2012/12/02

報告会「難民とカチン独立機構」配布資料(10月31日)

カチン・イヤー10月のイベント
報告会「難民とカチン独立機構」

10月31日(水曜日)午後7時ー午後8時30分
南大塚地域文化創造館第2会議室
カチン民族機構(日本)+ビルマ・コンサーン

今、国際的な注目を集めるビルマの民主化の影で、ビルマ政府とカチン独立機構政府との間で戦争が行われています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では10万人にもおよぶ難民・国内避難民が発生しています。

NPO法人ビルマ・コンサーンは、今年6月末、在日カチン人活動家たちとともに、カチン州のカチン独立機構支配地域に赴き、戦争と難民の現状について調査を行いました。

7月と8月の報告会に引き続く今回の報告会では、カチン独立機構に焦点を当ててこの戦争と難民の現状に関する報告をビデオと写真を交えて行います。

1)カチン民族とカチン州の戦争について
*カチン民族はビルマの北のカチン州とシャン州北部に住む民族集団。おもに6つの民族集団からなり、カチン語(ジンポー語)を共通語とする。大多数がキリスト教徒。

*2011年6月9日、ビルマ軍の攻撃により1994年以来続いていたカチン独立機構(KIO)とビルマ政府との間の停戦は終了した。

*戦争の理由はビルマ軍側から見ればカチン州の権益を守るため(水力発電・地下資源・アラカン州と中国を結ぶパイプライン)。

*カチン側から見れば、ビルマ政府は「侵略者」。カチン民族と生命を独立を守るための防衛戦争。停戦の条件は次のようなもの。
①政治的対話による問題解決(連邦制・民主主義・民族の平等)
2つの側面
a.カチン民族の権利
b.カチン民族以外の非ビルマ民族の権利

②KIO支配地域からのビルマ軍の撤退

*KIOとビルマ政府は公式非公式あわせて9回の交渉を行っているが合意には達していない。

*今後のカチン州戦争の行く末。2つの可能性。
①ビルマ側の譲歩による早期解決
②戦争の恒常化と停戦交渉を行っている他の民族へ戦争の波及

2)国内避難民・難民の状況
*戦争によって多くの国内避難民・難民が発生。国内避難民・難民は現在10万に上ると見られている。

* 人数と性質:3種のキャンプ
①KIOエリア内の国内避難民キャンプ 中国国境沿いに35キャンプ。6月末の統計によると51,991人。 
②ビルマ政府エリア内の国内避難民キャンプ ミッチナー・バモー・プータオに61キャンプ。約15,000人(2011/12) 
③中国内の難民キャンプ 7つの非公式キャンプ。約10,000人。今年の夏にかけて中国政府により強制排除。

*ロケーション:市内やその近郊にあるキャンプ・戦闘地域に囲まれたキャンプ・山奥にあるキャンプ。

*支援:KIOエリア内のキャンプの状況
①KIOが運営。
②カチン人NGOの支援活動
③UNHCRの支援(ヤンゴン経由:少ない)
④中国のカチン人・キリスト教徒の支援
⑤国外のカチン人の支援
⑥ビルマないのカチン人・教会の支援
⑦その他のNGOの支援   UNHCRや国際NGOの大規模な支援が届きにくい状況にある。 

*一般的な状況:難民の増加により、KIOの支援も限界。最低限の食料しかない状況。

*ジェーヤン(JE YANG)キャンプの状況
キャンプはライザから10キロ離れた地点にある。ジェーヤン川沿いにあり、川の向こうは中国。このキャンプから十数キロのところにビルマ軍の前哨基地があり、戦闘が行われている。キャンプの人口は約6千(6月末)。女性・子ども・老人が多く、未成年は2,000人いる。避難民の多くは近隣の村から。ビルマ軍が村にやってきたため逃げてきた。

* ジェーヤン(JE YANG)キャンプの歴史
記録資料は嵐のさいに失われてしまった。設立日は2011年6月11日。最初の家族が来たのは2011年7月17日。キャンプ開きの礼拝が2011年7月19日。最初に来た避難民の村の数は18。現在の村の数は39。最初に来た48家族189人が来た。現在は1447家族6293人。学校がはじまったのは2011年8月25日。生徒の数は1062名。

3)カチン独立機構
*カチン独立機構・カチン独立軍(KIO/KIA)とは? 1961年2月5日にカチンの青年たちによって結成され、ビルマ軍と交戦状態に入る。1994年、ビルマ政府と停戦を結ぶ。2011年6月にビルマ軍の攻撃により、再び交戦状態に入る。

*日本にいるカチン人もKIOと関係を持つ人が多い。  *中国との国境の町、ライザに本拠を置く。また同じく国境の街マイジャーヤンもKIOが掌握している。

*2つの「独立」の間で揺れ動くカチン人
①独立主義:ビルマからの独立。 ビルマ新政府とそれを支持する国際社会に対する絶望。
あるカチン人「わたしたちにとっては、テインセイン政府よりも、戦争のなかったSPDC時 代(軍事政権)のほうがましだった」 
②連邦主義:ビルマ連邦の枠内での州としての自治権の確立。 

*連邦主義においては、他の非ビルマ民族との協力が重要。KIOは、ビルマの諸民族による政治組織、UNFC(ビルマ諸民族統合連邦会議)の重要な一員として活動している。UNFCには現在ビルマ軍と停戦中の民族も含まれるが、2012年6月には、ビルマ政府に対し、カチン民族への攻撃を停止しなければ、現在進んでいる停戦交渉も見直すし、KIOとの共闘の姿勢を計画にした。また、10月には日本財団の招きによりUNFC派遣団の一員として来日。

*独立は可能か? 多くのカチン人は心情的には独立主義に傾いている。しかし、現実的にはさまざまな問題がある。 ①長引く戦争と増加する難民>国際支援が不可欠 ②他の非ビルマ民族との関係

*しかし、その一方では「孤立」が深まる。 ①ビルマにおける孤立 ②国際社会からの孤立   i)ビルマと国際社会の関係改善 あるカチン人「わたしたちにはもはや味方はいない」   ii)「交戦国」であるビルマと中国に挟まれ、国際的な目や支援が届かない。

*「独立」をどのようにカチン人が解釈し、どのように実現させて行くのかはわからない。しかし、カチン人を「孤立」させるのは、間違いなく国際社会の責任。日本に限っていえば、KIOの現状や難民キャンプの現状を知り、有効な支援を行う方法を見つけるために、できるだけ多くの人がカチン州の現状について関心を持ち、可能ならば訪問すべき。

4)カチン州の最新報告(8月のカチン州訪問の報告)(ビデオ上映)
            報告者:スムルッ・トゥティ(カチン民族機構-日本)
スムルッ・トゥティさんはシャン州出身のザイワ民族(カチン民族のひとつ)。カチン民族機構(日本)KNO-Japanの顧問のひとりとして積極的に活動している。 上映するビデオは、今年の8月末にカチン州を訪問した際に撮影されたもの(約30分)。