2010/08/08

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (1)

2010年5月16日、在日ビルマ難民たすけあいの会(ビルマ難民と日本人で運営している難民支援団体。略称はBRSA)の役員選挙が「民主的に」行われ、副会長のぼくを含めた中央執行委員が選出された。

ここで「民主的に」と括弧付けしたのには意味がある。ビルマ人(ここでいう「ビルマ人」は必ずしもビルマ民族のみを意味するわけではない。ただし、現在約 460人いるBRSAの会員のほとんどはビルマ民族)の会員の目から見れば、それはかなりの程度「民主的」であったに違いないが、日本人(もちろん、大和民族に限らない)会員の目から見れば必ずしもそうとはいえなかったからだ。

とはいえ、選挙を担ったBRSAのビルマ人執行部や、それを受け入れたビルマ人会員が民主的ではなかったといって非難したいわけではない。ただ、今回の選挙を通じて、ぼくはビルマ人と日本人とでは「民主主義」という語に込める意味、「民主的であること」に関する解釈が異なることを感じて、非常に面白く思ったのだ。

さて、BRSAの選挙で何が起きたかを簡単に記そう。

今回の選挙に先立つ会合で、BRSAの日本人会長は次のように執行委員会でたびたび訴えていた。「BRSAの選挙も3度目なのだから、しっかり準備して、混乱も滞りもなく、すみやかに終わらせましょう!」

そのためには、何が必要か? もちろん、あらかじめ立候補者をリストアップしておかなくてはいけない。前回の総会での選挙のように、当日その場で立候補者が出るなんてもってのほかだ。そんなことがあったら総会は大混乱に陥ってしまう。それに、立候補者が前もってわかっていれば、不適格な候補者がいた場合、前もってふるい落としておくことができる。泡沫候補は選挙の手間を増やすばかりだからだ。しかも、そんなおかしな候補が何かの間違いで当選したらどうなる? そうなったら、今後の会の運営にも支障が生じてしまう!

会長の考えをぼくなりに要約すれば、次のようになる。中央執行委員会の責務は、総会と選挙を無事に終わらせて、次の役員に会を手渡すことにあるのだから、あらゆる不確定要素は除外しておかなくてはならない、と。

なんなら(と日本人会長は考えを進める)、中央執行委員会で次期役員を決めてしまって、総会ではただ会員から承認の拍手をもらうだけにしたらどうだろうか。そのほうが時間の節約にもなるし、無用の混乱も避けることができる。これはいい!

だが、そう思ったのは会長だけで、ほかのビルマ人役員たちはむしろ困惑顔だ。会長は会議に出席するもうひとりの日本人である副会長に加勢を求めようと目を向けるが、こいつときたら肝心な時にあらぬほうを見つめている。目を合わせまいとしているのだ! 

こんなふうに多少の後退を余儀なくされたことはあったものの、会長はそれ以外の点では決して譲歩をすることなく、選挙の準備を進めていったのだ。(続く)