2012/12/05

チン州の現状

わたしは『アンセイフ・ステイト』用の解説として「監訳者あとがき—チン州の現状と『アンセイフ・ステイト』」というものを書いたが、チン州の現状と政治的変化についてはあまり取り上げられることもないので、その部分を中心にここにも載せようと思う(ただし注は省いてある)。

『アンセイフ・ステイト』の英語原文が発表されたのは2007年3月、ビルマ(ミャンマー)ではこの年の9月に「サフラン革命」と呼ばれる僧侶を中心とした民主化運動が起きている。そして、翌2008年には5月のナルギス・サイクロンの襲来と、甚大なその被害にも関わらず強行された新憲法の可否を問う国民投票があり、その結果いわゆる「2008年憲法」が成立することとなった。さらにこの憲法の帰結として、2010年に総選挙が行われ、その翌年3月には元軍人のテインセインを大統領とする新政府が発足し、軍事政権は少なくとも名目上は終了した。

こうした過程はしばしば「民主化」や「改革」と表現され、政治囚人の釈放、アウンサンスーチーの解放と国政への参加、検閲制度の廃止など確かに実のある変化を伴っている。しかしながら、軍の優越を前提とする憲法の問題、カチン独立機構との停戦破棄と戦争の激化、アラカン州の住民紛争、貧困などの社会的問題など、民主化プロセスを覆しかねない要因もまた同時に存続しており、未だに予断を許さない状況にあるともいえる。

こうした流れの中、『アンセイフ・ステイト』が対象としているチン州もやはり同じような大きな変化を迎えつつある。それは、ビルマ政府とチン民族戦線(CNF)との間の停戦合意の成立である。まずその経過を辿ってみよう。

ビルマ政府とチン民族戦線との停戦合意は、2011年11月19日にタイのメーサイで行われた事前協議を経て、2012年1月5〜6日の2日間に渡りチン州の州都ハーカーで開催された会議の所産である「ビルマにおける永続的な平和のためのチン州政府とCNFとの間の事前協定」をもってまず州レベルにおいて成立した。この協定は次の9項目からなっている。

1)戦争を停止する。
2)タンタランに連絡事務所を設置し、ティディムとマトゥピーの連絡事務所開設はこれに引き続く。また、チン州政府はCNFのチン州内の拠点を承認する。
3)CNFとチン民族軍(CNA)の武装していないメンバーはビルマ連邦内を自由に移動することができる。
4)連邦政府レベルでの協議をできるだけ早期に行う。
5) CNF/CNAはチン民族との公的な協議を自由に行うことができる。
6)国際NGOがチン民族に対する支援活動を行うことを認める。
7)政府の経済的支援により、CNFは経済特区での開発事業において主導的な役割を果たす。
8)チン州の発展のためにチン州政府とCNFは協力する。
9)チン州政府とCNFはチン州北部における不法なケシの栽培、麻薬の密売の撲滅のために協力する。

これを受けて、5月7日には連邦政府レベルでの交渉が行われた。本来ならば協議は2日間続く予定であったが、ビルマ政府側がCNF側の提示する条件をおおかた受け入れたため、1日で終わってしまった。今回の合意は15項目からなり、以下のような内容が含まれているという。

・2月20日をチン民族記念日として公認する。この記念日は軍事政権が認めていなかったため、チン州記念日と改称されていた。このチン州記念日は元来の日、1月3日に戻される。
・国外に居住するチン民族の自由で安全な帰国を保障する。
・宗教差別を撤廃する。
・強制労働などの人権侵害を抑止する。
・和平プロセスをモニターする独立機関を設置する。
・双方に意見の深刻な不一致がある場合に、平和的な解決を求めて仲裁する役目を担う市民団体を州と連邦のふたつのレベルで設ける。
・CNFに関係したために逮捕・投獄された人々を無条件に釈放する。
・CNFに対する非合法団体指定を取り消す。

これら2つの合意がチン州にもたらすものは何だろうか。まず重要なのは、これらの合意はCNFがすべてのチン民族と合法的に協議・相談することを可能にし、それゆえ、チン民族としての総意の形成のための道を開いたということであろう。CNF外務局長のサライ・トゥラヘイ氏は「次の3回目の交渉では、CNF対ビルマ連邦政府ではなく、チン民族全体としてビルマ連邦政府と交渉できるようにすることを目指している」と今後の展望について語っている(もっとも時期については未定だという)。

しかしながら、たとえ3回目の交渉が実現したとしても、それですべての問題が解決するわけではない。サライ・トゥラヘイ氏もインタビューで強調したように、これからのチン州にとっては民主化だけでは不十分であり、チン民族の自己決定権を保障する連邦制の確立が不可欠である。これはチン民族以外の非ビルマ民族も等しく主張することであるが、ビルマの全民族が関わる問題だけに合意の形成にはなおいっそうの時間がかかることが予想される。すなわち、今回の停戦合意はチン民族にとっては単なる始まりでしかなく、当分の間は揺り戻しの危険をはらんだ不安定な時期が続くとみられる。しかし、そのような長く危うげな道のりであっても「今のところビルマ政府は約束を守っており、和平プロセスは進んでいる」とサライ・トゥラヘイ氏が評価するような前向きな現状は意義深く、今後の進展を期待させるものである。