2009/04/15

本当に「長井さんのおかげ」か(1)

インターネット新聞『JANJAN』に掲載された田中龍作記者の記事、「『長井さんのおかげ』在日ビルマ人在留特別許可急増」(4月14日)は、先日吉祥寺で開かれたビルマの水かけ祭を取材したもので、こうした記事を通じて在日ビルマ難民の姿が知られるのは非常によいことだと思うのだが、その内容には極めてアヤシイところがある。

記事の内容はといえば、その冒頭に置かれた要約に尽くされているので、それをまず引用しよう。

「ビ ルマ民主化同盟の主催でビルマの正月を祝う「水掛祭り」が井の頭公園で開かれた。在留の特別許可を受けた在日ビルマ人の数は最近、急増している。ミャン マーへの送還は人道にもとる、と当局が判断したためだ。内外にビルマ軍事政権の非道さを訴えた長井健司さんの死が、大きく影響しているものと見られてい る。「ナガイサン・イェ・チェズージャウン(長井さんのおかげです)」は今、在日ビルマ人の流行り言葉となっている。」

この短い文章の中で、ぼくがアヤシイなと思うのは3箇所、そしてアヤシイかどうかは別としてヒドイと思う箇所はひとつ。

まずアヤシイ3点を並べてみよう。

1)本当に「在留の特別許可を受けた在日ビルマ人の数は最近、急増している」のか。

2)本当に「ミャンマーへの送還は人道にもとる、と当局が判断したため」なのか。

3)そしてその判断には「内外にビルマ軍事政権の非道さを訴えた長井健司さんの死が、大きく影響している」のか。

まず(1)について。

記事にはこのようにある。

「在留特別許可認定を受けた在日ビルマ人は2007年は33人だったが、2008年は382人と急増した(法務省入国管理局統計)。」

これだけみると、なるほどそうかな、と思う。だが、記者が「法務省入国管理局統計」として依拠したのは「平成20年における難民認定者数等につい て」(2009年1月30日法務省入国管理局発表)だと思われるが、この文書に直接あたってみてすぐ分かるのは、この引用文自体に不注意な誤りが含まれて いることだ。記者は比較の仕方を誤っているのである。

すなわち、2008年の382名とは、難民認定されたビルマ国籍者38名と「人道的な理由により在留を許可された(以後これを在留特別許可と呼ぶ)」ビル マ国籍者344名の合計なのだが、これと比較するならば2007年の難民認定されたビルマ国籍者35名と在留特別許可を受けたビルマ国籍者69名の合計、 104名を示さなければならない(これは前年の統計を見ればすぐ分かる)。だが、記者の挙げる数字はそれとは一致しない。

33名という数字の根拠は分からないが、ともあれ、法務省発表に依拠するかぎり、先の引用文は次のように訂正されなくてはならない。

「*(訂正)難民認定もしくは在留特別許可認定を受けた在日ビルマ人は2007年は104人だったが、2008年は382人と急増した(法務省入国管理局統計)。」

104人から382人。数字は間違ってはいたものの、なるほどそれでも急増の部類に入りそうだ。だが、この急増をそのまま記者の言う通りに、つまり法務省がビルマ難民を人道的に受け入れはじめたことの表れと解釈していいものなのだろうか。

2008年の難民認定申請数は1599件(うち979件がビルマ国籍者)だが、そのすべてが2008年のうちに処理されたわけではない。2008年の処理件数というものも公表されていて、それを見ると918件となっている。すなわち、700件弱の申請が2008年のうちに処理されず次年度に持ち越されることとなる。

ここで、2007年の統計も見てみると、申請数は816件(うち500件がビルマ国籍者)、処理数は548件、すなわち268件が2007年のうちに処理されなかった件数となる。

とすると、この268件の一部は2008年の処理件数に含まれている可能性が高い。一部というのは、2007年の未処理申請のすべてが2008年に処理されるという可能性はまったくないからである。

アムネスティ・インターナショナルによれば、難民認定審査には約2年かかるという(1次審査までで平均472日、約16ヶ月、異議申立てを含めると平均766日、約25ヶ月)。

つまり、2007年に提出された申請の審査が終わるのは2009年だというのである。すると、次のような疑問が生じてくる。すなわち、2008年に処理された816件の申請とは、いったいいつの申請なのか、ということである。

第1次審査期間の平均が16ヶ月であるということを考えれば、その816件には2年前の2006年に提出された申請が大部分を占め、いっぽう2008年の申請はほとんど含まれない可能性が高い。

この816件の処理件数には、40の難民認定、87件の取り下げ、791件の不認定が含まれるが、ようするに、40の難民認定は2006年か2007年の申請者なのである。

さらに2008年の難民認定者数57名のうち残りの17名は、異議申立ての後に認定された者であり、異議申立てを含む審査期間が25ヶ月であることを考えると、この17名のほとんどが2006年以前の申請者であろう。

また在留特別許可も異議申立て却下の後に出されるものであるから、360人の在留特別許可者もそのほとんどが2006年の申請者と見ていい。

ところで、2006年は日本の難民制度史上特異な年だ。つまり、その年以前までは3〜400件だった難民認定申請数が一気に3倍の954件に激増した年だからである。そして、その激増の要因は、ほぼビルマ国籍者の難民認定申請者の増加にあるとみなしてよい(ビルマ国籍者難民認定申請者の推移:2002年38人、2003年111人、2004年138人、2005年、212人、2006年626人。つまり、2006年はまた在日ビルマ難民史にとっても特異な年でもあるのだ)。

とすると、こういうことはいえないだろうか。2008年にビルマ国籍者の難民認定者と在留特別許可者が増えたのは、ただ単に2006年のビルマ国籍者の難民認定申請者が激増したことの反映に過ぎないのではないか、この急増をもって、日本政府がビルマ難民に特別な配慮をしていると結論づけるには、まだ早すぎるのではないか、と。

これがかの「急増」に対する別の解釈の可能性であるが、さらにこの「急増」の質を見極めることが肝要だ。すなわち、急増しているのは難民認定者ではなく、あくまでも在留特別許可者なのである。

上に上げた数字から分かるように、2007年と2008年のビルマ国籍者の難民認定者の数はほとんど変わっていない(2007年35名、2008年38名)。要するに増えているのは在留特別許可者(2007年69名、2008年344名)なのであるが、この在留特別許可者とは、日本政府により「人道的配慮」により在留を許可されたものであり、難民条約上の難民とは異なる。これは難民認定申請者にとっては不本意な決定である。

とはいえ、もちろんこうした在留特別許可であってもないよりはましであるが、申請者数が激増するなか、在留特別許可を乱発し、難民認定数を据え置きにするという現状は、比率上、難民認定数が激減しているということも意味しているのである(2007年のビルマ国籍者申請者数に占める認定難民のパーセンテージは7%だが、2008年では4%に満たない)。