2012/08/24

報告会「カチン州の戦争と難民」

カチン・イヤー8月のイベント:報告会「カチン州の戦争と難民」

国際社会に対する民主化アピールとは裏腹に、現在ビルマ政府はカチン州のカチン人(カチン独立機構)に対して軍事作戦を展開しています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では8万人を超える難民・国内避難民が発生しています。

こうした状況を受けて2012年6月末、カチン独立機構は国外のカチン人政治団体とはじめて公式に協議を行い、問題解決のため全カチン民族一致して取り組む姿勢を明確にしました。この会議には在日カチン人(カチン民族機構・日本)の代表団も、イギリスやデンマークなどのカチン代表団 とともに参加し、またビルマ・コンサーンも同行しました。7月の第1回報告会に引き続く今回の報告会では、このような新たな政治的展開を含め、難民と戦争の状況について、スライドとビデオを交えつつ報告します。

ビルマ民主化、民族問題、カチン民族に興味のある方、難民問題に関心のある方、あるいは戦争と平和、政治について興味のある方はぜひご参加ください!

報告会の内容
1)カチン州の戦争の背景
2)カチン政治の新展開(カチン独立機構とカチン民族機構)
3)難民と国内避難民の状況(ビデオ)
4)カチン政府(カチン独立機構政府)とその首都の様子(ビデオ)

報告者:カチン民族機構、ビルマ・コンサーン

参加費無料

期日:8月26日(日曜日)
時間:午後6時30分ー午後8時
場所:豊島区東部区民事務所 第3集会室( 東京都豊島区北大塚1-15-10。 JR大
塚駅北口下車 徒歩5分)
主催:カチン民族機構(日本)+ビルマ・コンサーン
連絡先:cyberbbn@gmail.com(熊切拓)

【「カチン・イヤー・プログラム」は在日カチン人とビルマ・コンサーンによる共同プロジェクトです。2012年7月から、開戦後2年目 となる 2013年6月まで、カチン州の平和を求めて集中的にイベントを行います。カチン民族に関心のある方ぜひご協力ください! 連絡 先:cyberbbn@gmail.com(熊切)】

2012/08/02

違法行為

以前、ビルマ難民に関係する団体で、その団体の規約の作成を手伝っていた時のこと。

その規約に次のような一節があった。

「ビルマ難民(難民認定された者、難民認定されなかったが人道的配慮により在留特別許可を得た者、難民認定申請中の者、難民認定申請を準備している者を含む)」

 そしたらある日本人がわたしにこんなふうに言った。

「この一節は訂正すべきだ。難民とは日本政府が法的手続きによって難民と認めた人だけなのであって、それ以外の人を勝手に難民と呼ぶのは、法律違反だ!」

Status of Residence

日本で難民として認められるか、人道的配慮により在留を許可された人が、在留期間を延長したり、在留資格を変更しようとするときには、入国管理局でその申請をしなくてはならないが、そのさいに身元保証人による身元保証書が必要となる。

この身元保証人は、日本人はもちろんのこと、正規に滞在しているならば外国人でもすることができる。そのため、誓約書には、日本語と英語の2種類がある(法務省の在留資格変更許可申請あるいは在留許可更新許可申請からダウンロードできる)。

身元保証人の当てがある人はそれに応じてどちらか選んでもらってくればよいというわけだ。

この身元保証人は、たいていの場合、署名とハンコだけで済むので、わたしはいつも頼まれるが、その際にいつも困ったと感じることがある。

身元保証書には、氏名・住所・被保証人との関係などを記す欄の他、日本語版には「国籍(在留資格,期間)」と書かれた場所がある。これは問題ない。「日本」と書けばよろしい(実際に弁護士がそう書いているのを見たので間違いない)。

しかし、英語版のほうはそうはいかない。なぜなら、日本語版の「国籍」に該当する箇所にただ「Status of residence(在留資格)」と書いているだけだからだ。

要するに「国籍」を記す欄がないのだが、これはそもそもこの英語版を「日本人」が記入することを想定していないためだろう。つまり、はじめから「日本国籍」以外の人が記入することを前提としているわけだ(逆に言えば、入国管理局にとって本当に確認する価値のある国籍は日本国籍だけということにもなる)。

それはともかく、実際的な問題として、わたしはこの「Status of Residence」の欄にどう記入すればいいのか、いつも困るのである。

日本語版と同じように「日本」と国籍を書けばいいだろうか? しかし、それは的外れだ。なぜなら、国籍については聞かれていないのだから。

では、聞かれている通りに在留資格を書けばよい。だが、日本国籍を持つ者の在留資格とはなんだ? 定住者でもなけりゃ、永住者でもない。法務省の「在留資格一覧表」には該当する在留資格はない。

もしかしたら、日本国籍を持つ人には、在留資格などないのかもしれない。あるいは、国籍が在留資格の代わりになっているのかもしれない。しかし、国籍と在留資格というのは次元の違う概念だ。ひょっとしたら、それがどこかでごっちゃになっているのだろうか?

法律についてまったく不勉強なわたしは、身元保証人書を前にいろいろ考えたあげく、在留資格を持っている外国人のほうが健全で、国籍と在留資格が混乱している(と、わたしには思える)日本人のほうが不健全なように思えてくるのである。ひょっとして、日本人であるってことは、なんかの病気なんじゃないか……?

しかし、病気だろうがなんだろうが、わたしはこの身元保証人のStatus of residenceに自分の在留資格を書かねばならない。なんて書きゃいいんだ、なんて書きゃいいんだ。仕方がないのでこう書いた。

「原住民」

土人だ。野坂昭如だ。

カレン殉難者の日式典のご案内

海外カレン機構(日本)OKO-Japanの主催する第62回カレン殉難者の日式典が8月12日に都内にて開催されます。

カレン殉難者の日とは、カレン人の伝説的な指導者であり、1950年8月12日にビルマ軍により虐殺されたソウ・バウジーと、カレン民族の解放のために命を落としたすべてのカレン人を追悼する記念日です。

今年の式典では、献花式、在日カレン人政治グループによる演説、カレン民族同盟の副議長、デヴィッド・ターカボーさんからのビデオメッセージ上映などが予定されています。

日時:2012年8月12日 日曜日 時間:午後12時から午後4時
場所:豊島区民センター(コアいけぶくろ)4階、第3・第4会議室
連絡先:cyberbbn@gmail.com

カレン魂

さて、件の83歳のご老人、運良く同行してくれる人が見つかり、日本にやってきたわけだが、たちまち日本が気に入ってしまった。

とはいっても、日本が素晴らしいから、てなことではなくて、ビルマがひどすぎるというわけ。

高齢のカレン人によくあることだが、本当にビルマ人というものに苦労させられていて、ご老人も、ビルマ民族の支配から逃げ出せたというだけでもう満足、すっかり安心してしまったのだ(長年別れていた自分の子どもとだって一緒に暮らせる!)。

そんなわけで、「わしは帰りたくない。もう日本で死ぬことに決めた!」と言い出す始末。

ところが、呼び寄せた側にしてみれば、とんでもないこと。みんな日本じゃ仕事だ学校だと忙しいのに、誰がこのご老人の面倒を見るっていうのか。

すると、ご老人、立ち上がった。「お前たちの世話にはならん、自分の面倒くらい自分で見れる! わしも働くぞ、警備員でもなんでもするぞ!」 独立独歩、これぞカレン魂。

そしたら孫が「おじいさん! 目もショボショボ、立つのヨロヨロなのにどうしてガードマンなんてできるの!」とつっこみ入れた。

結局、帰国することになった。渋々だ。

2012/08/01

秘策

あるカレン人難民が、御年83になる老父を日本に招いた。本当は母と姉も招いたのだが、ビザが降りなかった。

83歳の老人をひとりで日本にやってこさせるなど無理な話だ。このことを知ったある難民が、憤慨してこう言った。「これは外務省の意地悪だ。どうせひとりでこれやしないからと思って、おじいさんにビザをあげたんだ」

もっともわたしは日本政府がそのような個人的な意地悪をするとは思えない。日本政府はそれほど細やかな配慮などできないはずだ。むしろ、ビザの発給にある基準があって、それを杓子定規に適用した結果、つまり、何の配慮もなしに当てはめた結果、このような事態になったというのが、正解ではないか。

そして、そのビザ発給の基準とは、いろいろ話を聞いてみると、おそらく次のようなものらしい。

1)在日ビルマ難民が日本に家族を呼び寄せるケースが増えている。

2)そして、その呼び寄せられた家族が、難民認定申請などをしてそのまま日本に居続けるケースも増えている。

3)こうした事態を避けるために、家族として複数名を日本に招聘する場合には、全員にビザを与えるのではなく、2つのグループに分け、一方だけにビザを出す。そして、ビザを発給されたほうが、最初に日本に入国し、何事もなく帰国したら、もう残りにもビザを出す、ということにする。

上記はあくまでもわたしの推測に過ぎないが、それほど的外れではないと思う。

このように不法滞在を減らす努力をする取り組みみが日本政府にあるのは結構だが、その一方で、難民が自分の望むように家族と再会できるようにするためにもいろいろと知恵を絞ってほしいとも思う。


さて、件のご老人がどうなったかというと、たまたまヤンゴンから日本にやって来る人があって、その人が付き添ってくれたおかげで日本までやってくることができたのであった。

APCRB

7月29日、BRSAの仕事で、ビルマ国境の難民の子どもを保護する会(APCRB)の月例会に行って、アラカン州支援のための寄付金を手渡した。

APCRBは、在日ビルマ難民による支援団体で、BRSAと同じ頃に結成されたので、いつも交流がある。この団体については3年前にすでに書いた(「ビルマ国境の難民の子どもを保護する会総会」)が、その後もこつこつとビルマ難民の子どもたちのための支援活動を行っているそうで、なんでも現在はタイ、インド、バングラデシュにAPCRBの事務所を設け、そこを拠点に難民に経済的な支援を続けている(ヨーロッパにも事務所を設置する計画もあるとのこと)。APCRBがおもに支援している施設は、各地でお坊さんが運営している難民の子どものための学校だ。

会員数が多い団体ではないので、支援といっても限度があるとのことだが、大事なのは額ではなく、続けることだ。
日本社会の中ではAPCRBは有名だとはいえないけど、ビルマへの支援に関心を持つ人はこの団体を通じて各地の支援事業と関係を持ったりしてみるのも面白いかもしれない。

ところで、今回のAPCRBの月例会は駒込地域文化創造館の調理室で行われていて、会員が持ち寄った料理を食べながら、くつろいだ雰囲気で行われていた。

わたしもエビの煮込み、豚肉料理などとご飯をご馳走になった。また、アラカン民族の会員が多いので、アラカン風のスープもあった。おなかが 一杯だったので断ったが、本当はソーメンを入れて食べるのだとのこと。ビルマ人の食べるモヒンガー(魚と豆の汁のソーメン)から豆を抜いてサッパリさせた 感じのスープであった。


OKO-Japan会議

海外カレン機構(日本)OKO-Japanの会議が、7月22日に駒込で開かれた。この日の話し合いは、8月12日に予定しているカレン殉難者の日式典(Karen Martyrs Day)のプログラムについて。

ビルマのこうした催し物では、もてなしのひとつとして食事が参加者に配られるが、今回は会場の制限で、オニギリかサンドイッチのような軽食がせいぜい。

でも、オニギリじゃ特別感がない。肉まんじゃあ? うーん、肉まんはダメじゃないか?。いや、餡まんなら大丈夫だよ! 待てよ、アンパンならどうだ……!

などと、いろいろ意見が出ました。何に決まったかは、当日のお楽しみというわけで……。

カエル

友人のカレン人難民が妻を日本に呼び寄せた。

それで、わたしたち一家を招いてご馳走してくれることになった。

そしたら、カエルが出てきましたよ。ちっちゃいカエルの姿揚げが。

奥さんがビルマから持ってきたそうで、わざわざわたしたちのために冷凍保存しておいてくれたとのこと。


骨まで食べられる、ってやつで。

Tattoo You

ビルマの人の中には、入れ墨をしている人がいる。

入れ墨といっても、日本人が思い浮かべるような倶利迦羅紋々的な派手な代物ではなく、たいてい、宗教的な意味を持つ素朴な記号や文字だ。黒っぽい緑色で、腕や手首あたりに彫られている。

それはどういう意味があるのか、とわたしはたまに聞くが、あまり明確な答えは返ってこない。おそらく、当人もよくわからないのだろう。多分、何か呪術的な役割があるのだろうが、こうしたものの意味はたいていの人には分からないものだ。日本人だって、例えば、お守りがどうしてあんな形をしているのか、答えられる人はまずいないはずだ。

とはいえ、これとは別に、意味のはっきりしている入れ墨もある。

多くの在日ビルマ難民が、日本で在留資格を認められるようになり、家族に会ったり、政治活動をするためにタイに行くようになった。

で、バンコクではどこでも彫師がいて、観光名物といってもいいほどだ(白人は結構、入れ墨が好きなようだ)。

そこで、バンコクに行った在日ビルマ難民も、ちょっとした記念に、というわけだ。値段もそれなりに安いらしい。

この場合は、図柄の意味は明確だ。わたしが知っている人は、国民民主連盟のメンバーだが、そのシンボルのクジャクを二の腕に彫ってもらっていた。

で、帰って妻に見せたら、怒られたという。

友人のカレン人も同じようなクチで、タイに行くたびに彫り物が増えて行く。

もっとも目立つのは、カレン民族解放軍(KNLA)のマークと、カレン人の政治信条(英語)で、これは胸に彫られている。

「われわれにとっては降伏は問題外。
カレン州の承認が成就されねばならない。
われわれは武器を手放さない。
われわれが自らの政治的運命を決めるのだ」


また、腕にはカレン民族の旗が彫られている。他にも、いくつかあるのだが、わたしはこれらについては書かないこととする。

というのも、これらの入れ墨を見たカレン人の女性たちの引きっぷりといったらない、「カレン人の恥だから、写真なんて取らないで!」とわたしに懇願する始末。