除けば、ずっといた人はほとんどいない感じだ。

そうであっても、政権党がこうした会合を開くのはよいことだし、月1回といわずに、週1回、いや随時開催ぐらいにしたほうが、面白いと思う。

市民キャビネット地球社会・国際部会で一緒に政策提言作りをしているNICEの開澤さんのプレゼンの様子

2010/05/18

老人と虎

難民キャンプ訪問のためにタイに行ったとき、イギリス人たちの会話の場に同席したことがある。

もちろん、英語だ。だが、ぼくはネイティブの発音はなかなかわからない。なので、適当に相づちをうってごまかしていた。

会話の内容はといえば、ぼくの理解できた範囲では、ドイツ人の老人と虎の話をしているようだった。ぼくは、密林の中で虎を追いかけるゲルマン民族の老人と、その目にきらめく静かな執念を思い描いていた。まるで小説のようじゃないか。英語ができないなりにぼくも会話を楽しんだのだった。

だが、ホテルに帰って、寝る前にこの奇妙な物語をゆっくり考えているうちに、気がついた。

イギリス人が言っていたのは「タイガー(Tiger)」ではなく「タイガール(Thai girl)」だったのだと。

カタの病院

日本で長く暮らしていたカレン人とヤンゴンで再会し、話しているとこんなことを言った。

「カタの病院・・・何て言うか、動物ではなく、カタの病院のお医者さんが・・・」

しばらくして「人間の行く病院」であることがわかったのだが、つまり、彼は「あの方、この方」という表現から、「カタ」が日本語で人を意味するのだと推理していたのである。

2010/05/14

サムライは有機日本食に高楊枝

今年の1月ぐらいから、「新しい公共をつくる市民キャビネット」という市民団体の集合体に参加して、政策提言づくりを行っている。ぼくが加わっているのは地球社会・国際部会という部会で、ここで難民や外国籍住民に関する政策提言を提出させてもらった。

部会のことや自分の政策提言のことなどについては、そのうち取り上げようと思うが、それはともかく、4月29日にこの市民キャビネットの全体集会が開かれた。その集会で、福祉、災害支援、男女平等、子どもなどのそれぞれの部会がつくった提言について意見交換がなされた。

ある部会で学校給食が有機食材のものになるよう政府が積極的に支援すべきだ、という政策提言をつくった人がいた。

有機食材はもちろん結構なことだ。農業のことはよくわからないが、安全なものを食べるに越したことはない。

政策提言作成者によれば、子どもが有機食材をぱくつくようになれば、アトピーやキレる子ども、学級崩壊、学力の低下などの問題などがすべて解決するという。にわかには信じがたい話だが、これもまあ大目に見るとしよう。

だが、「日本人本来の体質にあった食事」を子どもたちに食わせるために「学校給食の主食は米、主菜は魚または大豆製品と」するというふうにいわれると、これはとてもじゃないが食えたもんではないという気がしてくる。

「こんなものばかり食べていたら、子どもがみんな和尚さんになってしまう、あぶない!」とぼくは思うのだが、こんなつまらぬ懸念はさておくにしても、これは根本的に2つの点で現状にそぐわない。

ひ とつは、学校給食を食べる子どもが「日本人」であるとはなから決めてかかっている点。つまり、小学校には、韓国人、朝鮮人、中国人、台湾人、ビルマ人、ブ ラジル人、フィリピン人などなどさまざまな国の子どもがいるのだ。そうした子どもに「日本人本来の体質にあった」食生活を強いることにどれだけ意味がある のか。

また、もしあらゆる子どもにとってその出身文化本来の食事を食べさせるのがよいのであれば、日本人の子どもだけでなく、他の文化の子どもにもその「本来」のものを食べさせるべきである。

もし、日本人のほうが数が多いからという理由で、他の文化の子どもたちに「日本人本来の体質にあった」ものを食べさせるとすれば、それはまさに数の暴力だ。

も うひとつは、「日本本来」のという名目のもと、豚や牛など肉食が「日本人本来のものではない」として排除されている点である。要するに、この政策提言その ものが、部落差別を成立させている「穢れ」による差別観を焼き直したものにすぎないのである。つまり、「有機食材」「子どもを守る」などもっともらしい外 観をまとっているが、その奥には肉食に対する忌避、ひいては食肉加工業に対する差別意識が隠されている。

そもそも、日本人が歴史的に獣の肉を食べなかったかどうかは、簡単に答えられる問題ではない。時代や、階層、宗教、職業あるいは生活の場面によって大いに異なるはずだ。それに、沖縄の人々やアイヌの食生活も考慮に入れなくてはならない。

確かに、肉食が一般化したのは、最近の現象であろうが、それ以前も一般化していなかっただけであって、まったく牛や豚が食べられなかった、あるいは、まったく必要とされていなかった、というわけではない。

い ずれにせよ、不確かな歴史的事実や歴史的にみれば比較的最近はじまったことでしかないことが、いつの間に「日本人の伝統」、あるいは擬似科学的な装いで 「日本人本来の体質に適合した」などと一般化されることが多すぎることを考慮に入れれば、この政策提言の「日本人本来」も大いに疑われるべきであろう。

また、そうした過去の歴史的事象の安易な一般化は、その当の歴史的事象に密接に関連している他の歴史事象をも現代に持ち込むことにもつながりうるのだから(この場合では穢れに基づく差別意識)、なおさら熟慮の上行うべきであろう。

その顕著な例が、日本人のサムライ信仰というヤツで、近頃の日本はどこを向いてもサムライだらけだ。そう呼ばれてるだけならまだしも、自称の多いこととき たら! たいした鼻息だ。しかも、色までついている。だが、農工商とエタ、非人あってのおサムライさんであることをいう声など聞いたこともない。ラスト・サムラ イが生き延びる分だけ、ラスト・エタ、ラスト・非人もむりやり生かされ続けるのが道理ではないか。これでは差別もなくなるまい。

話を元に 戻せば、もちろん、ぼくは有機食材を使った食事に反対しているわけではない。ただ、「有機食=昔ながらの食事=日本人本来の食事」という理屈がおかしいと 思っているだけで、有機農業や環境保全という結構な思想が、無意識のうちに民族主義や宗教的原理主義と結びついてしまう危険の一例をここに示したにすぎな い。

有機農業を持ち上げるのなら、「日本伝統の」とかいうように後ろ向き、排他的にならずに、すべての人、どのような文化の出身者であろうと、おいしく健康に食べられる有機農業のあり方を模索するほうが、ずっと生産的なはずだし、そういう観点から政策提言をなすべきだと思う。

2010/05/08

猫の手と難民(3)

第2の説は、このリアクション説に立つものである。つまり、入国管理局は、根っからの自民党支持者で固められており、民主党という政党が政権についたら、とんでもない人権侵害が行われるぞ、ということを示すために、難民をいじめているのだという。

こ れは馬鹿げているし、そもそも矛盾している。入国管理局(そして保守派の政治家)にとっての悪とは、外国人が日本で自由に(そして楽しげに)行動すること だ。だから、難民をはじめとする外国人に対して悪待遇を強いるのは、これらの人々にとっての善であり喜びなのであり、こうした素晴らしく善いことを、民主 党政権下で行うのは、敵を利することに他ならないのである。

だから、民主党が政権を取ったらとんでもないことになるということを、入管が 示そうとした場合、それはむしろ、収容所をカラにし、取り締まりを緩め、入国を管理しないという入国管理業務放棄の方向に向かうはずである。つまり、民主 党政権下では外国人は「野放しになる」といいうことを示そうとするはずなのである。

それに、第一、入国管理局、というか官僚がいくら自民党を支持していたとしても、そこまで自民党にべったりだとは考えられない。それは、われわれが日本の官僚の問題点として耳にしている話とは大いに異なるのである。

その話とは官僚による政治の誘導であり、またあらゆる巨大組織が持つ弊害である無目的な自己保身への欲求であるが、いわばこうした官僚中心主義の土壌で、上記のような政治的判断が生まれるとは考えられない。

むしろ、この官僚中心主義こそ、今回の方針悪化の根本原因ではなかろうか?

つまり、この方針転換は入国管理局が新たな政権に対して、自分たちのやっていることは税金の無駄遣いではないということをアピールするためのものではないかと思うのである。

だからこそ、収容所はいつも満員でなくてはならない。それどころか、なんなら足りないぐらいだ、という雰囲気も出したい。なにしろ、仕分けされてはかなわないからね、というわけだ。

忙しい人は猫の手でも借りたい。入国管理局は難民の命を収容期間だけきっかりお借りして、政権交代という未曾有の事態をしのごうとしているのである。

2010/05/07

古き良き体罰

ぼくが子どもの頃は教師が子どもに体罰を行うのは普通のことで、小学校と中学校ではよく殴られたものだった。

今なら、不登校になってもおかしくはなかったかもしれないが、殴られても殴られても文句をいわずに通っていたのは、おそらく殴られた衝撃のせいで頭がおかしくなってしまっていたからだろう。

今では、体罰と聞くととんでもないことのように思えるし、またそれが当たり前のことだったふた昔ほど前の時代が、いかにも野蛮な時代だったように感じられる。

それは実際そうなのだ。体罰が必要であると考える人もいるだろうが、体罰によって生まれる悪のほうが体罰をしないことによって生まれる悪よりもはるかに大きい、と思う。そして、その悪が減少した分だけ、世の中はよくなっているといえるわけだ。

子どもを小学校に通わせているあるカレン人のお母さんが、こんなふうにこぼした。「日本の先生は弱すぎるね。ビルマの先生はもっと厳しいよ」

日本の教師はもっと子どもをピシリとやるべきだというのである。

こういう言葉を聞くと、「ああビルマはいい国だ」などといって、古き良き失われた日本をそこに見いだそうとする人が必ずいるものだ。

ぼくはそうは思わない。むしろ、そうした教師の実力行使が、ビルマ社会にはびこる暴力とどこかでリンクしているのではないかと考える。そして、またこうも思う。そんなふうに昔を美化する日本人も、子ども時代に殴られすぎて、頭がどうかしてしまったに違いない、と。

猫の手と難民(2)

それはともかく、こうした方針転換の理由について、いくつかの説がある。

ひとつは民主党が政権を取ったことにより、この方針転換がおきた、というものである。つまり、民主党が難民に対して厳しい態度で臨むという方針を打ち出したことに起因する、というのである。

だが、これは2つの点から間違いだとわかる。まず、民主党には難民の処遇の向上のために活動している議員がいる数少ない政党のひとつである(とくに中川正春議員と今野東議員)。

この点からすればすくなくとも、今回の方向転換が(転換そのものに関するかぎり)民主党主導であるとは思えない。

もうひとつは時間的な問題である。

品 川の収容者の増加は、夏の終わり頃からはじまっていた。本格的に増えはじめ、その悪い方向への変化を誰もが気づき、確信するようになったのが9月頃のこと である。もちろん民主党政権がそれに拍車をかけたということができるが、先に述べたようにそれは民主党主導とは考えにくい。

それに、9月に発足した政権が、入管行政にそこまで即座に関心と影響を及ぼせるものだろうか。これまでの動きを見るかぎり、何事もゆっくり、がこの政権の特徴であるようだ。

ゆえに、この方針転換は民主党政権に起因するというよりも、民主党政権誕生に対するリアクションであると見たほうがいいだろう。そして、そのリアクションの主体は、もちろん入国管理局(法務省)である。

2010/05/06

猫の手と難民(1)

去年の秋頃から、難民の収容に関して入国管理局が変わった。

それまではどちらかというとよい方向に向かっていた。つまり、収容が少なくなり、また収容そのものの期間も短くなった。仮放免申請を出せば、約2ヶ月で出られたのだった。

しかし、去年の秋から、ビルマ難民の収容が急増し、暮れ頃には100人を超えていた。

そして、同時に仮放免申請から仮放免までの期間も長くなった。4月30日にぼくが仮放免手続きをした人は、11月の初めに申請した人だ。つまり、申請から6ヶ月もかかっている。

牛久の収容所でもやはり変化があった。ビルマ難民への仮放免申請が却下されるようになったのだ。これも、数年前までは当たり前のことだったが、近頃ではたいてい「一発で」申請が通るようになっていた。

また、品川のビルマ難民収容者が長崎の大村収容所に送られるという事態が発生した。これは2006年頃まではよくあったが、最近はなかったことだ。ここにはぼくが保証人をしている人がひとり収容されているが、なかなか申請が通らない。現在3回目の仮放免申請中だ。

こ れらの状況は、すべて入管の難民に対する方針が悪化したことを示している。ここで取り上げたのはビルマ難民の例ばかりだが、ビルマ難民ばかりに限った話で はない。というか、日本の難民の中でもっともよい扱いを受けていたのがビルマ難民であり、それ以外の国出身の難民ははるかにひどい状況におかれている。

2010/04/30

30万円

今日は入管で、2つの手続き。
ひとつは、ぼくが保証人をしている人の仮放免手続き。
もうひとつはやはりぼくが保証人している人が在留特別許可を得たので、その人の保証金を受け取る手続き。

どちらも銀行に行かなくてはならないので、一度にやってしまう。

入管でやるべきことを済まして、銀行に。

田町の三菱UFJの日本銀行代理窓口で、2つの書類を出す。

仮放免される人の30万円と、かえってくる保証金の30万円分の小切手。


つまり、30万出して、30万もらう。もっともこの30万円はぼくのお金ではない。

仮放免の最後の手続きのために入管に戻ると、強制送還されたガーナの人が、成田空港で死亡した(殺された)事件で、抗議デモが行われていた。


2010/04/27

すみりょし

ビルマ語ではビルマ文字でRで書かれているものは、Yの音で発音する(一般的にいつもそうかというとわからないが)。

つまり、ヤンゴンのヤンは発音ではそのままYANであるが、綴り上はRANとなる。すなわち、英語での古い呼び方ラングーンは綴りに対応しているのである。

これは歴史的にRで発音されていたものが、のちにYで発音されるようになったが、表記としては変わらなかった、ということだろうと思う。

綴りが古い発音を保つということは、どこでもあることで、英語でもフランス語でも、日本語(特に旧かな)でもある。

さて、BRSAの会員の住所を入力していて、江東区在住のあるビルマ人がこんなふうにローマ字で住所を書いているのに気がついた。

SUMIRYOSHI

これはもちろん「住吉(すみよし)」のことで、この人はすみよしの「よ(YO)」をビルマの綴り風に解釈して、Rを入れずにはいられなかったのである。

2010/04/22

通報義務の例

まちかど:富士宮市・法務省から感謝状 /静岡

 法務省入国管理局は7日、入管法違反容疑(不法入国)の外国人検挙に協力したとして同市市民課記録係に対し感謝状を贈った。同局登録管理官付の福原申子補佐官が市役所を訪れ、芝切尚美係長=に手渡した。

 外国人登録のため昨年5月、アジア系の女が市民課でパスポートを示した際、在留許可シールがないことに男性係員が気付いた。市から受理照会を受け た同局が、同7月に再び窓口を訪れた女の身柄を確保した。福原補佐官は「臨機応変に連絡を取っていただいた」と述べた。同局長の感謝状は異例という。

毎日新聞地方版2010年4月11日朝刊

2010/04/21

情報統制

日本で活動している非ビルマ民族の団体は、少なくとも17〜8はあるのではないかと思うが、最近日本に逃げてきたヤンゴン出身のカレン人がこんなことを言った。

「カレン人以外に反政府活動をしている民族がこんなにいるとは知らなかった!」

つまり、ビルマ国内では情報統制が厳しいので、自分の民族の歴史はともかく、他の民族がどんなふうに政府に抵抗してきたか、あるいは今抵抗しているか、などという情報に接する機会がなかったのである。

2010/04/19

通報義務

難民認定申請をするためには外国人登録証が必要だ。そこで、区役所なり市役所に行って、外国人登録してから、難民申請することになる。

ここで問題となるのは、公務員の「通報義務」だ。これは出入国管理及び難民認定法第62条第2項に基づくもので、公務員は不法滞在者を見つけたら、すぐに入管に通報しなくてはならないのである。

そのため、難民申請のため役所に行って、外国人登録したところ、その夜に入管が家にまでやってきて逮捕されてしまう、ということがあるという。という、というのはぼく自身はそうした例を見たことがないためであるが、いろいろな人に話を聞いてみると、実際にあるらしい。

そこで、外国人登録証のない難民が難民認定申請をする場合、どうするかというと、こんな具合だ。

1)まず午前中に役所に行って、外国人登録申請を行う。登録証の発行までは何ヶ月かかかるから、そのかわり、登録番号の記された申請証明書をもらう。

2)その足で入国管理局に行き、外国人登録証申請証明書とともに難民認定申請書を提出する。

つまり、通報されないうちに素早くことを済ませてしまおうという作戦だ。

申請者のなかには、役所に行った後、自宅には帰らずに友人宅にとまって翌日入管に申請に行くという人もいるという。

この間、難民認定申請準備をしていて、外国人登録をしようとしている松戸在住のビルマ人に頼まれて、松戸市役所に電話をした。そのとき、松戸市の市民課ではこの通報義務を遂行することがあるのですか、と尋ねたら「わたしたちにお答えできるのは、松戸に住んでいる外国の方はすみやかに外国人登録をしてください、ということだけです」という返事だった。

2010/04/17

地下銀行

地下銀行とは「銀行法等に基づく免許を持たず、不正に海外に送金する業者」(Wikipedia)であり、今回の送金偽装詐欺事件はこの地下銀行の問題が背景にある。

もちろん、地下銀行を通じて海外に送金するのは違法なことであるが、在日ビルマ難民の立場に立ってみると止むに止まれない事情もある。

銀行を通じてよりも、地下銀行を通じて送金するほうが損しなくて済むというのである。

これはつまりこういうことだろう。たとえばビルマに1万円送金したとすると、ビルマで受け取るのは約5万チャット。レートは100円=500チャットだ(正確には1米ドル=約450チャット)。

しかし、この公認レートはチャットの本当の価値を反映してはいない。通常用いられる実勢レートでは100円=約1000チャット(あるいはそれ以上)となり、日本円の1万円は実際には10万チャットに等しい。

そして、地下銀行で用いられているのはこの実勢レートだ。まともな銀行から送ると、せっかくのお金が半減してしまうのであれば、地下銀行を使わない理由はない。

しかも、「お金が半減する」というのは実際には間違いで、正しくいうならば「軍事政権に半分ピンハネされる」というのがふさわしい。銀行の幹部はもちろん軍の幹部である。これでは、ますます普通の銀行からでは送りたくなくなる。

繰り返しいうが、地下銀行は違法なことである。そればかりか、今回の詐欺事件のような犯罪をも誘発しうる。だが、その背景にある政治的な事情を解決しないかぎり、在日ビルマ社会の地下銀行の問題はなくならないだろうと思う。

2010/04/16

速度違反

日本のビルマ難民で日本の運転免許証を持っている人は少ないが、オーストラリアではこれは必須だとのこと。それは、オーストラリアの広大な国土も関係しているだろうし、日本の都市部のように鉄道交通網が発達していないせいもあるだろう。

オーストラリアに暮らすあるシャン難民がこんなふうに驚いた。

「オーストラリアは何でも法律がしっかりしています。道路にも40キロ、60キロなどと表示があって、この速度を超えて車を走らすと警察に捕まるのです! わたしも一度、一時停止を無視して罰金200ドルを支払うはめになりました」

ちなみにこの難民はビルマで車の運転手をしていた。

ビルマの道を走るとき注意しなくてはならないのは、信号でも交通標識でもない。軍の検閲所である。

2010/04/14

とばっちり

送金偽装詐欺事件がだんだん不穏な感じになっている。

被害者たちは報復を怖れて相変わらず警察にも弁護士にも訴えないという泣き寝入りの方針を堅持しているとのこと(ひとりのビルマ人被害者が被害届を出そうとしているらしい)。

加害者のSは被害者たちが家に詰め寄せてもドアを開けず、かえって「自分の命が危ない」と警察を呼ぶ始末。Sの自宅に集まった被害者は、警官たちがやってきたのを見て「日本の警察は詐欺師の手助けをする」と憤慨したとか。もっとも、これは被害届を出さないのがいけない。

被害届を出して、事件を公にしなかったせいで、あらたに名古屋在住のビルマ人が詐欺の被害にあったという。事件の被害者はこのまま増え続けるかもしれない。

Sの夫の身内も日本にいるため、Sが1人でやったのではなく、その背後でSの身内が操っているのではないかという噂が広がっているとのこと。そのせいで、その身内は迷惑を被っているばかりか、身の危険まで感じているそうだ。

つまり、Sの代わりにその身内を締め上げてやろうなどという人が現れかねない状況なのだという。その身内の関係者にいわせれば「わたしたちはSの水一杯も飲んだことないのに、なんでこんな危険な思いをしなくてはならないのか」とのこと。

2010/04/09

策略の書

ルネ・カーワンがアラビア語原典から翻訳したという『策略の書』(小林茂訳、読売新聞社)に、アッバース朝2代目のカリフ、アル・マンスールの次のような逸話が載っている。

アル・マンスールはクーファ(イラクの町)の男ひとりずつに銀貨5枚を分配するように命じた。これにより、この町にいる男の正確な数を知った彼は、次のように命じたのだという。「さて、今度は男ひとりずつから租税として銀貨40枚を取れ」と。

「子ども手当」について考えているうちにこんな逸話を思い出した。

もちろん、この子ども手当の後に、政府がこのアル・マンスールと同じことをするとは思わないが、せっかく広い範囲でこの政策を実施するのだから、日本に今どれくらいの外国籍の子どもがいて、どんな状況にあるか、というような統計ぐらいはとったほうがいいのではないか。

これらの子どもたち(ビルマ難民の子どもたちももちろん含まれる)もまた、これからの日本を担っていく人々なのだから。

送金偽装詐欺事件(終)

5)軍事政権に生きる人々ならではの理由
被害者たちからだまし取られたお金はすべてビルマに送金され、加害者の関係者が握っているのだという。

被害者たちが事件を表沙汰にすることで恐れているのは、日本の警察が動き出したことにより、ビルマの政府も動きだし、そのお金が結局すべて軍事政権の手に渡ってしまう、という可能性である。

何年も働いてきたお金が憎むべき敵に渡ってしまう悔しさは何にも代え難い、ということである。

また、刑事事件となって加害者女性が日本で有罪となったら、ビルマに強制退去させられる可能性が高いという。それこそ、この加害者の思う壷だ。なにしろ送還されたビルマでは優雅な生活が待ち受けているのだから。

そんなわけでこの女性は「警察に訴えるなら訴えてみろ、刑務所も強制退去も怖くない!」と開き直っているのだとか。

もっともぼくはそんなに上手くいくとは思ってはいない。ビルマには彼女よりもっと悪い人がひしめいているのだから。

いずれにせよ、ビルマ軍事政権では悪い人ほど栄えるということがこの事件からもよくわかるのである。

2010/04/07

送金偽装詐欺事件(6)

4)恐怖の中に育った人々ならではの理由
軍事政権の暴力の中で生きてきた人々のため、脅しには非常に敏感である。彼らは、脅しが脅しでは終わらないということを身をもって実感しているのである。

詐欺をした女性の弟が姉に手を出したら殺すという考えをもっていると聞いた被害者は、ただちに警察に訴え出ることを諦めた。自分の身ばかりではなく、子どもや、故国の家族に危害が及ぶのを恐れたのである。

この脅しがなされたのは日本であり、こんな脅しが日本でまかり通るのは日本人として不愉快だが、在日ビルマ社会にはそれ独自のリアリティがあるのである。

面白いのが、この弟は決して「殺してやる」とはいってはいないことだ。なんでも「俺は無性に人が殺したい〜」と拳を固めながら言っていたそうだ。

このように言質を取られないようにやるのがビルマ社会の脅しや中傷の常套であり、これはぼく自身身をもって体験している(もっともこれは日本社会でも変わらないかもしれないが)。

2010/04/06

送金偽装詐欺事件(5)

3)キリスト教徒ならではの理由
カチン人の大多数はキリスト教徒で、つねに「良きキリスト教徒ならば我慢して相手を許しましょう」という倫理的立場をとる。この事件にさいしても同様である。

もちろん、これは特殊なキリスト教というべきで、日本のキリスト教徒の中には「こうした犯罪が繰り返されないように、率先して警察に訴えて事実を明らかにするのが務め」と考える人も多いに違いない。

カチン人のキリスト教徒信仰にはよいものもたくさんあるが、この妙に抑圧的な態度のように、有害なものもないわけではない。

在日カチン人の牧師はかつてこんなふうにいっていたそうだ。「(ビルマ軍事政権の)政府に反抗することは、神に逆らうことです」

しかし、この牧師も現在は難民認定申請をしているという。

2010/04/05

送金偽装詐欺事件(4)

今回の事件の被害者の大多数はカチン人であるが、チン人とカレン人、そしてビルマ人も被害にあっている。

そのビルマ人の被害者がカチン人の有力者のところに行って、怒りをあらわにして対応を迫ったのだという。

カチン人は(こんなことは誰にもいわないが)ビルマ人が本当に恐ろしい。だから、ビルマ人が怒ったら凄惨な復讐が待ち受けていると信じている(これはあくまでも非ビルマ民族の目から見ての話だ)。

そんなわけで、カチン人で話し合って、このビルマ人には自分たちで立て替えてお金を返したのだという。

「ビルマ人だけお金が返ってきて、非ビルマ民族には一銭もかえってこない、こんなことってありますか?」とこの話をぼくにしてくれた人はいったのである。

送金偽装詐欺事件(3)

この事件で被害者たちが泣き寝入りを(今のところ)しようと決断した背景は次のようなものだった。

1)在日外国人ならではの理由
被害者となった人のほとんどは難民認定申請後、何らかの在留資格を得た人々だが、難民申請以前には「不法滞在」者だったという経歴を持つため、日本の警察に対してはかかわりたくない、という気持ちあいかわらずもっている人がいる。また、事件を警察に訴えることでかえって、自分たちが逮捕されたり、滞在資格を取り上げられたりするのではないかというおそれをもつ人も多い。

そもそも今回の事件も故国への「不正」な送金という問題が絡んでおり、この後ろめたさも被害者をためらわせている。

2)非ビルマ民族ならではの理由
今回の事件でお金をだまし取った人はカチン人であり、また被害者もカチン人が多かった。そのため、この事件を表沙汰にすることは、「カチン人の恥」だという意識が被害者の間で見られる。

これはカチン人が被っている民族的差別を前提としなければわからない。つまり、噛み砕いていえば「カチン人の恥」というのはこんな意味だ。「ただでさえ、多数派のビルマ人から差別され、悪意ある先入観で見られている我々のイメージをこれ以上悪くすることはできない」

これに関して面白いエピソードを聞いた。

送金偽装詐欺事件(2)

在日ビルマ難民の間で起きている1億円を超える送金偽装詐欺事件であるが、この事件の真相についてはぼくは十分に把握してはいないし、またこれが今後どうなるかもわからない。先週聞いた話によると、被害者たちは「泣き寝入り」という選択をしたとのことで、これが公の場に出るかどうかはまだ不透明だ。

ぼくがここで関心があるのは、この事件からみえてくる、軍事政権下で生きてきた人々の心の動きだ。

比較的安心できる社会に生きる日本人ならば、こうした事件の被害者になった場合、警察に訴えでたりして事件を「表沙汰」にしたり、弁護士などの仲介役を立ててお金を回収しようとしたりなどいろいろ打つ手だてはある。「被害者の会」を結成して交渉にあたるという選択肢だってある。

もちろんこれらは以前は日本では普通ではなかったかもしれないが、今ではそれほど特別なこととは思われない。

だが、今回の被害者となった人々は、そうしなかった。それには政治状況・民族・宗教・難民などからもとらされるさまざまな特殊な要因が働いていたのである。

2010/03/27

送金偽装詐欺事件(1)

在日ビルマ難民の間で、起きている事件。

Sというあるカチン人難民の女性が、周りのカチン人や、カレン人、チン人、ビルマ人から、特別なルートでほかより安くビルマに送金してあげる、といってお金を集め、横領してしまったのだという。

被害額は現在わかっているだけで一億円を超える、とのこと。

被害者は今ぼくが把握しているのは15人だが、額と被害者はこれからも増えるかもしれない。

またこれらの被害者は、自分のお金だけをこのSという人物に渡したのではなく、安く送れるのだから、と友人たちのお金も預かって一緒に送ってもらったため、間接的に被害にあった人もかなりいるそうだ。

被害者たちは、お金が現地に届いたという報告が何週間経っても来ないということから、自分たちが騙されたということを知ったのだという。

2人の子どもの母であるSは、現在行方をくらましているとのこと。一説によれば、福音系の韓国人教会に匿われているとも。

何人かの被害者が集まって、対応を協議しているとのことだが、Sの弟が、警察や弁護士に訴えたヤツを殺してやる、と息巻いているという情報が伝わるに及んで、みな腰砕けになったとか。

2010/03/24

チン民族の公正なる特産品(おわり)

有り余るもののうちから、何かを与えても、それはありがたみもないしたいした効力も発揮しない。しかし、「なにもない」といわれるチン州から、チンの人々が必死になって育て上げてきた「公正」という理念が、いまやビルマ連邦を作り替えようとしている。よろしくチン州の特産物に指定すべきであろう。

さて、最後になったが、2009年のチン民族記念日に、CNC-Japanより田辺寿夫さんといっしょにいただいた「第1回チンランドとチン民族の友賞」についても触れておきたい。「チン民族はカレンやカチンなどの他の民族に比べて国際的にも知られておらず、友人が少ないのでこういう賞をつくった」とは、タンさんのやや切実な話。ぼくもまた、タンさんとの出会いをきっかけに、多くのかけがえのないチンの友人を作ることができた。本来ならばこれらの友人たちにぼくのほうから何かの賞を送るべきであるが、そんな得体の知れないものをもらっても迷惑だろうから、この場を借りてただ「ありがとう」というにとどめる。(おしまい)

2010/03/22

チン民族の公正なる特産品(6)

だが、チン人はビルマ連邦からもらうことだけを期待している人々ではない。物質として与えることができるものは少ないかもしれないが、チン人はそれ以上に重要で、やはり「公正」に関わりのある貢献を将来の民主化されたビルマ連邦のために果たそうと営々と働いている。そのひとつが、将来のビルマ連邦におけるチン州憲法の準備活動である。

貧しい土地で生きるチンの人々は人を大事にする。教育を大事にする。それこそがチン州の「資源」だ。今や世界中に難民として向学心溢れるチン人が散らばり、それぞれの場所で知識や知恵を吸収しながら、チン民族とビルマの解放のために日々活動している。タンさんも理事を務めるチン・フォーラム(チン民族の国際NGO)が2008年に出版した『チンランド憲法草稿第5版(The Fifth Initial Draft of Chinland Constitution)』は、これらのチン民族の努力が集積された実例である。

この州憲法草案こそ、チンの人々が求めてやまない公正とは、いかなるものであるかについての最良の表現なのだが、その意義はチン州(もしくはチンランド)に住む人々のみに限られるものではない。まず、この州憲法草案は、ビルマ連邦で自分たちチン人がどのように生きたいかを、明確・具体的に語っているという点で、非ビルマ民族のさらなる抑圧と消滅をもたらすといわれている2008年の軍事政権の憲法に対する強力な反論となっている。さらに、五度も練り直されたこの草案は、他の非ビルマ民族の州憲法に比べてもっとも考え抜かれたものであり、将来のビルマ連邦の諸憲法(連邦憲法と各州憲法)を考える上で、現時点では最良の基準のひとつとなっている。

2010/03/18

チン民族の公正なる特産品(5)

チン民族記念日のメッセージとして、会長のタンさんのことばかり書くのは、おかしいかもしれない。だが、タンさんがぼくにアドバイスしてくれたあの夜にぼくが彼の言葉から受け取った公正という印象こそ、彼が率いるCNC-Japanのみならず、チン民族全体にふさわしいものはないのだ。

チン民族の人が繰り返し言うのは、チン民族の故郷であるチン州には「なにもない」ということだ。もちろんチンの人々にとってはかけがえのない土地であるからまったく「なにもない」わけではないだろうが、ヤンゴンやマンダレーといった華やかな都、肥沃なデルタ地帯、資源豊かなカチン州などに比べればそういわざるをえないのだ。あるカチン人がチン州に関するチン人の言葉を要約してこんなふうに通訳してくれた。「崖しかない」と。

そんな乏しい土地に暮らすチン人だからこそ、公正という言葉は特別な意味を持つ。他の州と同じように、チン州に大学を作ってほしい、特別な資源がなくても他の州と同じようにちゃんとした道路を造ってほしい、チン人がビルマ民族ではなく仏教徒でもないという理由で差別しないでほしい、ビルマ中央部の一部の人々が享受しているような、人間的なまともな生活を保障してほしい……。チン民族の政治目標は、自分たちをビルマ連邦の一員として公正に扱ってほしい、それにつきるようにも思う。チン人は公正に飢えている。

2010/03/17

チン民族の公正なる特産品(4)

「どれかひとつの民族ではなくて、すべての民族が一緒に発展していかなくてはダメだ」

こういう彼に、ぼくは「それはそうかもしれないけれど、ほかの民族のことはよく知らないしなあ、どうしたらいいかもわかんないよ」と見事なアホ面で切り返した。タンさんはこれに的確な助言を与えた。

「あなたにとってカレンというのは入り口だ。そこから、カチン、チン、アラカンなどのほかの民族へ広げていくのが大事なんだ」

格好いい言葉や甘い言葉は、歪んだ心の持ち主でも話すことができる。だが、公正な言葉はそうではない。公正とは何か、公正であるとはどういうことかを、日常的に考える習慣のある人でなければ、そうした言葉はでてこない。タンさんに関する噂は間違いか、何かの誤解に基づくものだろう、ぼくはそう判断した。そして、その判断は誤りではなかったと思う。

のちにぼくは、他人のために私心なく働いている人ほど悪い噂を立てられたり、疑われたりするというビルマ社会の奇妙な性質を間近に見ることとなる(ただし困ったことに逆は真ならず。悪くいわれる人の中には本当にそれに値する人もいるのだ)。

2010/03/16

チン民族の公正なる特産品(3)

2004年のある月例会議の後、タンさんがぼくをお茶に誘った。話があるというのだ。高田馬場の駅前のマクドナルドの二階に座ると、タンさんはこんなことを言った。

「あなたは今カレン人のことばかりやっているが、それだけでは不十分だ。これからはほかの民族のことも考えて活動したほうがいい」

実をいうと、その頃ぼくはタンさんについて悪い噂を聞かされていた。このチンのオヤジは自己中心的で、自分の民族のことしか考えていないというのだ。
だから、タンさんがそう語ったとき、ぼくはこの言葉が別様に解釈できることに気がつかずにはいられなかった。タンさんはこんなふうに考えていたかもしれないのだ。「このアホ面の日本人、ちょいと利用できそうだぞ。こいつをカレン人から奪って、チン人のためにこき使ってやろう……」

ぼくは、テーブルの向こうで語り続けるタンさんの表情や口調に注意を払い、ぼくのことをアホ面とあなどっていないか吟味した。やがて、ぼくはタンさんが自分の民族を特別扱いせずに、他の民族のことも同じように考慮して語っているということに気がついた。彼はできるだけ公正であろうとしているのだった。

2010/03/13

チン民族の公正なる特産品(2)

当時タンさんは、少なくとも2つの領域で活動をしていたようだ。ひとつは在日ビルマ人の労働組合であり、もうひとつは少数民族の協力団体だった。最初のものはつぶれたが、後者は、その翌年の2004年に正式に結成され、今に至るまで続いている。在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan)である。

ぼくはこのAUN-Japanにその準備段階から会合に顔を出し、やがて、選挙委員(2005年、2006年)や会計委員(2006年)を務めさせてもらうなど深い関わりを持つようになった。2004年から数年の間、ぼくは言葉もわからないのに、毎月のように会議に顔を出していた。

AUN-Japanにぼくを導いてくれたのは、昔から付き合いのあったあるカレン人だった。1996年から日本に暮らすカレン人と親交のあったぼくは、タイ国境の難民キャンプに行ったり、カレン人の会議に参加したりなど、少しずつカレン人のことを学んでいた。また、2004年の初夏から在日カレン人とともにカレン情報スペース(KIS)という情報交換会を月一度開催するようになっていた。

2010/03/12

チン民族の公正なる特産品(1)

ここに数回に渡って掲載する文は、2月21日のチン民族記念日のために
在日チン民族協会から頼まれて書いたもの(に若干の手を加えたも)です。


在日チン民族協会(CNC-Japan)の会長、タン・ナンリヤンタンさん(タンさん)にはじめて出会ったのは、2003年12月12日のことで、ぼくはあるカレン人に連れられて、四谷で行われたデモを見物に行ったのだった。確かキンニュンが来日していて、今に比べればはるかに少ない規模の在日ビルマ人が集まって、抗議の声を上げていた。

それまでにぼくはチン人に会ったことがなかったわけではなかったが、政治活動をするチン人に出会ったのははじめてだった。もっとも、そのときのぼくはチン民族のことも、政治活動のこともなんにも知らなかったのだが。

今、そうした事柄についてぼくが多少なりとも知っているとすれば、それは多分にタンさんのおかげでもある。非ビルマ民族の政治活動の現状と将来について、彼ほど明確なビジョンをもっている人はそうはいない。

さて、タンさんはどこの馬の骨かもわからない初対面のぼくに丁寧に挨拶をしてくれ、一緒に写真を撮ろうといった。それで、四谷駅前でタンさんとそのカレン人と3人で写真に収まったわけだが、後になってこれもタンさんの政治活動のひとつであることを知った。非ビルマ民族を歴史の闇に埋もれさせないために、どこで、誰と、何をしたかを写真や文書で克明に記録を残さねばならない、というのだ。

2010/03/11

田舎に行こう

カチンの政治団体のリーダーが、メンバーを前に「これから日本で生きていくにあたり、東京だけでなく、日本の田舎に定住するということがあってもいい」と語ったら、カチンのメンバーたちはこんなことをいったそうだ。

「せっかく安全な都会にまで逃げてきたのに、どうして田舎に戻らなくてはならないんだ!」

カチン州やシャン州の田舎は基本的には戦場で、村人たちはつねにビルマ軍の兵士や、銃撃や、地雷に怯えて暮らしているのだ。

2010/03/04

新しい公共から新しい市民、そして新しいビルマへ(4)

「市民」という概念でもうひとつ重要なのは、それが同じ市民同士の連帯を可能にするということだ。ところがビルマにあるのは、家族、親戚、民族、軍、宗教的つながりだけである。家族、宗教、民族を越えた市民的連帯というものが存在しない。ゆえに、軍事政権を打ち倒すことのできる、本当の意味での全ビルマ的な反政府運動をいまなお作ることができない。

これはぼくの観察の結果であるが、一方的な批判であるとは思わない。同時に多くのビルマ難民が痛感し、何とか克服したいと願っていることでもあるのだ。

いずれにせよ、こうした意味において「利己的」である人々に「あなたは日本に暮らす以上、日本の市民であり、あなたにも日本社会(国家ではない)をよくするための責任がある」ということを理解してもらうのは一筋縄ではいかない仕事だ。

だが、それはどうしても必要なことだ。ひとつには日本をもっと開かれた住みやすい社会にするためには、これらの「外部」の人々、日本の閉鎖性に苦しめられてきた人々の力と発想が不可欠である(とぼくは考える)から。つまり、われわれ「日本の市民」にとっても市民という概念は今なお発展途上にあり、「大和民族=日本人」といった枠組みを越えた「日本の市民」を生み出すためには、多くの外国人の手を借りなければならないのだ。

また、基本的には他人を容易に信用しないビルマ難民たちを日本社会の中で孤立させないためにも、これらの人々が難民や労働力という立場ではなく「市民」として他の「市民」とつながりをもつのは重要な意味を持っている。

それに、故国の解放を願ってやまないビルマ難民たちにとって、これはまんざら無意味な仕事でもない。日本で「新しい市民」作り(これはまたとどのつまりは「新しい公共」作りでもあるわけだが)に積極的に参与する経験が、将来の民主化ビルマ連邦における「新しいビルマ市民」創出作業にまったく役立つことがないと、誰がいえようか。