2012/12/28

スーチーさんとカチン

カチンランド戦争に関する報告を書いているとき非常に参考になったのが、カチン独立機構(KIO)による“Presentation by the KIO Delegation  On the Meeting Event of UNFC and Nippon Foundation”で、これは2012年10月18日、日本財団の「日本財団ミャンマー少数民族支援会議」報告会において配布された資料のひとつであり、また報告会でのKIOの報告もこれに基づいていた。

しかし、この報告会からずっと後になって、資料として使おうとしてはじめて気がついたのだが、わたしのもっている資料は1ページ目と3メージ目と5ページ目しかないのだった。

おそらく日本財団が報告会参加者に配布した時点でミスがあったようで、欠けていたのだ。

報告会当日に気がつけば何とかなったろうが、もう遅い。しかし、手元にあるものだけ読んでもみて重要性がよくわかったので、あちこちに頼んでKIOから直接メールで全文(全6ページ)を送ってもらった。有り難いことだ。

この資料を読んでみて気がついたのは、そこにまったくアウンサンスーチーさんの名前がでてこないことだった。

アウンサンスーチーさんについてわたしは常々、彼女はビルマの問題のキーパーソンではなく、彼女の名前抜きで、ビルマの現状について叙述することは完全に可能である、と考えていたので、我が意を得た気持ちであった。

そもそもビルマの大統領が停戦命令を出しても止めることができない戦争について、ひとりの国会議員が何か役割を果たせるとはとうてい思えない。

事態はもっと別の次元、民主化だの何だのとは関係のない次元で動いており、そこに働き掛けることができるものだけが、ビルマの問題を解決することができる。

わたしの結論は報告に一応書いたが、十分なものとはいえない。これはかなり難しい問題で、現在のわたしの手に余る。