2012/12/14

無制限

BRSAのある若い人が言うには、ビルマの民主化といっても、人間の心が変わらなくてはダメだ、とのこと。

これはもっともだ。

じゃ、どう変わらなくてはいけないのか。

彼の考えでは法律や規則を守る精神がないのだという。ビルマ人というのは、あるひとつのことに夢中になってしまうと、もう法律も規則も忘れて制限なく突き進んで行ってしまうのだと。

彼は、今のビルマの無秩序ぶりに眉をしかめる。「ぼくより若い世代は礼儀なんて……」

あんたもどっかできっとそう言われてんだぜ、というのはさておき、わたしもその意見に賛同する。

たしかにBRSAにもそんな傾向がある。ひとつ何かよい計画が決まると、それに後先考えずに全力を注ごうとしてしまう。もちろん、BRSAは合議制をとっているから、最終的には全体として抑制の利いた結論に落ち着くのだが、そうでない場合はそのまま突っ走ってしまいそうだ。

その実例が1988年の全国的な民主化要求運動だ。あまりに過熱して、みんなが有頂天になってタガが外れてしまった。それが結局は軍の介入を正当化させることになったのである。

また、多くの人々が反論できないような正論を主張する人がる場合、ビルマの人々というのは、それが正論であるがゆえに、完全な賛同を与えてしまい、その正論のもたらす結果に関してはいかなる制限も留保も認めようとはしないことがある。そのような条件付けそのものが反論として理解されるのである。

例えば民主化がよいとなれば、民主化にまつわるあらゆることが際限なしに正当化されるのがそれだ。民主主義を持ち上げるが民主化なのではなく、民主主義というものを実現するためにいろいろな手を尽くし、面倒くさい議論を厭わないのが民主化なのである。

おそらく、ビルマ軍事政権も同様な精神構造に基づくものではないだろうか。ビルマ軍事政権の大義名分は「軍が上に立つのでなくてはビルマ連邦は分裂する」というものであるが、ビルマ社会の特定の階層・文脈においてはこれが正論以外のなにものでもないということもあろう。

すると、軍上層部がこのような主張をした場合、もはや誰も反論できなくなる。そして、この主張の正当性が、そのまま軍の正当性へと置き換えられるのである。となると、軍の行動そのものに誰も反論ができなくなる。その結果が、この大義名分さえ掲げていれば軍上層部は何をやってもよい、という一種の思考停止状態である。この状態はまた、現在のビルマ軍の超憲法的位置づけに引き継がれている。

要するに、ビルマにおいては民主主義も軍国主義も、その裏には似たような精神構造が働いていることになる。BRSAの若者が「心が変わらなくてはどうにもならない」となかば絶望しながら語るゆえんである。