2010/09/27

無駄話

「もちろん強制するわけではないのですが、政治活動はしっかりやった方がいいですよ」とぼくは、あるビルマ人難民認定申請者に語る。

「ええ、それは分かっているのですが、どうも引き籠もりがちで」

「少しの間ですよ。ビザが貰えるまでの間、一生懸命デモに参加したり、集会に参加したりすればいいのです。何も一生続けろというわけじゃないんです。もし、デモだのなんだのが性に合わなければ、雑誌に記事を書いたり、インターネットで自分の意見を発表してもいい。要するに、自分のやりたいように政治活動をするのが一番なんです。とにかく、保証人であるぼくとしてはあなたに早くビザを取って欲しいんです」

「ええ、ええ」と肯きながら、彼は仮放免期間延長届をカバンから取り出し、ぼくの前に差し出す。彼は、身元保証人であるぼくの署名の入ったこの紙を持って、3ヶ月ごとに入管に出頭しなければならない。

「最近、入管もちょっと厳しくなっているようです。ことによったらもう一度収容だなんてこともあるかもしれません。そうなってからでは遅い。収容される前にたくさん活動して、しっかり準備しておかなくてはなりません。収容されては何もできませんからね。ところで、入管に行くのはいつです?」

ぼくの署名の入った紙をカバンにしまいながら彼は答える。「明日です」

「そうですか。政治活動のことだったらいつでも相談に乗りますよ。じゃあ、また何かあったら連絡下さい」

翌日、彼からの留守電。「もしもし、わたしは今入管の中にいます!」

2010/09/17

菜っ葉

他者に対する恐怖、あるいは自信のなさ、果ては単なる習慣から、萎縮してしまって自分らしさを発揮できないというのが、多くの非ビルマ民族に見られる共通の態度であるが(これには反動として、虚勢を張るというのも含まれる)、これはもちろん長年の弾圧を生き延びる中で身に付いたものである。

日本では少なくとも民族や政治を理由に弾圧を受けることはないのだが(差別を受けることはあっても)、それでもこうした態度はなかなか抜けないものだ。

あるカチン人夫婦がいて、難民認定申請をしているにもかかわらず、外の世界が怖くて、仕事以外はいつも引きこもってばかりいた。その妻の姉に向かって、あるカレン人がこう言ったそうだ。

「あんたの妹夫婦はなんなの、毒かけられた菜っ葉みたいなツラして!」

1107

CRAZY KEN BANDの新曲「1107」は、滋味のあるいい曲だが、これで「いいおんな」と読ませる。

われわれビルマ問題に関心を寄せるものにとっては、1107といえば、今年の11月7日に行われるビルマの総選挙である。

なので、「いいおんなの日はビルマの総選挙」と覚えることを提唱したい。

2010/09/06

盛夏

8月のはじめ、あるビルマ人に、金曜日に仮放免で出てくる人がいることについて話したら、その人がいうには「よかったね。入管では土日にシャワーを浴びることができないから。この暑さでは大変だものね」とのこと。

2010/09/03

入管でみるみる痩せる

仮放免の申請に行ったら、昨日書いた収容中に10キロの減量を果たした人にたまたま会うことができた。

この人とのつきあいを数えてみれば14年。ともに飲み食いし、ともに肥えてきた仲間といっても過言ではない。

ひとりだけ痩せるなんて・・・・・・という気持ちがないといえば嘘になる。そこで、どうして痩せたのか聞いてみた。

彼がいうには、断酒をしたことと、適度に運動したこと、寝る前にさらに運動をしたことによるのではないかという。

収容中はお酒は飲めないから、断酒は当たり前。運動は毎日45分の運動タイムで。この運動の時間では若い人はよくサッカーなどをするが、彼は歩いたのだそうだ。

3つめの寝る前に運動、というのには理由がある。入管の就寝時間は午後10時で、それ以降、何もすることはできない。ライターも使えなくなるので煙草も吸えない。喫煙者の彼は、はじめの頃、夜中に目が覚めてしまい、煙草が吸えなくて困ったそうだ。それで、寝る前に体を動かしてみたら、ぐっすり眠れたので、それが日課となったのだとのこと。

無事でなにより

入管に6ヶ月収容され、今週釈放されたカレン人について「80キロの体重が70キロになった! 入管で痩せた!」との報告が入った。

ま、無事でなにより。

素晴らしき安定政権

ビルマの人から、どうして日本の首相はコロコロ変わるのか、ダメではないかといわれた。

22年も軍事政権が居座っている国の人にいわれる筋合いはないよな。

それはともかく、不安定な政治状況は、たとえ政権への信頼と政策の一貫性を損ねるとしても、すくなくとも日本が民主主義の証明なのだから、積極的に評価されるべき面もある。

国のトップが容易に変わるというのは、本当はありがたいことなのだ。

もっとも、日本社会が憂さ晴らしとして首相の交代を悪用している傾向は否定できないが。