2009/12/31

難民という言葉(1)

難民をビルマ語でいうとドウカディ。ドウカというのは「苦しみ、災難、不幸」という意味で、この語を感嘆詞のように用いて「何たる災難!」といった表現にもなるのだそうだ。

ビルマ人がなかなか難民認定申請に踏み切れなかったのは、ひとつにはこの語の持つネガティブなイメージが原因となっている、というようなことを以前、田辺寿夫さんがお書きになっているのを読んだこともあるし、また実際にビルマの人からも聞いたことがある。

もっとも、日本語の「難民」もその成り立ちは「難+民」だから、ビルマ語のそれとそれほど変わりがない。とはいえ、ビルマ語のドウカが日常的に使われるのに対して、「難」はそれだけでは使われないので、言葉の与えるインパクトからすればビルマ語の「ドウカディ」のほうが強烈そうだ。

語の作りの問題はさておくにしても、そもそも難民という言葉には否定的な印象がつきまとう。今はそうでもないだろうが、昔は難民と聞くと、ちょうどジョージ・ハリスンのバングラデシュ・コンサートのアルバム・ジャケット(旧盤)に出てくるようないわゆる第三世界の痩せた子どもを思い浮かべたものだった。この子どものイメージはあまりに強烈だったため、かつては「難民」というのは色黒で痩せた子に対するあだ名ですらありえた。

ひまつぶし

入管に長期収容されているビルマの男性から、アウンサンスーチーさんの絵1点と、裸の女性を描いたちょっとエッチな絵2点が送られてきた。

2009/12/26

暴力装置

ナルギス・サイクロンの被災者のカレン人に対して救援活動をしたため、政府当局から狙われているあるカレン人女性がいた。

彼女がサイカー(補助席つき自転車タクシー、サイドカーに由来)に乗ってヤンゴン市内を移動していると、急に車が行く手を塞ぎ、車に乗っているビルマ人たちが言いがかりをつけてきた。

すると、サイカーの運転手は彼女にこんなふうに言った。

「絶対に言い返さないで。抵抗すればあの人たちは一斉に襲いかかってきて、ボコボコにされて殺されるよ。集団で殴りかかるから、誰が殺したかなんてわからない。わたしはそんな風に殺された人を何人も知っているんだ。」

宿命

少し変わった性格のカチンの男性がいて、今日本で難民申請中なのだが、その母親が彼についてこんなことを言っていたそうだ。

「夫の兄弟がカチン独立軍で活動していたせいで、夫も政府からひどい目にあった。あの子を妊娠していた頃、カチン人のリーダーを狙った毒殺事件が相次いでいて、わたしたちもまた危うく毒殺されそうになった。わたしたちより先に食べ物に手を付けた人がいて、そのおかげでわたしたちは毒を食べずにすんだの。

あの子がお腹の中にいる時に暗殺されかけたこともあった。自動車事故に見せかけてね。これもビルマ軍事政権が仕掛けたことで、同じように殺された人はたくさんいるけど、わたしたちは何とか助かった。

けれど、精神的にはかなりつらい時期だった。そんな異常なときにお腹の中にいた子だから、きっと変わった性格に生まれついてしまったんだよ」

2009/12/24

急襲とベッド

2005年頃の話。

高田馬場のあるマンションに住む「不法滞在」外国人が一斉に逮捕された。入管職員が朝早く急襲したのだ。

逮捕されたのはほとんどがビルマの人々。何人だったか正確には忘れてしまったが、少なくとも5人はいたのではないか。それはともかく、この奇襲をうまく逃れたカレン人がいた。

彼は周囲が騒がしくなったのを知るやいなや、これは入管に違いないと考え、すぐさま部屋を出て、別の階にある知人女性の部屋に逃げ込んだのである。

その女性は、学生でちゃんとしたビザのある人だ。だから、入管が来ても怖れることはない。ドア口に立つ入管職員に彼女が身分証を提示している間、そのカレン人は彼女のベッドの下に隠れてじっとしていたのだという。

見事な判断力というべきだが、その彼も翌年には職場で逮捕され、約1年間の収容生活を送ることになるのである。

教育

父親が入管に収容された4歳のカレンの男の子。

夜中に急に目を覚まし「入管が来るよ!」と泣き叫ぶ。

あるとき、悪さをしたその子を母親が叱りつけると、「そんなことを言うと入管が来るよ!」と言い返したとか。

2009/12/21

ビルマの国民登録証つづき

登録証に民族と宗教が記載されていることが、どれだけ怖いことか、日本社会で暮らしているとなかなかわからない。

自分の民族や宗教をはっきりと記せるのだから、むしろ誇らしいことではないか、などとも思ってしまう。

確かにそう思わせるようなましな政府もあるかもしれない。だが、ビルマ政府のような民族差別と宗教差別を支配原理としている政府においては、これは逆に作用する。

簡単にいえば、宗教と民族が記されている登録証は、ビルマ人仏教徒とそうでない者を区別するのにもってこいなのである。

そうやって区別さえしてしまえば、ビルマ政府にしてみれば、ビルマ人仏教徒ではないとされた人々を、「反乱分子」として取っ捕まえたり、強制労働に駆り立てたり、あるいは思い切って全員殺害してしまうのはまったく簡単なことである。

その意味では国民登録証は、ビルマのことを真剣に考える人々がいつか起こるに違いないと予測している「民族大虐殺」の下地をなしているのだ。

2009/12/20

ビルマの国民登録証

入管や区役所の手続きのために、ビルマの国民登録証を翻訳することがある。これはピンクの厚紙のカードで、大きさは定期より少し大きいぐらい、そしてラミネートしてある。その裏表に情報が記されている。

国民登録証にはこれより古い型があって、それは新しいものより少し大きく、二つ折りになっている。ぼくはこれは一度しか見たことがない。

聞いたところによると1990年の総選挙の前までは折りたたみ式の国民登録証が使われていたが、選挙の有権者登録に合わせて新しいものに切り替わったのだという。つまり、総選挙以前に国外に逃げた人々は新しい登録証をもっていないということになる。

それはともかく現行の国民登録証の記載事項は次のようなものだ。

表面
[国民登録番号]
[日付]
[顔写真]
[身長] (フィートで)
[血液型]
[身体的特徴] (例えば「左アゴにほくろ」)
[名前]
[父の名前]
[生年月日]
[民族]
[宗教]
[発行者の署名](発行者である入国管理及び国民登録局の職員の署名)

(裏面)

[左親指の指紋]
[国民登録番号]
[職業]
[住所]
[署名]

(裏面下部に以下の注意書き)
注意
(1) 旅行中において携帯すべきこと。
(2) 紛失もしくは破損の場合は、所管の国民警察もしくは郡の入国管理及び国民登録局に届け出ること。

これらの記載事項のうち、非ビルマ民族政治活動家たちが問題視しているのは、登録証に民族と宗教を記さなければならない点である。

2009/12/19

全身ドライバー

チンの若い人を乗せて運転する機会があった。

助手席に座った彼は、こんな話をした。

「ビルマにいた頃、あるドライバーが『車ってのは、全身で運転するものだ』と言ったのを思い出します。その人がいうには、手はハンドル、足はアクセルとブレーキ、目は道路を見て、耳で周囲の音を聞く・・・」

ぼくがハンドルを握りながら、「さすがに鼻はないだろう」と思っていると、彼は付け加えた。

「鼻はエンジンや車内の臭いから、調子の良し悪しを判断するのです」

なるほど、ビルマの町を走る車のほとんどは、日本でなら廃車になっていそうなものばかり。そうした車とうまく付き合うには、確かに五感を研ぎ澄まさねばならないのだ。

2009/12/18

不完全な日本語を話す人は、人間としても不完全なのか

日本語を学んでいるビルマ人難民がこんなことを言った。

「一生懸命日本語を勉強して、言葉遣いを学んで、日本人に失礼のないようにしなくちゃ」

この話を聞いてなんとなく暗い気持ちになった。

大人になって学んだ言語が、母語と同じように話せる人というのはまずいない。いるとしたらよっぽどの能力の持ち主で、たいていの人はそこそこというところで進歩は止まる。

つまり、この発言をした人も、いくら上手でも、およそ「ネイティブ」とはいえない程度の日本語能力に落ち着く可能性が高いのである。

そして、日本人に失礼なことが起きないような状態が、完璧に日本語を操ることで獲得されうるのならば、そうした能力に到達しえない人は、常に日本人に失礼なことをしでかさないか恐れながら生きなければならないともいえるのである。

ぼくが暗い気分になったのは、その人の言葉に、日本語を学ぶことで日本人になろうとする悲しい健気さと、その健気さを必ずや砕いてしまうに違いない日本社会のどうしようもない鈍感さを感じ取ったからであった。

日本語教育がこうした萎縮した人間しか産み出せないとしたら、それはもちろん、日本語教育のあり方に問題があるのだ。

日本語教育とは「悲しいえせ日本人」を作るためのものではないはずだ。それは日本語を国際的に通用する「国際語」に育てる過程のひとつでもあるはずだ。つまり、非日本語話者が日本語を話すために身を開いてきた分だけ、日本人も自らの文化をより開放することで、日本人・非日本人の力関係なしに、同じ日本語話者として、コミュニケートし、ともに文化を創造する場を探り当てる、そのための手段そのものが、日本語教育なのではないかと思う。

大学進学

3人のビルマ難民が来年から大学に進学するといううれしい話。

なんでも、難民を支援している団体の試験に3人が合格したとのこと。そのうち2人は、2004年から知っている古い友人だから、なおさらうれしい。

ちなみに3人とも女性。しかも、少なくとも2人は非ビルマ民族。

イギリス植民地時代にイギリス人は非ビルマ民族、特にカレン人を重用し、イギリス流の教育を受けた多くの教養あるカレン人が育った。そのいっぽう、多数派のビルマ人は常に被支配層として苦しみ続けたという。

ビルマ人から見れば、これはカレン人の裏切りに他ならなかった。すなわちカレン人は教育や地位と引き換えに植民地側についた、というのである。

しかし、カレン人には別の言い分がある。彼らは「自分たちは貧しく、しかもビルマ人に厳しく差別されていた。イギリス人に好意的に扱われたのは、そのつらい生活から逃れるために一生懸命に勉強した結果に過ぎない」というのである。

このどちらが正しいのかは難しい問題だが、この大学進学の話を聞いて、そんなことを思い出した。

自殺の噂

品川入管に収容されていたビルマ難民が強制退去命令が出たことに絶望して自殺した、というニュースを今週の火曜日、つまり12月15日に聞いた。

これは大事件と、別のビルマ人に電話すると、「火曜日は最後まで品川で面会していたが、そんな話は聞かなかった」とのこと。

翌日別のビルマ人から、やはり自殺者が出たという話を聞く。なんでも、家族と再会できないので入管で自殺したそうだ。

これが本当ならばいまごろ難民関係のメーリングリストやメディアは大騒ぎになっているはずだが、そんな様子はない。

もしかしたら、まだ結論を出すのには早いかもしれない。だが、ある人が立てたこんな推測を紹介しておこう。

その人によれば月曜日にある記者会見が行われたのだそうだ。それはあるビルマ難民の自殺を巡るもので、その遺族が匿名で「自殺者は家族と会えないことを苦にして自殺した」と訴えたのだという。

もしかしたらこの記者会見が噂の種になったのかもしれない、というのがその所説である。

2009/12/02

独居と薬

ある在日ビルマ人の高齢者が同居人と折り合いが悪くなって、一人暮らしをしようと決意した。しかし、歳のため働くこともできない。独立するにはどうしたらよいだろうか、そのために日本政府から支援はもらえないだろうか、という相談を受けた。

あるとしたら生活保護しか思い浮かばない。そこで、生活保護に詳しい人に問い合わせると、一人暮らしをしていて、困窮しているという事実がなくては受給は難しいだろうとの答え。

この相談を取り次いでくれたあるビルマ人に、この返答を伝えると、彼はもっともなことにこう言ってみせた。

「そりゃそうですよ。病気になるかもしれないから薬をくださいという人に薬を出すお医者さんがいますか?」