2014/12/18

カチン村の歴史

さて、このタイ北部の山奥にどうしてカチン人が住み着き、村となったかについての話であるが、わたしが聞いた話をここにまとめる。

ラトー・ザウセン(Lahtaw Zau Seng)らカチン人の青年たちが集まって、ビルマ政府の弾圧に武装抵抗をはじめたのが1961年のことで、これがカチン独立機構・カチン独立軍(KIO/KIA)だが、ザウセンらは1975年にタイ・ビルマ国境で暗殺されてしまう。

おそらくKIO/KIAの中に相当の混乱があったためだろうと思われるが、その際に組織を離れた一群のKIA兵士がおり、それらがこの国境沿いの山地に移り住んだのが村の起源だという。

つまり約40年前のことだ。

ラトー・ザウセンの死後、KIOの指導者の地位に就いたのはマラン・ブランセン(Maran Brang Seng)で、彼はそれから約20年間、KIOを率いることになるのだが、わたしをこの村に連れてきてくれた在日カチン人のピーターさんは、このKIA議長の側近として長く働いていた。

ピーターさんによると、ブランセンはタイ語もでき、タイの軍人とも親交があったとのことで、タイの政界にも非常に深い繋がりがあった。それで、この元KIA兵士たちの暮らす村をタイ国内の村として認めてくれるように働き掛け、それがタイ女王による認可へと結びついたのだという。

それが1985年のことで、それ以来、この外国人の集落は「難民キャンプ」でも「不法占拠者居住地」でもない、タイ国民の村として登録されることになったのである。

美しいカチン村(村の子どもの絵)