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2016/04/27

子不語

自分では気がつかないでいたがわたしの書くものは読む人にきつい印象を与えるそうで、そこである方が「ですます調」にして柔らかくしたほうがいいと助言をしてくださった。ソフトな語り口で、みんなが楽しめる親しみやすいブログを目指してがんばりたいと思います。

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入管に収容されている人のためにしばしば仮放免許可申請をするのですが、たいていは不許可通知が送られてきて残念な思いをします。またわたしの所属している在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の会員には再度の難民認定申請を行っている人も多くいます。つまり1度は、いや2度3度と不認定となったというわけで、これらの人の苦境を思うとまた残念至極です。

ところでなのですが、わたしの友人で妻子持ちの男が、ある女性とひそかに旅に出かけることにしました。

これが今はやりの不倫かどうか、本人たちの見方はわかりませんが、周囲はそう見るでしょうし、わたしもそう思っています。

その彼がいうには、家の者にはわたしといっしょに旅行に行くと告げてあるのだということです。きっとわたしが始終ヒマにしているからうってつけだと考えたのでしょう。

「すきにするがいいが、俺のところに奥さんから直接電話がかかってきたら、ウソはつけないよ」と言ったのですが、それでもいいのだそうです。

彼はわたしと同い年で、同じ大学の出身です。同じ学部、同じクラスで学んだのですが、ずいぶんと暮らしぶりが違いますね。

彼は不倫旅行で楽しいこといっぱいですが、わたしはといえば仮放免不許可に難民不認定と悲しいことばかりです。

同じ「不」なのになんと違うことでしょうか。わたしはこれまで不許可とか不認定とか不可とか不採用通知とかの狭い世界に生きてきたので、この世にこんな楽しげな「不」があるなど思いも寄らぬことでした。

そこでわたしは考えました。どうして自分はそっちの方の「不」と縁がないのだろうか、と。これはまったくの推測ですが、わたしの周囲には不認定と不許可などの「不」がひしめき合っていて、かの楽しそうな「不」が遠慮して近寄ることができないのではないでしょうか?

「不」が「不」を邪魔しているのです。となると、なんとかそっちの方の残念な「不」を追い払いたいところですが、これは入管の難民政策、いやそれどころか日本の移民政策が大変換を遂げなければとても無理なことなのであります。

では、たとえば、不許可とか不認定とかの悲しい「不」を楽しいほうの「不」に変えることはできないのでしょうか?

考えてみましたが、思い浮かびませんでした。

ですが、わたしは同時に気がつきました。ほんの気分だけにしてもなのですが、悲しい「不」を楽しい「不」に近づけようとしてきたのが、わたしを含むBRSAの会員たちがしてきたことではないかということです。

入管での収容を続行させる仮放免不許可についてはわたしたちはどうすることもできません。ですが、面会や仮放免の申請をすることによって、被収容者は希望を持ったり、人間としての尊厳を維持したりすることはできます。

あるいは、たしかにBRSAは「不認定」の難民の集まりですが、この集まり自体を通じて、自分の力を発揮したり、人生に意義付けしたり、生活を豊かにしたり、ビルマをよくするために働き掛けたりすること、つまり、なんらかの希望を生み出すことができるのです。

不倫の具体的・実用的な楽しみに比べて、希望などというとなんとも霞や屁のようで恐縮ですが、議員でもタレントでも乙武クンでもないわたしたちにはこれしかないのですから、この道をひたすら進むべきなのです。人間に希望を与える活動を続けることで、悲しい「不」を希望の「不」に変える「不」断の努力を続けるほかないのです。

そうすれば、楽しいほうの「不」がいつか……それもやはり希望と言うほかありますまい。

その希望が訪れるまでの間は、わたしたちは人間のための着実な働きを続けるべきでしょう。そして、ときおり休んでは静かに本でも読もうではありませんか。























『死の棘』とか……。


2016/02/24

BRSA活動日記

以下は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のHPに掲載してもらったもの。

2016年2月14日 月例会議
2月の月例会議は、14日夜、いつもの南大塚地域文化創造館の会議室で行われました。難民認定申請中のビルマ難民の収容が相次いでいるので、その問題に関して意見交換が行われたほか、難民の就労についても議論されました。4月2日3日に都内にて開催される水掛け祭の出店に関しても話し合いが持たれました。今年は3日日曜日にBRSAとして出店し、豆のフライやタピオカのジュースなどを販売するとのことです。詳しい情報が入り次第、お祭りについてはお知らせいたします。



2016年2月15日 医療支援
BRSAの会員の眼科の診察に事務局長のキンターワイさんと熊切が同行しました。場所は茨城県牛久。収容所と関係ないのはよいですが遠い。ちなみにこの会員は難民認定申請中、仮放免中なので全額自己負担です。クリニックではキンターワイさんが視野検査や診察に付添い、しっかりと通訳をしてくれました。しかし、それではわたしが行った意味がなくなってしまうので、視野検査経験者として「光ったらボタン!」とアドバイスをしました。

2016/02/16

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の新しいHP

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)はわたしが今のところもっとも関係している団体だが、その日本語ブログをわたしは設立当時から運営していた。

しかし、これはあくまでもブログであるし、またわたしも熱心に更新していたわけではなかった。

ではなぜわたしがやらねばならなかったのか。

それは会に日本語が十分に読み書きでき、最低限のインターネットの知識を持った人間がほかにいなかったからだ。

ところが、最近(といっても2年ぐらい前から)、BRSAの会員の努力の結果、日本人の会員も徐々にであるが増えてきた。

その中に、国際政治学を研究している峯田史郎さんがおり、彼がBRSAのホームページを作ることを提案してくださり、現在は忙しい中その担当をしてくださっている。

ビルマの政治運動に焦点を当てた日本のNGOは、今はビルマ人の団体を除けばおそらくBRSAだけだと思うので、そのあたりの情報も充実させていきたい。機会があったらぜひごらんください。いや、いますぐに。



2016/02/10

BRSA活動日記(2016年2月3日入国管理局訪問)

以下は、在日ビルマ難民たすけあいの会のHPの活動日記向けに書いたもの。

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この日は収容されている会員の仮放免手続のために品川の入国管理局に行きました。彼は約1年の収容、4回の申請の後に、仮放免許可が出ました。本当にうれしいことです。もっともこれは最近の収容では短いほうです。

またこの日は、収容中の男性会員2人にも面会しました。ひとりは仮放免の申請中です。もうひとりは先週収容されたばかりです(この時は知らなかったので面会はしませんでしたが、もうひとり先週収容された女性会員がいます)。

ビルマ人難民申請者の収容はこれまでは減っていたのですが、最近徐々に増えているようです。

BRSA活動日記(2016年1月31日 BRSAセミナー)

以下は、在日ビルマ難民たすけあいの会のHPの活動日記向けに書いたもの。

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BRSAでは、BRSAセミナーと題して、ビルマを中心としたトピックについて報告したり、語り合ったりする楽しい集いを毎月1回開催しています。

2016年1月31日のBRSAセミナーは、旅人の名和靖将さんをお招きして、昨年の3月、熊切とともに中国雲南省のカチン民族を訪問した時のお話を伺いました。

この時の旅は、在日カチン人政治活動家のピーター・ブランセンさんのご支援によって実現したもので、名和さんもわたしも彼を通じて雲南省のインジャンではじめて出合ったのでした。

インジャンのマナウ祭に参加したことも素晴らしい体験でしたが、祭の後、名和さんと2人で訪問したカチンの村での経験も特別なものでした。

この旅はタイにあるカチン村(バンマイサマキ村)のリーダーが計画したもので、その目的はあるカチン老人の里帰りを実現させることにありました。

聞けば、この老人は、現在タイ国籍を得てバンマイサマキ村に暮らしていますが、もともとはこの雲南省のカチン村の出身で、若い頃に国民党に加わって以来、60年も故郷に帰らなかったそうです。

彼の帰郷は、涙々の再会によって始まりましたが、同時に村総出のお祭りとなり、わたしも名和さんも一晩中村の人々と飲み明かす忘れられない体験となりました。

わたしはこの後すぐに帰国しましたが、名和さんは雲南省、ビルマ、アフリカ、イスラエルと長い旅を続けられ、その間に経験されたさまざまなお話も興味深いものでした。

今回は名和さんが一時帰国されたこの機会を捉えてセミナーにお招きしたわけですが、この2月から再び雲南省やビルマなどを含む長い旅に出られるということで、旅の安全をお祈りするとともに、今度帰国された時にまた再会できることを楽しみにしております。



BRSA活動日記(2016年1月31日 月例会議)

以下は、在日ビルマ難民たすけあいの会のHPの活動日記向けに書いたもの。

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大塚の南大塚地域文化創造館の第1会議室でBRSAの月例会議が開催されました(午後2時前に始まって5時終了)。いつもよりたくさんの会員が参加してくださいました(40人ぐらい)。筑波大学で難民について調査している大学院生の方も来てくださいました。

会議の内容は、以下の通り。

《報告》
①お正月日帰りバス旅行:100人近くの参加者。貸し切りバス2台で。静岡のスノータウン・イエティ。約225000円の黒字。
②渡邉彰悟弁護士講演会(1月10日豊島区民ホール)。参加者約50名。約20000円のマイナスだが、成果あり。
③各役員報告。

《主な議題》
①BRSAのNPO法人化について。会場の参加者の多数が賛成。タスク・フォース設置して検討。
②今後の役員体制について。NPO法人化した場合の役員体制を検討する必要。
③ビルマに関する最近の新聞記事に関して解説。
④在日ビルマ政治団体が最近次々と入管に呼び出されてインタビューを受けているとのこと。BRSAとしての対応についての質問があった。BRSAとしては今後も活動の基本方針(難民支援・民主化支援)は変わらないことを確認。
⑤渡邉彰悟弁護士講演会のビデオの上映。

《次回会議》
2月14日 17:30から南大塚地域文化創造館で。




2016/02/08

店の名前

過ぎにし薔薇はただ名のみ、虚しきその名が今に残れり。
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』


チェスタトンの『ポンド氏の逆説』ではないが、正解したのに間違っていたという話をさせていただきたい。

昨年のことだが、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の忘年会を12月20日にすることになった。

その会場となる居酒屋はビルマ人役員が高田馬場で見つけてくれたという。

どこかと尋ねたら、店の名前はわからないと答える。何度聞いても教えてくれない。店の名称というのはけっこう難しいのでしょうがない。ビルマの人の中には、とにかくどこにあるかわかればこと足りるので、自分が働いている店の名前も言えないことすらある。

別にそれでもかまわない。だが、わたしは店を他の日本人会員に伝えなければならないので困った。

役員が言うにはその店には次のような特徴があるという。

①魚がメイン。
②安い。
③沖縄の店だ。

これだけで店の名前が当てられる人はいるだろうか。ビルマ人との付き合いが長く、高田馬場もそれなりに知っているわたしは、この学生街の数ある居酒屋の中から見事に当ててみせた。

ヒント:ビルマの人にとってチェーン店のほうが入りやすい、というのが分かるとぐっと範囲が狭まるだろう。

さらにもうひとつヒントを出そう。いくら外国人でも日本暮らしが長ければ仮名ぐらいは読める。つまり店名はおそらく漢字だけからなるのだ。

賢明なる読者諸君はもうおわかりだろうか(BRSA会長からの挑戦状だ)。

答えは、










最近やたらとよく見かける磯丸水産だ。

磯丸水産の店の外装を特徴づける青が沖縄を連想させるに違いないという推理と、高田馬場で磯丸水産の前を通り過ぎたことがあるという記憶がわたしを正答に辿り着かせたのだ。

だが、にもかかわらずわたしは間違った。

なぜか。

BRSAのメンバーたちが連れて行ってくれたのはわたしが通りかかったことのないほうの磯丸水産……つまり高田馬場には2店舗あったのである。

過ぎにし店はただ名のみ……

2016/01/16

渡邊彰悟弁護士講演会(5)

出席者たちはまだまだ渡邊先生に聞きたいこと、言いたいこと、訴えたいことがあるようだった。だが、時間の関係で打ちきらざるをえなかった。

最後に感想を若干述べさせてもらえば、今回の講演会はわたしにとって非常に励まされるものだった。

渡邊先生が話されたように、現在のビルマ難民申請者の状況は非常に厳しい。

わたしもその厳しさを十分承知しているだけに、どうしても悲観的にならざるをえなかった。あたかも沈没船の船長のような気持ちでBRSAの会長をしていたのだった。だが、実は違うのだ。状況は厳しいけれど、だからと言って入管が正しいというわけではないのだ。入管が不正を行い続ける限り、われわれにはそれをより良きものにする機会、つまり、状況を変えるチャンスはまだ残っているのだ。

よかった! 入管が不公正で!

おお、それに渡邊先生の「ふざけるな!」。

わたしだって同じことを感じてはいたが、渡邊先生のような経験のある人から言われると余計に響く。気分が晴れる。もうやみつきだ。

またぜひ渡邊先生に講演においでいただいて、入管の問題に困っている人々とともに「ふざけるな!」を聞きたいものだ。


2016/01/14

渡邊彰悟弁護士講演会(4)

講演会では入管の「ふざけるな!」行為が次から次へと取り上げられていった。

例えば、難民認定申請者は入管のさまざまな手続きの場で、申請を取り下げて帰国するように圧力をかけられる。難民審査に関わりある職員が申請に対する判断としていうのならありうるかもしれないが、そうではない。難民審査と関係のない職員までが言うのである。一体何の権限があるのだろうか? 「ふざけるな!」だ。

また、難民認定申請者のうちある者は就労を認められていないが、実際は生きていくために働かざるをえない。入管は就労禁止を何とか徹底させようと申請者が携帯する書類のために特注でハンコを作った。「職業または報酬を受ける活動に従事できない」とのハンコがポン!

しかし、これは難民の生きる権利をないがしろにする行為ではないか? 難民認定申請者は守られねばならないのだ。「ふざけるな!」だ。

さらに出席者たちは、最近入管が不意打ちで難民認定申請者の自宅にやってくることを渡邊先生に報告する。入管は、働いていないか調べたり、部屋に入り込んで、どんなものを持っているかチェックしたりするのだ。ちょっとでも不相応なものがあれば、「仕事していないのにどうしてそんなものを持っているのか」などとイヤらしく質問するのも忘れない。一体何の意味があってこんなイヤガラセをするのだろうか。難民認定申請者には人間の尊厳などないのだろうか。「ふざけるな!」だ。

入管は申請者の家に入る時、申請者がこれに同意したことを記した紙に署名させる。これについて渡邊先生は言う。「署名などする必要はない! 家に入れる必要もない!」と。

だが、申請者たちは恐れを口にする。もし拒否したら、そのまま入管に収容されるのではないかと。そこで渡邊先生「では、私のところにいつでも電話してきてください!」


渡邊彰悟弁護士講演会(3)

さらに講演会では、難民の法的立場や手続きに関する質問も出て、これについても渡邊先生は丁寧に解説してくださった。

この点に関しては省くが、意外に思ったのは、日本で何年も暮らし、自ら難民認定申請を経験し、中には認定された人もおり、また他のビルマ難民の助言などもしている人もいるのに、日本の難民審査のシステムについて十分理解していない人が多いことであった。

日本人でさえ知らない人が多いのだから、しょうがないといえばしょうがないが、当の難民申請者本人が自分の立場や審査のプロセスについて明確なイメージを持っていないということは、現在の難民審査システムの致命的な欠陥ではないだろうか。

考えてみれば、難民申請者が入管で出会う職員は、どちらかというと申請者を怯えさせたり不安にさせることにばかり熱心で、安心して申請や審査に臨めるように配慮したり、懇切丁寧に説明するような仕組みはまったく存在しないのであるから、当然のことだ。

それを担っているのが、われわれNGOだが、こんなことは本当は国がちゃんとすべきなのだ。

「ふざけるな!」とわたしは言いたいが、この言葉こそ、渡邊先生が講演において入管に対してなんども投げかけた言葉なのであった。

2016/01/13

渡邊彰悟弁護士講演会(2)

さて講演会の内容だが、まず日本のビルマ難民の状況についての話をまとめる(渡邊先生の言葉そのままではないのに留意されたい)。

1)日本の難民認定は非常にハードルが高い。特にビルマ難民は世界的水準でいうと8割がた難民認定されているが、日本ではそうなってはいない。この状況に変化が起きる可能性は少ない。

2)現在のビルマの変化を受けて、入管はビルマ難民に対して厳しい扱いをするようになっている。特に「ビルマ民族の民主化活動家」にはビザを出さない方針で入管は動いている。非ビルマ民族でも非常に難しい。

3)入管のこの方針は間違っているが、これが変わる見込みはないだろう。

4)しかし、欧米で今なおビルマ国民が難民として認定されているように、欧米諸国では「ビルマ国内の人権状況は変わっていない」というのが共通理解となっている。

5)その根拠は、非民主的な憲法と、国内の政治囚の存在だ。

6)したがって現在難民認定申請中の人は、ビルマの人権状況に関する資料を集め、証拠として粘り強く提出していくことが重要となる。

BRSAの会員の大部分を占める「ビルマ民族の民主化活動家」の難民申請者は現在の入管の立場では認定の見込みがないというのは、わたしもそんな気がしていたが、渡邊先生の口からはっきり言われるとやはり衝撃的だ。



渡邊彰悟弁護士講演会(1)

1月10日池袋にて、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)主催の「渡邊彰悟弁護士講演会:在日ビルマ人と難民問題」が行われた。

会場の開く13時に準備のために行くと、もう渡邊先生がいらしていて、薄暗い中で待っておられた。開始時間が間違って伝わったようで責任者のわたしとしては申し訳ないかぎりだ。

どれだけ集まるか不安だったが、結局、50人はいる会議室が満員になった。ほとんどがビルマの人々で、しかも、BRSA会員以外の人々もたくさん来てくれた。その中には在日ビルマ人コミュニティの主なリーダーも含まれていた。

これだけ集まったのは、渡邊先生、そして通訳してくださった田辺寿夫さんの存在はもちろんのこと、呼びかけてくれたBRSAの幹部の努力もあったと思うが、なによりも現在の在日ビルマ難民の不安定な状況をどう向上させるかについて切実な関心をこれらの人々が抱いているからに違いない。

2時間の講演会は、出席者からの活発な質問や意見を交えながら行われ、全体として密度の濃いものであった。

2015/12/31

悲惨な戦い

難民認定申請者のうちには就労を禁じられている人もいる。しかし、難民認定審査のプロセスは何年もかかるから、その間、餓死しないために働く必要がある。

これは不法就労だが、日本の入管は黙認している。そしてこの黙認がいわゆる「偽装難民」増加の一因ともなっている。つまり「偽装難民」の問題は入管の無策によって生じているともいえるわけだが、それはさておき、この間、その「不法就労」をしている人が働いている居酒屋に飲みに行った。その人はBRSAの会員で、そこに勤めて長い。社長からの信頼も厚く、もうほとんど社長代理みたいに切り盛りしてる。独自に考案したメニューもある。

社長は相当年配の方だが、わたしがBRSAの会長であることを知っていて、どんなに店が忙しくても丁寧に挨拶してくれる。つまりそれくらいその会員は店にとって大切な人なのだ。

わたしたちが店に入った時は、いくつか空いた席があったが、焼き鳥、南蛮漬け、ほうれん草のピリ辛和えなどをビール、焼酎のお湯割によって次から次へと平らげている間に満席となっていた。もう誰もがやかましく酔いしれ、好き放題にサービス品やおすすめを注文している。にぎやかで居心地のいい店だ。

十分に飲み食いしたわたしたちは勘定を済ませ、席を立つ。店を出ようとするわたしに社長が頭を下げた。

「どうか」と件のBRSAの会員を指して「あの人が日本に居られるよう会で助けてやってください」

それは本当のところ簡単なことではないし、正直言って何をすれば良いのか見当もつかないことだが、重要なことだ。その会員にとっても、いや、そればかりではない、社長とその店にとってもだ。というのも、その会員を失うことは店の存続に関わる事柄だろうから。

わたしたちの会にはおそらくこうした人がたくさんいる。その貴重な働きによって、都内の居酒屋を支えている人々が。ならば、BRSAがそうした人々のために働くことは、これらの居酒屋のために働くことではないだろうか。さらに言えば、これらの居酒屋に集うすべての客のために働くことでもある。わたしたちの難民支援活動は酔客支援活動でもあるのだ。

吉田類やなぎら健壱はわれわれに一杯ぐらいおごってくれたっていいはずなのだ。

BRSAの会議では誰も飲まない。

2015/12/23

渡邊彰悟弁護士講演会:在日ビルマ人と難民問題

【在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)講演会のお知らせ】

「渡邊彰悟弁護士講演会:在日ビルマ人と難民問題」

日時:2016年1月10日日曜日13:30〜15:30(開場13:15)

場所:豊島区民ホール第13会議室(3階)。JR池袋駅(東口)より徒歩5分。

参加費:会員無料(非会員1,000円)*参加に際し事前連絡は不要です。

問い合わせ先:cyberbbn@gmail.com(熊切)

在日ビルマ難民、特に難民認定申請中の人々の状況は今、大きく変わりつつあります。

ビルマの総選挙でのNLDの圧勝は難民にとっても朗報でありました。しかし難民の帰還と再定住のための道筋がいまだ見えないなか、日本では難民に対する政府の対応はますます厳しいものとなり、排除政策と長期間の収容が常態化しています。

このような状況の中、難民申請者たちはこの日本でどのように命をつないでいくべきなのでしょうか?

そして、BRSAをはじめとする難民申請者は、今後どのように政府・入管に対して働きかけていくべきなのでしょうか?

わたしたちがぶつかっているこんな難問が今回の講演会のきっかけとなりました。

講師を務めて下さる渡邊彰悟弁護士は、ビルマ難民の弁護活動の第一人者であり、ビルマ政治と日本の難民政策の双方に関して深い知識と経験をお持ちの方です。

講演会では、弁護士として、そして日本とビルマをつなぐキーパーソンの一人として、入管への対処や難民認定申請に関する実際的なアドバイスに加えて、日本の難民行政の現状とビルマの政治的変化に関して率直なお話をいただきたいと思っております。なお、通訳には田辺寿夫さんをお招きしております。

*今回の講演は、在日ビルマ難民の会員だけでなく、ビルマの政治問題、難民問題に関心のある一般方も対象にしております、どうぞお気軽に参加ください。

【渡邊彰悟弁護士】いずみ橋法律事務所。全国難民弁護団連絡会議代表。著書に『難民勝訴判決20選ー行政判断と司法判断の比較分析』(編集代表)信山社刊。

【在日ビルマ難民たすけあいの会】
2008年に在日ビルマ難民と日本人によって設立された政治団体。ビルマの難民・国民のため、またビルマの民主化のため、さまざまな政治活動・支援活動を行っています。ウェブサイト:https://sites.google.com/site/japanbrsa/

2015/12/21

バス旅行と一時旅行許可申請(3)

今度のバス旅行のために作成した文書は次のようなものだ。

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上申書

日本国法務省入国管理局仮放免許可申請および難民認定申請に関わるみなさま

わたしたちは在日ビルマ難民たすけあいの会と申し、日本に暮らすビルマ難民の生活の向上のために働き、ビルマ民主化を目指す政治団体であります。

このたび、恒例の行事として、2016年1月1日(金曜日)に以下のような日帰りバス旅行を企画しております。本旅行参加者が一時旅行許可書申請の際に、ご参照いただければ幸いに存じます。

目的:観光旅行
旅行先:静岡県裾野市須山字藤原2428

旅程:
1)2016年1月1日朝、高田馬場駅前集合、静岡県に出発。
2)スノータウンイエティ(静岡県裾野市須山字藤原2428)にてスキー。
3)温泉施設、ヘルシーパーク裾野(静岡県裾野市須山3408)。
4)18:00に出発。夜、高田馬場帰着。

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)

***

ある時、品川の入管にいたら、会員の1人が声をかけてきた。夏のバス旅行のための許可を取りに来たのだが、自分の携帯に入っているこの文書を入管に見せたら、ちゃんとした紙でなくてはダメだと言われたのだという。

わたしはその紙を持ち合わせていなかったが、入管のコンビニのコピー機にネットワークプリント機能があり、携帯を通じてなんとか印刷できた。

その紙を彼に渡しながら思ったのは、旅行の情報が分かればそれで済むものを、わざわざイヤガラセのように紙を要求して申請者を困らせる入管はまったくとんだ性悪な連中じゃわい、ということで、わたしは実に不愉快な気分になり、そして今なお不愉快であり、さらに将来的にもバス旅行の文書を作成するたびに不愉快になること疑いなしなので、憂さ晴らしにここに書いたのである。


バス旅行と一時旅行許可申請(2)

一時旅行許可申請について、入管のホームページでは次のように書かれている。

***

Q28
仮放免中に指定された行動範囲外の場所へ出かける必要が生じた場合は、どうすればいいのですか。


仮放免許可書に記載された行動範囲外の場所へ出かける必要が生じた場合には、事前に、指定された住居地を管轄する地方入国管理官署の主任審査官に対し、一時旅行許可の申出を行ってください。

申請に当たっては、身元保証人と連名による一時旅行許可申請書のほかに、旅行の目的、必要性、旅行に要する期間等を明らかした書類を提出しなければなりません。

***

この許可申請はそれほど難しいものではないが、旅行先の住所は少なくとも市まで記さねばならないので、申請の前にその辺りを確認しておかないと不許可として突き返される。

また、目的によっても不許可になることがあるようだが、その基準ははっきりしない。

いずれにせよ、BRSAのバス旅行の参加にさいしてこの申請をしなくてはならない人は非常に多い。なので会では、申請のときに利用してもらおうと、旅行の日時、目的地などを記した文書を発行している。

今年の正月のバス旅行の様子

バス旅行と一時旅行許可申請(1)

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は年に2回日帰りバス旅行を企画して、海水浴に行ったり、スキーに行ったりする。

苦労するのがバスの手配で、最近は過労運転による事故を防ぐため、たいていの日帰り旅行では運転手を2人つけねばならず、貸切バスはずいぶん割高になった。が、それでもビルマ人の役員たちは目的地を変更したり、集合時間を変更したりして対応している。

今年の元旦の行き先は静岡のスノータウンイエティで、貸切バス2台、総勢100人で行くそうだ。これだけの規模の旅行を企画し、しかも、バスの中で食べる朝食や昼食も準備するのだから、BRSAの役員たちはすごいといつも感心する。

参加者は会員が約70人、それ以外が家族や学生たちだが、BRSAの会員は難民認定申請中の人が多い。そして、同じ申請中でも、仮放免中の人がほとんどだ。

これが何を意味するかというと、これらの人々は指定された居住地域(大抵は東京都内)を離れる場合は入管に行って許可を取る必要があるということだ。この許可なしには、旅行に参加することは許されないのだ。

この申請が一時旅行許可申請である。

2015/12/17

バマゾン・プロジェクト(5)

わたしがビルマに獄中の差し入れとして持ち込んだ書物のうち、一冊だけはその運命がすぐに明らかになった。

というのも、荷物をごちゃごちゃに詰めていたせいで、『オデュッセイア』だけ取り出すのを忘れてしまい、渡せなかったのである。

わたしはそれを日本に持ち帰った。10月のビルマ訪問はわたしにしては長い期間にわたったが、そうであっても約18日間の旅路ではオデュッセウスの帰還には短すぎよう。

この時の訪問では、やはり獄中にある政治活動家ネーミョージンさんにも会うことができたが、彼が英語の勉強のために歴史的なスピーチの本が欲しいと言っていたので、偉人による英語スピーチ集のペーパーバックを2冊買った。

そしてBRSAの会員の峯田史郎さんが、11月の総選挙の監視団の一員としてビルマに行くというので、その際に持っていってもらった。もちろん『オデュッセイア』を押し付けるのも忘れなかった。

そのうち書物は姿を変えてわたしのもとに戻ってきて報復を始めることだろうが、それはそれで楽しみだ。


2015/12/16

バマゾン・プロジェクト(4)

これらの本を差し入れたのは、今年の10月にビルマを訪問し、やはり裁判に出頭した学生たちに会った時で、13日の火曜日、ヤンゴン中心部のチャウタダー郡裁判所でのことだ。

この時のことやその前の7月の学生たちと面会についてはまた別に書くので省くとして、わたしはヤンゴンに入る前に一泊したバンコクで、これらの本にBRSAのシールを貼り付けた。

BRSAの名の記されたこれらの書物がどのような旅路を辿るのか、獄中でどのように流通し、どのような読者を見つけていくのか、あるいは誰にも読まれぬまま食べ物の包みかなんかに使われるのか……などとその運命を考えていると、わたしはだんだんもの狂おしくなってきて、この世にこれ以上に有意義なことはないかのように思われたのであった。





2015/12/15

バマゾン・プロジェクト(3)

「そんなわけで、帰国するとわたしはBRSAのプロジェクトとして始めてみることにした。」

などという前回の末尾の文は、その後このプロジェクトが世界を変えでもしたような口ぶりだが、今のところ17冊の本を差し入れただけだ。

前々回に載せた案内を配ると、早速、BRSAの会員の野上俊明さんが英英辞書、ビルマ愛好家の大村哲さんが画集を2冊寄付してくださった。

9月19日にBRSAでは田辺寿夫さんをお招きして講演会を行ったが、その後の飲み会で6000円ほど残金が出た。これと野上さんからいただいた寄付金3000円を元手に、八重洲ブックセンターに行き、英語の辞書3冊とOxford University Pressの新書を買ってきた。

これは“A Very Short Introduction”というシリーズの各130ページほどの小著で、1000円から1300円ぐらい。

購入したタイトルは”Education”、”Law”、”Politics”、”Sociology”、 “Democracy”。さらに正体不明の言語学者が勝手に”Linguistics”を混入したことも付け加えねばなるまい。

これにわたしの膨大な蔵書から2冊を加えた。一冊はいつでもどこでも買い直すことができるので惜しくない古典中の古典、ホメロスの『オデュッセイア』の英訳。もう一冊はアマゾンでモンティ・パイソンのジョン・クリーズの本だと勘違いして買ってしまった薄い本。

悔しいので書名は記さないが、こんな得体の知れない書物がビルマの獄中に忍び込むのもなかなか面白かろう。