2010/05/28

死装束

ビルマ人とカチン人の夫婦がいて、2人の幼いこどもがいた。

夫はしばらく前から入管に収容されていて、ぼくが彼の保証人になり、仮放免申請を行っていた。

カチン人の妻は、夫が収容された頃から精神的に不安定になり、夫も、その周囲の知人も、彼女が何か早まったことをしやしないか、心配していた。

ある水曜日、品川の収容所の夫から電話があった。妻とこどもが入管から金曜日に呼び出されており、収容されるのではないかと怖がっているので、一緒に行ってほしい、というのだ。

ぼくは、あいにく金曜日には入管に行く予定がないのでと断った上で、彼にこれまでの経験から幼児のいる夫婦が同時に収容されることは今はまずない、ということを説明し、おそらく書類上の手続きのために呼ばれているのだろうと話した。

するとその夜、入管から電話が入り、別の仮放免の件で金曜日に入管に行くことになった。それで、ついでにカチン人の母子にも入管で会うことができるだろうと考えた。

ところが、翌日木曜日の夜、再び入管が電話をかけてきて、件の夫の仮放免許可が下りたので次の月曜日に来てほしい、と告げたのであった。ぼくは金曜日にも行くので、いっそのこと前倒しにしてもらえませんか、と虫のよいことを尋ねたが、それは無理のようだった。

それはともかく、ぼくの推測は誤っていなかった。月曜日に夫を釈放するいっぽう、その妻子をその前の金曜日に収容するなど、ありえない話だ。

ぼくは、さっそく彼の妻に連絡をして、この吉報を伝えようとしたが、果たせなかった。いずれにせよ、明日入管で会うだろう、とぼくは考えた。滅多にないよい知らせを告げる楽しみは明日にお預け、というわけだった。

金曜日、入管の玄関でカチン人の妻と、2人のこどもに会った。3人は、一緒に付き添ってくれるカチン人の友人を待っていたのだった。ぼくはその友人と入管に向かうバスの中でたまたま一緒になり、すでに夫の仮放免許可のことを伝えてあった。

妻は、夫が月曜日に出られることを聞くやいなや、その友人に抱きついて涙を流した。

こどもたち、3歳にならない娘と、ベビーカーに座った1歳半の息子は、無表情だ。

2人ともやけに派手できれいな服を着ていた。姉はピンクの上着を着て、弟は青いシャツに、水色の靴を履いていた。

ベビーカーのハンドルにはピンクのぬいぐるみのリュックがぶら下がっている。

カチン人の友人は、妻としばらく話した後、ぼくにいった。

「この人は、今日、こどもと一緒に収容されると思い込んでいたんです。そして、ビルマに送り返されて、全員殺されるって。それで、せめて最後にこどもたちを喜ばせてあげようと、きれいな服を着せて、好きなおもちゃを買ってあげたんだっていうんです」

こどもたちはむっつりした顔でおとなたちを見ていた。