2010/10/06

文化的独断論をめぐって(5/8)

ぼくの基本的な立場は、ビルマ役員が思う通りに選挙を すればよいというものであった。とはいえ、それはビルマ人のやり方がよいと感じているからではない。大瀧会長がビルマ役員の選挙のやり方につ いて感じている不満のいくつかは、やはりぼくも共有している。その意味では、大瀧会長はある程度は正しい。だが、ぼくがそれでもビルマ流のや り方を推すのは、それがもっとも現実的、プラクティカルだと判断しているからだ。

選挙のやり方にせよ何にせよ、BRSAのすべての活動はある一定の文脈に依存してい る。まず、BRSAは日本に存在するたったひとつのビルマ難民団体ではない。それは、 いくつもある他のビルマの政治団体との関係において存在している。したがって、BRSAの 決定は、それらの他の団体との兼ね合いをも考慮に入れてなされなくてはならない。

具体的にいえばこういうことだ。BRSAの総会において行われた選挙のやり方は、大瀧 会長から見れば異常なものだったかもしれないが、これは実のところ、ビルマ難民の団体の選挙ではごく普通のものなのである。いや、それどころ か、これら団体の水準からみれば高くすらあったといっていい。民主化をうたいながらロクな選挙もできない団体もあるのだ。

それはともかく、もちろん在日ビルマ人社会においてひとつの共通したやり方が実践されているからといって、その正当性が保証されるわけではな い。だが、これは少なくとも次のような事態を意味しうる。すなわち、選挙にせよなんにせよ、ひとつの実践を共有することが、在日ビルマ人社会 において自分たちが協力して民主化運動に参加している、軍事政権を倒すために共通の目標に向かっているという意識の共有につながっているので ある。