2010/06/15

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(2)

好意的に解釈すれば、参政権自体が奪われているビルマの人々にとって、たとえ擬似的、象徴的であっても、投票という行為自体が、政治的に意味を持つと考えることもできる。

とくに1990年の総選挙で投票したことのない若い世代にとっては、これは貴重な体験であろうし、この投票集会が、政治的自由についての感覚を養うきっかけになるかもしれない。

しかし、そうであるならばなおさら、その政治的自由という感覚を保障する投票システムについてももっと鋭敏であってよかったのはないかと思う。

今回の投票にさいしては、投票者はまず受付で名前、所属団体、電話番号を記し、次に投票用紙をもらい、会場の前面隅にあるホワイトボードの裏でチェックを記入し、その後前面に据えられた投票箱に入れるという仕組みになっていた。

これでは厳密にいうと、多重投票は防ぎえない。つまり、「有権者名簿」にあたるものがないため、投票者の照合(と排除)ができないのである。もちろん、民主化活動家を自認する人々の投票であるから、そのような不届き者はいるはずもないが、実際の投票ではそうした「経歴」や「良識」「善意」をアテにすることはできないし、そうしたものに依存せざるをえないようなシステムは、決して公正には機能しないだろう。

受付


 
記入所


 投票箱