2012/06/22

天国と地獄

友人のチン人の牧師が難民認定をめぐる裁判で勝って(これは新聞でも報じられた)、判決から2ヶ月してようやく正式に認定された。

彼はそのことを律儀にもわたしに電話で伝えてくれて、久しぶりに会って話でもしようか、ということになった。

チンといっても、その中にはいろいろな民族があり、互いに言葉も通じない。彼はハカー出身のチンで、同じハカー・チンのクリスチャンたちで教会を作った。

以前は確か西馬込にあったと思うが、6ヶ月前に大久保に移ったというので、その教会で会うことになった。

駅からさほど遠くないところにある古いビルの一室にその教会はあり、青い扉に金色の十字架が貼付けてある。


内部は狭くはない。少なくとも40人ぐらいは礼拝に出席できそうだ。礼拝堂としての設備も申し分ない。彼は「われわれには十分だ」と満足気にいう。

牛久の入管に9ヶ月と2週間収容されていた経験を持つ彼は、現在、牛久に収容されている難民(必ずしもビルマ出身者だけではない)に面会する活動を毎週続けている。わたしもある時期月一ぐらいで牛久に面会に行っていたことがあるが、東京から毎週というのは相当大変だ。金も時間もかかる。

それでも面会を続けるのは、やはり自分が収容されていたときにいろいろなことを感じ、考えたからだろう。わたしたちは牛久に収容されている難民の現状について話し合った。

外で人の話し声が聞こえ、扉が開いた。2人の男が礼拝堂に入ってきた。彼はわたしに紹介してくれる。ひとりはアフリカ、もうひとりはアジア出身の難民で、ともに牛久に収容されていた人たちだ。幸いにも仮放免されたものの、住む場所がないので教会を寝泊まりの場所としてしばらく提供しているのだという。

彼は2人にわたしを紹介した。すると、アフリカ人が英語でわたしに尋ねる。「君はクリスチャンかね」

わたしが「違う」というと、彼はいろいろな話をしてくれた。

「むかしコルネリウスと言う人がいた……ピーターがやってきて……ユダヤ人だけでなく……」おそらく使徒行伝の話だろう。わたしは分からないながらも話について行こうとする。たぶん、こんなことが言いたいんだ、どんなに立派なことをしたって、どんなに行いがキリスト教的だったとしても、イエスを信じなくては意味がない、と。「いつ死ぬか分からないのだから、君はイエスを今信じなくてはならない……天国がどんなところか分かるかね。それはそれは素晴らしいところだ。だが、どんなに良い行いをしても、イエスを信じていなければ、そこには行けないのだ。君が死ぬとしよう。君は裁かれる。君がたとえ難民のために何かよいことをしたとしても、君がイエスを信じていないというただそれだけのために、君は地獄に落とされる。炎で焼かれるのだ!……それに引き換え天国は! 光! 黄金が敷き詰められた道!」 彼は不意にわたしに尋ねた。「君、わたしの言っていることが分かるかね」

「は、はい!」 彼はわたしがおかしな顔つきをしているのに気がついたのだ。もう、笑いをこらえるのに必死で! せっかくわたしのためを思って話してくれているというに、せっかくわたしの行く末を心配してくれているというに……

YES! すみかぞかし。

2012/06/21

アラカンとロヒンギャ(5)

ロヒンギャとの対比において、タインインダーについて論じたさい、タインインダーにとってロヒンギャとは「民族」ではないと述べた。そこで、ロヒンギャとはいったいなんなのか、ということが問題になるが、アラカンのみならずタインインダーが一貫して主張していることに従えば、ロヒンギャは「移住者」ということになる。

だが、タインインダーはロヒンギャが移住者であるから、これに敵対しようとしているのではない。ロヒンギャが「民族」であると、つまりタインインダーのひとつであると主張しているからこれに敵対しているのである。タインインダーから見れば、ロヒンギャはタインインダーの決まり、暗黙の了解を破るものと見える。だから、タインインダーはこう考えるのだ。「われわれの決まり事を尊重できないのならば、ビルマにいることはできない、自分の国であるバングラデシュに帰れ」と。

しかしながら、この記事のはじめでも言った通り、ロヒンギャの人々はビルマこそ自分たちの国であり、ここ以外に帰る場所などない、と主張する(実際にバングラデシュはロヒンギャ難民の受け入れを拒否している)。ロヒンギャに言わせれば、自分たちはビルマ固有の民族(ethnic)なのである。

ロヒンギャがこう主張することと、自分たちがタインインダーであると主張することの間には距離がある。しかし、タインインダーにとってはその距離はまったく問題とならない。タインインダーは、われわれの目から見れば「曲解する」のである。

わたしにはどうしてそのような誤解が生まれるのかは分からない。もしかしたら、ロヒンギャ自身、あるいはその一部が自分たちをタインインダーと認めるように求めているのかもしれない。もっともわたしにはこれを裏付ける資料はないのだが。わたしはロヒンギャのことに関してはたいした知識も経験もないから間違っているかもしれないが、ロヒンギャが主として求めているのは、ビルマの国民としての権利の平等、ビルマ国民としての市民権であるように思える。しかし、アラカン州におけるロヒンギャの歴史には複雑ないきさつがあるようだから、その中でこれらの人々が「自分の土地」と言うべきものを持ち、それがアラカン人、さらにはタインインダーのナショナリズムにとって問題となっているのかもしれない。

いずれにせよ、本当の問題はロヒンギャにあるのではない。またアラカン人にもあるのではない。問題を引き起こしているのは、ビルマ民族を含めた広義のタインインダーという、ビルマの国の根幹ともいえる枠組み、いわばタインインダー・システムなのである。そして、アラカン人もロヒンギャもこのタインインダー・システムの犠牲者であるという点ではかわりはない。

ロヒンギャがムスリム(イスラム教徒)であることから、人々はしばしばこの問題を仏教徒であるアラカン人とムスリムとの対立、つまり宗教的な対立に由来するものと考える。しかしながら、仏教もまた、タインインダー・ナショナリズムを構成する主要な要素であることを考慮に入れれば、仏教対イスラムという宗教対立もやはり本質的なものではないことが分かる。つまりこの「宗教対立」はあくまでもタインインダー・ナショナリズムという背景なしには成立しえないものであり、決して双方の教義上、信仰上の対立が問題となっているわけではないのである。

要するに、タインインダー・システムさえ機能しなければ、ロヒンギャであろうとタインインダーであろうと、仏教徒だろうとムスリムだろうとあるいはキリスト教徒だろうと、何の対立もなく、何の不幸も、悲劇もなく、双方平安に共存できるのである。

だから、本当に問題なのは、ロヒンギャでもイスラムでもない。問題なのは、タインインダー・システムなのだ。このシステムが変わらないかぎり、タインインダーとそうでない人々との間に、悲しむべき出来事が起こり続けるであろう。

しかも、このタインインダー・システムは、ビルマの大多数の人々にとっては問うまでもない自明なものとして存在している(この自明性ゆえに先の「曲解」が生じたのかもしれない)。あまりにも当たり前なので、これ以外の枠組みがありうるとは想像できないのである。

だが、これをもってしてビルマの人々が想像力に欠けている、などと責めることはできない。なぜなら、その想像力のなさにかけては、われわれ「日本人」もやはり負けてはいないのだから。

つまり、ビルマの人々がタインインダー・システム以外に国の形を考えることができないのは、日本人が日本民族というフィクション、あるいは天皇や日本語などのいかにも日本的なものを離れて国の形を考えることができないのと、まったく軌を一にしているのである。

ここにいたって、われわれは遠いアラカンの地で起きていることとまさに同じことが日本でも起きていることに気がつかされるのである。

日本で生まれ育った在日朝鮮人・在日韓国人に対して「日本がイヤならば国に帰れ」とわれわれ「日本人」が言い放つことができるのも、また、日本に暮らす外国人たちが、さまざまな面で「日本人」よりも負担を強いられ、潜在的な不穏分子として扱われるのをわれわれが当然とすることができるのも、これらの人々が日本流タインインダー・システムを覆しかねない存在であると誰もが思っているからにほかならない。

アラカン人に対してもロヒンギャに対してもわたしは一貫してこれらの人々を裁くことを避けてきたが、それには理由があった。われわれの国、日本にも同じような問題があり、しかもいっこうに解決される気配もないのに、一体どうしてわれわれがこれらの人々に偉そうなことなど言えようか。

いや、ぼやぼやしてるうちに、日本人はアラカン人とロヒンギャにアドバイスされる側にになるに違いない。そして、わたしはそのような日が来ることを本当に願っている。

【資料】
アラカン人の立場を鮮明に記したものとして、アラカン民族運動の理論的支柱ともいえる神田外語大学のAye Chan先生の書かれた次の英文の公開書簡がある(ちなみに先生の肖像写真の撮影場所は高田馬場の駅前)。この書簡に付されたさまざまなコメントも興味深い。

Open Letter of Dr. Aye Chan to BBC Burmese

ロヒンギャ側、というかビルマのムスリム全体の問題として今回の事件を論じたものとして、日本の代表的な民主化活動家のTin Winさんの英文の記事("My Observation of accounts on recent communal violence in Burma and a brief analysis on its background")がある。重要なものだが、ネットでは公開していないようだ。

2012/06/20

アラカンとロヒンギャ(4)

今回のアラカン州での出来事の本質が、アラカンVSロヒンギャではなく、タインインダーVSロヒンギャであることについて書いたが、そこで見られるロヒンギャに対するビルマ国民(の大多数)の反応は、ある種の民族主義、いうならばタインインダー・ナショナリズムとでもいうべきものだ。

しかしながら、タインインダーの中でも、この「タインインダー・ナショナリズム」への向き合い方は、当事者であるアラカン民族、そうではないビルマ民族、それ以外の非ビルマ民族とでは異なっている。

まさに自分たちが当事者であるアラカン人にとっては、この問題はなによりもアラカン民族主義の問題であり、タインインダー・ナショナリズム的性質はその後にやってくるものだ。

いっぽう、当事者ではないビルマ民族にとっては、これははじめからタインインダー・ナショナリズム的問題として捉えられている。すなわち、多くのビルマ民族がこの問題に過剰な反応を示しているのは、アラカン州が「侵入者」に奪われようとしているからではない。タインインダーの土地が、つまりビルマの国土が侵犯されていると感じているからなのである。

これは一見アラカン人の反応と同じように見える。しかし、まったく違う。ビルマ民族がタインインダーの土地を侵犯されたと怒っているのは、アラカン人が自分たちのかつての王国の土地が奪われたと怒っているのとは全然違うのである。

ビルマ民族にとっては、アラカン州はビルマ民族の支配地なのであり、そこが「よそ者」に侵犯されたから怒っているのである。

だから、仮にアラカン人がアラカン州をここは自分たちの土地であり、ビルマ民族が奪ったのだ、と反抗するとすれば、ビルマ民族は総力を挙げてこれを押しつぶそうとするであろう。そして、これがカレン人、カチン人、シャン人などの諸民族とビルマ民族の政府との間でまさに起きていることだ。

要するに、ビルマ民族にとっては、タインインダー・ナショナリズムとは、ビルマ民族ナショナリズム(大ビルマ民族主義。ビルマ民族こそが他の民族を支配すべきだという考え)の別名なのである。

そして、このタインインダー・ナショナリズムに隠された大ビルマ民族主義を、アラカン以外の非ビルマ民族が気がつかないわけがない。これらの民族にとっては、ビルマ民族の覇権主義こそが最大の脅威なのであるから。

アラカン州の今回の事件について、非ビルマ民族の中からこういう声も聞かれた。「アラカン人とロヒンギャの対立は実はビルマ政府が仕掛けたのだ」と。以前はともかく今回は必ずしもそうではないとわたしは思っているが、こういうコメントが非ビルマ民族の中から出ること自体、多くの非ビルマ民族がこの問題を大ビルマ民族主義と関連づけて解釈していることの現れであろう。

いずれにせよ、アラカン以外の非ビルマ民族は、ロヒンギャに関する問題に関しては、きわめて慎重な対応を見せる(これは今回に限ったことではない)。まず、ビルマ民族と一緒になって声高にタインインダー・ナショナリズムを訴えるわけにはいかない。なぜなら、それは大ビルマ民族主義を承認することになりかねないから。しかし、だからといって、この問題を無視するわけにはいかない。なぜなら、それはアラカン人を孤立させることになり、ビルマ民族に対する非ビルマ民族の連帯を根底から崩しかねないから。

一番大変なのは、アラカン人だ(もちろん、ロヒンギャを除いて)。ビルマ民族は安全なところから「やれやれ、やっちまえ!」と煽り立てるばかり。かといって他の非ビルマ民族はのらりくらりして本当のところ当てにならない(それに自分たちの問題で手一杯なのだ)。実際、誰も自分たちの苦しみと怒りを分かってくれないのだ。

今回の出来事に関するアラカン民族のリアクションを批判するのはあるいは簡単かもしれない。特に、民族の問題に疎い日本人にとっては。だが、そんなことをしても何も変わらないのだ。アラカンの人々たちの苦悩と恐るべき孤独を感じ、これらの人々の立場に立ってみることなしには、今回の衝突がどのように生じたのかも理解できないだろうし、また再発を防ぐこともできないだろう。

さて、次にアラカンの人々からロヒンギャの人々へと話を移そう。

2012/06/15

アラカンとロヒンギャ(3)

ここで日本語を取り上げてみよう。

日本語では「血のつながりを前提とする(たいていの場合フィクショナルなものであるにしても)文化的な集団 」をしばしば「民族」と呼ぶ。そして、ビルマにおける同様な集団についてもそれらがビルマの「民族」であると考える。

これは日本語としては特に問題はないが、ビルマの人々の考えでは「民族」であることは、すなわちタインインダーであることを意味する。すなわち、タインインダーを離れて民族は存在しないのである。

これは英語のethnicでも同様で、ビルマの人々にとってはビルマのethnicとはタインインダーであることと同義なのである。

しかし、われわれ日本人にしても、英語話者にしても、そんなビルマの事情はまったく知らない。そんなわけで、カレンでもビルマでもアラカンでもチンでもロヒンギャでも、われわれはすべてこれらが民族であると考える。すべてethnic groupだと考える。これはこれで間違いはない。

だが、ビルマのタインインダーたちにとってはこれは、つまり、ロヒンギャがタインインダーと同じく「民族」というタイトルを持つことは、大いなる間違いなのだ。なぜならば、ロヒンギャはタインインダーではなくしたがって民族でもethnicでもあり得ないのだから。

わたしは、アラカン州におけるアラカンとロヒンギャの対立を「民族対立」と呼ぶのは2つの点から問題があるとしたが、そのひとつがこれだ。つまり、この両者の対立を「民族対立」と呼ぶことは、少なくともアラカンの人々にとっては、とうてい認めがたいことなのである。なぜなら、そう呼ぶことで、ロヒンギャを「民族」と認めることになるのだから。

では、なぜ、ロヒンギャを「民族」のうちに、タインインダーに含めるのが問題なのだろうか?

これは、さまざまな歴史的経緯を考慮しなくてはならないから、簡単にはいえないが、要するに、タインインダーは、ビルマ国内で民族固有の領土(アラカン州、カレン州、カチン州といった民族州)を持ち自治を行う権利を持っているということに関係がある。もっとも、これは軍事政権により実質的には実現してはおらず、現在のタインインダーはこの実現のために長い間軍事政権と戦ってきたのであるが、それはともかく、ロヒンギャをタインインダーと認めることは、ロヒンギャのために何らかの民族自治圏を設定しなければならないことを意味するのである。

これはアラカン人にとっては大問題である。つまり、アラカン人が考える自分の伝統的領土が、ロヒンギャによって奪い取られかねないのだから。

だが、これをアラカン人とロヒンギャとの間の問題と捉えるのも誤りである。なぜなら、ロヒンギャに奪われようとしているのは、アラカン人の土地であると同時に、アラカン人が含まれているタインインダーの土地でもあるのだから。

すなわち、問題はアラカン人VSロヒンギャではないのである。タインインダーVSロヒンギャなのだ。ここを理解しないと、なぜアラカン人だけでなくビルマ全体がロヒンギャに対してかくも過敏に反応しているかが分からない。

これがこの問題を民族対立とすることが誤りである2つ目の理由である。アラカンとロヒンギャが対立しているのではない。それはあくまでも表面的な見方だ。本質的にはタインインダーとロヒンギャが対立しているのである。

それでは、この対立の性質とは、なんだろうか?

それにはこのタインインダーなるものの性質について再び詳しく考察する必要がある。

2012/06/14

点が多い

御徒町のとある宝石卸店の看板。

  

ガチでカチンとくる。

アラカンとロヒンギャ(2)

実はこのタインインダーにはもうひとつ含みがある。「原住民族」という意味がそれだ。

すなわち、もともとビルマに住んでいた民族すべてを指すわけで、この意味ではビルマ民族も含まれることになる。

実際、ビルマ民族と他の非ビルマ民族が協力して働くときには「われわれみなタインインダー」という意識というか建前が共有されることもある。

要するに、タインインダーという語には「非ビルマ民族」と「原住民族」という2つの意味があり、前者が問題となる場合にはビルマ民族は含まれないし、後者が問題となる場合にはビルマ民族が含まれるというわけだ。

では、後者が問題となるのはいかなる場合か? 

そのひとつが、ロヒンギャの人々に関する問題であり、アラカン人だけでなく他のすべてのビルマ諸民族は「ロヒンギャはタインインダー」ではない、という点で(少なくとも表面的には)一致している(ちなみに、タインインダーには含まれない他の集団としては、中華系のビルマ人、インド系のビルマ人などがある)。

それゆえ、さきにわたしは「タインインダー」を「非ビルマ民族・少数民族」でもありうるとしたが、これは実は正確ではないことになる。なぜなら、非ビルマ民族や少数民族という言葉にはロヒンギャや中華系のビルマ人も含まれうるから。

ゆえに正確には「タインインダー」とは「ビルマにもともと住んでいた民族の総称で、このうちビルマ民族は含まれないことがある」とでも定義するほかあるまい。もっとも、原住民族かどうかは相対的なものだ。多くの非ビルマ民族にいわせれば、もっとも最後にやってきたのはビルマ民族ということであり、それゆえビルマ民族は原住民族ではないという主張も成り立つのである。

それでも、ビルマ民族がこれに含まれることがあるのは、「タインインダー」という語とそれにまつわる意識(の変容)がビルマ連邦という国家の形成に関わっているという歴史的な事情があるためだと考えられるが、ここではこれには触れない(わからないので)。

いずれにせよ、「タインインダー」というのはビルマ国内の民族理解を反映した独特な概念であるのだが、この概念が問題なのは、残念ながらビルマ国外ではまったくこれが通用しない、ということなのだ。

アラカンとロヒンギャ(1)

ロヒンギャというのはビルマのアラカン州のムスリムの集団で、これらの人々は自分たちはむかしからこの地で暮らしてきたと主張する。

いっぽう、アラカン州の主要民族であるアラカン人が主張するのは、ロヒンギャたちは、隣国バングラデシュからやってきた新参者にして侵入者である、ということだ。

だから、アラカンの人々にとっては、ロヒンギャがあたかも自分たちが代々守ってきた土地、歴史あるアラカン王国の地を奪おうとする無法者のように映る。

現在アラカン州で起こっている暴動の背景には簡単にいえばこんな事情がある(ただし、詳しいことはアラカンの人やロヒンギャの人に聞いたほうがいいだろう)。

だから、これを民族対立や宗教対立と捉える人も多い。だが、面白いことに、これは2つの見地から、民族対立ではない。また、宗教対立と捉えることにも問題がある。

ビルマにはたくさんの民族が住んでいるが、これらを総称するビルマ語の名称があり、タインインダーという。すなわち、カチン民族も、アラカン民族も、カレン民族も、チン民族も、みなタインインダー、というわけだ。

では、ビルマ民族はどうなるか。わたしの感じはタインインダーにビルマ民族が入るかどうかは半々という感じだ。

そもそも、タインインダーは山の民とか言う意味で、平地に暮らすビルマ民族とは区別して山に暮らす非ビルマ民族を意味しているようだ。

したがって、タインインダーにはビルマ民族は含まれないことになる。

これは、しばしば非ビルマ民族指導者が「われわれタインインダー」とビルマ民族との対比において語る例からも分かる。

いっぽう、ビルマ民族もまた自分たちをタインインダーとは見なしていない。田辺寿夫さんはビルマ語通訳として日本で最高の方だと思うが、その田辺さんが、自分のビルマ語がビルマ民族に「タインインダーのビルマ語」だと言われた、と若干悔しそうにその著書でお書きになっている。つまり、ビルマ語を母語とする人々から見たら、ビルマ語を母語としないタインインダーのようにやや違和感のあるビルマ語だった、というわけで、要するに、ビルマ民族もまた自分たちはタインインダーに含まれない、と考えているのである。

となると、タインインダーは「少数民族」もしくは「非ビルマ民族」という訳語が適当のように思える。だが、これには問題があるのだ。

2012/06/11

演説

5月30日、ディペーイン虐殺事件から9年目のこの日、ビルマ大使館前で政府に真相究明を求めるデモが行われ、わたしは在日ビルマ難民たすけあいの会を代表して演説した。

あらかじめ数分演説すると聞いていたので、原稿をプリントアウトして行った。この程度の演説でわざわざ準備したわけ。

わたしはしゃべるのがへたで、滞在歴20年の外国人のほうが立派に日本語で演説することがあるほどのなので恥ずかしい。

へたくそでも堂々としゃべればよいのだが、わたしは卑劣な演技をした。デモ参加者の前に立って、演説をはじめるまえに、原稿をポケットから取り出して、ちらと見て再びしまったのだ。もちろん、そんなことをしたところで、書いた内容が頭に入ってくるわけはない。

自分がへただと分かっているのなら、はじめから最後まで原稿を見て話すがよい。

原稿を見ずに話せる自信があるのなら、はじめにチラ見なんかするもんじゃない。

それでもこんな中途半端なことをしたのは「一応準備はしてきたんですがね、これを読み上げるのは止めときましょ。だって、演説しているみなさん、そうしてないでしょ。だから、万やむを得ず、断腸の思いで仕舞うわけです。そのせいでわたしがうまく話せなかったとしても、わたしのせいではないですからね」 と、太々しくもアピールするため。

で、結果は惨憺たるものだった。通訳の方に迷惑をかけた(とても日本語ができる人だ!)。あまりに支離滅裂なので、みんなが怒りだすのではと思ったくらい。危うく逃げ出すところだった。しかしどこに? ここじゃビルマ大使館以外ない。抗議にやってきたはずのビルマ大使館に逃げ込もうとするとは、こりゃなんたる珍事件! この爆笑映像がネットに流出したなら、世界中がこぞって「いいね!」ボタンを連打することだろう。

ま、そうならずに済んだ。よくよく考えてみりゃ、わたしの話の内容なんか大して重要じゃない。なお、演説原稿はBRSAのほうに資料として掲載してある(こちら)。

2012/06/09

ドクダミPart2

先日、カチンの人が作ってくれた野生のドクダミ草のサラダについて書いたが、別のカチンの女性がこのドクダミ草について面白い話をしてくれた。

その人がビルマから日本に逃げてきたのは1990年代の初め頃で、最初は日本語学校に通っていた。結局、経済的な事情と日本のビルマ大使館の杜撰な仕事のため、勉強は続けることはできなくなってしまったのだが、学生時代はとにかく貧しかったのだそうだ。

そんなとき、彼女のおなかを満たしてくれたのが、件の野草。彼女が住んでいたアパートの路地に、ドクダミがたくさん生えているところがあり、毎日のように摘んではカチン風に料理し、これと実家から送られて来る干し納豆でご飯を食べていたのだという。

しかし、あるとき、 いつものようにドクダミを摘みに行くと、草地がすべて刈り取られていた。

「その近くに年配の女性が住んでいて、いつもわたしのすることを見てたんです。それで、そんな汚い草を食べないようにと心配して、全部草を刈ってしまったんです」

と彼女は感謝しながら言ったが、もっと意地悪な解釈を選ぶ人もいるにちがいない(わたしもそのひとり)。
 ドクダミ草近影(都内某所にて)

尻拭い

いやな仕事だ。汚れ仕事だ。尻拭いだ。だが、日本人がしでかしたことだ、日本人が後始末をしなくっちゃあ。てなわけで、BRSAのほうに前会長についていろいろ書いた。

大瀧妙子前会長の言動について
「ビルマ式会長と日本式会長」
「会費と後任問題について」
「大瀧前会長の3月の入管訪問に関して」

あんまり人のことはとやかくいいたくはない。書いたってこっちのほうには何の得もないし。かえってわたしの評判が悪くなるばかりで。とんだ憎まれ役だ。だけど、そうなったってわたしは死ぬわけじゃない。どんなに憎まれようと、この日本じゃ誰もわたしに指一本触れることもできない。しかし、難民認定申請者となると話は別だ。入管じゃどんな下らん誤解でも、難民申請者の命を縮めかねない。結局、つらいのは申請者だ。わたしじゃない。わたしの評判なんて糞だ。その糞だってきっといつか誰かが拭ってくれることだろう。

2012/06/08

上陸拒否

日本でオーバーステイとなり、難民認定申請をし、途中で諦めて、去年ビルマに強制送還された友人がいる。

ビルマに帰ったものの、やはりいろいろ不都合があったようで、現在はシンガポールに逃げているという。

その彼から電話がかかってきた。英語と日本語のチャンポンで何言ってるのか分からない。

どうやら、シンガポールでもタイでも生活が成り立たないから、また日本に来たい。だから、待ってて、ということらしい。

退去強制させられた人は最低5年間は日本にやってくることはできない。

だが、彼、「来年行きます! わたし、頑張ります!」

いいって! 頑張んなくて!

2012/06/05

2012/06/04

在日ビルマ難民たすけあいの会HP

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のHPを先日リニューアルした。

2008年3月に会が始まったときわたしが作った(というほどものではなないが)もので、現在まで続いている。

昨年の8月にわたしはこのHPの更新という仕事から離れ、別の方が担当してくださっていたのだが、今年の5月から再び関わることになった。

もっとも、わたしがやらねばならないというわけではなく、誰かほかの適任者がいればその人のほうがよいのだろうが、いまのところいないので仕方がない。

ちなみにトップのデザインは、BRSAの活動の写真をフリーソフトで漫画のように処理したものを、ワープロソフトで切り貼りして、pdfで書き出してさらにそれをjpgで書き出して作った。得意な人から見れば、恐ろしく祖末なやり方だろうが、わたしにできるのはこの程度(Photoshopなどの高価なソフトはないし、あっても使えないし、また使いたくもない)。

このブログ(もっともわたしは自分の書いているものがブログと呼べるものなのかどうか疑っているが)からもリンクしているので、暇な方は覗いてみてほしい。