2015/02/18

Chye Na Sai

1月4日に東京で開催されたカチン州記念日式典の前日、カチン人のアウンリーさんから日本語について聞きたいことがあるからと連絡があった。

式典で上映する映画のタイトル「Chye Na Sai」を日本語でどう訳したらよいかという。


この映画は、在日カチン人が製作したもので、自分の民族のことなど忘れて日本で堕落した生活を送るカチン人が民族としての自覚に目覚める話だという。クリスチャンだけあって新約聖書の放蕩息子の物語をも彷彿とさせる。


「Chye Na Sai」はカチン語で「わかった」というような意味で、要するに自分の民族を守るという使命が「わかった」ということだ。アウンリーさんはとても日本語ができる方で、もっとよい日本語の表現はないか、と尋ねてきたのだった。


わたしがいくつか提案したものから「ついに分かった」という邦題になった。


さて、この短編映画は式典の目玉だったが、残念なことに機材の問題でうまく上映できなかったし、音も良く聞き取れなかった。結局、時間の関係もあって上映は途中で打ち切られ、司会のアウンリーさんが「続きはYoutubeでご覧ください」と締めくくった。


映画の監督をしたのはアウンラさんというカチンの男性で、催し物などがあるとビデオでよく撮影している。彼はまた出演もしていて、その他の出演者もみな在日カチン人だ(ただし、そのうち一人はオーストラリアに引っ越してしまった)。


物語を紹介しよう。

タイトルが映し出される。


酒場で女性をはべらせ、堕落した遊びに耽るあるカチンの男。
カチン民族機構(日本)議長のザウラさんが演じている。


女性たちに見送られて店を出ようとすると、偶然、カチン民族の活動家に出会う。
青いシャツの活動家が監督のアウンラさんだ。
カチン民族として男を導こうとする。


アウンラさん扮するカチンの活動家、今度は原宿で別の堕落した男に出会い、
彼を民族運動へと誘う。


しばらくカチンの活動家が歩くシーンが続く。


歩く。


スローモーションになったり、早回しになったりして歩く。


まだ歩いてる。


さて、活動家の家に堕落した男がやってくる。
自分の民族のことに興味を持ったのだ。


カチン民族の状況について、神への信仰について熱く語る活動家。
つけっぱなしのテレビに青木功が映り、気が散るシーンだ。


改心した男がカチン民族機構の集会にやって来て、
おずおずと会場に足を踏み入れる。
「本当は議長なのに!」と思うと可笑しい。


真剣な会議が進む。


幹部が演説をはじめる。


新しいメンバーとして入会!
(本当は議長なのに!)


後悔と喜びの涙……。


カチン民族、みんなで力を合わせよう。


わたしたちは勝利する!

おしまい。

Youtubeのリンクはこちら。



なお、監督の歩くシーンに関心を持った方は、彼の別の作品も見ることを強くお勧めする。

カチン州記念日

1月4日の夜には、池袋の豊島公会堂で、第67回カチン州記念日式典が開催された。主催はカチン民族機構(日本)、KNO-Japanだ。

いつものごとく2部構成で、式典の後に、歌や踊りのパフォーマンスが続いたが、わたしは後半は見ないで帰った。

式典の目玉のひとつとして在日カチン人が制作した短編映画「Chye Na Sai、ついに分かった」も上映されたが、それについてはまた後に記そう。

以下に写真を何枚か。

11月19日の砲撃で亡くなったKIAの兵士たち

受付

カチンの旗に敬礼

出席者

KNO-Japanのジャワンさん

カチンの各民族の衣装

受付

副会長のナンユンさん

ジョン・ミュアウンさんが声明を読み上げる

スライド上映

短編映画上映

バンド演奏

「Let It Go」を英語で披露するカチンの女の子

入管しぐさ

「江戸しぐさ」という、古き良き日本人の姿を伝える思いやり作法はすでにご存知の方も多いと思います。ですが、もうひとつの伝統的な所作伝承、「入管しぐさ」については知らない方も多いのではないでしょうか。

入管しぐさがこれまでほとんど知られていなかったのにはわけがあります。江戸しぐさの場合は、これを語り伝えてきた江戸商人たちが明治の御一新の際に大量虐殺されたためですが、入管しぐさは、入国管理局の職員の間だけで密かに伝えられてきた行動哲学であり、外部にそれが漏れ伝わることはほとんどありませんでした。もちろん、ごくまれにそのしぐさを目にすることができる者もいます。ですが、そうした目撃者はみんな外国人であり、ただちに強制送還されてしまうのです。このようにして入管しぐさの秘密は守られてきました。

このたび、私は長年の研究の結果、この入管しぐさについてその一端を明らかにすることができました。ぜひご覧ください。

*帰れ返し
外国人が何と言おうと「帰れ、帰れ、帰れ!」

*いやみ受付
相手をげんなりさせればしめたものです。

*命泥棒
一年ぐらい収容しとけば、そのうち音を上げて帰るんじゃない?

*眠らせ薦め
被収容者の精神状態の悪化にはなんといっても睡眠薬。

*押さえ込み殺し
なかなか帰国しない被収容者は集団で押しつぶして窒息させましょうよ。

*うかつあやまらず
人が死んでも過失を認めないのが入管行政の鉄則なり。

*首かしげ
あなたの日本語分かりません。

*おあいにく通知
「不許可」と記されています。

*でたらめことば
申請書は青のペンじゃなくて黒のペンで記入してくださいね!

*チャーター飛ばし
貨物室に放り込まれて強制送還されないだけありがたく思え!

安心で、心豊かな社会を作る入管しぐさ、いかがでしたか?

みなさんもぜひこの入管しぐさを日々の暮らしに生かして、誇らしい日本を取り戻していただければと思います。


現代に生きる入管しぐさ

*「江戸しぐさ」自体、「馬鹿だまし」という江戸しぐさであることを、念のために付け加えておく。

2015/02/17

ライブ・イン・カレン・ニュー・イヤー

2014年12月21日のカレン・ニュー・イヤーではいろいろな人が歌を披露したが、そのバンド演奏を担当したのは、在日カレン人の若い人たちからなるグループ、KMT(カレン・ミュージック・チーム)で、忙しい中、毎週日曜日にスタジオに集まって練習していた。

11月ごろにカレンの人からわたしのところに連絡が来た。ぜひ1曲歌ってください、という。

わたしは『Passage of Life』という難民が主人公の映画で俳優デビューしたばかりだ(ただしセリフは「タン塩定食ください」のみ)。

俳優兼ミュージシャンというのも時代の要請だろう。

そんなわけで歌うことにした。

もっとも、カレン・ニュー・イヤーで歌うのははじめてではない。何年も前のことだが、カレン語で歌ったこともある。ドラムも叩いた。

しかし、今回はあまり時間もない。結局、人類が生み出した最高のバンド、The Kinksの"You Really Got Me"を歌うことにした。

一回、スタジオに行ってKMTのメンバーと練習した。ばっちりだ。あとは歌詞さえしっかり覚えれば……

で、本番で歌詞を忘れた。自分がどこを歌っているのか分からなくなった。

心の傷が癒えるまで2ヶ月かかった。






カレン・ニュー・イヤー

2014年12月21日にカレン・ニュー・イヤーが東京の池袋で開催された。

これはカレン人が新年を祝う伝統行事で、日本でも毎年行われている。日本だと食べて飲んで歌って踊ってという感じだが、カレン人の土地では力試しや駆けくらべなどの催し物も行われるらしい。また、こうした祝祭は野外でするものだが、日本では寒いし、そもそも都内ではなかなか難しい。

今回の新年祭も内容はあまり変わらないが、踊りとバンドのレベルは向上していた。カレン人の伝統的習慣、暮らしぶりや結婚の様子を再現するという新しい趣向の出し物も面白かった。

わたしは小学生1年生の娘と一緒に参加した。はじめは娘もあまり乗り気ではなかったが、そのうちに同じ年ごろのカレンの子どもたちと遊びはじめた。

たくさんの料理が並べられていて、娘と二人で食べた。慣れない食べ物だからいやがるかな、と思ったら、おかわりする始末だ。

今はどうだか知らないが、タイ・ビルマ国境で活動するカレン人はよく短いドキュメンタリー映画を作って、ビルマ軍がカレン人の村人たちにどのようなひどいことをしているか、記録したものだった。

ビルマ軍が村にやってくると、家畜を奪ったり、村を焼いたり、女性を強かんしたりするので、村人たちは軍が近づいてくると森の中に逃げる。

みんなが逃げられればいいが、老人や子どもは逃げ遅れて兵士に捕まることもある。

わたしが見たショートフィルムでは、二人の若い夫婦が泣きながら、そのようにして軍に連行された自分の子どもについて訴えていた。

「わたしたちは自分の子どもがそれ以来どこに行ったのか分からないのです」

父親は、いかにも不器用な感じで、両手の掌で涙を拭い続けながら言う。

「わたしたちはいつだって一番良い食べものを子どもにあげてきたのに……」

子どもたちは祭りそっちのけで駆け回って遊んでいて、うちの娘などは楽しくなり過ぎて帰ろうといってもいっかな聞かないのだった。

開会式の様子

拷問者の影

品川の入管に収容されている人は、いつか茨城県牛久の東日本入国管理センターに移される。

収容されている人にとっては、これはあまりうれしくないことだ。というのも、牛久まではるばる面会に来てくれる人はとても少ないから。

また、牛久に移されるということは、当然、収容期間が延びるということだ。どんな人でも牛久に来てから出るまで最低でも半年はかかるようだ。たいていはもっと長い。

そんなわけで、仮放免で出るなら、なんとしても品川にいる間に出たい、とみんなが思うことになる。

これはわたしにしても同様で、どうせ仮放免の申請をするなら、品川で済ませてしまいたい。薄暮の中、人の気配のない牛久の住宅地を一人歩く心細さといったらない。まるで墓場だ。

そんなわけでわたしは友人たちが牛久に送られないようにせっせと仮放免申請に精を出す。品川で仮放免申請をしている間はどうやら牛久に移動させられることはないようなのだ。

この仮放免申請は滅多なことでは通らない。たいてい不許可だ。で、その通知が送られてきたら、すぐに書類を準備してまた申請する。

というのも、そのスキに牛久に送られちゃかなわないからだ。

入管収容所の移動というのは被収容者にとってあらかじめ告知があるようなものではなく、だいたいその日に知らされる。

だから、のんびりなんかしちゃいられない。入管を出し抜くのだ。「ああ、先を越された!」と入管を悔しがらせるのだ。俺の超素早い対応で入管の移送プランを超めっちゃくちゃにするのだ。連中は舌を巻く。なんというスピード! 恐るべき反射神経! もう噂で持ち切りだ、品川に仮放免のスピード・レーサーあらわる、と。

わたしは容赦しないぞ。執拗にコーナーを攻める! ぐいぐい入管を追いつめる! 連中が音を上げて、ついに仮放免許可という名のチェッカーフラッグを振り回すまで。おお、サーキットを制した優勝者が今、賞金30万円を仮放免保証金として銀行に納めにゆく……。

と、こういう確かな計画のもと、わたしは日々収容問題に対処しているわけだが、最近、こんな疑念が頭をもたげてきた。

品川の被収容者が必ず牛久に移されることが決まっているのなら、そして、牛久に移ってから半年程度で出ることが決まっているのなら、品川で仮放免申請を続けてそこでの収容を延ばすことは、全体として収容期間を延ばしているだけなのではないか。

つまり、品川で仮放免申請などせず、とっとと牛久に送られたほうが、早く出られるのではないか?

おお、収容されている人を苦しめているのは、もしかしたらこのわたしかもしれぬ。


***

All love that which they destroy. 
人はみな己の滅ぼすものを愛す。

Gene Wolfe, "The Shadow of The Torturer" ジーン・ウルフ『拷問者の影』

牛久入管の青空は何も語ってくれぬ

2015/02/06

根性焼き

今日は大雪だというので、雪の入管が見れるかも、という無駄にロマンチックな気持ちを抱きつつ品川に行ったが、結局雨交じりではなはだ残念だった。

収容中の3人のビルマ難民に面会し、仮放免許可申請書にサインをもらい、申請をした。

時間がないので、面会時間はおのおの5分ぐらいで切り上げたが、それでも結構時間がかかった。

話すことといえば、健康状態ぐらいで、一人は特に問題ないが歯痛があり、もう一人は少々不眠気味だとのこと。で、最後に来た一人、わたしはその手を見て驚いた。

左手の甲に、画鋲ぐらいの丸い傷跡がいくつもついているのだ。

わたしが尋ねると彼はタバコの火を押し付けたと言った。

彼は妻子持ちで、ついこの間2番目の子どもが産まれたばかりだが、すでに収容されていた彼にはもちろん何もできない。また、面会に来た妻とも口論になったこともあったそうで、そうしたストレスが積み重なって、根性焼きに及んだのだという。

鯛焼きや磯部焼きなら構わないが、これはいけない。

自分を傷つけるというのは、いわば自分の今の生に対する攻撃なり。

ゆえに根性焼きは「今生焼き」と見つけたりッ。

ちょっと小池一夫のマンガの感じを出してみたが、それはともかくわたしにはせいぜい「二人の子どもが待っているのは、そういうお父さんではないンだから、やめなさい」と言うほかなかった。

中にいればいろいろ苦しまざるをえない。ついつい幼稚な振る舞いに出ることがあっても責めることはできないが、それだけでは済まないこともある。

日本語を読むのに不自由ないのなら、気分転換に小池一夫のマンガでも差し入れるのだが……。

誰が難民申請を濫用しているのか

2月4日の読売新聞で、「難民申請、偽装を指南…ネパール人を摘発」という記事が掲載され、「難民認定制度の悪用」が取り上げられた。

これに対し、難民支援協会(JAR)は、この報道について今日、Facebook上などで見解を発表し、このように一方的に「濫用」を報じる記事が「保護されるべき人が保護されないという事態」を招くのではないかと懸念を表明している。

この懸念については、多くの人々が賛同を示しているようで、良いことだと思う。

とはいえ、JARの主張は、日本における難民の立場を保護するためには重要なことだが、その一方、「濫用」し「偽装」しているとされる人々については、特に詳しく触れてはいない。

JARは難民を対象とする団体だからそれは当然だが、これらの人々を簡単に「濫用者」として切り捨てる気にはわたしはなれない。

というのも、現在の難民認定制度を、誰が「濫用」し、誰が「偽装」しているかについては、わたしはまったく別の見解を持っているからだ。

わたしが実際に出会ったなかでは、難民申請を「濫用」しているとされる人には、(婚姻などの問題で)日本にいなくてはならない切実な理由を持っているか、外国人研修制度の不備やミスマッチ、失望が原因で研修先を逃げてきた研修生が多い。

これらの人々は、日本に滞在するための手段が他にないから、あるいは、外国人研修制度で生じた問題を研修生のニーズに合わせて解決してくれる仕組みがないから、強制送還を避け、生きていくために就労しようとして、仕方なく難民認定申請を「偽装」するのだ。

日本に来る外国人の数は増加しているのだから、さまざまな事情から日本にいたい、いなくてはならないと考える人が増えるのは当然だ。そして、こうした実情に合わせた滞在の選択肢を日本政府がうまく整備してこなかったために、「濫用」が起こっているというのが、真相だと思う(在留特別許可のガイドラインというものがあり、選択肢のひとつであるが、滞在希望者のほとんどがその条件に当てはまらない)。

さらにもう一つ、この「濫用」が生じた原因がある。それは日本の難民認定制度の不備によるものだ。

難民認定申請に関わった者ならば、日本の難民認定数が極端に少なく、そして、不認定の後に「人道的配慮により」在留特別許可をもらう人が圧倒的に多いということは、だれでも知っている。

たとえば、2013年の難民認定者数は6人だが、人道的配慮による庇護数は151人だ。法務省はこの二つを合わせて庇護数157人と報告している。

ところが、この「人道的配慮」というのが実際はくせ者で、「あなたは難民としては認めれられなかったが、政府の人道的配慮により在留を認めますよ」という意味だが、この中には実際のところ、国際的な基準では難民と認定されるべき人がたくさん含まれているのである。

そして、その一方、難民性が弱いにも関わらず人道的配慮で許可が出たというケースも少なくない。

その基準は実際には不明で推測するほかないが、おそらくこの「人道的配慮による在留許可」は、政府が難民性とは違った原理(おそらく日本社会への馴染み具合や貢献度)で一定の人を受け入れることで、全体の庇護数を増やしつつ、同時に難民認定数を抑えていく、という政治的な調整弁の役目を担っていると考えられる。

すなわち、「人道的配慮による滞在許可」とは、難民認定制度、難民条約の本来の趣旨とはかけ離れた意図による仕組みなのであり、いわば、日本政府が難民認定制度を「濫用」し、本来は無関係な「人道的配慮による在留許可」を庇護数に加えることで全体の庇護数を大きく見せるという「偽装」をしているということなのだ。

 一方、難民性がないにも関わらず難民認定申請をしている人々は、実際、自分が難民認定されるとは夢にも考えていない。これらの人々が期待しているのはこの「人道的配慮による在留許可」なのであり、要するに、日本の難民認定制度のあいまいで、不透明な部分、難民条約とはまったく関係のない部分が、これらの人々を引きつけているのだ。

つまり、「濫用」と「偽装」を生み出しているのは、合理性と透明性に欠ける難民認定制度なのであり、その責任を負うべきは、個々の外国人などではなくむしろ日本政府なのだ。

「偽装指南」している人についてはさておくとしても、その指南を受け「偽装」したとされている人々は、必ずしも悪人でもない。むしろ、個人的な理由からどうしても日本にいなくてはならないにもかかわらず、他に手段がないために、難民申請制度にしがみつかざるをえない人たちだ。

そして、日本で暮らす難民の厳しい生活を理解している人たちならば、これらの「偽装者」たちのやむを得ぬ立場も理解しているはずだと思う。

品川入管

2015/02/05

ヘイトスピーチ

新宿の大久保病院にあるビルマ人が入院していて、それに関係する用事で病院に行った。

歌舞伎町にあるその病院を出るとすぐ職安通りで、これを渡るともう新大久保だ。

そして、新大久保といえばヘイトスピーチの本場といってもいい。

さっそく、職安通り沿いの大きなスーパーに入る。

ずらりと並んだヘイトスピーチに圧倒される。軽快なヘイトスピーチが流れる店内をさっそく探検だ。

大小さまざまのヘイトスピーチ、タコやイカのヘイトスピーチ、エゴマの葉やトウガラシ、ニンニクのヘイトスピーチ。調味料、トッポギ、豚肉、ありとあらゆるヘイトスピーチだ。

冷蔵ショーケースを見れば、よく見る紙パックのヘイトスピーチから、生ヘイトスピーチ、黒豆ヘイトスピーチ、ナツメのヘイトスピーチ、その他見たことのないヘイトスピーチまである。

これらの実に美味そうなヘイトスピーチを目の当たりにして、もうわたしの口の中はヘイトスピーチでいっぱいだ。いやそれどころか、お昼を待ちかねた胃袋までグウグウとヘイトスピーチを鳴らしている。

わたしは高田馬場で昼食を取るつもりだったのだが、もう我慢できずに、近くの韓国料理屋に駆け込み、素晴らしいヘイトスピーチを堪能したのだった。

キムチとタコのお粥を食べました。

病院と戦場

あるビルマ人が新宿の大久保病院に入院していて、その身内が病院側と相談したいことがあるので、一緒に来て欲しいといってきた。

詳しく聞いてみると、地域連携室のソーシャル・ワーカーと話すのに同席して欲しいということらしい。日本語が分からなくて不安だというのだ。

断る理由もないので、指定された時間に病院に行き、待っているとその身内が来た。少し時間があったので事情を聞いているとその人はこんなことを言った。

「ソーシャル・ワーカーの人は他の人に来て欲しくないようだったが、わたしは心配なので来てもらったのです」

人にもよるが、医者やソーシャル・ワーカー、あるいは支援者は自分が担当している人が他の支援者らしき人物を連れてくるのをいやがる。

わたしもそうしたところに首を突っ込みたくはないのだが、ビルマの人はいろいろな不安からわたしの首をそこにねじ込もうとしたがる。

長い間、強権的な社会に生きてきたので、多くの人が自分の力で物事をなす自信を失っているのだ。

それはいいのだが、問題は医者や支援者だ。これらの人々はビルマ社会というものを知らないので、わたしが来るという事態について単純にこう受け取る。

「自分は適切に仕事しているつもりだが、そこにこいつがわざわざ首を突っ込むということは、何か文句を言うつもりで来たに違いない」

つまりわたしを自分のテリトリーに侵入してきたならず者として見るのである。

そこで悲しい攻撃が始まる。

おお、診察室が、相談室が、支援の現場が、たちまちにして血塗られた戦場と化すのだ。

ある人は恐るべき冷酷さでわたしを撃退しようとする。別の人は侮蔑することで防御に出る。また別の人は専門的な知識を強調することで、わたしが役立たずであり、したがって連れてきたのは間違いであったということを周囲にアピールする。

今回の相手はこの最後のパターンの人で、残念ながらわたしは結構やり込められた。

切ない気持ちは花で癒しましょう。
(ミャウンミャで撮影)