2009/03/30

焼肉

日本に暮らすカチン人にはなぜか焼肉屋で働いている人が多い。おそらく、カチン人が来日しはじめたころに(1990年前後)に、誰かがたまたま焼肉店に勤めた結果、このようになったのだろう。あるいは、焼肉店の中には在日韓国・朝鮮人の経営するのも多いに違いないから、非日本人を受け入れる土壌のようなものがあったのかもしれない。

いずれにせよ、カチン人たちは焼肉屋で営々と働き続けた結果、いまや自分の店を経営する人まで出てきた。

これは、難民の自立という観点から見て文句なしに喜ばしいことだ。

とはいえ、これを本場の韓国人、朝鮮人が見たらどう思うだろうか。自分たちの伝統料理を出す店の厨房を覗いてみたら、朝鮮半島とは縁もゆかりもない人々がビビンバやカルビクッパを作っているのを見て、ビックリするだろうか。愉快がるだろうか。

あるいは、民族文化を愛するあまりケシカランと言って憤慨する人もいるかもしれない。

まあ、われわれ日本人にとってはどうでもよいことだ。少なくともその料理が美味しいかぎりは。

そうはいっても、次のような話を聞いたら、われわれの中にも落ち着いていられなくなる者が出てくることも承知している。

すなわち、アメリカのスシ・バーで握っている職人の中には、日本の外食産業で鍛えられたビルマの人々が多数おり、しかもあるカチン人にいたっては寿司屋のチェーンを経営し成功させてさえいるというのである。

これらのビルマの人々は、日本で回転寿司や居酒屋で数年働き、自発的にか、あるいは強制送還されるかして、ビルマに戻り、その後難民もしくは移住労働者としてアメリカに渡った人たちであり、日本での修行の成果をかの地で披露しているわけだ(オーストラリアのパースにある評判の和食屋の主人も、やはり日本で働いていたことのあるビルマ人だそうだ)。

これを「日本食」として受け入れるかどうかは、ひとさまざまだろうが、日本人の知らないところで、日本食という日本のひとつの文化が伝播している、そのあり方は相当に面白い。

2009/03/27

難民の日本語能力開発の必要性

あるビルマ出身の難民が別の難民に次のようにいったとのこと。

「ねえ、聞いた聞いた? 日本政府が日本人と日本に住んでいる外国人に毎月1万2千円くれるんだって!」

2009/03/25

ビルマ国境の難民の子どもを保護する会総会

3月22日ALDの月例会議の後に、「ビルマ国境の難民の子どもを保護する会(Association of Protection for Children's Refugee Border in Burma, APCRB)」というグループの総会にBRSAの代表の1人として、同会役員のフラミョーさんとともに出席する。


この長い名前のグループは、BRSAとおなじく去年結成された新しい組織で、これが2回目の総会。立派な総会資料も準備されている。今回BRSAが呼ばれたのは、総会で実施される選挙のためで、同じく招待されたモータウッチェ図書館のメンバー2人とともに、選挙委員として票を配布し、集計・発表を行った。

APCRBはその名の通り、難民の子どもたちに支援金を送ってその生活を守ることを目的としている組織であるが、同様の活動を行う他の組織と異なるのは、タイ国境の難民の子どもだけではなく、中国、インド、バングラデシュのビルマ難民の子どもたちの支援を行っていることにある。

とくに、バングラデシュには力を入れているようで、タイ国境に比べて注目度の低い地域なので、引き続き今年度も会長を務めることになったミンアウンさんをはじめとするみなさんにはぜひともがんばって活動を続けてほしいと思う。

今回の選挙のあらましを述べて終わりにする。投票者の総数は22名、のちに24名(会員総数は28名)。選出される役職は会長、副会長、事務局長など15。各役職ごとに投票を行う方式なので、15回の投票が行われた。この15回のうち、2人の候補が出たのは、2回。この2回に関しては、ふさわしいと思う人の名前を票に記し、それ以外の場合は「チェック・マーク(賛成)」か「×(反対)」を記すというもの。反対票を投じる人はあまりいなかった。

対立候補が出たり、反対票が投じられたりするのは、候補や投票者にとってどうかはともかく、選挙委員にとってはじつに楽しいことだ。


ところで、立候補者はあらかじめ決まっているわけではなく、会場でノミネーションを行っていた。

投票する者は、会場の全面に置かれたテーブル(2つ用意された)に出ていき、選挙委員の並べる白い紙切れ一枚にその意志を記し、やはりテーブルに置かれた箱に裏返しに入れていく。

同時に何人もの人がテーブルで票に記入していたり、後ろに並んでいたりしていたため、投票の秘密が厳密に守られていたわけではないが、会場の広さと時間の都合もあり、これは仕方がなかった。

総会が始まったのは2時半、選挙を含めたすべてが終了したのは5時であった。

2009/03/23

ALD月例会議

3月22日午後1時半、アラカン民主連盟(亡命・日本)Arakan League for Democracy (Exile-Japan)の月例会議(3月22日、午後1時、高田馬場)に招かれる。

「新しいメンバーの励みになるような内容を」ということで、次のような話をする。通訳をしてくださったのはアウンタンテーさん。

「2003年にALDの会長のゾウミンカインさんにあったとき、ALDはほとんどメンバーがいませんでした。ですが、今日ここに来てみると、たくさんの若い人がいます。このようにグループが大きくなって、アラカン民族の声が大きくなることは素晴らしいことです。

ゾウミンカインさんにはじめてお会いして、しばらくして、牛久の入管に面会に行きました。当時、牛久にはALDのもうひとりのリーダー、フラエーマウンさんが収容されていました。フラエーマウンさんに今どれだけ収容されていたか聞いた所、18ヶ月だそうです。その頃は2年、3年以上も収容されている人がたくさんいました。

現在は、ビルマ国籍者の場合は収容されても2ヶ月から6ヶ月で釈放されることが多いようです。1年もいるというのはあまり聞きません。

また、難民として認定されたり、在留許可をもらう人の数も2003年に比べるとずっと増えました。とくに非ビルマ民族の活動家は2003年当時に難民認定されていたのは1人2人でしたが、現在はたくさんいます。

これは、もちろん入管、そして法務省の難民政策が変わったからです。その変化の理由には、いろいろあるかと思います。2007年9月のデモや翌年のサイクロン被害の影響も理由として挙げられるかもしれません。


ですが、ぼくはこんなふうに考えています。これまでに長い収容を耐え抜き、難民審査において繰り返し自分たちの置かれた厳しい状況を語り続けたビルマ国籍者難民個人個人が、法務省を変えたのだ、と。

日本でのビルマ難民に対する入管政策を変えたのは、もちろん日本人がビルマの難民を産み出す背景を理解したからにほかなりませんが、その気づきそのものを与えたのは、個々の難民認定申請者たちの努力と忍耐なのです。

つまり、ビルマ難民たちが日本の政府をある意味では変えたのです。この点に関して、みなさんはもっと自信を持ってよいと思います。

現在、ビルマの状況はますます厳しくなり、難民たちの間からは諦めの声すら聞こえます。ですが、時間はかかったにしても、難民たちは日本政府の対応を変えてしまいました。同じことがビルマ政府にできないはずはありません。

もちろん、日本政府を変えるより、ビルマ政府を変えることのほうがはるかに難しいかもしれませんが、それでも、長いスパンで見れば絶対に変わるはずです。そのためには今、ここで政治活動をがんばらなくてはなりません。

ゾウミンカインさんがALDをはじめたとき(当時は別の名前でしたが)、メンバーはほとんどいませんでした。だからといって、ゾウミンカインさんが諦めて止めてしまっていたら、今のこの発展はなかったでしょう。それと同じことがビルマ民主化活動、アラカン人のための活動についてもいえるのです。」

2009/03/20

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(補遺)

これまでここで述べ、またいくつかの観点から推奨してきた「非中黒法」は、名そのものには中黒(・)を入れず、冠称や姓の区切りにのみこれを使用するというものであった。

しかし、名そのものに中黒を使用したほうがいいと思われる場合もある。

非ビルマ民族(少数民族)のうち、チン、カチン、カレン、カレンニーにはかなりの数のキリスト教徒がおり、なかにはキリスト教徒が多数派を占める民族もいる。

そうした民族は、聖書の登場人物や、宣教師にちなんだ名前を持つこともある。

たとえば、次のような名前を持つカレン人がいる。

SAW DAVID TAW

ここでSAWというのが冠称、それに続く部分が名になるが、もちろんこのうちDAVID「デイヴィッド」というのが聖書に由来する名前だ。

聖書に由来する名前というのは、それ自身で独立した名前とみなせるし、たいていの場合それのみで、つまりこの場合ではDAVIDだけで通用していることがほとんどなので、日本語の表記としては例外的に「ソウ・デイヴィッドトウ」よりも「ソウ・デイヴィッド・トウ」としたいところだ。

もうひとつの例外、つまり名の部分に中黒を入れたい場合としては、当のビルマ国籍者が自分の名前の日本語表記に中黒を入れている場合がある。

すなわち、ある程度日本語能力があり、自分の名前をカタカナで書けるビルマ出身者のなかには、名刺などで自分の名前を表記する場合に中黒法を用いていることがあるのだが、この場合はその人の採用した表記を尊重すべきであろうと思われる。

ところで、人によっては自分の名前を次のように表記する人がいる。

「ソウ デビッド トウ」

つまり、名前の構成要素の区切りを中黒ではなく半角もしくは全角のスペースをもって行っているのだが、日本語の正書法は、英語などとは異なりこうしたスペースによる区切りを採用していないので、これは特にレイアウト上の理由がないかぎり、あまりお薦めしたくないところだ。

2009/03/18

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(5)

ビルマの人々の名前の表記についてこれまで書いてきたことをまとめると次のようになる。

1)名の構成要素すべてに中黒(・)を入れる「中黒法」は、その名前の成り立ちを理解する上では便利だが、ビルマ民族やカレン、シャンなどの民族が用いる冠称と名前との切れ目を分かりにくくしてしまう。また、カチン人のように、「姓」をもつ民族の名前の表記においても不都合が生じる。

2)いっぽう、名そのものには中黒を入れず、冠称や「姓」との区切りにだけ中黒を用いる「非中黒法(限定的中黒法とでも呼んだほうがいいかもしれない)」は、名の成り立ちを分かりにくくはするものの、名とそうでない部分(冠称や「姓」)との区切りを明確にする。

もちろん、どちらがよいかについてはここで決める問題ではないにしても、自分としては2)のほうを推奨したい。

それは、中黒が少なくて済む、という理由ばかりではなく、2)の「非中黒法」のほうが、より多くの民族の名を適切に書き表すことができるからだ。

つまり、いいかえれば、「中黒法」がビルマ民族的人名構成しか考慮に入れていないのに対して、「非中黒法」は非ビルマ民族的な人名構成にも対応しているのである。

ビルマの問題の根源には非ビルマ民族の問題があり、非ビルマ民族の視点を導入しないかぎり、本当のところビルマ民主化は理解できない、というのがこのブログの立場であるが、中黒の置き方ひとつをとっても、ビルマ民族中心的思考でいくか、そうではなくできるだけ多くの民族に対応する方法をとるかで、違ってくるのだ。

もちろん「中黒法」「非中黒法」云々というのは、あくまでも日本語での表記の問題であるが、ビルマ語であっても問題は基本的に変わらない。現在のビルマで行われているのは、ビルマ民族的な人名表記の、非ビルマ民族に対する押しつけであり、そこにはできるだけ多くの民族の名前のあり方を尊重するという姿勢はみじんもないのである(そして、これと同じ態度が人名表記法に限らず、言語、宗教、文化など人間のあらゆる側面に及んでいる)。

それゆえ、ビルマに住むあらゆる民族の人名が尊重される、そればかりではなく、あらゆる民族の人名が尊重されるような原理に基づいた表記法が行政の現場において実行される、ということもまた、非ビルマ民族の権利を保障する民主化のための実際的・具体的な必要条件となるのである。

2009/03/16

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(4)

ビルマ民族をはじめとしてビルマに暮らす多くの民族が姓を持たないことはすでに述べたが、もちろん姓を持つ民族もいる。

その代表的な民族がカチン人だ。これ以外にも、インド系の住民、中国系の住民、イスラム系の住民など姓を持つ民族はいるに違いないが、よく知らないので扱わない(中国系の人は中国名とビルマ名の両方を持っていることが多いようだ)。

カチン人の人名の基本的な構成は、「姓」+「名」であり、日本人の人名構成と同じだ。具体的にいえば次のような名前「BAWMWANG LA RAW」で、「ボウムワン」が姓にあたる。これを中黒法で書き表すと「ボウムワン・ラ・ロウ」となり、姓と名の区切りが分からなくなる。

とはいえ、姓が前に来ると決まっているのだから、1番目に中黒で区切られる要素が姓であるとすぐに分かるので、問題とはなりえない、ともいえなくはない。しかし、この「BAWMWANG」を「BAWM WANG」と分かち書きするケースもままあり、その場合そうした表記に忠実であろうとすると「ボウム・ワン・ラ・ロウ」と書かざるを得ない。要するに、中黒法ではカチン人の人名の「姓」と「名」の区切りを十分表記できないのだ(ちなみに、カチン語を表記するカチン文字は、ローマ文字をもとにしている)。

そこで、非中黒法、つまり以前に述べたような冠称と名の区切りに中黒を用いて、名の部分には中黒を用いないというやり方、つまり「ボウムワン・ラロウ」という表記のほうが優れているということになる。

とはいえ、これがいつでも上手くいくわけではない。あるカチン人にこんな名前の人がいる。

LASHI LABYA XXXXX

XXXXが名であり、したがって「LASHI LABYA」が姓となるのだが、だからといって「ラシラビヤ」というひとつの姓ではないのである。つまり、「ラシ」と「ラビヤ」はそれぞれ独立した姓であり、この人は二つの姓を名乗っていることになる。

とはいえ、これは夫婦別姓主義の家庭の子どもが両親の姓を二つ名乗っているわけではない。そうではなく、「ラシ・ラビヤ」とは「ラシ」の家系の中の「ラビヤ」系であることを示しているのである。

要するに、カチン人の「姓」は、その人がどの家系、別の言葉を使えばどの氏族(クラン)に属しているかの表示となっているのである。その点では、そうした機能がほとんどない日本の「姓」とは似て非なるものだ。

日本との比較はともかく、カチン人の目から見てこのLASHI LABYAが二つに分けられるべきものととらえられているのならば「ラシ・ラビヤ・XXXX」と表記する必要があろう。

さらに、カチン人はその「姓」とは別に、その人の家柄を示すある種の「称号」や、その人の社会的地位を示す冠称を名前に付けることがある。これらもやはり姓と同じく中黒で名と区別すべきであろう。

2009/03/13

虚無への供物

NLD日本支部解放区のメンバーたちが、夏に富士山に登って、民主化勝利の祈願をした。その旅に同行したあるカレン人の活動家が、包装紙に包まれた箱をくれた。

つたない日本語でいろいろ説明してくれるのだが、どうもよくわからない。NLDの必勝祈願に関係あるらしい。箱の中身を聞くと「センベイ」という。

なんだか分からないが、とにかくもらっておこう。家に帰って箱を開けると、鰹節が入っていた。

ビルマの仏教のことはよくわからないが、何かお祈りをした時に仏さまに供物を捧げる習慣があって、その供物をお土産としてくれたもののようだった。そして、おそらく、その供物をビルマ語で「センベイ」とか何かそのような感じの言葉で呼ぶのだろう。

ぼくはこの習慣についてもっと詳しく知りたくなり、他のビルマの人に尋ねてみた。「センベイ」とか「セインベイッ」、いや「セイッベイン」かもしれない、そんなような言葉を知りませんか? だが、その人は分からないようだった。ひょっとしたら、ビルマ語ではなくカレン語なのかもしれない。

しばらくして、そのカレン人に偶然会う機会があった。ぼくが鰹節のお礼を言うと、彼はキョトンとしている。

そこで彼に思い出させると、驚いて言った。

「えっ、センベイじゃなかったの?」

2009/03/11

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(3)

ビルマの非ビルマ民族の名前は二つに分けられる。

ビルマ民族と同じように姓がなく、その代わりに冠称があるタイプと、そうではなく姓をもつタイプだ。

前者の民族にはカレン人、シャン人、パラウン人、モン人、チン人などが含まれる。例えばカレン人は男性の場合はSAW、女性の場合はNAWという冠称が用いられる。

とはいえ、これはスゴー・カレン人の場合で、ポー・カレン人ではMAHN(男性)、NANG(女性)である。

チン人のうちティディムのチン人はTHANG(男性)、LIA(女性)という冠称を用いている。あるチン人の女性のパスポートでの名前にMA LIA MANG XXXXというのがあったが、この最初のMAはビルマ語の冠称、次のLIAはチンのそれというわけで、冠称が2重になっている。

本来ならば、LIAのみで済ましたいところを、パスポート申請の際に若い女性だからということでMAをつけられた、あるいはつけるように強制させられたというところであろう。民族的な差異に関してビルマ行政がいかにこれを尊重せず、ビルマ民族の流儀を他民族に押し付けているかの一例である。

また話は脱線するが、非ビルマ民族のうちで若い頃に日本に来た男性に、しばしばMAUNGなにがしという名前がある。このマウンというのは若い男性につけられる冠称なのは前述のとおりであり、ビルマ民族の男性にはついていて何の不思議もないものだ。

そのようなわけで、例えば20代でパスポートを取得した非ビルマ民族男性にも、さきのビルマ政府の流儀によって不当にも、その民族の冠称や姓の代わりにこのマウンが適用されることになる。しかし、当人にとってはそもそも不本意な話である上に、日本滞在も長くなってマウンとは言えない年齢になると、さらにこのマウンが気になってくる。

しかも難民認定申請や認定後の生活はパスポートに記載された名前で行われるわけで、必要書類を揃えて役所に届け出て変更しないかぎり、このマウンと場合によっては一生付き合わなければならないはめになる。

「本当にこのマウンはいやで、取ってしまいたいんですけどね。どうも名前までビルマ人にバカにされているみたいで」とはあるカチン人の言葉である。

些細なことかもしれないが、こうした非ビルマ民族の気持ちを理解しているビルマ民族は、日本で難民認定された政治活動家のなかでもほとんどいない。ここにビルマ民主化と民族問題の解決の難しさがある。

2009/03/09

逆説

チェスタトンの『ポンド氏の逆説』ではないが、あるチン人がこんなことを言っていた。

「私の父は真面目で正直な公務員だったので、家族はとても困窮していました」

つまり、他の公務員が、その薄給の足しとしてするように賄賂を受け取らなかったということだ。

2009/03/07

訃報

在日ビルマ民主化団体のビルマ民主化同盟(League for Democracy in Burma, LDB)の指導者のひとりであるコートーナイン(KO TOE NAING)さんが3月6日午後3時、都内の病院で亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。

2009/03/06

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(2)

ビルマ人の名前には姓がなく、原則的にはアウンサンスーチーならそのすべてが名だ。

いっぽう、ビルマ語には冠称というものがある。これは人名の前についてその人が1)男性であるか女性であるか、2)年の頃はいかほどかを示すものだ。具体的にはおおよそ次のようになるようだ。

〈男性〉
ウー   年上
コー   同年代もしくは少し年上
マウン  年下

〈女性〉
ドー   年上
マ    それ以外

例えばアウンサンスーチーさんの場合は、年齢的にいっても地位からいってもドーにふさわしく、ドー・アウンサンスーチーとかドー・スーとかいわれているのをよく耳にする。

ある部分では日本語の「さん」「さま」に対応するものと見ていいが、それでも違いはある。

例えば、自分で名乗る時にもこの冠称を自分でつける場合がある。たとえば「わたしはウー・ティンウーです」というような場合がそれで、これを日本語の「さん」にそのまま置き換えてはおかしい。

ビルマの人が電話をかけてきて時々「わたしはティンウーさんです」と、自分にさん付けするのをいつも変だなと思っていたが、もしかしたらこの冠称の用法と関係があるのかもしれない。

それはさておき、もうひとつの違いは、登録証、パスポートなどにもこの冠称がそのままついている場合もあることだ。つまり、名前の一部として登録されてしまっているのである。そうなるとこの冠称を名前の一部として扱わなくてはならなくなる。

非中黒法、つまり名前の構成要素を中黒で区切らない表記法の利点は、このように冠称と人名を併記しなければならない場合に、冠称と名前を中黒によってはっきりと区別することができることにある。

つまり非中黒法のドー・アウンサンスーチーのほうが、中黒法のドー・アウン・サン・スー・チーよりも、名前と冠称の区別がしやすいという点で優れている。

もちろん、名前と冠称の区別ならば、別の区切り記号を導入すれば、中黒法でも可能である。例えば、ドー=アウン・サン・スー・チーというのがそれで、冠称と名前との区切りの印として=を導入したわけである。

これでも悪くはないのだが、=という記号を別に導入するのは、表記法を複雑にするわけで、できたら中黒ひとつ、しかもできるだけ少なくしたいものだ。

さて、これまではもっぱらビルマ人の人名ばかり扱ってきたが、もちろんのことビルマに住んでいるのはビルマ人ばかりではない。カチン人、チン人、カレン人などさまざまな民族が暮らしている。そこで次回はこれらの非ビルマ民族の名前の表記をも考慮に入れて、中黒法か非中黒法のどちらがよいかを論じてみよう。

2009/03/04

アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(1)

ビルマ人の名前の表記でしばしば問題になるのは、「アウンサンスーチー」か「アウン・サン・スー・チー」のどちらか、つまり、名前の区切りごとに中黒(・)を入れるべきかどうかということだ。

きちんと調べたわけではないが、ビルマ問題の専門家が書いたものでは中黒を入れないものが多く、新聞などではいちいち区切っているものが多い。

どちらでもいいと言えばいいことなのだが、その双方に一長一短のあることを記す。

中黒を入れる表記法の長所は、その名前がどのような要素からなり、またどこで切れるかが分かることだ。

例えば次のような名前の場合、ビルマの名前についてある程度の知識がなければどこで区切るかは普通は分からない。

キンマウントゥン

これはローマ字つづりKhin Maung Tunを見れば分かるように、「キンマ・ウン・トゥン」でも「キン・マウントゥン」でもなく「キン・マウン・トゥン」と区切るのが正しい。

中黒を入れる表記法は、このようにビルマ語の知識がない人に名前の区切りを示す意味で有効であるが、この名前の区切りの知識が、そうした人にとってどの程度役に立つのかを考えると、たいして役に立たないような気がする。ただし、声に出して読む場合は、どこで区切りがあるかの情報は重要であることは確かだ。

さて、それではこの中黒法の短所はどうかというと、まず第一に煩雑だと言うことである。第2に、ビルマ人の名前を書くさいに、書き手はあらかじめその人名の語の区切りというやや高度な情報を知っていなくてはならず、その情報は常に誰でも把握可能ではないことが挙げられる。

つまり、ビルマ文字が読めるか、その名前のローマ字表記資料が手元にあるか、それとも名前を聞いただけで、区切りが分かるだけのビルマ語知識を持っているかでなくてはならず、これはいつでも誰でもできるといった条件ではないのである。

そこで、次回は中黒を用いない名前表記の方法、いわば非中黒法の長所短所を記すことにする。