2010/01/31

親切心がアダに

仮放免許可を得て釈放されている難民申請者は、たいていの場合3ヶ月ごとに入管に行き、仮放免許可延長の申請を行わなくてはならない。

その申請書には、申請者の名前や生年月日、保証人の署名のほかに、延長の理由を記す場所もある。

ここの部分、どう書いたらよいかと尋ねられることも多く、たいていぼくはこんなように書くように勧める。

「現在難民認定申請中のため仮放免許可の延長を申請いたします」

なにか根拠があるわけではないが、これで許可がもらえなかったという話も聞いたことはない。

あるとき、やはりこのような理由を記して延長の申請に行った人がいて、その理由を見て入管の職員がこんなふうに言ったそうだ。

「あなたは難民申請のために何をしていますか? もし認定されなかったらどうします? 他の国に行きますか?」

その職員の人は申請者のことを以前から知っていたのでこんなことも言ったそうだ。

「あなたは英語ができるから、アメリカやオーストラリアに行ったらどうですか? もしそうしたいなら、今のうちにアメリカやオーストラリアの大使館に行っていろいろ情報を調べておいたり、書類をもらっておいたほうがいいですよ」

はじめにこの話を聞いたとき、ぼくはこの入管の職員はひどく意地悪な人だ、と思った。つまり、申請者に「あなたは難民としてはダメだから、諦めたら? 早く国に帰れば」と遠回しに行っているように感じたのだ。

しかし、この申請者が感じ、理解したところによれば、むしろその逆で、この職員は、親切心からそういったようなのである。

とはいえ、これも少し奇妙なことだ。というのも、この職員の人はこんなふうに言っているように聞こえるから。「あなた、日本なんかで難民認定を待つなんてアテのないことは止めて、別の国にチャンスを求めたほうがいいよ」

おそらく、申請者の印象通り、この職員が非常に親切な人であることは間違いないだろう。しかし、その人の対応をどう解釈するかはなかなか難しい。

それは究極的には、入管の難民審査を入管職員自体が信じていない、という日本人にとってはなはだ残念な事態を意味しはしないだろうか。

2010/01/30

反省上手

子どもを小学校に通わせるビルマ難民の母親が語るには、運動会やバザーなどの学校のイベントの後に保護者が行う反省会ほど、日本人の素晴らしさを感じるものはないとのこと。

つまり、できなかったこと、上手くいかなかったことを話し合い、記録して、次回の改善に結びつけるという発想は、ビルマではまったくなかったことで、こういうことを繰り返しているから、日本はかくも発展したのだ、というのだ。

実際にビルマの人々とともに活動をしてみて、この人々が自分の活動についての反省や評価を会議としてしているのを見たことがない。もちろん、反省のみが進歩の決め手というわけではなく、ほかにもやり方はあろうが、あるいは今なお民主化運動が進展しないのはひとつにはこのせいもあるかもしれない。

しかもこの日本人の「反省会」には、ビルマの人にとって驚くべきことがもうひとつあって、それはこの反省会に出席している保護者がお金持ちであろうとそうでなかろうと、平等に発言し、協力している、ということなのだそうだ。

「反省会」などと聞くとめんどくさい感じがして、イヤケがさすが、見る人によっては別の見方があるもので、こうした意見を聞くのは面白い。

2010/01/28

微妙な発音あるある(2)

しかし、どうして一部の日本人にとって「みゃ」よりも「みや」のほうが発音しやすいのか、その原因は考えてみるに値する。

かといって、ぼくにいい答えがあるわけではないが、ひとつだけあげるとすれば、日本語には「みゃ」を含む語が非常に少ないという事実がある。

「みゃ」を使った言葉、といってさっと思い浮かぶのは、「脈(みゃく)」しかなく、辞書を調べてみてもこの「脈」を用いた言葉に尽きるといっても過言ではない。そもそも、「みゃ、みゅ、みょ」は日本語では英語からの借用語を除けばあまり出てくる音ではないようだ。

そんなわけで、日本人にとって「みゃ」は、意外に発音しにくいのだ、といえるかもしれない。「ディスコ」の「ディ」がいえずに「デスコ」という年配の人がいるが、それと同じようなものといえる。

とはいえ、「脈」は日常的によく使う言葉であるし、これを「みゃく」ではなく「みやく」と発音するのも聞いたことがない。だから、ここに書いた推測以外の何らかの原因が「みやんまー」という発音には関わっているにちがいない。

2010/01/27

微妙な発音あるある(1)

先週の土曜日放送された「音楽ば〜か」で、ミュージシャンのByork(oの上に点2つ)を「ビョーク」と発音すべきか「ビヨーク」とすべきか、という話題をきっかけに、さまぁ〜ずの大竹一樹が「グァム」なのか、それとも「グアム」なのか、という「微妙な発音あるある」に触れていた。

「あるある」とまでいえるかどうかわからないが、かなりの数の日本人が「ミャンマー」を「みゃんまー(myam-maa)」ではなく、「みやんまー(miyam-maa)」と発音していることが、何となく気になっていた。

テレビでも後者の発音をする人がいて、「報道ステーション」の古館アナウンサーもそうだ。

ビルマ人の発音からいうならば、「みや」ではなく「みゃ」のほうが近い。

とはいっても、これは日本語の発音の問題だから、「みゃ」でも「みや」でもどちらでもよく、ビルマ人の発音にとらわれずに日本語として発音しやすいほうを選べばよいのはもちろんである。

2010/01/22

ヘーゲル弁証法的成長観(1)

ぼくが大学生だったのは90年代のことで、バブルに浮かれていた時期でもあったが、そんな華やかな時代でも60年代の学生運動の残響が、かすかどころかときおりガンガンと鳴り響きはじめる、そんな迷惑な大学にいた。

ぼくはある偶然のいきさつからその大学で社会活動系のサークルに所属していて、そのサークルはマルクス主義とか左翼思想とは無縁だったけど、60年代70年代の学生運動期を生き延びたこともあり、やはりその「時代の空気」を多分に残していた。

学生のサークルというものは目的もさまざまだが、その成員の精神的成長を考慮に入れるというのは多かれ少なかれ共通していると思う。

「自己啓発」的なノリではなくても、学生というものが学年という階層で仕切られ、やがては卒業していく学生が活動を下の学年に伝えることでサークルの伝統を形成していくという性質がある以上、何らかの意味で「育てる」ということが日常的な営みとして意識されるようになる。

とはいえ育て方といってもいろいろある。体育会系や、音楽サークル、趣味のサークルに応じた育て方があるにちがいない。もっとも、ぼくは自分の所属していた社会活動系のサークルのやり方しか知らない。

さて、ぼくが学生だった頃のそのサークルでは学生の成長とはこんなふうな3段階を経るものと考えられていた。

①強烈な体験、鋭い問いかけ、厳しい言葉などによって今までの自分を否定される。
②否定された状況の中で、真剣に自己を問い直すことで、自分の殻を破る。
③新たな自分へと成長する。

このような成長モデルがどこでどのように生まれたかは知らないが、その起源が正反合のヘーゲルの弁証法にあるのは間違いないと思う。ぼくはずっと後になってこのことに思い至り、これを「ヘーゲル弁証法的成長観」と呼ぶことにした。

とはいえ、ぼくはヘーゲルの思想について詳しく学んだことはないから、この「弁証法」もあくまでも通俗的な理解にすぎない。しかし、社会に与えた影響を考慮するのならば、むしろこの俗流理解こそ重要なのだ。

イベント紹介

1月4日はビルマの独立記念日だが、1月、2月は非ビルマ民族の開催するイベントも数多い。今年、日本で開催されるものについて、未確認のものも含めて紹介しよう。

1月3日 カレン新年祭
      文京区、在日カレン人主催。カレン人の伝統行事。本来は12月に行うもの。

1月10日 カチン州の日
       豊島区、カチン民族機構(日本)主催。カチン州設立を記念する記念日。

1月31日 カレン革命記念日
       主催:カレン民族同盟(日本)
       場所と時間:駒込文化センター4F 午後6時〜9時
       KNUがビルマ政府に対し武装闘争を開始した日を記念する。

2月7日  第63回シャン・ナショナルデー
       主催:在日シャン民族民主主義会
       時間:午後 1時〜3時半
       場所:豊島区民センター6 階ホール

2月7日にはまたモン民族の記念日、カレン民族記念日、カチン革命記念日の式典が行われるとの情報があるが、詳しくはわからない。

2月14日 ビルマ連邦記念日
       主催:在日ビルマ連邦少数民族協議会
       時間:午後1時〜9時
       内容:式典と歌と踊りの披露
       場所:南大塚ホール(豊島区)

2月21日 第62回チン民族記念日
       主催:在日チン民族協会
       時間:午後6時〜9時
       場所:豊島公会堂

すべて参加するのは難しいが、ポケモン・スタンプラリーに参加するような気持ちで回ってみるのいいかもしれない(ただし、カチン革命記念日は例年非公式な集いとして開催されるので、案内状などはないと思う)。

2010/01/16

第62回カチン州の日式典

カチン民族機構(日本)(KNO-JAPAN)主催で第62回カチン州の日式典(KSD)が1月10日豊島公会堂にて午後6時から9時30分までの間開催された。カチン州の日の由来については昨年の記事「第61回カチン州の日(第2回演説記録)」を見てほしい。

今年のKSDも例年どおり、式典と歌舞の披露の2部構成。時間の都合で、第1部しか参加できなかった。もっとも盛り上がる第2部を見なかったせいか、全体としてややおとなしめの印象が残った。これは特別ゲストがいなかったせいかもしれないし、また、在日ビルマ人社会全体として少し士気が下がっていることに起因するのかもしれない。

議長のピーターさんの挨拶でも触れられていたように今年は軍事政権の選挙の年で、多くの在日ビルマ人の中に、これが強行されたらもう民主化は無理だ、との諦めムードもある。また、それなりの数の難民が難民認定されたり在得許可を得たりして、一息ついているせいもあるだろう。

しかし、ビルマ民族はともかく、ほとんどの少数民族がこの選挙結果いかんによっては自分の民族は消滅するかもしれないとの危機感を抱いている。この危機感をビルマ人と日本社会にいかに伝えていくかが、これからの活動で重要になると思う。

そのような意味では、KNO-JAPANの事務局長マリップ・センブさんが、田辺さんの優れた通訳と、クムサウン・クンセンさん制作のスライドショーをつかって行ったカチン州の現状のプレゼンテーションは優れたものだった。

少し衝撃的な写真もあったが、これは多くの人に見てもらうべきだと思う。

各民族でこうしたプレゼンテーションを制作して、一度に話してもらったら面白いのではなどと考えてみたりする。

ところで、会場受け付けではプログラムを記したパンフレットが配られ、また別の場所でNO-JAPANの規約(カチン語〔ジンポー語〕、ビルマ語、日本語)の小冊子が手渡された。しっかりした体裁で、規約自体も立派なものだが、ある人の話によれば、幹部の中にはこの規約が配布されることを知らされていなかったものもいたとのことだった。

そのせいかどうかわからないが、この規約にはいつどのような会議(総会)で承認されたという、規約の効力を保障する重要な一文が欠けているので、これはあくまでも規約案としてみるべきなのかもしれない。

2010/01/12

乾杯音頭

前回披露宴の席次について書いたが、この披露宴には結局ぼくはほとんど参加できなかった(ちなみにぼくの席は民主化活動家側)。前の用事で遅れたため、着いた時にはすでに新郎新婦が退場するところ。

退席する招待客の流れに逆らって会場に入ると、司会を務めていたAさんに「乾杯の音頭をお願いしようと思っていたのに」といわれ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。前もって聞いていれば時間を調整したのだが。

そこで2次会に参加することにする。会場は高田馬場のビルマ料理屋。入ると、すでに何人かビルマ人がいて、カラオケで歌っている。

歌う気はないが、滅多に見ることもないので分厚い曲目リスト本をぱらぱらめくり、梅宮辰夫の「シンボル・ロック」まであるのを見て感心する。この店には日本語の歌の他に、ビルマ語のカラオケも充実している。

ビルマ人たちはバラバラとやってくる。さっきのAさんが隣に座って、新郎新婦がやってきたら乾杯をお願いします、という。一度しくじった後なので、もちろん、と引き受ける。

しかし、どんな挨拶をすべきか、何を言うべきか。考え出すと緊張する。これから夫婦そろって民主化を・・・・・・今年の選挙には・・・・・・日本の中のビルマ人社会のために・・・・・・こんな堅いのはよくないと思い直し・・・・・・なにか、なにかユーモアを・・・・・・三つの袋が・・・・・・給料袋、おふくろ、池ふくろう、有袋類、布袋寅泰・・・・・・やぶれた翼で

わっと歓声が上がる。新郎新婦が華やいだ表情で料理屋に入ってくる。入り口近くに座った人々は立ち上がって、拍手したり、はやし立てたり。Aさんがぼくにマイクを渡そうとする。「え、今?」 お店の中は沸き立っていて、グラスを掲げる冷静には今しばしというところ。

「番号をいれてください」

「番号?」

ぼくはそのとき理解する。Aさんが頼んだのは、乾杯の音頭ではなく、長渕剛の「乾杯」だったことに。あわててリストをめくり、探し当てて入力してもらう。Aさんは「これから乾杯を歌います」などと勝手に発表している。そして、よくメロディを知らないぼくは、サビとサビの間を薄氷を踏む思いで歌いきったのだ。

もっともサビの部分はみんな知っていて、大合唱。ビルマ語バージョンもあるようで、後で誰かが歌っていた。

民主化席次

日曜日にビルマ人の友人の結婚式があった。

結婚披露宴で招待客の席次をどう配置するかに心を砕くのは、日本人であろうと、ビルマ人であろうと変わりはないが、民主化活動家の場合はさらに特別な心遣いが必要となる。

というのも、招待客の中には、様々な事情から軍事政権と折り合いよくしなくてはならない人々もいるためで、そうした人々が、民主化活動家の結婚式に列席したことで、後になって責められたり、尋問されたりして、生活や商売のうえで支障を来さないように配慮しなくてはならないのである。

今回の結婚式では、招待客の座る円卓が三列に並べられたが、そのうち端の一列が、「政治に関わりたくない」友人たちに割り当てられたのだという。そうすれば、写真をとるにしても、他の2列の「政治に関わっている」客たちが写り込んでしまう危険が避けられるのである。

2010/01/10

カレン新年祭(3)

カレン新年祭の目玉と言えば、音楽だ。

バンドの演奏する音楽に合わせて、みんなで歌い踊りまくる、本当にお祭りらしい時間だ。

今回演奏したのはエクソダスというバンドで、在日カレン人で結成されたバンドだ。とはいっても、バンドメンバーはこれまでもカレン新年祭でやはり演奏してきた人ばかりだ。

なぜ、今年になってバンドの名前を付けたのか。それはこのバンドの中心メンバーのひとりにして、カレン新年祭の中心人物でもある人が、「ついに」と難民認定申請をしたことと関係ある。

要するに、「逮捕を恐れて暮らす生活はもう終わり、音楽活動も堂々としようではないか」というわけだ。公然と練習できるようになったせいか、これまでのカレン新年祭での演奏に比べて、格段に上で、だれることがあまりなかった。

実は何年か前、ぼくもカレン新年祭で演奏に加わったこともあった。今年もあわよくばなどと思っていたが、諦めざるをえなかった。

エクソダスというのは聖書の出エジプト記のことだ。長い難民生活を余儀なくされているカレン人の現状と約束の地への希望を表現しているのだろう。

曲目はビルマ語の歌もあるが、ほとんどがハードロック。いちばんの盛り上がりは、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」だった。





2010/01/09

カレン新年祭(2)

カレン新年祭は2部構成だ。

第1部は式典で、カレン民族の歌を歌ったり、カレン人の歴史、カレン新年祭の由来などのスピーチがある。カレン民族の旗を前にして行われるやや堅いものだ。これが1時間弱。

次の第2部は文字通りお祭り騒ぎだ。食べて飲んで歌って踊って、日頃の憂さも忘れて大いに楽しむのがこのカレン新年祭の醍醐味だ。

食べ物はカレン人たちが持ち寄ったビルマ料理、中華料理など。どんなものがあったか列挙してみよう。

焼きそば
焼きビーフン
豚肉の煮物
お茶の葉と牛肉を和えた料理
鶏肉を辛く煮たもの
干し魚
魚料理
エビの料理
豚足のスープ
キュウリのサラダ
ゆで卵の料理
ザーサイ
などなど

以前のカレン新年祭ではカレン名物の猿料理も出たことがあった。

飲み物は缶ビール、缶チューハイなどが会場の隅で売られていた。ジュースやお茶は無料である。

カレン新年祭に欠かせないのは料理、酒、音楽。しかし、この3つが可能な会場は都内になかなかない。料理持ち込み禁止だったり、音楽の演奏ができなかったり、毎年会場探しに苦労しているようだが、今年はよい会場であったと思う。

会場費は8万程度とのこと。参加費が千円で、参加者は150人と言うから、会場費、音楽の機材費など含めても赤字にはならなかったのではと思う。

2010/01/08

カレン新年祭(1)

第11回のカレン新年祭が本郷のホテル機山館で1月3日に行われた。

カレン新年祭(Karen New Year)というのは、カレン人の伝統祭事のひとつで、カレン人のいるところならばどこでもお祝いされるものだ。本来は12月に行われるものだが、日本では休日が取れないので最近は1月のはじめが多い。

と はいえ、ビルマ国内では事情が違うようだ。最近ビルマから逃れてきたあるカレン人女性によれば「現在の軍事政権の以前、1988年以前はわたしたちカレ ン人の住む場所では許可を得れば毎年カレン新年祭にはカレンの旗を掲げて記念式典を盛大に行うことができましたが、現在の軍事政権が政権を奪ってからはこ うしたお祝いは全面的に禁止されて、お祭りを行うことができなくなりました。」とのことだ。

さて、第11回というのは日本でこのお祭りが開催された回数のこと。1997年がたしか第1回で、一昨年に開催されなかったほかは毎年開催されている。

ぼくは第2回から参加し続けているので(ただし昨年は除く)、このカレン新年祭の参加者の中でも古株のひとりだ。変わらない顔もあれば、新たにビルマからやってきた人々もいる。親友の多くはすでにビルマに帰ってしまった。

ぼ くがはじめて参加した当時はほとんどの在日カレン人が「不法滞在者」だった。しかし今ではほとんどが難民(あるいは難民認定申請者)だ。そのため、政治 とは関わりを持ちたくない一部の在日カレン人にとってはやや敷居の高いイベントとなってしまった(なぜなら政治活動家と一緒にいたことが政府に知れると大 変なことになるから)。


式典で披露されたカレン・ダンス

2010/01/01

年賀状

入管に収容中のビルマ人で、ぼくが仮放免の保証人をしている方から暮れに手紙をいただいた。丁寧な筆遣いの日本語でこんなふうに書いてある。

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謹賀新年

昨年は公私ともにお世話になり、ありがとうございました。

先生の(ママ)私をご指導くださり、心より感謝しております。

まだまだ至らない私ですが、一生懸命努力いたしますので、今年もなにとぞご指導のほどをお願い申し上げます。

ますます寒さが厳しくなってまいります。お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。

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保証人を引き受けたことが「指導」になるとは思えないので、少しずれているような気がしないでもない。おそらく挨拶文の例文集の中で一番ふさわしいと思ったものをそのまま引き写したのだろう。いずれにせよ、感謝の表現であるにはちがいない。

やや身に余るこの文面をそのままこのブログの年頭のご挨拶とさせていただきます。