2010/11/03

族か人か(2)

先に示したのはやや形式的な議論だが、もう少し実質的な根拠を主張することもできる。つまり、自分の国を持っている民族には「人」を、そうでない民族には「族」を当てはめるというものである。

これももっともらしい。だが、例外はいくつもある。例えば、バスク民族はフランス、スペインにまたがって居住する民族集団であるが、これをバスク族というのは聞いたことがない。バスク人のほうが定着している。

また同様に、フランスの少数民族のひとつ、ブルトン人をブルトン族とするのは耳慣れないし(歴史資料の翻訳にはあるかもしれないが)、アメリカ合衆国の日系人を日本族という人はいないだろう。在日韓国人、朝鮮人を、韓国族、北朝鮮族と呼ぶ人がいたらお目にかかってみたい。

もっとも日系人や在日コリアンを族で呼ばないのは、これらの人々が土着の民族ではなく、移民であるという事情も関わっているに違いない。

なんにせよ、「人」と「族」の境界線は、その民族が国を持っているかどうかであるわけではないようだ。

そもそも、国を持っている民族とそうでない民族を区別するこの考え自体が、近代的単一民族国家のイメージに由来するもので、この国家観がすでに現状に即していない以上、言葉のほうでも、いろいろと問題が生じてきている。