ザイタンクンアさんの葬儀費用に関する手続きのため、5月1日、市川市役所と葬儀会場となる市川市斎場に行った。手続きといっても、彼が依頼していた弁護士事務所の方がすべてやってくれたので、こちらはただ黙って見ているだけなのだった。
斎場では興味深い出来事が起きた。
チン人にとってそもそも火葬というのは文化的に受け入れがたいことだ。これはチン人がキリスト教徒であることによるらしいのだが、キリスト教受容以前にも火葬の風習がないとすれば、おそらくより正確には非仏教徒であることによるのかもしれない。
いずれにせよ、チン人の伝統的な遺体処理法は土葬である。それゆえ、遺族としては、遺体をビルマまで運びたいところなのだが、それは不可能。火葬して、遺骨を持ち帰るほかはない。
遺骨は彼の家族がやってきて、ビルマに持ち運ぶことが決まっていたのだが、そこで問題となったのが、来日した家族が帰国するまでの間、どこに遺骨を保管するかだ。
チンの人々は、遺骨を家に置くことはできない、というのである。
日本人にとってこれはやや奇異なことだ。われわれの文化ではむしろ遺骨は亡くなった本人の代わりとして認知されており、納骨されるまでのあいだ住まいに安置しておくことに何の抵抗も感じない。
ところが、チンの人にとってそれはひどく抵抗のあることのようだった。
チンの牧師さんも同行していたので、それならば教会でしばらく預かっていればよいのでは、と思ったら、それもダメ。
この牧師さんは、信徒のために力を出し惜しみするようなケチな牧師ではない。そもそもザイタンクンアさんのためにもっとも奔走したのは彼だ。
だから、これはチン人の死に対する見方に関係するのだろうと思う。遺骨といえども、それを寝起きする場所、生活の場に置くことは、チン人の死観が許さないのだ。
結局、遺骨は斎場側が預かってくれることになったのだが、これは斎場にとっては非常に異例なことらしく、必ず引き取りにくる、という旨誓約する必要があるほどだった。