2010/10/12

こんがらかって

在日ビルマ政治活動家は、11月7日の選挙をボイコットするという方向で一致団結しようとしているが、ヨーロッパで活動する著名な政治活動家の来日が引き金となって、これに水を差す出来事が起きた。

この政治家は選挙とは関係のない目的で日本の国会議員に会うためにやってきたのだが、問題は
彼が、選挙に参加すべき、という立場を取っていることであった。在日ビルマ政治活動指導者たちはこの「親選挙派」が日本政府にビルマ軍事政権の進める選挙を認めるように訴えに来たのだと誤解し、来日中の彼と行動を共にした活動家たちを非難したのである。

しかし、よく考えてみれば分かるように、選挙参加を容認することは必ずしも軍事政権の側に付くことにはならない。軍事政権にたいする抵抗活動のひとつとして選挙に参加するというストラテジーもあってもよいはずだし、実際、このヨーロッパの活動家の立場もそのように思える。

そして、選挙ボイコットもやはりビルマ軍事政権を変えるためのストラテジーのひとつでしかないのであり、つまり目的が同じであるならば互いに排斥する必要もないはずである。むしろ、選挙参加とボイコットという両面作戦で軍事政権に影響力を行使する道を探っていくほうが効果的なのではないか。

ところが、みんな怒っちゃった。

それというのも、目的と手段が頭の中でこんがらかってしまったからだろう。手段にすぎないボイコットが目的になってしまったのだ。ボイコットこそが、軍事政権に立ち向かっていることを示す最良のポーズになってしまって、それ以外のポーズはもってのほかということになってしまった。

敵との握手を拒否するばかりが抵抗ではない。拱手しているばかりではダメ、相手を引きずり出すにはその手を掴むことも手の内に入れておかねばならない。

もちろん、軍事政権はそうした手業を披露するにはかなり剣呑な差し手であることは承知しているが、あえてそのような手にで出ようとする人がいるのならば、むしろ応援するべき、とまではいわないまでも、すぐさま「軍事政権の敵」とするような短絡は止めたほうがいい。こうした方策をとる人から思わぬ成果が生まれないともかぎらないのだから。

民主的な社会を目指すという目的の下に、さまざまな議論、方法、ストラテジー、利害を調整・共存させ、総体として「民主化をもたらす力」を上げていくのでなければ、民主化というものはうまくいかないだろうし、たとえうまくいっても、別の形の独裁政権を誕生させるだけだろう。

ボイコット以外の選択肢を認めない活動家は、軍事政権に妥協しない選挙参加があるのと同様に、軍事政権に迎合するボイコットもありうることに気がついていない人だといえる。ボイコットそのものに隠された現状変化にたいする消極性、惰性こそが、この立場にたいする重要な反論となっている。