2009/09/10

カレン民族殉難者の日演説(1)

これから何回かに分けてお伝えするのは、8月16日に池袋で行われたカレン民族殉難者の日式典(OKO-Japan主催)において来賓のポールチョウさんが行った演説です。ポールチョウさんはオーストラリアのパース在住のカレン人難民で、カレン人の定住支援活動やオーストラリア政界へのロビー活動を長年続けている方です。OKO-Japanの顧問でもあるポールさんは、今回この式典のために来日しました。なお、通訳はもちろん田辺寿夫さんです。当日の録音をもとにしたものですが、文責は熊切にあります。

カレン殉難者の日:カレン民族同盟(KNU)の創始者である伝説的カレン人指導者ソウ・バウジーがビルマ軍に虐殺された事件に由来する日。

今日、わたしたちがここに集まったのは言うまでもなく、カレン民族の殉難者を偲ぶためです。

では、カレン民族にとっての殉難者とは誰のことでしょうか。殉難者というものが、行い正しい、きちんとした人だったかどうか、ということを考えてみる必要があります。

ソウ・バウジーには妻が3人いました。これは歴史的な事実です。歴史的な事実というものを、人に気兼ねしたり、組織にとって不利益だからという理由で隠蔽してしまう、あるいは言いつのらない、ということがありますが、これは歴史を改ざん、改悪することです。

どの民族にもこの殉難者と呼ばれる人々がいるわけですが、この殉難者が聖人君子であるとは限らないのです。中には酒を飲む人もいるでしょうし、博打打ちもいるでしょうし、女性のお尻を追いかけ回している殉難者だっているでしょう。歴史上こうしたことは起こりうることなのです。

それでもこれらの人々がなぜ殉難者と呼ばれるかといえば、必要があれば自分の命を捧げる、そこまで目的のためには犠牲にする、人のためにそこまでやる、そうした人物であるからこそなのです。

ソウ・バウジーという人は裕福な階層に生まれた人物です。顔もまずまずハンサムな男でした。イギリスに留学し、法学士の資格を取った人でもあります。

最初の妻はイギリス人の女性でした。その女性との間には、息子と娘の2人が生まれました。息子の名前がマイケル、娘はセルマといいます。マイケルさんはすでに故人ですが、セルマさんままだ存命しています。

2番目の妻はカレン民族の女性でした。2人の間にできた娘のティムーさんはまだ健在で、アメリカに住んでいます。最初の妻は、ソウ・バウジーにイギリスに帰るようにいわれて、子どもを連れて帰国しました。その後、ソウ・バウジーはカレン民族のために一生を捧げることになるのです。(続く)