2010/12/07

テンペスト

カレン人難民のWさんははじめ、品川入管のあるブロックの6人部屋に収容された。

彼が連れてこられたのは午後3時頃だったが、夜勤明けだったということもあり、そのまま寝てしまった。

夕方になって彼は目を覚ましたが、その時には同室の収容者たちの確信は揺るぎないものとなっていた。今宵は嵐と雷鳴の一夜となる、と。身の危険を感じた彼らは入管の職員に善処を訴え出た。

入管の職員はこんな要望に慣れっこになっていたのだろう。すぐさま、イビキ抑制テープが届けられた。これは、鼻梁に貼付けて鼻の穴を拡張することでイビキを防止する、現代人体科学の粋の結晶である。

だが、自然の猛威は現代科学をいとも簡単にねじ伏せた。嵐は夜っぴて吹き荒れ、翌朝やってきた入管の職員は、Wさんに部屋の移動を宣告したのであった。

彼が移されたのは、同じブロックの3人部屋だった。二人の先客がいたが、夜になってこの二人も相当なものだということが明らかになった。サイクロン級だった。つまり、この部屋はそれ専用の解放区だったのだ。

Wさんは数ヶ月後仮放免されるまで、ずっとこの部屋に収容されていた。二人の先客はやがて釈放されるか、帰国するかしたが、新しい収容者はついにやって来なかった。Wさんは一人きりになったが、平日は自由時間に他の部屋に行き来することができるので、孤独とはいえなかった。部屋から出ることのできない土日の寂しさを補ってあまりある快適な生活だった。収容所で望みうるかぎりの内面的自由を獲得した彼は、それを著作と描画に捧げた。

Wさんと同じく、やはりすさまじき雷鳴の輩であるわたしは、彼がイビキによって悲しい収容生活を実りある創作生活へと転じえたことを近来の快事とし、ここに書きとどめる次第である。