2010/07/30

熊猫

日本在住の子どもたちに会いにきたカチン人の老人が、動物園のパンダを見て、この動物なら昔カチン州で見たことがある、といったそうだ。

もとよりカチン州は中国と接しているから、あるいはそんなこともあるのかもしれないが、たとえ本当だとしても、金、宝石の乱掘、材木の伐採により、深刻な環境破壊が進行している今のカチン州にパンダの住む場所はあるまい。

弁護

在日ビルマ難民の民主化活動につきあっていると、必ずしも民主的とはいえない行為、考え、運動方法に出くわすことがある。

そういうおかしなことには黙っているのが、品のあるオトナの日本人のやり方だが、ぼくはどちらかというと品がないので、面と向かって批判してしまう。

その結果、批判された人から、スパイだといいふらされたり、民族の敵としてひどく憎まれることとなる。

権威に対する批判を許さない社会に育った人間のすることだから、まあしょうがない。それに、バカほど人の上に立ちたがるのは、日本もビルマも変わらない(いや、彼らとてすきこのんで人の上に立ちたいわけではない。ただ自然の摂理として、軽いものは自然と上方に押し上げられていくのである)。

ある在日カレン人のリーダー(より正確にはミスリーダー)が、ぼくのことをひどく中傷していたとき、ある別のカレン人がこう言ってぼくを弁護してくれたという。

「あの人は汚い服を着ているが、信頼できる人だ」

これを聞いて、ぼくは多少着るものに気を使うようになった。

NHKカレン語放送

NHKがカレン語のできる人(カレン人)を募集しているとのこと。

9月の難民受け入れ(ほとんどがカレン人らしい)に合わせて、カレン語放送をはじめる予定なのかもしれない。

NHKがすでに行っているビルマ語放送はこちら

2010/07/19

パスポート

ビルマから日本に逃げてきたある難民、空港に到着した飛行機の中でパスポートを破り捨てた。

そうすることで、空港から本国へ強制送還されることを阻止しようとしたのである。

2010/07/16

肌の色

ビルマの人の肌の色はさまざまだ。必ずしも民族の違いというわけではなく、同じ民族でも浅黒い人もいれば白い人もいる。肌の色が直接差別意識に必ずしも結びついているわけではないと思うが、それでも中には白い肌に憧れる女性もいるようだ。

日本で約10年働いた後、夫の暮らすマレーシアに移住したある年配のカレン人の女性がこんなふうにいって嘆いていたのだという。

「せっかく日本にいる間に白くなったのに、またもとに戻っちゃった!」

2010/07/14

恩人

「あなた、ここで何の仕事がある? 生活の心配をしなくていいのだから、毎日30分でも1時間でも、将来のために日本語を勉強しなさい!」

あるビルマ人難民が、入管でブラジル人の収容者に叱咤激励されたおかげで、1年以上の収容の間に日本語がかなり話せるようになった。

その難民がいうには、まさに恩人ともいうべきこのブラジル人は、「泥棒」して刑務所に入った後、入管に収容されていた人だったこと。

難民申請者と不法滞在者、そして犯罪などにより強制送還の対象となっている人が同じ場所に収容されるという、日本の難民政策の問題点ゆえに生じた話のひとつ。

2010/07/12

不老不死

高齢化社会の労働力、医療、介護などの担い手とし、日本の経済力を維持するために、外国人を受け入れる議論が盛んだ。

だが、聞いていると、まるで年を取ったり死んだりするのは日本人だけで、日本にやってきた外国人は永遠に年もとらずに若々しく働き、和風のじじいとばばあのために尽くしてくれるかのような具合だ。

年をとったら、日本の外に追い出して、若者を連れてこようとでも考えているのだろうが、そんな魂胆では、いずれ誰も日本に来なくなるにちがいない。

国を若返らせる養老の滝を探しに出かけたら、辿り着いた先が姥棄て山、などということのないようにと、老婆心ながら忠告しておく次第なり。

2010/07/09

帰っちゃダメ

あるビルマ難民が数年の不法滞在の後に1999年にビルマに帰国した。

彼は政治活動ゆえに逃げてきた難民だが、そろそろほとぼりも冷めた頃だろうと考えたのだった。ところが、ビルマに帰ると相変わらず危険で、ついに一度逮捕されてしまった。そんなわけで釈放後、再びビルマを出て、日本に逃げてきた。

日本について驚いたのは、入国管理局の対応の厳しさ。1999年に彼が十条にあった入管に行った時とはまったく対応が違ったのだ。

出頭申告にやってきた彼に対して、当時の職員はこんなふうにいったのだという。

「どうして帰るの? 仕事の問題? 彼女の問題?」

「故郷の父が病気なのです」

「お父さんが病気! じゃあ、しょうがないねえ。でも、今すぐ帰ることはないんじゃない。1ヶ月ぐらいよ〜く考えてから、本当に帰りたければ、帰りなさい!」

2010/07/07

豚ども

品川入管の1階の面会受付にこんな張り紙がある。

面会のため来庁された方へ

今般、世界各国で豚インフルエンザの人への感染が発生し、厚生労働省において、新型インフルエンザの発生が正式に公表されました。今後、入国管理局としては新型インフルエンザの感染防止を図るために新型インフルエンザの流行状況により下記の通り対応しますのでご理解の上でご協力をお願いします。(中略)平成21年5月

その隣に、英語訳、中国語訳も張り出されているのだが、今年の3月、ぼんやり眺めていたらおかしなことに気がついた。

それは、中国語訳のほうの張り紙で、次のように書かれている。

到来局面会的各位
目前在世界各国発生了人感染猪流感、并且厚生労働省正式発表了新型流感已発生(以下略)

これが、日本語の最初の一文に対応することは何となくわかる。ぼくの気を引いたのは、この文の一部「人感染猪流感」に赤ペンで「人」と「猪」に×が記され、その上にそれぞれ「猪」と「人」と記されていた点だ。

つまり、修正者はこうせよと主張しているのだった。

目前在世界各国発生了感染流感、并且厚生労働省正式発表了新型流感已発生

いったいどちらが正しいのか。漢文程度の知識では前者が正しいように思える。7階の面会待合室に貼ってあったほうでは修正はなされていなかった。だが、それだけでは結論は出せない。

入管の職員による公式の修正なのか。それとも、中国語に詳しい者が親切心で行った修正なのか。いや、そうではなく、中国語に通じた者のいたずらなのか。あるいは、本当に「人インフルエンザが豚に感染」していて、豚が人類に警告を発しているのか・・・。

2010/07/05

異民族防止装置

東日本入国管理センターは茨城県牛久にある。西日本入国管理センターは、大阪府茨木。

2つとも「いばらき」というのは、いろいろと連想させられる。

「いばら」というのは、もちろん棘の多い植物のこと。「き」については2つの考えがある。ひとつは「木」とするもの。もうひとつは多賀城や磐舟柵の「き」。古代の防備施設である城柵だ。

古代の城柵は蝦夷や熊襲などの異民族から大和民族を守るために設けられたのだという。

現代の入国管理局も、やはり異民族からの防波堤として機能しているのが面白い。

むろんのこと、古代の「き」として登録されているもののうち、「いばらき」なるものはないし、また、大阪の場合、あんな朝廷の近くに城柵などあろうはずもないから「茨木」の「き」は、漢字の通り「木」なのかもしれない。

しかし、人間というものは、無意識の世界ではたいてい駄洒落で動いている。

これらの入国管理センターがどうしてその場所に建設されたか、その理由についてはいろいろもっともらしいこともいえるのであろう。「空港に近い、つまり空港に収容者をむりやり運びやすい」というのもある。もっとも、それはどうも疑わしいが。

むしろ、大和民族が異民族をどのように処遇してきたかというその無意識の積み重ねが、「いばらき」という美しい大和言葉に結節し、現代に甦ったのではないかという気もしないではない。

もうひとつの収容センターである長崎の大村入国管理センターに行けば誰もが「これは現代の出島だな」と思わずにはいられない。これは少なくとも理があることである(つまり、大村の入管を見てカステラを連想するのに比べれば)。

その程度の理において、現代の2つの入国管理センターに、古代の異民族防止装置の反響を聞き取るのはそうおかしなことではあるまい。

それに、現状において入国管理センターは収容者にとってまさに「イバラの城塞」なのだ。

2010/07/02

ネピドーのNGO(3)

山の中にある村から強制移住された村人たちの間では、別の問題が発生しています。

以前は煮炊きに使う薪は、山の中で自由に集めることができたのに、移住先では薪がないので、買うしかないのです。

以上が、ネピドーのあるNGO職員から聞いた話である。軍事政権による一方的な強制移住によって、村人たちの生活が破壊されている様子がうかがえる。

さて、このNGOの資金源について聞いてみたら、外国からの支援には頼ってはいないとのことだった。そんなわけで、運営は大変なようだ。

そこで、もし日本人の中でこういう活動を支援したいという人がいて、寄付をしたい場合どうしたらよいか、と尋ねたら、銀行を通さずに直接団体に手渡すのが一番確実という返事だった。

安全上の理由から、このNGOの名前は公表できないが、このNGOの活動について詳しく知りたい、あるいは直接連絡を取ってみたい、という方は、ご連絡いただければ、お教えします。