2015/01/07

BRSA緊急報告会「ビルマの活動家、ネーミョージンさんに自由を!」

《BRSA緊急報告会「ビルマの活動家、ネーミョージンさんに自由を!」》 
【趣旨】
現在のビルマ(ミャンマー)でもっとも活発に活動し、人々の支持を集めている若手政治活動家であり、2015年の総選挙で立候補を表明していたネーミョージン氏が12月30日、ヤンゴンで警察に逮捕されました。

中国の進めるレッパダウン銅山開発問題に絡んで警察に活動家が射殺された件で、中国大使館前で抗議デモを無許可で行ったことが理由だとされています。

この逮捕の背景には、自由な政治活動を恣意的に制限できる悪法の存在があり、ビルマの真の民主化の鍵となる「法の自由」確立の大きな障害となっていると、ネーミョージン氏ばかりでなく多くの政治活動家が指摘しています。

今回の報告会では、2013年よりしばしばネーミョージン氏と行動を共にしてきたBRSA会長熊切拓が、今回がネーミョージン氏にとって5度目となる逮捕の背景、法律の問題、そしてその経歴と活動の特徴について、2014年7月、ヤンゴンでビルマ殉難者の日式典に撮影した映像を交えつつ報告します。

日時:1月24日(土曜日) 午後6時~午後8時

内容:
①ネーミョージン氏の逮捕の背景とビルマ政治の今後(報告者:熊切拓、BRSA会長)
②意見交換

場所:BRSA事務局(御徒町)
 (東京都台東区上野3-12-5大同ビル2F Burma Concern内。JR山手線御徒町駅より徒歩3分。御徒町南口1(駅前広場側)を秋葉原方面に進み、3本めの通り(居酒屋南部百姓家の角)を入る。その先の郵便ポストがあるビル。 

連絡先:cyberbbn@gmail.com

【ネーミョージン氏略歴】
1975年6月10日生れ。1994年、軍士官学校に入学。卒業後、軍務に就くが、軍への反感を深め、2005年末、除隊。シンガポールに移り、働きながらインターネット・メディアを通じて、軍事政権の腐敗を告発する。2007年9月、「サフラン革命」に加わるため帰国、以後、地下政治活動を行う。

テインセイン政府成立の3日後、2011年4月2日ヤンゴン警察の公安部に逮捕され、のちに10年の刑を宣告される。2012年1月13日、大統領恩赦により釈放。以後,ミャンマー社会発展ネットワーク(MSDN)を結成し、貧困に苦しむ農民たちの生活向上と「法の支配」の確立を目的にさまざまな活動を行う。2013年5月、警察を侮辱した罪により逮捕、投獄(2週間後釈放)。同年11月13日に3度目の逮捕(その日のうちに釈放)。2014年4月1日、無許可でデモを行ったとして4度目の逮捕(3ヶ月の収監)。2015年の総選挙への出馬を表明する。

【在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)】
在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は2008年3月、入国管理局での収容問題を通じて出会った在日ビルマ難民と日本人とによって設立され、「ビルマ難民と日本人が創る民主化のためのセーフティネット」を標語に、難民認定申請者を中心とするビルマ難民へのさまざまな支援活動を行ってきました。約220名の会員と名古屋支部とともに日本でも最大級のビルマ難民団体として、日本とビルマの双方で働き続けています(ホームページ:http:// brsajp.blogspot.jp)。


1〜2月のイベントのまとめ

1月4日
【カチン州記念日】
時間:午後5時30分〜午後9時
場所:豊島公会堂

1月24日
【BRSA緊急報告会「ビルマの活動家ネーミョージンさんに自由を!」】
時間:午後6時〜午後8時
場所:BRSA事務局(御徒町)

2月1日
【カレン民族同盟記念日(KNU Day)】
時間:午後1時〜午後3時頃
場所:駒込地域文化創造館会議室(駒込駅)

2月7日
【シャン州民族記念日式典】
シャン人の著名歌手4人来日予定
時間:午後5時から
場所:池袋アカデミーホール
入場料:3,000円

2月8日
【ビルマ連邦記念日とアウンサン将軍生誕100年式典】
時間:午後1時〜午後9時
場所:豊島区民センター6F文化ホール

2月15日
【モン民族記念日式典】
時間:午後1時〜午後5時
場所:池袋アカデミーホール

2月15日
【チン民族記念日式典】
時間:午後6時〜午後9時
場所:品川区中小企業センター(下神明駅)

連邦記念日の前後でカレン民族記念日式典が開催されるはずだが、いまのところ不明。

2015/01/01

マノー・フレンド協会

マナウについてしばらく書き続けているが、それを見た人から次のようなメールをいただいた。なお、マノーというのはマナウのことで、どちらの表記でもいいのだと思う。

(以下、メール本文)

熊切様

はじめまして。

突然のメール失礼いたします。私は××と申します。

マノーに関する貴ブログを拝見して(1)この胸のときめきを抑えきれず、メールを差し上げた次第です。

私は現在、マノー・フレンド協会の会長を務めており、数多くの会員とともに、(2)「元気者で行こう!」を合言葉に、日本でのマノー祭りの普及活動に奮闘しております。熊切さんがマノー祭りをブログで取り上げられたのに、会員一同、日ごろの活動が実ったと喜んでおります。

思えば、私が1970年代初めにマノー祭りに出会った頃は、これについて知る日本人はほとんどおらず、また私もあまりにも素晴らしい祭りなので当初は(3)ダレニモイワナイデ独り占めしておこうかと思ったほどでした。

しかし、ビルマ滞在中に出会ったカチンの若者から、「なぜこの祭りを日本人とカチン人の友好関係の発展の機会としないのですか? (4)ドレミファどうして?」との問いかけを受け、私は己の偏狭さに気付かされたというわけで、この経験が、マノー・フレンド協会結成のきっかけとなったのです。

私は同じ志を持つものとして熊切さんの存在を心強く思うと同時に、マノーを通じてともに協力しつつ(5)青年の環を広げていけたらと念じております。

乱文失礼いたしました。

追伸

本文中の(1)〜(5)の下線を引いた語句のうち、ひとつだけ仲間はずれのものがあります。もしこれに正解されたら、立派なマノー・フレンド(略称マノフレ)と認定いたします。

(メール本文は以上)

わたしは「マノー・フレンド協会」なるものを知らないし、認定してもらうために返信するつもりもない。このメールは低劣ないたずらか、何らかの罠にちがいないと思う。

(この記事はすべて嘘です)

元旦からこんなことを書くためにマナウに行ったのではないはずだ。