2009/04/30

本当に「長井さんのおかげ」か(3)

田中龍作記者による記事「長井さんのおかげ」在日ビルマ人在留特別許可急増[JAN JAN]についてこれまでくどくどと論じてきたわけだが、最後にひとつだけ付け加えたいことがある。

それは、たとえ法務省がビルマ人に対する在留特別許可(難民認定ではなく)を人道的配慮から急増させていることをプラスに評価するとしても(急増しているわけでもなく、またそれほど人道的でもないというのがぼくの結論だが)、それが長井さんの死のおかげだとは断じて言えないということだ。

その好転は、むしろ、
入管での長期の収容生活や厳しい難民審査を耐え抜いた数多くのビルマ国籍難民認定申請者たちの不屈の精神、日本人の弁護士と支援者たちの献身、そして不備のある法体制の中なんとか人間的であり続けようとする入管の(一部の)職員たちの労苦にこそよるものなのだ。

そして、それでも長井さんの死が法務省の態度に影響していると主張するのなら、ぼくは彼の死とともに、入管での長い収容の後に死んだ人々や、あのサフラン革命の弾圧で殺された僧侶たち、市民たち、あるいはビルマのあらゆる辺境で軍事作戦の犠牲となっている非ビルマ民族の子どもから老人までのあらゆる人々の死もまた、同じような、いやそれ以上の影響力を持っていることを指摘したい。

なぜなら、これらの悲惨な死の総体こそが、難民性の根拠となる迫害の事実そのものなのであるから。


「『ナガイサン・イェ・チェズージャウン(長井さんのおかげです)』は今、在日ビルマ人の流行り言葉となっている。 」と記事は締めくくる。


ぼくはこんな言葉は聞いたことがない。もっとも、だからといってそれが記事の真偽に関わるわけではないが。


だが、なんにせよ、これはあくまでも心優しきビルマ難民の日本人に対するリップサービスとして受け取っておいたほうがよさそうだ。まともな政治活動家が、そのようなことが本気で言えるはずがないのだ。それは、ビルマで殺された数知れぬ人々の死を蔑ろにするに等しいからだ。


だから、もし仮にこんな言葉を大真面目に口にする難民がいたら、われわれ日本人としては、軽率にも得意がったりせずに、逆に眉をひそめるかたしなめるかしたほうがよい。


政治家や政治活動家が人の死を軽々しく称揚するとき何が起きるか、それはわれわれの重々承知するところなのだ。

2009/04/29

大麻

海外在住の友人が大麻を常用しているのを知り、少々興味がわいたので、麻薬汚染で知られるビルマ北部出身のカチンの人に大麻について尋ねたら、「ああ、あのどこにでも生えていて、中学生がやるヤツね」という答えが返ってきた。

カチン州やシャン州北部で大量に生産されているのは、アヘンの原材料となるケシ。現地には、これを薬として子どもに服用させる村人もいるとのこと。

2009/04/27

NDF33周年記念式典

NDF(National Democratic Front - Burma)は「民族民主戦線」とも「国民民主戦線」とも訳せるが、一番正確には「ビルマ諸民族民主戦線」とでもしたらよいかもしれない。

というのも「民族民主戦線」だとひとつの民族のための組織のようだし、「国民」とするとこの団体の掲げる「民族解放の闘い」という目標からずれてしまう。

やや説明臭いが「ビルマ諸民族」(あるいはビルマ少数民族)としたほうが、カレン、チン、アラカン、モンなどの9つの非ビルマ民族の諸組織からなる軍事同盟体であるNDFの性質をよく表しているように思う。

NDFは1976年5月10日にタイ国境で結成された。1976年というのは重要だ。なぜなら、それは1988年より10年以上も前だからだ。日本ではビルマでの反政府活動というとどうしても1988年の民主化活動の全国的な盛り上がりや、スーチーさんの登場、政府による残酷な弾圧ばかり取りざたされるが、非ビルマ民族はそのずっと以前から、軍事政権と闘ってきたのだ。

それはともかくNDFの結成33周年を記念する式典を日本ではじめて開催する、という案内をNDFの日本代表を務めるマイチョーウーさんからいただいた。

日時:2009年5月10日午後6時〜午後9時
場所:南大塚地域文化創造館(南大塚ホール)第1会議室
連絡先:03-5960-4440
vedanjp@yahoo.com

マイチョーウーさんはパラウン民族の政治活動家で、現在の日本の非ビルマ民族の政治運動の中心人物の1人だ。同じくNDFに所属するカレン民族同盟(KNU)とモンのグループも協力している。式典には他の民主化組織も多数参加する予定。日本人も参加歓迎とのこと。

2009/04/22

本当に「長井さんのおかげか」(2)

田中龍作記者によるビルマ難民問題に関する記事へのコメントの続き(「長井さんのおかげ」在日ビルマ人在留特別許可急増[JAN JAN])。 前回は、この記事の主張する「在留の特別許可を受けた在日ビルマ人の数が急増している」という事実が本当にあるのか、という点に関して論じた。

要点をいえば次のようなものだ。

確かに統計上は急増はしているといえる。だが、その「急増」の理由が、記事で主張されているように入管が「送還は人道にもとると判断した」からであるとは、簡単には言えないのではないか?

つまり、ここ数年の難民申請者数の傾向と、審査にかかる時間を考慮すると、その急増の背景には、単なる申請者の増加という要因も無視できないからだ。要するに申請者が増えたから在留特別許可も増えたに過ぎないということだ。

この認識は重要だ。なぜなら記事の論の運びは次のようなものになっているからだ。

「ビルマ人在留特別許可者が急増」
       ↓
「入管が人道的な判断をするようになった」
       ↓
「その背景には2007年の長井さんの非業の死がある」
       ↓
「長井さん、ありがとう!」

ところが、数字を見るかぎり、この「急増」を入管の態度変更にそのまま結びつけるのはやや早計のように思える、というのがここでの結論であるから、この論の成り立ち自体、アヤシくなってくるのだ。

しかも、増加しているのは難民認定ではなく在留特別許可だ(記者が記事中でこの区別を認識しているのかどうかは分からないが)。

認定難民と在留特別許可者がどのように違うかというのは、いろいろな側面から論じることができるだろうが、重要な違いのひとつは認定難民が難民条約という国際的な枠組みの中で規定される地位であるのに対し、在留特別許可は、人道的に在留を認めるべきだ、と日本政府が個別に判断して与えるドメスティックな地位であるということだ。

とすると、在留特別許可の増加は、やはり日本政府がビルマ難民に対して人道的に配慮をはじめた結果なのではないか、と考える人もいるかもしれない。

だが、実際はその逆である。その理由を次に挙げる。

1)在留特別許可は、申請者の難民性の否定を前提としている。

在留特別許可は、通常、難民不認定の通知の直後に行われる。つまり「あなたは難民ではないですが、人道的な理由から滞在を認めますよ」ということだ。しかし、もし法務省がビルマ問題について人道的見地から取り組んでいるのならば、その認識はなによりも難民性の認定そのものに表れるべきではないのか。

これがもし、他の難民条約署名国ではビルマからの難民についてその難民性を高く評価していない、というような状況があり、これに対して日本政府が「難民とは認められないが、我が国独自の判断でビルマ難民の滞在を認めよう」という理由で、在留特別許可を増やすのならば、話は分かる。しかし、世界のビルマ難民の受け入れ状況を見るかぎり、事態はその反対のようである。

2)法務省のいう「人道配慮」の基準が明らかではない。

難民条約には誰が難民なのかということについての規定があるが、日本の法務省の下す「人道配慮」にはそのような明文化された規定はないようだ。要するに「人道」とはいうものの、あくまでもこれは法務省のいう「人道」なのであって、その人道配慮は、基本的人権なり、普遍的人間性に基礎をおくものではなく、むしろ法務省のさじ加減ひとつで変わりうる「法務省的配慮」である可能性が高い。

だから、法務省が予告なく態度を変えて、ビルマ国籍者の在留特別許可が急にゼロになる可能性もありうるのだ(ビルマで2010年に行われる選挙以後、それはありうるだろう)。

別の見方をするならば、在留特別許可のこのような恣意性こそが、その「乱発」に通じているともいえる。法務省としては認定難民を増やしたくはないのだ。そして、認定難民は国際的な枠組みの中で規定されているため、一度認定数を大幅に増やしてしまったら、難民条約署名国の立場からしても、また役所的前例主義からしても、減らすのは難しい(現在のところ認定数50前後を維持しようとしているように見える)。その点、在留特別許可制度は、便利だ。自分の国のなかですべて処理できるからだ。

だから、在留特別許可の急増とは、国際的な問題である難民問題を国内問題として処理するための法務省の作戦であるとする見方も成り立ちうる。

とすると記事の主張する「ミャンマーへの送還は人道にもとる、と当局が判断した」という点についても、それが本当かどうかはかなり疑わしくなってくる。

これまでの入管の態度を観察していると、法務省としてはむしろビルマ人難民申請者を全員帰してしまいたいようにすら思える(かつてほどではないにせよ、収容中の難民認定申請者がまず直面するのが、入管職員による「帰れ」攻撃だ)。

だが、そのいっぽう法務省は実際にはビルマ人を送還できない状況があることも理解している。かといって、難民認定を増やすわけにもいかない。こうした状況における窮余の策として法務省は在留特別許可制度を乱用しているに過ぎないのであり、その口ぶりとは裏腹に「人道」とはたいして関係がないのだ。

もちろん、ビルマ国籍者の難民認定申請者を強制送還しない、というのはひとつの人道的配慮、ある程度は評価できる配慮、である。だが、ぼくの知るかぎり2003年頃から入国管理局が帰国を拒否するビルマ難民認定申請者を強制送還していないということを考慮すれば、この配慮は、長井さんの死とはまったく無関係だ。

それゆえ、入管の判断の変化には「内外にビルマ軍事政権の非道さを訴えた長井健司さんの死が、大きく影響している」という記事の主張にも疑問符をつけざるをえないのである。

2009/04/21

先生いろいろ

金正日ほど有名ではないがビルマの独裁政権のトップはタンシュエという軍人で、現在76歳という高齢。

あるビルマの人に、いずれ彼が死亡したらビルマの政治も変わるのではないか、と尋ねたらこんな答えが返ってきた。

「先生が死んだら、生徒が先生になるのです」

ところで、この「先生」という言葉、ビルマ人に限らず入管の収容者が、収容所の職員に呼びかける時に使う。「先生、お願いします」とか「先生、ちょっと待ってください」とかいうように。

収容経験のあるカチン人のひとりが「20代の職員が、先生だなんて呼ばれていい気になりやがって」と憤慨していたが、「触らぬ神に祟りなし」という収容者の圧倒的に弱い立場、あるいは「慇懃無礼」にも似た収容者のやり場のない怒りも読み取れる表現だ。

ビルマ語では「先生」を「サヤー」といい、名前の前につけて「〜〜先生」という表現を作る。この「サヤー(女性にはサヤマ)」に関して、田辺寿夫さんが「敬して遠ざける感じの目上の人によく使う」と書いていることも付け加えておこう(『それを言うとマウンターヤの言いすぎだ』p. 54)。

2009/04/20

NLDダイアリーその後

今年の1月4日に取り上げたNLDダイアリーだが、先日品川入管の面会待合室で、このダイアリーの制作者にたまたま出会った。ミンミンテインという方で、在日民主化活動家とともに『アリンエイン』というビルマ語の月刊誌を発行している。

このダイアリーについて、「紙質はよくないからタイあたりで作ったのでは」などと書いたが、正真正銘の日本製とのこと。失礼いたしました。

このダイアリーには茶色のビニール製の表紙がついていて、表にはただ「2009 DIARY」とだけ書いてある。ずいぶん素っ気ないなと思っていたら、ミンミンテインさんがこんな話をしてくれた。

「この表紙は、知り合いを通じてビルマで頼んでつくってもらったもの。日本でこうした表紙を作ると高くなってしまうから、わざわざビルマで作った。頼んだ段階では表紙に『NLD』という金文字が入る予定だったけど、いざお金を払って作る段になると、怖がって印刷してくれなかったんだ」

なお、アリンエインのウェブサイト(ビルマ語)はこちら。

2009/04/15

本当に「長井さんのおかげ」か(1)

インターネット新聞『JANJAN』に掲載された田中龍作記者の記事、「『長井さんのおかげ』在日ビルマ人在留特別許可急増」(4月14日)は、先日吉祥寺で開かれたビルマの水かけ祭を取材したもので、こうした記事を通じて在日ビルマ難民の姿が知られるのは非常によいことだと思うのだが、その内容には極めてアヤシイところがある。

記事の内容はといえば、その冒頭に置かれた要約に尽くされているので、それをまず引用しよう。

「ビ ルマ民主化同盟の主催でビルマの正月を祝う「水掛祭り」が井の頭公園で開かれた。在留の特別許可を受けた在日ビルマ人の数は最近、急増している。ミャン マーへの送還は人道にもとる、と当局が判断したためだ。内外にビルマ軍事政権の非道さを訴えた長井健司さんの死が、大きく影響しているものと見られてい る。「ナガイサン・イェ・チェズージャウン(長井さんのおかげです)」は今、在日ビルマ人の流行り言葉となっている。」

この短い文章の中で、ぼくがアヤシイなと思うのは3箇所、そしてアヤシイかどうかは別としてヒドイと思う箇所はひとつ。

まずアヤシイ3点を並べてみよう。

1)本当に「在留の特別許可を受けた在日ビルマ人の数は最近、急増している」のか。

2)本当に「ミャンマーへの送還は人道にもとる、と当局が判断したため」なのか。

3)そしてその判断には「内外にビルマ軍事政権の非道さを訴えた長井健司さんの死が、大きく影響している」のか。

まず(1)について。

記事にはこのようにある。

「在留特別許可認定を受けた在日ビルマ人は2007年は33人だったが、2008年は382人と急増した(法務省入国管理局統計)。」

これだけみると、なるほどそうかな、と思う。だが、記者が「法務省入国管理局統計」として依拠したのは「平成20年における難民認定者数等につい て」(2009年1月30日法務省入国管理局発表)だと思われるが、この文書に直接あたってみてすぐ分かるのは、この引用文自体に不注意な誤りが含まれて いることだ。記者は比較の仕方を誤っているのである。

すなわち、2008年の382名とは、難民認定されたビルマ国籍者38名と「人道的な理由により在留を許可された(以後これを在留特別許可と呼ぶ)」ビル マ国籍者344名の合計なのだが、これと比較するならば2007年の難民認定されたビルマ国籍者35名と在留特別許可を受けたビルマ国籍者69名の合計、 104名を示さなければならない(これは前年の統計を見ればすぐ分かる)。だが、記者の挙げる数字はそれとは一致しない。

33名という数字の根拠は分からないが、ともあれ、法務省発表に依拠するかぎり、先の引用文は次のように訂正されなくてはならない。

「*(訂正)難民認定もしくは在留特別許可認定を受けた在日ビルマ人は2007年は104人だったが、2008年は382人と急増した(法務省入国管理局統計)。」

104人から382人。数字は間違ってはいたものの、なるほどそれでも急増の部類に入りそうだ。だが、この急増をそのまま記者の言う通りに、つまり法務省がビルマ難民を人道的に受け入れはじめたことの表れと解釈していいものなのだろうか。

2008年の難民認定申請数は1599件(うち979件がビルマ国籍者)だが、そのすべてが2008年のうちに処理されたわけではない。2008年の処理件数というものも公表されていて、それを見ると918件となっている。すなわち、700件弱の申請が2008年のうちに処理されず次年度に持ち越されることとなる。

ここで、2007年の統計も見てみると、申請数は816件(うち500件がビルマ国籍者)、処理数は548件、すなわち268件が2007年のうちに処理されなかった件数となる。

とすると、この268件の一部は2008年の処理件数に含まれている可能性が高い。一部というのは、2007年の未処理申請のすべてが2008年に処理されるという可能性はまったくないからである。

アムネスティ・インターナショナルによれば、難民認定審査には約2年かかるという(1次審査までで平均472日、約16ヶ月、異議申立てを含めると平均766日、約25ヶ月)。

つまり、2007年に提出された申請の審査が終わるのは2009年だというのである。すると、次のような疑問が生じてくる。すなわち、2008年に処理された816件の申請とは、いったいいつの申請なのか、ということである。

第1次審査期間の平均が16ヶ月であるということを考えれば、その816件には2年前の2006年に提出された申請が大部分を占め、いっぽう2008年の申請はほとんど含まれない可能性が高い。

この816件の処理件数には、40の難民認定、87件の取り下げ、791件の不認定が含まれるが、ようするに、40の難民認定は2006年か2007年の申請者なのである。

さらに2008年の難民認定者数57名のうち残りの17名は、異議申立ての後に認定された者であり、異議申立てを含む審査期間が25ヶ月であることを考えると、この17名のほとんどが2006年以前の申請者であろう。

また在留特別許可も異議申立て却下の後に出されるものであるから、360人の在留特別許可者もそのほとんどが2006年の申請者と見ていい。

ところで、2006年は日本の難民制度史上特異な年だ。つまり、その年以前までは3〜400件だった難民認定申請数が一気に3倍の954件に激増した年だからである。そして、その激増の要因は、ほぼビルマ国籍者の難民認定申請者の増加にあるとみなしてよい(ビルマ国籍者難民認定申請者の推移:2002年38人、2003年111人、2004年138人、2005年、212人、2006年626人。つまり、2006年はまた在日ビルマ難民史にとっても特異な年でもあるのだ)。

とすると、こういうことはいえないだろうか。2008年にビルマ国籍者の難民認定者と在留特別許可者が増えたのは、ただ単に2006年のビルマ国籍者の難民認定申請者が激増したことの反映に過ぎないのではないか、この急増をもって、日本政府がビルマ難民に特別な配慮をしていると結論づけるには、まだ早すぎるのではないか、と。

これがかの「急増」に対する別の解釈の可能性であるが、さらにこの「急増」の質を見極めることが肝要だ。すなわち、急増しているのは難民認定者ではなく、あくまでも在留特別許可者なのである。

上に上げた数字から分かるように、2007年と2008年のビルマ国籍者の難民認定者の数はほとんど変わっていない(2007年35名、2008年38名)。要するに増えているのは在留特別許可者(2007年69名、2008年344名)なのであるが、この在留特別許可者とは、日本政府により「人道的配慮」により在留を許可されたものであり、難民条約上の難民とは異なる。これは難民認定申請者にとっては不本意な決定である。

とはいえ、もちろんこうした在留特別許可であってもないよりはましであるが、申請者数が激増するなか、在留特別許可を乱発し、難民認定数を据え置きにするという現状は、比率上、難民認定数が激減しているということも意味しているのである(2007年のビルマ国籍者申請者数に占める認定難民のパーセンテージは7%だが、2008年では4%に満たない)。

2009/04/13

水かけ祭の食べ物

前回、水かけ祭の会場が変わったため、出店で売られる食べ物に制限が設けられたと書いたが、昨日実際に見てみてもその通りのようだった。すなわち、カレーや麺類などのご飯ものはほとんどなく、ほとんどが揚げたり焼いたりしたものだった。

店の数は25ぐらい。衣服や、中古コンピュータ、電話カード、雑貨(ペンや装飾品、売り上げは孤児支援に使われるとのこと)を売る店もあった。食品のほとんどが500円。ビールなどの飲み物を売るコーナーもあり、500mlの缶ビールが500円、ソフトドリンク、水が200円。

井の頭公園の奥のほうが会場で、吉祥寺駅からずいぶん歩く。場所が分かりにくいので、午前中は人がやや少なかったが、午後はものすごい人出になる。ビルマ人だけでなく、通りすがりの人や親子連れの日本人の姿も見られた。


舞台での出し物は、昨年までとあまり変わらず。ビルマの歌と踊り、ビルマ人や日本人のバンドによるロック演奏。国会議員の挨拶など。今年も通訳はもちろん田辺さん。


さて、最後に、記録しようなどと思う者はまずいないだろうから、食べ物のうち覚えているものを書き記しておこう。

海老フライ、手羽先餃子、小魚のフライ、軟骨唐揚げ、揚げ春巻き、鳥の唐揚げ、手羽先餃子、イカ焼き、もも肉のタンドリーチキン、さつま揚げ、ビルマ風焼きそば、ラム肉の炭火焼、サモサ、ミルクティ、ビルマ風激辛ふりかけ、天ぷら。

揚げ物のうちには、サモサのようにビルマ風ものもあれば、手羽先餃子や軟骨唐揚げのように居酒屋メニューもある。これらはもちろん手作りではなく冷凍食品だが、自分たちの働いている店の業務用のものを仕入れてきているので、結構美味しい。


これらのお店の中でもっとも感心したのは、シャンのグループの料理。もっとも、シャン料理の優れていることは万人の認めるところではあるが。今回はシャン風の揚げ豆腐、焼きそば、豚肉の蒸し物と、新しい会場の制限の中、安易に揚げ物に走らず、自民族の料理を提供したところが流石だと思う。下の写真は豚肉のひき肉の団子を葉っぱに包んで蒸したもの。これだけでもウマいのだが、さらに揚げたニンニク・スライスの油ダレをかけるともっとウマい。

2009/04/11

水かけ祭

明日、吉祥寺の井の頭公園で、ビルマのお祭り、水かけ祭が開催されるが、このイベントはそもそも王子の飛鳥山公園で去年まで行われていた。

会場の変更の理由について耳にしたことを先日BRSAのブログのほうに以下のように書いた。

「保健所から指導が入ったとか、会場に制限があるとか、いろいろない理由があるそうですが、一番面白いのは、お祭りで浮かれ気分のビルマ人が、塩分の濃い汁物とお酒の相乗効果によりいままで何人も倒れているので、禁止になったという説です。ホントかどうだか分かりませんが。」

これはこれで面白いが、もう少しもっともらしい話を聞いたので、記録しておこう。

飛鳥山公園から井の頭公園に変更になったのは、飛鳥山公園の会場での飲酒が禁じられたのがその理由。会場の近くに、新しい駐車場ができたため、飲酒運転を防止する意味から、そのそばでのお酒の販売を管理側が禁止したのだという。お酒の入らない水かけ祭など寂しいかぎり、ということで、飛鳥山公園は「ナシ」となった。

飲酒によるけんかが絶えないのが、会場変更の理由だとする人もいたが、井の頭公園でもお酒の販売はあいかわらずだとのこと。

ところで、汁物が禁止となった理由だが、これは井の頭公園の使用条件に、その場で調理するもの以外は提供できない、というものがあったためで、それで、スープや具を前もって作っておき会場に運び込むような料理、モヒンガーやカレーがダメになったのだという。

2009/04/08

「学生たちの準備はできている」

ヴィクター・ビアックリアン・インタビュー(2)

前回のインタビューの「軍事政権が2010年に予定している選挙を民主主義教育のための好機とする」という言葉についてさらに深くヴィクターに聞いた。

「具体的にどう教育するかというと、メディアをつうじて、あるいは民主主義と憲法に関するトレーニングを通じて、ということになります。

わたしたちはずっと以前からこれを行ってきました。チン人に対する教育経験をお話ししましょう。

わたしたちはチン州の憲法を起草する作業を続けていますが、その過程において同時に憲法についてチンの民衆を教育するということを行ってきました。軍事政権の憲法の弱点を分析し、また今後どのような政治システムが望ましいか、州政府はどのようなものであるべきかについて議論してきたのです。

2008年のチン民族記念日(東京)で歌を歌うヴィクター

このように民主主義に関して民衆を教育することは、何よりも有効なやり方といえます。SPDCの憲法の弱点、つまり民主主義と連邦制が保障されない点、それが軍事支配の強化につながる点など具体的に伝えることができるのですから。

わたしたちはインドでこうしたトレーニングを行い、参加者をビルマに送り返しています。これは危険ですが、不可能ではありません。」

しかし、国境近くのチンの民衆を教育することはできても、軍事政権の檻の中にいるヤンゴンやマンダレーの民衆を教育するのは至難の業では?

「非ビルマ民族地域ではわたしたちは長い活動の経験があります。ですが、ビルマ中央部となると確かに困難です。メソットに拠点を置くある組織が、ビルマ中央部の民衆に対する働きかけを行っていますが、どの程度効果が上がっているかはわかりません。

とはいえ、メディアの働きは重要です。もっとも、どれだけの人がそのメディアにアクセスしているかもわからないのが現状ですが。

ですが、チン州での経験に限っていえば、国内への働きかけは可能です。昨年の国民投票で反対票を呼びかけるキャンペーンも、規模は小さいもののチン州の一部では成功しました。

教育を受けた人々はビルマのどこにでもいます。そうした人々がカギを握ります。特に学生はしっかりしたネットワークを持っています。このネットワークの力を証明したのが、2007年のサフラン革命でした。

ビルマではいまなお、強固な学生運動の伝統が保持されているのです。学生はもっとも頼りになる存在です。たとえば、チン人の学生はあらゆる大学で学んでおり、民族文化、教会に関するサークルで活動しています。

また、わたしは国境のチンの若い活動家や国内外の学生のメールアドレスを500件持っています。必要な情報をすぐに伝え合うことができるのです。わたしが言えるのはチンの若者たちはいつでも働く準備ができている、ということです。」

〈ヴィクター・ビアックリアン略歴〉

ビルマ民主化と少数民族の権利のため、世界中で活躍する人権活動家、政治活動家。

1988年のビルマ民主化運動においてラングーン大学の学生指導者としてチン人学生を率いて活動。ビルマ政府による逮捕の後、インドに逃れ、UNHCRの再定住プログラムによりカナダに移住。

チン民族に対する深刻な人権侵害を国際社会に訴えるため、チン人権機構(Chin Human Rights Organization)を設立。またチン・フォーラム(Chin Forum)とチン民族評議会(Chin National Council)の設立にも携る。

さらに、ビルマ連邦国民和解プログラム(National Reconciliation Programme of the Union of Burma)とビルマ連邦少数民族協議会(Ethnic Nationalities Council)などのビルマ民主化政治組織においても活躍。

また、在日チン族協会(Chin National Community-Japan, CNC-Japan)の顧問を務め、たびたび来日している。

2009/04/06

「わたしたちにとって軍事政権の選挙は好機だ」

ヴィクター・ビアックリアン・インタビュー(1)


非ビルマ民族の立場からの人権擁護活動、政治活動で国際的に知られるチン人の活動家、ビクター・ビアックリアン(Victor Biak Lian)さんが、インド、タイ、フィリピン、マレーシアのチン・コミュニティを巡る2ヶ月の長旅の締めくくりとして、3月に来日した。彼が顧問を務めるCNC-Japanの厚意により、3月30日に現在のビルマの政治状況とチン州の現状についてお話を伺うことができた。

ヴィクターは、チン人権機構(Chin Human Rights Organization www.chro.org)の創立者としてビルマ軍事政権によるチン人に対する深刻な人権侵害を告発してきたが、そればかりではなく、非ビルマ民族の政治運動においても重要な貢献を行ってきた。まずは彼が関わるビルマ連邦少数民族協議会(Ethnic Nationalities Council, ENC)についての話から。

「現在の政治情勢において一番の問題は、2010年に行われる選挙です。これにどのように対応するかが大事です。具体的な対応は、5月末、おそらく5月27日に軍事政権が公布するという選挙に関する法律の分析をした後ですが、それでも基本的な立場はあります。

まず、ENCが昨年10月に出した声明でも述べているように、非ビルマ民族(少数民族)であるわたしたちは軍事政権の押し進める選挙を承認していません。

ビルマ軍と停戦合意にある少数民族組織は、国民会議において自分たちの権利を獲得しようと粘りましたが、無駄でした。カチン独立軍(KIO)も、たしか19項目にわたる提案書を提出しましたが、それらは憲法になにひとつ反映されませんでした。

しかも、2010年の選挙はまた、軍事政権の民主化ロードマップの一部でもあります。これを承認していないわたしたちは、原則的に選挙も承認することはできません。

とはいえ、そのいっぽうで事態は進んでいきます。わたしたちは選挙をボイコットすべきなのか、それとも、それとも何かなすべきなのか、政治的な選択を迫られています。

そして、わたしたちが取っている立場は、選挙を無視することはせずに、かえってこれを好機とみなし行動を起こすというものです。

ですが、この立場はこの選挙を承認する、つまり候補を出したりすることを意味するのではありません。なぜなら、先ほども申し上げたように、原則的にはこの選挙を承認しない、この選挙は民主化につながるものではない、というのがわたしたちの立場だからです。

わたしたちがこれを好機というのは、それがビルマの国民に働きかける好機、民主主義について教育するよい機会であると認識しているからです。

ENCは民衆を支援しています。選挙において民衆が本当に支持している候補が選ばれるのならば、それに越したことはありません。

だからこそ、民衆への教育が重要な意味を持ちます。しっかりとした選択ができるように、本当の民主主義について教育しなくてはならないのです。

わたしたちはまた2010年の選挙以後をも見据えて活動しています。2010年はけっして「ゲームの終わり」ではないのです。ポスト・タンシュエについてすら考えています。もっとも、タンシュエの死を期待しているわけではありませんが。ただ、ENCとしてはあらゆるシナリオを考慮に入れているということです。

ところで、今回の選挙にボイコットを表明している組織もあります。わたしたちの関心はそれらの組織が「いかにして」ボイコットするのかということにあります。

というのも、なかには民衆的運動、デモ活動を再び組織しようとする動きもあるからです。ですが、軍事政権の凄惨な対応は周知の通りです。

だから、わたしたちとしては民衆がそうした手段に出ることを促さない。これは非常に危険な結果を招くからです。ですが、大規模な民衆デモはいつ起きてもおかしくない状況にあります。

わたしたちの立場はいわば、選挙を承認する立場と選挙をボイコットする立場の中間点にいるということができるのです。」

2009/04/04

ドーイトイ

チン民族の伝統的な儀式にドーイトイなるものがある。このドーイは精霊を指し、ビルマ語のナッに似ているとのこと。

ドーイトイの儀式が行われるのは4月頃。この儀式を行う家は、家の入り口に門松のような飾りを飾る。

逆に言えば、この飾りが、その家がドーイトイを行っている印となる。

この印はきわめて重要だ。というのも、ドーイトイとは家に幸運を招く儀式なのだが、もしその最中に家人にあらざる者がやってきたら、せっかく訪れかけていた幸運が逃げてしまうと信じられているのだ。

これはその家の者にとっても残念なことだが、ドーイトイの印に気がつかず訪ねてきてしまった客にとっても災難である。なぜなら、そのうかつな者は、幸運の逃亡の責を負い、儀式の費用をすべて弁償しなくてはならないからだ。

そればかりではない。その客はかえって不幸を背負い込む可能性すらある、といわれている。

だから、チン州ではこの飾りに十分気をつけたほうがよいだろう。とはいえ、幸か不幸かビルマを訪れる観光客にはその可能性はほとんどない。なぜなら、特別な許可のない外国人がチン州に足を踏み入れることはきわめて難しいことなのである。

2009/04/01

チン民族の布、だっこ用スリング

チン民族の伝統的なデザインの布をもらう。幅広の帯状の布で、いろいろ使い道はあるだろうが、子どもの「おぶいヒモ」、今でいうスリングとしても使われる。

結び方もスリングと同じ。片方の端を右か左の肩の上、もう片方の端を反対側の脇の下から通し、胸で結ぶ。背中に渡された布がちょうど袋状になり、そこに子どもがすっぽりと入る。もっとも日本で売っているスリングは普通おんぶに用いない。


もちろん、普通のスリングのように用いることもできる。つまり、子どもを包む部分を前にずらして、胸に子どもを抱いて運ぶ。これは授乳にも便利な姿勢だ。

この布をくれたチン人女性は、現在4歳の子どもを育てているが、彼女が使っている布は、自分が赤ん坊の時にくるまっていたものだとのこと。つまり親子二代で使っているわけだ。

さて、この女性のお母さんが、たまたま来日しており、チン民族の子どもの抱き方についてこんなことを話してくれた。

夜道を歩く時に子どもを決しておぶってはいけない。親の目の届かないところにいる子どもを、超自然的な存在が狙っているから。だから、暗い道では子どもは前抱きにしなくてはならない。

この超自然的な存在は、かわいい子どもにちょっかいを出し、激しい夜泣きや病を引き起こす。こうした存在が寄り付かないよう、おまじないとして鍋の底のスミを子どもの額になすり付ける。

また、ビルマ民族は霊験あらたかな紐を子どものこしに巻き付ける。チン民族は紐の代わりに、雄鶏の羽が1〜2枚はいった小さな袋を紐につけて、子どもの首にかける。なお、羽根を袋に入れる際には、「この子が誰にも奪われないように!」といった呪文も唱えるのも忘れずに。