2014/12/03

『アボーション・ロード』第7章 地の獄の囚人たち(5)

一九八八年のビルマを覆い尽くした民主化要求運動は、独裁者ネウィンを権力の座から引き摺り下ろしたものの、最終的には九月一八日のビルマ軍のクーデターを引き起こすまでに過熱する。その結果、多くの活動家、デモ参加者、協力者が迫害され、運悪く殺されたり行方不明になっていなければ、逮捕・投獄か国外逃亡という運命を辿った。88ジェネレーションと呼ばれ、運動の中心を担った学生指導者たちも同様で、次々と逮捕され禁固刑を受けることとなった。ココジーもこのとき逮捕された活動家のひとりで、投獄されたのが一九九一年、彼が生まれたのが一九六一年一二月八日だから、三十才そこそこだ。そして刑期を終えて外に出てきたのが二〇〇五年、四十代半ばのこと。同じ頃、ミンコーナインらの「元」学生活動家たちも相次いでお勤めご苦労さんで、てのも、逮捕された時期も、刑もほぼ一緒だったからだが、それはともかくこれら出所したばかりの活動家たちが二〇〇五年に結成したのが、88ジェネレーション学生グループだ。爾来非合法で政治活動を続けて来たわけだが、ここにもう一波乱あって、それは例の二〇〇七年の「サフラン革命」だ。仏僧たちとともに抗議活動に参加した結果、八月に約四十人の88ジェネレーションの活動家が逮捕されてしまうのだ。そのうち、ミンコーナイン、ココジー、ミンゼヤー、コ・ジミーらの十四人の主要な活動家は、二〇〇八年一一月一一日午後、約六十五年の刑を非公開のインセイン特別法廷で宣告される。で、その後、ココジーはシャン州のモンサイ刑務所に送られ、二〇一二年一月の大統領恩赦で釈放されるネーミョージンら約六百名の政治囚のひとりとなるまでの三年ちょっとをそこで過ごすことになる。最初の投獄が十四年で、次のカスクが四年、かくしてあわせて十八年のダブル・カスクの完成だ。

ココジー

『アボーション・ロード』「第7章 地の獄の囚人たち」についてはまえがきを参照されたい。