2011/06/30

イミグラフィティ(2011/06/27)

日時:2011年6月27日。

入管:東日本入国管理センター(牛久)。

面会室:第4号 。

落書き場所:面会室の被収容者側(つまり内側)、面会者から見て左側の壁、カウンター上部あたり。

落書きの手段:ボールペン(細字)。

落書きをした人:被収容者男性。ZALEMという名前から推定すれば出身はイラン、トルコ、パキスタンなどの非アラブ系イスラム文化圏。

落書き時期:不明

落書き内容:

ZALEM-ETSUKO-HARUKA
FAMILY FOREVER

分類:家族愛

(イミグラフィティ【IMMIGRAFFITI】とは入国管理局施設内における落書きの総称であり、提唱者であるビルマ国境ニュースはその保存・記録に努めています。来世紀中の世界遺産登録を目指します)

そゆ国じゃない

ビルマ・コンサーン事務所に行くと、見慣れぬプラスチックの箱が置いてある。

引き出しに「サプリBOX」と印刷されていて、開けてみると栄養ドリンクが並んでいる。

富山の置き薬のようなヤツだ。飲んだ本数だけ付属の小箱に料金を入れておいて、後で業者が回収する仕組み。

タンさんに聞くと、昨日営業の人が来て置いていったのだという。

わたしは文句をいう。「こんな不特定多数の人が来るところじゃ、誰が飲んだかわからなくなる。しかもビルマの人はこのシステムを知ってるかどうかわからないから、タダだと思って飲んでしまうかもしれない」

これに対してタンさんはこう答えた。

「何の連絡もなく不意にやってきたから、政府のスパイじゃないかと疑ったのだ。我々がアヤしい活動をしていないと証明するため、あえて好きなように置かせたのだ」

だから、そゆ国じゃない。

2011/06/29

説大量送還不可能(3)

もちろん、行くわけなんかありません。これはみなさんにとって困ったことですが、仕方のないことです。ですが、こうなるともっと困ってしまう人々がいます。それは入国管理局です。

みなさんが入管に来なくなるということは、入国管理局がみなさんを管理できなくなるということです。つまり、入管の業務が混乱してしまうのです。このような混乱を招く決定を入国管理局がするはずがありません。

さらに、もしこのような大量の強制送還がはじまれば、難民たちと難民支援関係者が黙っているわけはありません。UNHCRだって、国際的な人権団体だって抗議の声を上げるでしょう。

入国管理局がこれらの人々の意見を気にするかどうかはわかりませんが、少なくとも入管にとっては自分がそのような形で社会の注目を浴びることは決して好ましいことではありません(これはどのような役所でもそうです)。したがって、そのような可能性のある決定を入管がするとはさらに考えにくいのです。

結局、入国管理局にとっては、いつものやり方がベストということになります。つまり、一度に大量に強制送還するのではなく、目立たないようにひとりひと り捕まえて収容して「帰れ帰れ」と言い続けることです。そして、このやり方に関しては、もっとも有効な反撃の仕方をみなさんはもうすでにご存じです。それはつまり、「帰れません」と何度でも言い返すことなのです。(おしまい)

2011/06/28

説大量送還不可能(2)

現在難民認定申請中か、在留特別許可をもらったビルマ難民が何人いるかは正確にはわかりませんが、仮に3000人としておきましょう。

とすると、まずこれらの人々を一度に送還するのは不可能だ、ということがすぐにわかります。いったい3000人もの人々を一度にビルマに運ぶことができるでしょうか。そんな飛行機も船もありません。

いやそもそも、3000人の難民を一度に捕まえて、同時に収容すること自体が不可能です。

少しずつ送還するという手もあります。ですがこれも不可能です。

入管が一日に何人ビルマに強制送還できるのかはわかりませんが、日本・バンコク・ヤンゴンの便数から考えて、それほど多くではないでしょう。仮に50人としておきましょう。すると、3000人を送還するのに、少なくとも60日かかることになります。入管が開いているのは月曜から金曜日までの5日間ですから、12週間、3ヶ月はかかるわけです。

みなさん、入管が大量に強制送還をはじめたと聞いて、この3ヶ月間何をしますか?  難民認定申請のため、あるいはビザの延長のため、みなさんは入国管理局に行かなくてはなりませんが、自分が捕まって送還される、つまりビルマに送り帰されて政府に殺されるとわかっていて、誰がわざわざ入管に行くでしょうか?

2011/06/27

説大量送還不可能(1)

「説大量送還不可能」は「入管はビルマ難民をまとめて強制送還できません」というタイトルで在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の機関誌「セタナー」第3号(2011年5月29日発行)に書いたもの。MYO SHI THU OHNさんによってビルマ語に翻訳され同号に掲載。

2010年には総選挙があり、スーチーさんも釈放されました。そして、その後、今年の4月には「民主主義的」政府が新装開店しました(ただし店のオーナーはご存じの通り、軍人たちです)。こうした流れを受けて、多くのビルマ難民、特に難民認定申請中の人と、難民申請の後に難民とは認められなかったが在留特別許可を得た人の間で、ある心配が広がっています。つまり、入国管理局がビルマが民主主義国家になったといって、ビルマに自分たち全員を強制送還するのではないか、というのです。

みなさんは入管に不信感を持っていらっしゃるのでそのような怖れを抱くのも当然です。しかし、わたしはこれは入管にとって不可能なことで、少なくともみなさんが心配する必要はないと考えています。

とはいっても、わたしになにか特別な情報源があるわけではありません。ある人によれば、入国管理局のトップが「そんなことはありえない」と、大量強制送還を否定したそうです。ですが、そうした情報がなくても、理屈で考えれば、そんなことはありえないということがわかります。

要約

ある難民関係の団体のリーダーのやり方が独りよがりで権威主義的なのに不満を感じていたビルマの人がいたので、次のようにわたしの考えを述べた。

「非公式な場で意見をいっても、まともに取り合ってくれないだろうから、公式な場できちんと非難すべきところは非難したほうがよい。それでも相手が理解してくれないようならば、そこではじめて進退問題を議論すべきだ」

すると、その人が実に適切な表現で要約してくれた。

「苦い薬を飲ませて効き目がなければ、病院に連れて行くということだね」

2011/06/24

カレン・ユニティ・セミナー参加の記録

5月22日(日)
DL283にて18:35に成田を発ち、23:25にバンコク到着。バンコク泊。

5月23日(月)
バンコクから飛行機でチェンマイに移動。チェンマイからバスでメサリアンに移動。

Karen Teachers Working Group (KTWG) のスタッフの青年と夕食。難民キャンプの現状などについて話を聞く。

メサリアン泊。

5月24日(火)
朝、メサリアンから車とボートでビルマ側のセミナー会場に移動。昼頃到着。

午後からカレン・ユニティ・セミナー(Karen Unity Seminar)に参加。カレン・ユニティ・セミナーとはビルマ国内、KNU解放区、国外のカレン人の政治団体、市民団体の代表が一堂に会し、カレン人の将来についてともに議論する場であり、今回で第8回を迎える。わたしは在日カレン民族同盟(KNL-Japan)の代表のひとりとして第3回、海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の代表のひとりとして第5回、そしてOKO-Japanの代表として今回、と3度目の参加となる。

セミナーの午後のプログラムでは自己紹介ののち、OKO-Japanからのビルマ語のメッセージを朗読してもらう。また、日本のカレン人の状況などを報告。

この日のセミナーでは、カレン人の教育と発展のための資金集めの課題が議論された。また、オーストラリア、カナダ、アメリカ、マレーシア(今回は不参加)からのカレン人団体、カレン民族同盟(KNU)、カレン難民委員会(KRC)など参加団体の活動報告や声明読み上げが行われた。

夕食後はカレン人若者主催による歌の集い。

セミナー会場泊。

5月25日(水)
終日セミナーに参加。

朝に集合写真の撮影。

午前中の議題はカレン人のユニティ(団結)をいかに作っていくかについて。KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏よりユニティに関する基調講演。トゥートゥーレイ氏によるユニティーに関するスライドを用いた解説。昼食後、午前中の議論を踏まえて質疑応答。さらに、現在カレン人が直面している問題についての分団協議。のちに各分団からの報告。

夕食後はビルマの連邦制に関する討論が行われた。しかし、わたしはそれには参加せず、ビルマ国内からこっそりやってきたカレン人参加者にインタビュー。

セミナー会場泊。

5月26日(木)
終日セミナーに参加。

セミナー開始前にオーストラリアからの代表の一人にインタビュー。

午前中は各団体の活動報告。オーストラリア、イギリスとヨーロッパ、アメリカのカレン人団体のスライドを用いた活動報告。カレン青年機構(KYO)などの国境で活動する団体の活動報告。午後の議題は環境問題。より望ましい開発のあり方が議論される。さらに分団に分かれて、どのような市民活動が必要かについて議論される。

セミナーの合間を縫って、KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏、KNU事務総長シポラセイン氏から日本のビルマコミュニティへのメッセージを収録。また前KNU事務総長のパドー・マンシャ氏の娘でイギリス代表のナン・ブワブワパン氏へのインタビュー等も撮影。

午後のセッションの終了後、イギリスとシンガポールの代表、ビルマ国内の代表とともにセミナー会場から徒歩とボートで1時間ほどのところにあるKNUの医療スタッフ訓練所を訪問。ほとんどが10代の生徒たちの勉強風景を見学した後、各々自己紹介と質問タイム。少年から地震と原発事故についての質問が出る。夕食後はイギリス、シンガポールの代表とロウソクの灯のなか雑談。

訓練所泊。

5月27日(金)
早朝からはじまる生徒たちの朝のエクササイズを見物。何人かの少年少女に取材。

朝食後、再びセミナー会場に戻る。荷物を整理して会場を後にする。セミナーは27日いっぱい続くが、日程の関係上、最後までいることはできなかった。しかし、途中で帰らなければならない参加者も多い。

ボートと車を乗り継いでメサリアンに到着。その後、メサリアンから乗り合いバスでメソットに向かう。途中豪雨でバスが立ち往生する。メソットから60キロ手前にあるメラ難民キャンプでバスを降りる。以前日本に暮らし、ヤンゴンに戻り、その後、メラキャンプに逃げてきたカレン人友人に再会し、日本から頼まれてきた寄付金などを渡す。その後、メソットに。メソット泊。

5月28日(土)
メソットからバスでバンコクへ。夕方着。バンコク泊。

5月29日(日)
DL284にて05:55にバンコクを発ち、14:00に成田到着。そのまま在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の総会に出席(17:30-21:30)。

2011/06/23

ダメ国家

アメリカの雑誌「Foreign Policy」が発表した「2011年世界のダメ国家ランキング」によればビルマは第18位。第1位はソマリア。日本は第164位で、もっともダメではないのが177位のフィンランド。

日本よりダメでない国は北欧諸国のように小さく、影響力も大きくはないが安定した国々がほとんどで、こうしたランキングの常だが日本の位置はそう悪くはないといえるだろう。

ダメ度を測る指数がいくつかあって、その中に難民発生度とでもいうべきものがある。ビルマの場合は8.0で24位。つまりビルマよりもっとたくさん人が逃げ出している国があるということだ。ほとんどがアフリカの国だが、スリランカと東チモールが入っている。ちなみに1位はソマリアの10。満点だ。

一番難民が発生しないのがシンガポールで0.9。日本はそれに次ぐ1.1。つまり世界で2番目に難民が生まれない国というわけだ。

これはもちろん喜ばしいことだが、日本の社会が難民というものをなかなか理解できないのも当然といえるだろう。

世界でもっともダメでないフィンランドといえば、モンティパイソンのマイケル・ペイリンが歌う「Finland」が有名だが、これも一応フィンランド賛歌となっている。ま、半分バカにしているのだが。

Finland, Finland, Finland,
The country where I want to be,
Pony trekking or camping,
Or just watching TV.
Finland, Finland, Finland.
It's the country for me.

You're so near to Russia,
So far from Japan,
Quite a long way from Cairo,
Lots of miles from Vietnam...

言葉の力

6月16日、都立高校の授業に招かれて、難民についての話をした。ビルマ・コンサーンの活動として行ったので、その報告をビルマ・コンサーンのサイトでしてある。

行ったのは、わたしとタンさんとふたりのカレン人難民ダニエルさんとアウンゾウカインさん。

4人のうち、わたしが最初に難民についてアウトラインを少々話し、その後3人が各自話をしたのだが、それを聞いてまったく恥ずかしくなった。

3人のほうが話すのが上手だったので。

もちろん日本語はわたしのほうが上手に違いないのだが、話し方、内容、注目度は3人のほうがはるかに上回っていた。

タンさんの日本語などひどいもので、あろうことか「日本の政府」を「日本の軍隊」としばらく言い間違えていたほどだが、それでもメッセージの力強さで生徒たちを引きつけていたのには感心した。

わたしの話す能力はもともとお話しにならないレベルで比較の対象にはならないが、言葉の力というのはいわゆる語学力や語彙数などとは別の次元にある、ということを改めて感じた。

2011/06/21

OKO-Japan

6月19日の夜、海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の月例会議が行われた。5月末のタイ・ビルマ国境への旅行は、この団体からの派遣だったので、旅の報告を行う。

また向こうで撮影したビデオなどを見てもらう。下の写真でコンピュータに写っているのはカレン民族同盟(KNU)の副議長のデビッド・ターカボーさん。OKO-Japanは夏にカレン殉難者式典を開催するのが恒例だが、今年の夏に上映するメッセージとして撮影したもので、みんなに一応確認してもらったというわけだ。

この日の議題はまさにそのカレン殉難者式典で、どのようなプログラムにするかが話し合われた。


2011/06/20

ジンポー語

6月18日、19日と日本大学で言語学会が開催され、わたしも18日に口頭発表を行った。慣れぬことなので緊張のあまり絶命するかと思われたが、あいにくそんな面白事件も起こらなかった。

わたしの発表はさておき、この日、別の口頭発表の一つに、ジンポー語(不正確にカチン語と呼ばれる言語)に関するものがあった。

発表者は東京外国語大学大学院の方で、内容は門外漢のわたしには難しかったが、それでも発表とその後の質疑応答も含めて非常に興味深く聞くことができた。

フィールド調査を行う言語研究の場合、その言語についての情報を研究者に与えてくれる協力者が不可欠だが、発表によればその協力者となったのが東京在住のカチン人の男性だとのこと。こういうことを聞くとうれしくなる。名前は記されてはいなかったが、案外知っている人かも、と思いながら発表を聞いた。

2011/06/18

被災地ボランティア

震災のボランティア活動で被災地に赴くとき、仮放免許可中の人は入国管理局で一時旅行許可を得なくてはならないが、その際にまたボランティア活動の計画や行く先、連絡先などを記した文書の提出も要求される。

以下はその一例(電話番号は消してある)。


2011/06/17

入管に「帰れ」と言われたら(3)

ですが、そのようにはっきりと主張するためには、次の2つの点であなたがしっかりしていなければなりません。

1)難民認定申請をするのに迷いがあってはいけません。本当に帰れない、という人だけが難民申請をすべきです。少しでも「帰れるかも」という気持ちがあると、その分あなたの主張の説得力が弱まります。

2)あなたが難民となった理由をはっきり説明できるよう努力すべきです。そのためにはいろいろな資料を読んだり、同じ難民の話を聞いたりして勉強する必要があります。自分が難民である理由も理解できない人が、入管を説得できるわけがないのです。

わたしが「不安になっている暇があったら、難民認定申請の準備をしっかりしてください!」と言ったのは、こうした理由からです。

で すが、難民認定申請は非常に大変なプロセスです。また、 かりに認定されたとしても、日本での暮らしは必ずしも楽ではありません。そのようなわけで難民認定申請者のなかには「このまま難民認定申請を続けるべきだ ろうか」と悩む人がいるのも当然です。また難民認定申請そのものについても自分の難民の事情がしっかり説明できないために苦労している人がたくさんいま す。BRSAではそのような心配や悩みを持つ人のためにいつでも力になりたいと思っています。ですので、少しでも不安や悩みがあれば、気軽にわたしたちに声をかけてくださればと思います。(おしまい)

2011/06/15

入管に「帰れ」と言われたら(2)

しかし、それでも別の不安があります。つまり、難民申請中のビルマ人が震災後に国に帰ったせいで、自分も同類に見られるのではないか、自分の難民認定申請も軽く見られるのではないか、という不安です。

この不安には確かに根拠があります。入国管理局や難民審査の参与員が、いくつかの帰国したビルマ人の事例をもとに、 他のすべてのビルマ難民もやはり帰ることができるのではないか、と疑う可能性があるのです。この疑いはあなたの難民認定申請に影響を与えるかもしれませ ん。ですが、これもたいして心配する必要はないのです。

まず大事なのは、難民認定申請を取りやめて帰国した人にはそれなりの事情があったはずですが、この事情はあなたの事情とは全く別物だということです。つま り、帰った人は帰った人、自分は自分、というわけです。ですので、入管になんと言われようと、あなたが言うべきなのは「帰った人のことはわたしには関係の ないことです。わたしにはわたしだけの帰国できない理由があるのです」ということだけなのです。

2011/06/14

入管に「帰れ」と言われたら(1)

「入管に『帰れ』 と言われたら」は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の機関誌「セタナー」第3号(2011年5月29日発行)に書いたもの。MYO SHI TU OHNさんによってビルマ語に翻訳され同号に掲載。

震災以後、難民認定申請を取りやめてビルマに帰国する人々がいます。そのため、難民認定申請を続けるビルマ難民たちが入国管理局に「もう帰った人がいるよ。 あなた もビルマに帰らないの?」と言われたという話をたびたび聞くようになりました。そればかりでなく、入管のこうした態度に不安を覚える人もいるようです。わたしがそうした人々にまず言いたいのは、「不安になる必要はありません」ということです。そしてこれに次のようにも付け加えたい。「不安になっている暇があったら、難民認定申請の準備をしっかりしてください!」と。

不安になる必要はない、というのは、入管がそのように言ったからといっても、あなたが強制送還される可能性はまずないからです。入管が「帰りなさい」とか「帰らないの?」 とかいうのは、これは挨拶みたいなものです。ビルマ語の 「ご飯食べた?」とか日本語の「元気?」とか同じようなものなので、気にしなくてもよろしい。

わたしたちは天気によって挨拶を変えます。寒いときには 「寒いですね!」、夏には「暑いですね~」というように。 それと同じで、入管も状況によって挨拶を変えると考えればよろしい。スーチーさんが釈放されれば「スーチーさんも釈放されたよ、帰ってもいいんじゃない?」、地震が起きれば「地震怖くないの?  帰ったら?」となるのです。

このように言うのは入管のある部門の仕事なので、その職員はきちんと自分の仕事をしているに過ぎないのです。不安な気持ちの難民にとっては不愉快かもしれませんが、ここは寛大な気持ちで許してあげてください。

2011/06/11

悪人正機

ビルマ民族が民族平等の約束を忘れたため、現在のような危機的状況に陥ったビルマであるが、夫が妻の誕生日を忘れてもやはり同じような状況が待ち受けている。

わたしとしては自分の家庭に内戦も難民も生じないでほしいので、その埋め合わせに全力を尽くすことにした。

わたしはその日会う約束をしていた難民のAさんにキャンセルの電話をかける。Aさんは現在難民認定申請中の女性で、出るなり夫への不満をこぼしはじめた。先日夫婦で難民の口頭審査を受けたのだが、そのときの夫の受け答えが頼りなかった、というのだ。

わたしは夫のBさんもよく知っていて、頼りないどころか、むしろ誠実で信頼のおける人だと思っている。ただし頭の回転の速いAさんは、Bさんの慎重な態度にときどき苛つくこともあるのかもしれない。

それに、難民審査はいわば命のかかった場面だ。だから、ちょっとした言葉の間違いが自分たちの審査を台無しにしてしまうのではないかと、不安になったり、神経質になったりするのも当然といえば当然。

それはともかく、わたしは彼女の話を遮って、約束をキャンセルしなくてはならないことを告げる。

「妻の誕生日を忘れたのでダメなんです」

わたしたちはそれまで英語で話をしていたのだが、Aさんは急に日本語で嘆いた。

「ああ! あなたたち男はほんと悪い人だよ!」

一致団結(3)

入管が切羽詰まっていたのも無理もない。何か起きたら、収容する側の責任問題となるのだ。

とはいえ、このような騒ぎを起こせば、すぐに釈放されると考える人がいたらそれは誤りだ。やはり病院での診断結果や本人の苦しみ、普段の態度を総合的に判断してのことだと思う。

しかし、そうでもしなければわかって貰えないというやむにやまれぬ事情もあるのだ。わたしはMさんは当然のことをしたと思っているが、それでも本人は取り乱してしまったことに反省しているようで、入国警備官に詫びて出てきたそうだ。

なんにせよ、被収容者の一日も早く出たいという強い気持ちが入管を動かして、一日も早く出したいという気持ちにさせたのである。両者の気持ちがまさ に一致したのだといえよう。一致団結が声高に叫ばれる現在の風潮にはいろいろ批判もあるが、こうした一致なら歓迎だ。その貴重な一致を危うく台無しにしかけたわたしがいうのもなんだが。

なお、わたしはそういう話は苦手なのだが、Mさんは自分の病気の苦しみについていろいろと説明してくれた。それによれば、高血圧による頭痛は「雷が落ちてきたよう」、肛門の激痛は「唐辛子を突き入れられたよう」だということである。

2011/06/10

一致団結(2)

翌朝11時前に、BRSAのNAY MYO AUNGさんと入管に着き、すぐに手続きを始める。手続きは一人でも出来るが、BRSAの人に来てもらったのは、病状によってはすぐに病院に連れていってもらいたかったからだ。

手続きは通常通り。2時過ぎに収容されていたMさんが入国警備官に連れられて出てきた。てっきり虫の息で運ばれて来るかと思いきや、意外にしっかりとした足取り。顔の色艶も悪くはない。ただし、片手に薬の袋の束を握りしめている。わたしが病気について尋ねると、高血圧と痔に苦しんでいるとのこと。

事情を聞いているうちに、入管がどうしてあんなに釈放を急いでいたのかの理由がわかった。

Mさんは2ヶ月弱の収容期間中、病院に4度連れて行ってもらったが、根本的な治療は受けることかなわず、あまりの苦悶に今週の月曜日に「もう自殺する!」といって大騒ぎを起こしたのだという。

2011/06/09

一致団結(1)

火曜日に入管から電話があって、保証人をしていたビルマ難民の仮放免を予定しているので、日時を決めてほしいと言われた。

その人の仮放免申請をしたのは5月の中旬。3週間しか経っていない。普通は許可が出るまで2ヶ月かかる(ことが多い)ので、これは異例だ。

「水曜日でも木曜日でもいいですが」と言われるが、今週は金曜日に入管に行って面会をするつもりだったので「金曜日がいいです」と伝える。「時間は?」と聞かれたので、いつも午後1時なのにどうしてそんなことを聞くんだろうと思いながら「1時で」と答えると、午前中でもいいとのこと。「では10時」というと、「9時半からでも大丈夫」。

しかし、9時半には入管に行けないので、10時でお願いして電話を切る。すると、すぐに再び入管の担当の方から電話がかかってきた。

被収容者の体調が悪いので出来たらもっと早くできないか、とのことだった。なるほど、急ぐわけだ。それに入管のほうでそのような配慮をするということはよっぽどの病状に違いない。それでわたしは「明日(水曜日)、11時に行きます」と答えた。

副会長

タイでもAKBでも総選挙の真っ最中だが、それとはまったく無関係に在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)でも5月29日に役員選挙が行われた。

今回は会長の大瀧さんが早くから辞めると公言していたので、副会長である自分が会長を引き受けなければならない事態を含めて、わたしは他のビルマ人役員といろいろ相談していたが、総会がはじまってみれば大瀧さんが翻意され、会長不在という事態は回避された。

わたしとしてはもともと今期で副会長を辞めるつもりであったが、こうした状況ではそれを押し通すのは難しく、結局、立候補せざるをえなかった。

わたしの信任投票は信任72、不信任5、無効2という結果だった。信任よりも不信任を投ずるほうが心理的エネルギーをより消費すると思われるので、実際には不信任はもっと多いに違いない。

選挙委員会の発表によれば、無効票2のうち1が、マルでもバツでもなくハートマークだったとのことで、 これにはみんな笑った。わたしも同じように笑ったが、後になってよくよく考えてみるに、これは「真面目に副会長をやらなければお前の心臓をえぐり出してやる」という警告ではないかと思われるようになり、もはや笑えなくなった。

気持ち

入管の6階の仮放免のカウンターでの出来事。

年配の外国人男性が入管の職員と話している。どこの国の人かわからないが、わたしはクルド難民の人ではないかという印象を受けた。もっとも、国などどうでもよい。

男性の手には一時旅行許可申請書がある。これは仮放免中の人が、定められた居住地域以外の場所に行くときに、行く先、目的、期間を記して入管に申請しなくてはならないものだ。

入管の職員が申請書を見ながら言う。「あなた、がれきの処理だっていうけれど、泥だのなんだのいろいろあるんだから、病気にかかることもあるんだよ」

わたしはその口調が若干強すぎるように感じた。男性は小さな声で答えた。「いいんです。わたしの気持ちです」 

職員は申請書を受け取り、奧に入っていった。これはともかくも許可が出るということだ。

男性はじっと静かに待っている。

このような忍耐すら込みの彼の「気持ち」かと思うと、まったく見るに忍びない姿で。

2011/06/08

Mete-ontology

入管に収容されていた人のからの話によると、震災以後は被収容者をどんどん外に出す方向で入管は動いていたが、最近はその逆になったとのことで、収容される人が増えているそうだ。特に中国人とフィリピン人の被収容者が増加しているという。

わたしの推測だが、震災からしばらく余震も続き、また東京でも大きなのが起きるかもといわれていたので、地震が起きて被収容者を避難させなければならないという状況を考えるとやはり被収容者は少ない方が入管にとっても都合がよいはずだ。

しかし、今、被収容者を増やしているということは、すなわち、状況が落ち着いてきた、もう大きな地震はなさそうだ、という判断が入管の方にあるからかもしれない。

もっとも入管の中で誰か責任がある人がしっかりした根拠をもって公式に判断したと言っているわけではない。わたしでも入管と気象庁の区別はつく。そうではなくて、もうそろそろ日常に復帰してもいいんじゃないかな、という入管の職員ひとりひとりの気分が積もり積もって、なんとなくそうした合意が形成されたのではないかと思う。

そして、入管の職員も当然日本社会の一部であるから、これは日本社会全体の雰囲気でもあるといえる。入管はもちろん気象庁ではないが、入管の動きには社会の気象が関わっている。そして当然のことながら、今新たに収容されている人々の心と肉体もそのような社会的気象現象の一部をなしているのである。

2011/06/05

タイの総選挙

またビルマとは関係ない話だが、タイでは7月3日の総選挙を控えて選挙運動が盛り上がっているようだ。

5月28日、バンコクのスカイトレインに乗っていたら、広場に群衆が集まっているのが見えたので何かの政治集会だろうと思って写真を撮ったが、タクシンの妹のインラック・シナワット候補の集会だった<タイ総選挙>タクシン元首相の妹、台風の目に)。


  
タイのあちこちで、候補者のポスターを見かけた。おそらくポスターに記されている番号を投票用紙に記すのだろう。



しかし、もっともインパクトがあったのはこのお方。
実はこの御仁にはいくつものパターンがあって、そのどれもが素晴らしかったが、写真に撮れたのは残念ながらこれだけ。
 
「もはやワシがやるしかないのか?」

















 「お前はどこのワカメじゃ?」

下ネタ

ビルマの民主化のためには、民族や宗教を問わずあらゆる社会の成員が参加できる場としての「社会の公的領域」の育成、拡大、維持が必要なのでは、と常日頃一心不乱に考えているせいか、タイのメソットでこんな「公的領域」が目に飛び込んできた。


メソットのDKホテルの前にあるタイ・マッサージ店の看板の一部を写したもの。訂正してなけりゃ気がつかなかったキジも鳴かずばの一例。

2011/06/03

テルマエ・ロマエ

セミナーの報告はさておいて、くだらない小ネタから。

メーソートからバンコクに向かうバス旅の休憩所で見つけた土産物。


中身は海苔。

カレン・ユニティ・セミナー

5月24日から27日までKNU(カレン民族同盟)エリアで開催された第8回カレン・ユニティ・セミナーに海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の代表として参加してきた。
その時の様子がさっそくYoutube上でUPされている。
カレン語の動画だが、セミナーの雰囲気を知るには十分。ちなみに最初にインタビューに答えている男性は、セミナーの委員長のHLA TUNさん、次に出てくる女性はKNUの事務局長のSI POE RA SEINさん、もうひとりの男性はオーストラリア・カレン・オーガニゼーション(AKO)のダニエルさん。
カレン人に混じってなに食わぬ顔をして会議に参加しているわたしの姿も3度ばかり写り込んでいることも付け加えておこう。