2013/07/31

カチン独立軍(KIA)の病院(5)

さて,一番端にあるベッドは薄い板で仕切られていて,そこには見るからに衰弱し切った兵士が寝かされていた。

やせ細ってあばらが浮き出ている。顔の肉は削げ,そのせいで歯がむき出しになっている。
そして,彼の目だが,ベッドの脇で写真やビデオを撮るわたしも,日本からやってきたカチン人の女性が涙を流しながら祈る姿も捉える力がないかと思われるほど,うつろであった。

彼にもまた開腹手術の跡があった。だから,銃で撃たれたか,砲弾の破片が食い込んだのだ。骨と皮ばかりの腕には点滴の針が刺さっている。左の大腿部にも包帯が巻かれており,そこにも傷があるようだった。

 

年齢は,20代後半から30代前半というところで,いずれにせよまだ若いこの兵士は,誰にも分からない苦しみにじっと耐えているのだった。わたしは彼が死にかけており,それゆえ,この「特別個室」が充てがわれているのだと思ったが,その通りかどうかは分からない。

パドー・マンシャの詩

カレン民族同盟(KNU)の前事務総長で2008年2月にタイのメソットの自宅で暗殺されたパドー・マンシャ(パドー・マンシャラパン)については何度か書いたが,彼には2人の娘がおり,2人ともイギリスを拠点に熱心に政治活動を続けている。

 2007年2月5日にタイ・ビルマ国境で撮影

姉のナン・ブワブワパン(Nant Bwa Bwa Phan)さんとは,2011年6月に,タイ・ビルマ国境で行われたカレンの会議に出席したさいにわたしは会ったことがあり,日本のカレン人に向けたビデオ・メッセージを撮影させてもらった。

さて,彼女がFacebookに"To Beloved Daughter"(「愛しき娘へ」)というマンシャさんの詩を投稿した。コメント欄に英訳も載せてくれているので,かりそめに日本語訳してみよう(ただし英訳には意味のとりにくい部分がある)。

「愛しき娘へ」

おお,我が愛しき娘よ
人生の長い旅路に
太陽の下,いっぱいの日差しの中
南北が分からないかのように,じっと立ちすくむ者もいる
しかし夜のただ中
道も分からない時に
どちらが南で北かはっきりと見極め
行き先に向かって旅を続ける者もいる。
嵐の風と
荒波の中
泣いて,嘆いて
諦めて
堕落していく者もいる。
荒れ狂う嵐と
時化た海でも
旅を続ける者がいる。流れと厳しい風に立ち向かって
おお,我が愛しき娘よ
誠実さと良心を,注意深さと道徳心(*)を,勤勉さと向学心を,
信仰と素直さを,勇気と献身を忘れるな
これらの上に立ち,旅を続けなさい,恐れることなく
崇高な目的地へと

(*原文のethnicsはethicsではないかと思う。)

【元の英訳】
To Beloved Daughter

O my beloved daughter,
In the long journey of life,
In broad daylight, under the sun,
As it’s hard to know where north and south are, There’re also those who’re standing still.
Though in the middle of the night,
A time hard to see the way,
As north and south are definitely known,
There’re those who’re journeying towards the destination.
In the stormy wind,
And the waves blasting,
Crying and wailing,
In abandonment,
There’re also those who’ve sunk into depravity.
In the violent storm,
And the stormy sea,
There’re also those who are journeying, Against the current and vicious wind.
O my beloved daughter,
Keep sincerity and conscience, Alertness and ethnics, Diligence and learning,
Faith and uprightness, Courage and sacrifice,
As a base and journey on, With fearlessness,
For the noble cause.

2013/07/30

カチン独立軍(KIA)の病院(4)

すでに書いたが,この日はいつになく負傷者が多く,ベッドはすべて埋まっていた。


残りの12床について思い出せる限り記すと,地雷の被害にあった人が2名で,残りがおそらくすべて戦闘による負傷者であった。地雷被害者のうち,1人は右足の膝から下を失っていた。わたしたちはロンジーをめくって,包帯にぐるぐる巻きにされ,血のにじんでいるその部分を見せてもらった。

ロンジーをめくり上げるのに少々ためらわずにはいられなかったが,付き添いの人も,また同行した在日カチン人も勧めるので,わたしはビデオに撮り,写真を撮った。


怪我人は口をへの字にしてどこか別のほうを静かに見つめていた。 わたしたちのほうに顔を向けもしなかった。

もう1人の地雷被害者は,四肢は無事だったようだが,身体の右側が傷だらけだった。地雷が右側で爆発したのである。右拳全体に包帯が巻かれていた。特にひどかったのは右目で,失明したのだそうだ。彼もまたひとことも発せずに,トランクス一枚でベッドの上で膝を抱えたり,横になったりしていた。2人のうちどちらかは民間人であったように思う。

同じ並びに口ひげを生やした兵士がいた。喉を負傷し,それで話せなくなったのだという。彼はベッドに横になり,ときどき,何か静かな悲しい情感に溢れた目ででどこかを見つめていたのが忘れられない。


負傷者のうち何人かの腹部には,銃弾の摘出手術が行われたことを示す縫合跡があった。ただ仰向けに寝ている者もいたが,手術を受けてしばらく経過したのか,ベッドの縁に腰掛けて付き添いの家族と雑談している者もいた。どちらも比較的生気のある表情をしていた。負傷のショックから立ち直りつつあるのだろう。


なお,ベッドは長細い部屋の両脇に並べられているが,間の通路にヒモが張り渡されていた。それに,患者の個人情報や病状を記したファイルが吊るされていたので,時間があればもう少し詳しく怪我の状況なども知ることができたように思う。

カチン独立軍(KIA)の病院(3)

さて,ようやくわたしたちは遺体安置所を出て,隣の病院に入る。もっとも病院といっても建物も設備も最低限なものだ。長細い平屋建てで片方の端が処置室,もういっぽうの端が炊事場になっている。その間の長い空間がベッドの並ぶ療養室だ。

入り口は長い辺の真ん中あたりにあり,右側に12のベッドが向かい合って並ぶ。左側には片方だけに4つのベッドが設置されている。こちらは処置室のある側で,したがって負傷したばかりの兵士,ほとんど処置の済んでいない兵士が4人寝かされていた。


これらは前日の戦闘で負傷した兵士たちで,死んだ兵士と同じ部隊にいた。

1人は40代で,わたしとそう変わらない。左足の踵に傷を負い,その血は包帯から滴り落ちていた。その隣には全身傷だらけの若い兵士が意識なく横たわっており,人々が取り巻いていた。彼については後で書こう。


次の負傷兵についてはわたしはあまり記憶がない。4人めの兵士は,わたしたちが病院にいる間にストレッチャーに乗せられて,隣の処置室に運ばれていった。人々は彼を抱え上げなんとかベッドに載せたが,痛みが激しいのか,うなり声をあげて身体を痙攣させた。彼が去ったベッドの上には,血の溜まったビニールシートが残された。

2013/07/29

BRSA会長挨拶

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の2012年度の会長としての総会向けのメッセージを以下のリンクに掲載しました。

第6回総会報告 会長挨拶

難民の帰還に関する ビルマ政府および国際社会に対する要望書

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)で次のような声明文を出したので参考までに。

難民の帰還に関するビルマ政府および国際社会に対する要望書

現在のビルマ政府がテインセイン大統領のもと、民主的制度に基づく国づくりを進めていることはおおいに評価できることです。


しかし、長期にわたる軍事政権下において生じた貧困、国民間の断絶、社会の腐敗、教育の荒廃は未だに存続し、新しいビルマの課題として今なお残されています。


そのような課題の1つとして、1988年の民主化運動への軍事政権の迫害によって生まれた難民たちの帰還の問題があります。世界各国に散らばるこれらの難民たちは、それぞれの場所でコミュニティを作りながら、現在のビルマの変化を非常な関心を持って見守っています。


私たち在日ビルマ難民たすけあいの会は日本における政治難民と日本国民とによって設立された団体です。政治的難民である私たちの希望は、いつの日か民主的で安全となったビルマに帰国し、長年離ればなれになっている家族と再会し、新しいビルマのために一生懸命働くことです。


しかし、現在のビルマはいまだ私たちにとって安全な国であるとはいえません。カチン独立機構への戦争、そしてモンユワでの国民への弾圧を見ても分かるように、ビルマ政府は国内の自由と平和の確立のためにすべきことを十分になしていないといえます。このような状況では、日本にいる私たちのみならず、アメリカやヨーロッパ、タイ、インド、シンガポール、マレーシア、あるいは国境の難民キャンプに暮らす難民たちが自分たちの安全を確信して、家族を連れて帰国することは不可能です。


これらの難民たちは、異国での困難な生活の中で、外国語を学び、様々な経験を積んできました。中には、非常に高い教育を受ける機会に恵まれた人もいます。これらの経験豊かな人々が、新しいビルマのために力を尽くすことができないのは、ビルマにとって多大な損失であるといえます。


ゆえに、私たち在日ビルマ難民たすけあいの会は、多くのビルマ難民が安心して帰国できるためにビルマ政府に以下の対策をとるようここに要望いたします。



1)民主化をさらに推進すること。

2)国内の平和を確立すること。特に現在行われているカチン独立機構との戦争を停止すること。


3)帰還する政治的難民の生命の安全を保障すること。


4)政治的難民の帰還手続きを公平なものとし、在外大使館における「税金」の徴収を免除すること。

5)帰還する政治的難民への補償を行うこと。

6)帰還する政治的難民が故郷での新生活を開始できるように支援すること。



また、国際社会に対しては次のように要望いたします。



1)ビルマ政府が民主主義と平和を確立するように常に働きかけること。

2)難民の帰還事業のため、生活支援、職業訓練など必要な支援を行うこと。

2013年5月26日 在日ビルマ難民たすけあいの会

2013/07/22

Monkに文句を言うと仏僧だけに物騒だ

英文ニュース誌のTIMEの2013年7月1日号,とりわけその表紙は発売前からインターネットに出回り,ビルマ社会にかなりの憤激と動揺を引き起こした。

それはひとりのビルマの僧侶の顔を写したもので,温和とはほど遠い冷たい眼差しが印象的だ。

その顔の下にはメインとなる記事のタイトルが記されている。「The Face of Buddhist Terror(仏教徒テロルの顔)」。記事を読まなくても何が書いてるのか容易に想像がつく。仏教徒とテロリズムの関係を論じているのである。

表紙となった僧の名はウィラドゥ師(Wirathu)。強固な反ムスリム主義者として知られ,ビルマ国内でかなりの崇敬を集めている。もっとも,TIME誌の記事で取り上げられているのは,ビルマだけではない。スリランカ,タイなどの上座部仏教が主流となっている国で,ムスリムに対する警戒・敵意・反発・攻撃が増加しつつある現状を扱ったものだ。

論調としては,仏教をあげつらうというよりも,排外主義であれ狂信主義であれ,こうしたものはどの宗教に起こりうるもの,という立場で書かれ,とくに不公平な印象は受けない。

しかし,ビルマの仏教徒は異なる見方をした。これらの人々は仏僧と「Terror」という文字が表紙で並置されているというだけで仰天し,TIME誌が仏教徒に対するネガティブ・キャンペーンを行っていると非難したのである。

ビルマではロヒンギャをはじめとするムスリム集団が激しい弾圧にさらされているが,この問題に関してビルマの仏教徒はかねてから,国際社会がムスリムの肩ばかり持つのに不満を感じていた。テロリストなのはムスリムなのに,どうしてわれわれの方が責められるのか,と。中には,世界のムスリム・コミュニティによる陰謀論を口にするものもいるほどだ(世界中のムスリムが陰謀を仕掛けられるほどに一致団結しているのなら,イスラム世界はもっと平和になっているだろう)。

そのようなわけで,ビルマの仏教徒たちはTIME誌の記事についても「またか」と過剰に反応したのである。それも,記事の内容というよりも,国際社会が自分たちに向ける「理不尽」な非難に逆上したのだ。

もっとも,これはビルマのすべての仏教徒の意見ではないし,またウィラドゥ師への支持自体も全国的なものでもない。わたしが聞いた話では,彼を批判する者もいるし,また「少々おかしいのでは」と呆れる者もいる。

しかし,ウィラドゥ師はさておくとしても,この記事,特にタイトルそのものが,ビルマの宗教を巡る現状の痛いところをついたものであることは,この号のTIME誌がビルマ国内で発禁となったことからも容易に察することができよう(スリランカでも同様に発禁となった)。

さて,この問題に関してFacebook上ではさまざまな画像が流れたが,そのうちのいくつかをここに紹介しよう。

 右が問題の表紙。
これと比較されているのがビルマ仏教を好意的に扱った過去の号のTIME誌。
昔はあんなに共感してくれたのにどうして? という感じだが,
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず,というのもまた真実。

記事を書いた記者の顔写真をつかってやり返す事態に。
「ムスリム偏向メディアの顔」とタイトルももじってある。
下の1文は「いかにしてムスリムから金をもらった記者たちが
世界中に仏教徒に対する暴力を煽り立てているか」とあり,
さらに顔写真の横に
「ムスリムから金をもらったTIME記者Hannah Beech」
と小さく記す念の入れよう。

 これも上と同じ。
「嘘つき過ぎちゃった!
嘘つきジャーナリストの顔
Hannah Beech
仏僧について嘘を書けり」とある。
しかしTIME誌表紙のコラ作りたがらせ力は異常といえよう。

ひとコママンガ。
今回の記事は,アメリカを攻撃しようとしているムスリム・テロリストの目を
ビルマに向けさせるためにアメリカが仕組んだ一件だとする内容。
 だが,この素朴なメディア陰謀論を嘲笑するのはよそう。
日本では与党幹部がこれに取り憑かれている始末なのだから。

2013/07/19

バイオリンとカチン

昨年の6月,カチン独立機構本部のあるライザに行ったときのこと,当時,総司令部はライザの中心部にあるライザホテルに置かれていた。

わたしはそこに入れてもらうことができたのだが,その話はまた別の機会にするとして,このライザホテルの隣に,旅行代理店のようなオフィスがあり,ある晩,その前を通り過ぎると,カウンターに座った若い女性がバイオリンを弾いているのが目に入った。暇つぶしに練習しているようだった。

戦場の町にバイオリンというのがなんともいえぬ取り合わせだったのだが,この間,AERAにカチン民族の記事があり,やはりバイオリンを弾くライザのカチン人の写真が載っていた。

これは教会の賛美歌の伴奏で使うためのもので,日本のカチン人の教会でも,礼拝中にバイオリンを弾く女性がいる(ただし,この人はカチン語を話すカレン人だ)。また,中国のカチン人のクリスチャンがこの弦楽器を弾いている写真をどこかで見た記憶がある。

チンの礼拝でもカレンの礼拝でも,わたしはあまりバイオリンの伴奏は見たことがないから,もしかしたら,カチンのクリスチャンとバイオリンの間には何か特別な関係というか伝統があるのかもしれない。

さて,ある在日カチンの少女が教会で弾くためにバイオリンを練習していて,有料のレッスンにも通っていた。親は難民認定申請中の状態で,生活も苦しかったが,親子の暮らす自治体が子どものための手当をいくらか出してくれていた。親はそのお金の一部をレッスン費に当てていたのだった。

少女の母が,カトリック系の難民支援団体にボランティアとして行ったときのことだ。彼女はそこのスタッフと雑談していて,何かのおりに自分の娘がバイオリンを学んでいることを話したのだそうだ。

すると,そのスタッフは「バイオリンなんて金持ちがやるものだ。そんなことに税金を使うのはおかしい」と非難したのだという。

まるで難民にそんな贅沢は許せないとでもいうような口ぶりで,余計なお世話だと言い返したくなるが,この人も,カチン民族にとってバイオリンはもっと身近なものであり,教会を支える大切なものであることを知っていたら,そんなザンコクなことは言わなかったろうと思う。

2013/07/18

キャリーバッグ

非ビルマ民族の在日政治団体について調べている研究者がいて,その人が海外カレン機構(日本)OKO-Japanについて話を聞きたいというので,事務局長のダニエルさんとわたしがインタビューに応じることになった。

どうしてわたしがかというと,それはこの団体の創立者の1人であるからで, わたしはソファにふんぞり返って,その女性の研究者相手にあることないことしゃべりまくった。

ズボンのチャックが全開だったのに気がついたのは,彼女が帰った後だ。

それはいいとして,OKO-Japanの月例会議が6月30日夕方,駒込で開催された。この日は久しぶりに新しい会員を迎えることになった。名簿上は51人目のメンバーだ。

それは30代の男性で,前に出て自己紹介をしているうちに感極まって涙を流した。カレン人の仲間が集っているということがそれだけ心強かったのだ。


会議の主な議題は,8月に行われるカレン殉難者の日式典についてで,わたしの担当は式典で上映する映像作品だ。それで,2月にカレン州で撮影してきたビデオをプロジェクターでみんなに見てもらった。みんなの反応を見る限り使えそうだ。

会議が終わるとわたしは新しい会員のところに行き,少し話を聞いた。なんでもビルマ軍に強制労働やポーターとしてたびたび徴用された経験を持つらしい。つらい人生を歩んできたのだ。

その後,みんなで居酒屋に行くことになった。わたしはプロジェクターやコンピューターを入れた小型のキャリーバッグを持っていたのだが,副事務局長のアウンゾウカインさんが自分が持つといって聞かない。で,お願いすることにした。彼はそれを自分の自転車のカゴに強引に乗せた。

はじめは駒込で店を探していたのだが,どこも一杯。それで,巣鴨まで歩いていくことになった。アウンゾウカインさんは自転車に乗って先に行ってくれた。

わたしたちは山手線沿いの道を歩いた。と,気がついた。俺のキャリーバッグどこだ。振り返ってみると,ゴロゴロと引っ張ってくれてるのはなんとあの新入りの人。

ポ,ポ,ポォタァァッ……

はなぐすり

入管の収容所内ではすることがない。十分に身体を動かすこともできないし,そもそも仕事をしないのだから,一日の疲れというものがない。

それで,夜眠ることができなくなる。

消灯時間から布団に入って一晩中まんじりともしない。入管の中はただでさえ不安と恐怖で一杯だ。これらが夜っぴて被収容者を苛む。わたしなら日が暮れるのが怖くなる。

あまりの苦しさに,入管の医者に頼んで睡眠薬を出してもらう人もいる。

だが,経験者によればこれは絶対よしたほうがいい。釈放されてからも睡眠薬なしには眠れなくなってしまうからだ。

こういうときはもう昼だろうが何だろうが眠いときに寝るしかない(と経験者は語る)。無理に夜寝ようとするからつらくなる。

さて,ある被収容者が,入管の医者に眠れないと訴えた。睡眠薬をください,と。医者はすぐに出してくれる。

だが,被収容者,その薬をじっと見る。で,医者に言う。

「先生,これは鼻炎の薬じゃないですか?」

「……日本語読めるの?」

「はい」

そこで医者は彼を入管の外の病院に連れて行き,正式に睡眠薬を処方してくれる。

わたしが分からないのは,この医者が単なる懈怠から嘘を言ったのか,それとも善意からそうしたのか,ということだ。

2013/07/12

カチン独立軍(KIA)の病院(2)

遺体は病院に隣接する建物の部屋に安置されていた。そこにはほとんどベッドしかなく,ガランとして,まるで何かの廟のようだった。数名の女性と軍服を来た人が若い死者を見守っていた。わたしたちの来訪は,女性たちの悲しみを高ぶらせた。

2人の在日カチン人女性も泣き出した。わたしがビデオ撮影を始めると,1人の女性がカチン語で何か死者に語りかけはじめた。涙を流しながら,哀切きわまりない様子で,映画の1シーンにありそうな感じだ。わたしも少し熱心になる。

 外から見たKIA病院

死んだ兵士は軍帽と軍服姿で,赤いカチンの旗をかけられて眠っていた。枕が二つ重ねられていたのは,包帯を巻いた頭から滲み出る血がベッドを汚さないようにとの配慮からだろう。頭に接した部分には赤黒く染みができていた。顔には苦悶の表情も傷もなく,少し開いた口からは白い歯が覗いていた。胸元に紙幣が重ねられ,さらに腹の上当たりに草の束が置かれていた。どのような植物で何のためかは分からないが,その濃い緑は旗の赤い生地と,交叉する白い剣の図像と調和し,いかにもカチン民族らしい様式を死に与えていた。


カチンに限らず,どの民族も,どの文化も,死者に何か纏わせたがる。そして,死者がその着心地について文句を言うことは滅多にない。

2013/07/09

カチン独立軍(KIA)の病院(1)

ライザとマイジャーヤンの病院のことを書いたから,ついでにカチン独立軍(KIA)の病院にも触れよう。

わたしが2012年6月29日の午後に訪れたKIAの病院は,カチン独立機構(KIO)本部のあるアラン山の中腹にある。ライザはこの山の麓に広がっている。

アラン山のKIO本部入り口の検問所では女性兵士が任務に当たっていた。
(写真は6月28日)

アラン山中腹から臨むライザ

わたしたち(つまり,わたしと日本のカチン人)が行った時,この病院は常になく負傷兵で一杯だった。

というのも,この日の前日,KIAとビルマ軍との間で激しい戦闘が行われたためで,その砲撃の音はライザ市内にも届いていた。わたしはそのときもアラン山にいて,山の向こうから時折聞こえてくる弾ける音を録音しようとじっとしていた。同行したKIOのスタッフが解説するには迫撃砲だという。

戦闘はライザから一番近い村のひとつであるラジャーヤンというところで起きた。戦闘の様子がどのようなものかというと,このラジャーヤンにはビルマ軍が前哨基地を設けていた。この基地に弾薬や食料を補給するためにビルマ軍が100人ほどの部隊を送ったのだが,その隊列をKIAが攻撃したのである。

ビルマ軍側の被害は分からないが,この時,1人のカチン人兵士が死に,少なくとも4名が負傷した。

死亡した20代後半の兵士は,頭を撃たれたようだ。彼は29日の朝にこの病院に運び込まれるまでは息があった。

強制送還の,夏

先週の土曜日,入管が不法滞在のフィリピン人約70人をあちこちの収容所からかき集めて,チャーター便に押し込んで強制送還した。

な,な,な……

なんちゅう……

なんちゅうもんを食わせてくれたんや……

間違えた。

なんちゅうことをしてくれたんや!

わたしにもっと良いアイディアがあるというに!

手頃なロケットエンジンを用意する(ただし国産に限る)。そいつを入管収容所の四隅に取り付ける。そう,入管ごと打ち上げちゃえってわけ。

移送の手間なし! 一網打尽! 一気呵成!

まっこと素晴らしい名案,風俗活用案なみ。はよ勲章を!

いや,ちょ待てよ,不法滞在の連中の命など,いったい誰が気にしようっての。強制送還した時点で殺したようなもんだ。

じゃ,ぐんぐん上昇していくあれを,爆発させますか? いっそのこと……どかん!。

たーまやー! 色とりどりの炎がぱっと散る。人種と民族の数だけ……。夏の新風物詩かも?

さあ,好きなだけ打ち上げたまえ,美しい日本の花火を。誰も止めやしない。どかん! 打ち上げた分だけ,日本列島が沈んでいくのが気にならなければ! どかん! こりゃちょっとした祭りだ。なあに,連中,お盆にだって帰ってきやしない。あの世にも入管がある! 幽霊も国産だけ。どかん! どかん! 

おお,われわれが海溝に転がり落ちるその日まで……