2012/01/31

海外カレン機構(日本)の会議

1月29日海外カレン機構(日本)OKO-Japanの役員会議が駒込で行われたので参加。

カレンの現状をめぐる報告、分析、そしてこれからの活動内容などが議論される。カレン民族の状況も変わりつつあるが、本当にビルマがカレン人にとって安全な国になるためにはまだまだ時間がかかるという意見が大勢を占めた。

「ビルマの変化を受けて入管がわたしたちを送還するのではないか」という心配を持つカレン人も多く、別の場で何度か質問を受けたことがある。

難民申請者に対して「帰れ帰れ」とことあるごとに言い続けてきた入管が、この機に乗じてそれを本気で実行するのではないかと、みんな(カレン人だけではなく)恐れているのだ。

このようにしつこく帰国を促す入管に対しては、ビルマ政府と交渉しているカレン民族同盟(KNU)とビルマ政府とがあらゆるカレン人の命を保障するという共同声明を出すまでは帰れません、と答えるのが一番だろうと思うし、実際にそのようにアドバイスしている。

ま、そう反論したところで、入管の人は相変わらず「帰れ帰れ」と言い続けるだろうが、いわれっぱなしよりましだろ。

(しかし、ビザの延長やその他関係のない手続きに来た難民に「帰れ帰れ」というのは、要するにイヤがらせだ。われわれの国境のうち若干の部分はイヤがらせで出来てるってことだ)

2012/01/04

カレン新年祭

毎年恒例のカレン新年祭が今年も開催された。

今年は12月25日(日)。カレン新年祭は太陰暦に従って開催日が決まるのだが、今年はたまたまその日が日曜日にあたったので、いつものように正月休みにずらしてではなく、暦通りに実施することとなった。

カレン人にはキリスト教徒も多いので、この日はクリスマス礼拝とも重なって大変だが、それでもやってしまおうということになったらしい。

このカレン新年祭については毎年書いているので、詳しくは説明しないが、要するにカレン人が集まって飲食しながら歌ったり踊ったりして新たな年の豊穣を祈念する伝統行事だ。

日本では今年で13回目の開催となる。わたしはそのほとんどに参加しているが、今年は初めて3歳になる子どもを連れて顔を出した。場所は新宿の三平。

前回の新年祭では第三国定住の第一陣のカレン人も来ていたが、今年は第2陣の家族もいた。

その新たに来たカレン人たちが、マンドリンを弾いて伝統的な歌を披露してくれたのだが、これが沖縄の音楽にも似ていてなかなかよかった。

カレン語の種類は12とも14ともいわれるが、そのうち大きなものがスゴー・カレン語、西ポー・カレン語、東ポー・カレン語の3つ。なんでも東ポー・カレン語の歌ということだった。

こうした伝統的な歌ばかりでなく、ポップスも演奏された。踊りが好きな人は前に出て踊ったりしていたが、それにまぎれてわたしの娘まで踊りだしたのには困った。

料理は持ち寄りで、カレン料理やビルマ料理がずらりとならんだ。各自、皿を持って取っていくわけだが、わたしはそれらを見て回るのみ。吉田健一が地方に招かれていったとき、招聘者が地元の珍味を並べたものの、ふんふんと頷いて酒を飲むだけで箸を付けなかった。それで、地元の人たちは困惑したという話を読んだことがあるが、わたしの場合はそれとは違う。

腹を壊していて、なんにも食べられなかったのだっ。




2012/01/03

在日チン民族協会総会

2011年12月4日、在日チン民族協会(CNC-Japan)の年次総会が、大井町にて開催され、役員選挙運営委員として参加させていただいた。

この日行われた選挙は、在日チン女性機構(CWO)とCNC-Japanの選挙で、選挙の運営と開票、結果の告示がわたしの担当だ。

とはいっても大した仕事ではなく、ここでは昨年度に引き続き本年度も会長を務めることになったチンラムルンさんの演説の大意を記すのみだ。日本に暮らすチン民族の現状を理解するのに非常に良い内容だと思う(通訳してもらったメモを基に再現したもの。文責はわたし)。

「震災や会員の事故死などがあり今年はCNC-Japanにとって大変な一年でした。また、日本に暮らすチン民族として、様々な課題が出てきた年でもありました。

まず、わたしたちは多くが難民申請の結果日本での滞在を許可されていますが、その分、当初の日本での生活の大変さを忘れているように思います。日本語を学ぶことの大切さ、自分たち民族のことを日本人に伝えることの重要性を忘れてはいけません。


また、多くの会員には家族がおり、子どもがいますが、この次の世代のためにも考えるべき問題がたくさんあります。無国籍の子どもたちの問題はわたしたちが努力して解決していかなくてはなりません。

教育はもっとも大事な問題で、日本ではUNHCRの大学進学支援プロジェクトのように難民にも教育を受けるチャンスが広がっているのでいるので、まず子どもたちが教育をしっかり受けられるように、親たちが頑張らなくてはなりません。

自分の子どもたちに日本人の子どもたちと同じように生活させるのは親の責任です。

そして、教育についていうならば、わたしたちチン民族の言葉の維持も重要です。

また、今年は大きな震災がありました。CNC-Japanとして被災地支援も行いました。今後また大きな災害がないとはいえないので、その時のために各家庭で備えをしてくださるようお願いします。

さて、CNC-Japanも10年という節目の年を迎えましたが、つくづく思うのはわたしたちはこのCNC-Japanという木の下で守られ、その実を食べてここまでやってこられたということです。わたしたちはこの木がこれからも大きくなるよう、枯れてしまわないよう世話をしていかなくてはなりません。

そのためには140人の会員の力が重要です。さまざまな事情で活動に参加できない会員は、会費を払って会を支えてください。

ビルマは現在変わりつつあります。これからどうなるかはまだわかりません。ですが、チン民族の望む連邦制の実現はそう簡単ではありません。わたしたちはまだまだ働かなくてはならないのです。」

2012/01/02

アラカン民族懇親会

2011年11月27日日曜日の夕方、新宿でアラカン民族の政治団体(アラカン民主連盟[亡命-日本]ALD-Japan)主催の懇親会が催され、招かれた。



在日アラカン人のほか、日本人の支援者、大学教授、学生さんなども招待されていた。はじめは演説などあって固い雰囲気だったが、家族連れで来ている人も多く、子どもたちがステージに招かれて歌ったりするなど、次第に懇親会らしい和やかな運びに。

感慨深かったのが、ALD-Japanの前会長ゾウミンカインさんの双子の息子さんが壇上で「世界に一つだけの花」と「翼をください」を披露したこと。

ゾウミンカインさんとわたしは2003年からの付き合いだ。彼は難民認定されたのち、家族を日本に呼び寄せるために、タイのバンコクに迎えに行ったのだけど、そのときたまたまわたしも同じ便に乗ってタイに行こうとしていた。そこで、ついでにゾウミンカインさんの一家の再会に厚かましくも同行させてもらった。

双子の息子さんは当時8歳で、それまで父の顔を見たことがなかった(つまり、ゾウミンカインさんの奥さんがビルマに帰ってから産んだ子たちだ)。父のことを電話でしか知らない子が初めて父と対面したとき、どんなことが起こるか、わたしには興味があった。

実際には(少なくとも傍目には)大したことは起こらなかったのだけど、二人の息子が「僕がお父さんの荷物を持つ!」「いや、僕が持つ!」とゾウミンカインさんのバッグを奪いあっていたのが、なんとも微笑ましく、わたしはこの二人を見るたびにその光景を思い出してしまう。

その二人も今や中学生だ。日本での学生生活はいろいろ大変だろうけども、曲のチョイスを見る限り立派に育っているようだ。

それにしても「翼をください」って、歌が急に張り切ったノリになる、あそこが笑いどころだよな。

2012/01/01

入管に収容された人あるある

自分が収容されていた期間の日数に厳密を期す。

わたし「だいたい7カ月ぐらいですよね、収容されてたのって」

収容経験者「違う。4月20日に入って、12月7日に出たから、7カ月と8日」

本当のことを言えば、秒単位で主張したいところ。