2015/12/06

入管よありがとう

定職に就きたいと思っているが、求職の試みはかならず惨めな拒絶に終わる。自分ができる非常にわずかなことも、まったく社会に必要とされていないということをこの歳になって知るのは愉快なことではない。

無能な人間はお払い箱にするのが社会の掟だ。我が国の輝かしき発展のために払わねばならぬ尊い犠牲である。

自分が無価値な生を生きているせいか、同じように命を浪費している人は放っておけない。その甲斐のない境遇のつらさが心に突き刺さるのだ。

そんなわけでわたしは入国管理局に行き、そこに収容されている人の仮放免のための身元保証人をしばしばする。

これらの人々は身元保証があれば、外に出られるかもしれないのだが、それをしてくれる人が見つからないばかりに、価値ある生き方をする機会を奪われているのだ。

身元保証人などわたしこそ欲しいくらいだが、それだけに保証されることのない惨めさは身に滲みてる。そんなわけでそうしてほしいという人がいれば引き受けることにしている。

もっとも、わたしごときの身元保証だ、何の権威もない。もっと立派な人がやれば覿面だろうが、わたしの場合はなんど申請しても不許可ばかりだ。被収容者のためを思ってする申請が、かえって収容を長引かせ、被収容者を苦しめている。これ以上に無様なことがあろうか。

それでも、ごく稀に申請が通って仮放免許可が下りることがある。

わたしの申請が認められることがあるのだ。

わたしは入管のしていることを憎み、ときに怒る。しかし、あらゆる申請や応募を社会から撥ねつけられてきたわたしを唯一認めてくれるのがこの入管だけだというのも、なんとも皮肉なことだ。


いっそ収容されたほうがマシかも……