2010/03/27

送金偽装詐欺事件(1)

在日ビルマ難民の間で、起きている事件。

Sというあるカチン人難民の女性が、周りのカチン人や、カレン人、チン人、ビルマ人から、特別なルートでほかより安くビルマに送金してあげる、といってお金を集め、横領してしまったのだという。

被害額は現在わかっているだけで一億円を超える、とのこと。

被害者は今ぼくが把握しているのは15人だが、額と被害者はこれからも増えるかもしれない。

またこれらの被害者は、自分のお金だけをこのSという人物に渡したのではなく、安く送れるのだから、と友人たちのお金も預かって一緒に送ってもらったため、間接的に被害にあった人もかなりいるそうだ。

被害者たちは、お金が現地に届いたという報告が何週間経っても来ないということから、自分たちが騙されたということを知ったのだという。

2人の子どもの母であるSは、現在行方をくらましているとのこと。一説によれば、福音系の韓国人教会に匿われているとも。

何人かの被害者が集まって、対応を協議しているとのことだが、Sの弟が、警察や弁護士に訴えたヤツを殺してやる、と息巻いているという情報が伝わるに及んで、みな腰砕けになったとか。

2010/03/24

チン民族の公正なる特産品(おわり)

有り余るもののうちから、何かを与えても、それはありがたみもないしたいした効力も発揮しない。しかし、「なにもない」といわれるチン州から、チンの人々が必死になって育て上げてきた「公正」という理念が、いまやビルマ連邦を作り替えようとしている。よろしくチン州の特産物に指定すべきであろう。

さて、最後になったが、2009年のチン民族記念日に、CNC-Japanより田辺寿夫さんといっしょにいただいた「第1回チンランドとチン民族の友賞」についても触れておきたい。「チン民族はカレンやカチンなどの他の民族に比べて国際的にも知られておらず、友人が少ないのでこういう賞をつくった」とは、タンさんのやや切実な話。ぼくもまた、タンさんとの出会いをきっかけに、多くのかけがえのないチンの友人を作ることができた。本来ならばこれらの友人たちにぼくのほうから何かの賞を送るべきであるが、そんな得体の知れないものをもらっても迷惑だろうから、この場を借りてただ「ありがとう」というにとどめる。(おしまい)

2010/03/22

チン民族の公正なる特産品(6)

だが、チン人はビルマ連邦からもらうことだけを期待している人々ではない。物質として与えることができるものは少ないかもしれないが、チン人はそれ以上に重要で、やはり「公正」に関わりのある貢献を将来の民主化されたビルマ連邦のために果たそうと営々と働いている。そのひとつが、将来のビルマ連邦におけるチン州憲法の準備活動である。

貧しい土地で生きるチンの人々は人を大事にする。教育を大事にする。それこそがチン州の「資源」だ。今や世界中に難民として向学心溢れるチン人が散らばり、それぞれの場所で知識や知恵を吸収しながら、チン民族とビルマの解放のために日々活動している。タンさんも理事を務めるチン・フォーラム(チン民族の国際NGO)が2008年に出版した『チンランド憲法草稿第5版(The Fifth Initial Draft of Chinland Constitution)』は、これらのチン民族の努力が集積された実例である。

この州憲法草案こそ、チンの人々が求めてやまない公正とは、いかなるものであるかについての最良の表現なのだが、その意義はチン州(もしくはチンランド)に住む人々のみに限られるものではない。まず、この州憲法草案は、ビルマ連邦で自分たちチン人がどのように生きたいかを、明確・具体的に語っているという点で、非ビルマ民族のさらなる抑圧と消滅をもたらすといわれている2008年の軍事政権の憲法に対する強力な反論となっている。さらに、五度も練り直されたこの草案は、他の非ビルマ民族の州憲法に比べてもっとも考え抜かれたものであり、将来のビルマ連邦の諸憲法(連邦憲法と各州憲法)を考える上で、現時点では最良の基準のひとつとなっている。

2010/03/18

チン民族の公正なる特産品(5)

チン民族記念日のメッセージとして、会長のタンさんのことばかり書くのは、おかしいかもしれない。だが、タンさんがぼくにアドバイスしてくれたあの夜にぼくが彼の言葉から受け取った公正という印象こそ、彼が率いるCNC-Japanのみならず、チン民族全体にふさわしいものはないのだ。

チン民族の人が繰り返し言うのは、チン民族の故郷であるチン州には「なにもない」ということだ。もちろんチンの人々にとってはかけがえのない土地であるからまったく「なにもない」わけではないだろうが、ヤンゴンやマンダレーといった華やかな都、肥沃なデルタ地帯、資源豊かなカチン州などに比べればそういわざるをえないのだ。あるカチン人がチン州に関するチン人の言葉を要約してこんなふうに通訳してくれた。「崖しかない」と。

そんな乏しい土地に暮らすチン人だからこそ、公正という言葉は特別な意味を持つ。他の州と同じように、チン州に大学を作ってほしい、特別な資源がなくても他の州と同じようにちゃんとした道路を造ってほしい、チン人がビルマ民族ではなく仏教徒でもないという理由で差別しないでほしい、ビルマ中央部の一部の人々が享受しているような、人間的なまともな生活を保障してほしい……。チン民族の政治目標は、自分たちをビルマ連邦の一員として公正に扱ってほしい、それにつきるようにも思う。チン人は公正に飢えている。

2010/03/17

チン民族の公正なる特産品(4)

「どれかひとつの民族ではなくて、すべての民族が一緒に発展していかなくてはダメだ」

こういう彼に、ぼくは「それはそうかもしれないけれど、ほかの民族のことはよく知らないしなあ、どうしたらいいかもわかんないよ」と見事なアホ面で切り返した。タンさんはこれに的確な助言を与えた。

「あなたにとってカレンというのは入り口だ。そこから、カチン、チン、アラカンなどのほかの民族へ広げていくのが大事なんだ」

格好いい言葉や甘い言葉は、歪んだ心の持ち主でも話すことができる。だが、公正な言葉はそうではない。公正とは何か、公正であるとはどういうことかを、日常的に考える習慣のある人でなければ、そうした言葉はでてこない。タンさんに関する噂は間違いか、何かの誤解に基づくものだろう、ぼくはそう判断した。そして、その判断は誤りではなかったと思う。

のちにぼくは、他人のために私心なく働いている人ほど悪い噂を立てられたり、疑われたりするというビルマ社会の奇妙な性質を間近に見ることとなる(ただし困ったことに逆は真ならず。悪くいわれる人の中には本当にそれに値する人もいるのだ)。

2010/03/16

チン民族の公正なる特産品(3)

2004年のある月例会議の後、タンさんがぼくをお茶に誘った。話があるというのだ。高田馬場の駅前のマクドナルドの二階に座ると、タンさんはこんなことを言った。

「あなたは今カレン人のことばかりやっているが、それだけでは不十分だ。これからはほかの民族のことも考えて活動したほうがいい」

実をいうと、その頃ぼくはタンさんについて悪い噂を聞かされていた。このチンのオヤジは自己中心的で、自分の民族のことしか考えていないというのだ。
だから、タンさんがそう語ったとき、ぼくはこの言葉が別様に解釈できることに気がつかずにはいられなかった。タンさんはこんなふうに考えていたかもしれないのだ。「このアホ面の日本人、ちょいと利用できそうだぞ。こいつをカレン人から奪って、チン人のためにこき使ってやろう……」

ぼくは、テーブルの向こうで語り続けるタンさんの表情や口調に注意を払い、ぼくのことをアホ面とあなどっていないか吟味した。やがて、ぼくはタンさんが自分の民族を特別扱いせずに、他の民族のことも同じように考慮して語っているということに気がついた。彼はできるだけ公正であろうとしているのだった。

2010/03/13

チン民族の公正なる特産品(2)

当時タンさんは、少なくとも2つの領域で活動をしていたようだ。ひとつは在日ビルマ人の労働組合であり、もうひとつは少数民族の協力団体だった。最初のものはつぶれたが、後者は、その翌年の2004年に正式に結成され、今に至るまで続いている。在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan)である。

ぼくはこのAUN-Japanにその準備段階から会合に顔を出し、やがて、選挙委員(2005年、2006年)や会計委員(2006年)を務めさせてもらうなど深い関わりを持つようになった。2004年から数年の間、ぼくは言葉もわからないのに、毎月のように会議に顔を出していた。

AUN-Japanにぼくを導いてくれたのは、昔から付き合いのあったあるカレン人だった。1996年から日本に暮らすカレン人と親交のあったぼくは、タイ国境の難民キャンプに行ったり、カレン人の会議に参加したりなど、少しずつカレン人のことを学んでいた。また、2004年の初夏から在日カレン人とともにカレン情報スペース(KIS)という情報交換会を月一度開催するようになっていた。

2010/03/12

チン民族の公正なる特産品(1)

ここに数回に渡って掲載する文は、2月21日のチン民族記念日のために
在日チン民族協会から頼まれて書いたもの(に若干の手を加えたも)です。


在日チン民族協会(CNC-Japan)の会長、タン・ナンリヤンタンさん(タンさん)にはじめて出会ったのは、2003年12月12日のことで、ぼくはあるカレン人に連れられて、四谷で行われたデモを見物に行ったのだった。確かキンニュンが来日していて、今に比べればはるかに少ない規模の在日ビルマ人が集まって、抗議の声を上げていた。

それまでにぼくはチン人に会ったことがなかったわけではなかったが、政治活動をするチン人に出会ったのははじめてだった。もっとも、そのときのぼくはチン民族のことも、政治活動のこともなんにも知らなかったのだが。

今、そうした事柄についてぼくが多少なりとも知っているとすれば、それは多分にタンさんのおかげでもある。非ビルマ民族の政治活動の現状と将来について、彼ほど明確なビジョンをもっている人はそうはいない。

さて、タンさんはどこの馬の骨かもわからない初対面のぼくに丁寧に挨拶をしてくれ、一緒に写真を撮ろうといった。それで、四谷駅前でタンさんとそのカレン人と3人で写真に収まったわけだが、後になってこれもタンさんの政治活動のひとつであることを知った。非ビルマ民族を歴史の闇に埋もれさせないために、どこで、誰と、何をしたかを写真や文書で克明に記録を残さねばならない、というのだ。

2010/03/11

田舎に行こう

カチンの政治団体のリーダーが、メンバーを前に「これから日本で生きていくにあたり、東京だけでなく、日本の田舎に定住するということがあってもいい」と語ったら、カチンのメンバーたちはこんなことをいったそうだ。

「せっかく安全な都会にまで逃げてきたのに、どうして田舎に戻らなくてはならないんだ!」

カチン州やシャン州の田舎は基本的には戦場で、村人たちはつねにビルマ軍の兵士や、銃撃や、地雷に怯えて暮らしているのだ。

2010/03/04

新しい公共から新しい市民、そして新しいビルマへ(4)

「市民」という概念でもうひとつ重要なのは、それが同じ市民同士の連帯を可能にするということだ。ところがビルマにあるのは、家族、親戚、民族、軍、宗教的つながりだけである。家族、宗教、民族を越えた市民的連帯というものが存在しない。ゆえに、軍事政権を打ち倒すことのできる、本当の意味での全ビルマ的な反政府運動をいまなお作ることができない。

これはぼくの観察の結果であるが、一方的な批判であるとは思わない。同時に多くのビルマ難民が痛感し、何とか克服したいと願っていることでもあるのだ。

いずれにせよ、こうした意味において「利己的」である人々に「あなたは日本に暮らす以上、日本の市民であり、あなたにも日本社会(国家ではない)をよくするための責任がある」ということを理解してもらうのは一筋縄ではいかない仕事だ。

だが、それはどうしても必要なことだ。ひとつには日本をもっと開かれた住みやすい社会にするためには、これらの「外部」の人々、日本の閉鎖性に苦しめられてきた人々の力と発想が不可欠である(とぼくは考える)から。つまり、われわれ「日本の市民」にとっても市民という概念は今なお発展途上にあり、「大和民族=日本人」といった枠組みを越えた「日本の市民」を生み出すためには、多くの外国人の手を借りなければならないのだ。

また、基本的には他人を容易に信用しないビルマ難民たちを日本社会の中で孤立させないためにも、これらの人々が難民や労働力という立場ではなく「市民」として他の「市民」とつながりをもつのは重要な意味を持っている。

それに、故国の解放を願ってやまないビルマ難民たちにとって、これはまんざら無意味な仕事でもない。日本で「新しい市民」作り(これはまたとどのつまりは「新しい公共」作りでもあるわけだが)に積極的に参与する経験が、将来の民主化ビルマ連邦における「新しいビルマ市民」創出作業にまったく役立つことがないと、誰がいえようか。

2010/03/03

新しい公共から新しい市民、そして新しいビルマへ(3)

今まで市民とはみなされてこなかったビルマ難民たちをも含む「新しい市民」を創造すること、これは「日本の市民」にとってひとつのチャレンジであると思うが、じつのところそれはたいして難しいことではない。ビルマ難民の間に「自分たちもまた日本の市民である」という認識を広めるのに比べれば。

先に「日本の市民」について「日本社会に暮らし、そのあり方に責任を持つ人々」と簡単に定義したが、ビルマにはそのような市民は存在しない。いや、もちろんいることはいるのだが、そうした「市民」は、本当に市民であろうとすれば、たいてい投獄されるか、国外逃亡するほかない。そのような意識をもつこと自体が、すでに反政府活動であるような国なのだ。だから、たいていの人は自分の国のあり方に責任を持たない。誰も責任を取らず、荒れるがまま、火の手が回るままに放置されている国、それがビルマだ。

責任を取らない、と書いたが、実際にはそれよりさらにひどい。本当のところをいえば、責任を取るという習慣が絶えてないため、責任の取り方がそもそもわからないのである。国をよくするための政治活動はたしかに市民としての責任の取り方のひとつだ。だが、市民としての責任を果たしてきた経験がほとんどないため、おうおうにしてその政治活動も中身を欠き、的外れな印象を与え、それどころか有害ですらある場合もある。

2010/03/02

新しい公共から新しい市民、そして新しいビルマへ(2)

ここで奇妙なことが生じるのにぼくは気がついた。

つまり、「市民キャビネット」の部会に登録された団体は、この「市民キャビネット」の一部をなすわけであるから、その団体の成員は「市民」であらねばならないことになる。そして、また「市民キャビネット」は日本の中に基盤を置く組織であるから、その市民とは「日本の市民」を意味すると見て間違いない。となると、Burma ConcernにせよBRSAにせよ、会員のビルマ難民(つまり難民として認定された人、在留特別許可を得た人、難民認定申請中の人)もやはり、「日本の市民」であると考えなければならなくなるのである。

これはおかしな考え方だ。もしも市民を国民と同義のものとして、つまり日本市民であることと日本国籍をもっていることが不可分なものであるとして理解するならば。だが、よくよく考えてみれば、「市民」が「国民」と同じ定義のされ方をする必然性もない。たとえば「日本の市民」を「日本社会に暮らし、そのあり方に責任を持つ人々」と理解してもよい。そうすると、たとえば在日韓国人、在日朝鮮人、在日華人などの名前で呼ばれる人々ももちろん「市民」に含まれうるし、実際そのような理解のもと、これまでの市民運動が行われてきたのではないかと思う。

だが、ビルマ難民はどうだろうか?

難民認定されたり、ビザをもらったりしてある程度長く日本に暮らす予定の人々は、やはり「市民」と呼んでもいいだろう。では、現在難民認定申請中の人やそのうち申請するかもしれないが今のところは様子を見ている人々、別の言葉でいえば、「不法滞在者」、「非正規滞在者」、「オーバーステイ」であるとされる難民たちはどうだろうか。これらの人々も、やはり「日本の市民」なのだろうか?

もちろん、そうなのだ。もれなく市民なのである。滞在資格があろうとなかろうと、日本社会に暮らしている以上、その市民なのである。

2010/03/01

新しい公共から新しい市民、そして新しいビルマへ(1)

鳩山由起夫首相が演説で語る「新しい公共」とは、「官による公共」との対比において語られる概念のようであり、それ自体は面白いと思う。この「新しい公共」作りに市民の立場からどんどん関わっていこうじゃないか、という意図で「新しい公共を作る市民キャビネット」が1月29日に正式に設立された。

この「市民キャビネット」とは「社会をリードしていくNPO/NGO等の市民団体、生協や労働組合等の非営利組織、社会的企業などが結集し」てできた団体で、政策提言を行ったり、官に代わって公共サービスを担ったりすることを目的としているのだそうだ(詳しくはhttp://www.npo- support.jp/event/20100129-ccf.phpをご覧いただきたい)。

さて、たまたま縁があって、この「市民キャビネット」の「国際協力・交流部会」の準備会議に参加することになった。お誘いがあったのはぼくが副会長を務める「在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)」のほうだったが、こちらのほうは名前を出すのに会議を経ないといけないので、ぼくが代表のひとりである別団体「Burma Concerrn」の名前でまずはこの「部会」の発起人に登録させてもらうことにした。

準備会当時、「国際協力・交流部会」に加わっていたほとんどの団体は、ボランティア・ワークなどの海外プログラムを実施している。その点からいうと、ビルマ難民の暮らす日本を主なフィールドとする団体は、少々お門違いな感じだ。しかし、国内であろうと国外であろうと「外国人」を相手としている点には変わりはない。

もうひとつ、ほかと異なる点がある。海外でプログラムを行う団体はたいていの場合、そのボランティア活動の対象となる「外国人」をその会員とはしない、つまり会員は基本的に「日本人」であるものだ。しかし、BRSAとBurma Concernは違う。これらのグループでは日本人とビルマ難民が同じ資格で活動しており、日本の団体とも、ビルマの団体ともいえないのである。