2010/05/07

古き良き体罰

ぼくが子どもの頃は教師が子どもに体罰を行うのは普通のことで、小学校と中学校ではよく殴られたものだった。

今なら、不登校になってもおかしくはなかったかもしれないが、殴られても殴られても文句をいわずに通っていたのは、おそらく殴られた衝撃のせいで頭がおかしくなってしまっていたからだろう。

今では、体罰と聞くととんでもないことのように思えるし、またそれが当たり前のことだったふた昔ほど前の時代が、いかにも野蛮な時代だったように感じられる。

それは実際そうなのだ。体罰が必要であると考える人もいるだろうが、体罰によって生まれる悪のほうが体罰をしないことによって生まれる悪よりもはるかに大きい、と思う。そして、その悪が減少した分だけ、世の中はよくなっているといえるわけだ。

子どもを小学校に通わせているあるカレン人のお母さんが、こんなふうにこぼした。「日本の先生は弱すぎるね。ビルマの先生はもっと厳しいよ」

日本の教師はもっと子どもをピシリとやるべきだというのである。

こういう言葉を聞くと、「ああビルマはいい国だ」などといって、古き良き失われた日本をそこに見いだそうとする人が必ずいるものだ。

ぼくはそうは思わない。むしろ、そうした教師の実力行使が、ビルマ社会にはびこる暴力とどこかでリンクしているのではないかと考える。そして、またこうも思う。そんなふうに昔を美化する日本人も、子ども時代に殴られすぎて、頭がどうかしてしまったに違いない、と。