ビルマの人々の名前の表記についてこれまで書いてきたことをまとめると次のようになる。
1)名の構成要素すべてに中黒(・)を入れる「中黒法」は、その名前の成り立ちを理解する上では便利だが、ビルマ民族やカレン、シャンなどの民族が用いる冠称と名前との切れ目を分かりにくくしてしまう。また、カチン人のように、「姓」をもつ民族の名前の表記においても不都合が生じる。
2)いっぽう、名そのものには中黒を入れず、冠称や「姓」との区切りにだけ中黒を用いる「非中黒法(限定的中黒法とでも呼んだほうがいいかもしれない)」は、名の成り立ちを分かりにくくはするものの、名とそうでない部分(冠称や「姓」)との区切りを明確にする。
もちろん、どちらがよいかについてはここで決める問題ではないにしても、自分としては2)のほうを推奨したい。
それは、中黒が少なくて済む、という理由ばかりではなく、2)の「非中黒法」のほうが、より多くの民族の名を適切に書き表すことができるからだ。
つまり、いいかえれば、「中黒法」がビルマ民族的人名構成しか考慮に入れていないのに対して、「非中黒法」は非ビルマ民族的な人名構成にも対応しているのである。
ビルマの問題の根源には非ビルマ民族の問題があり、非ビルマ民族の視点を導入しないかぎり、本当のところビルマ民主化は理解できない、というのがこのブログの立場であるが、中黒の置き方ひとつをとっても、ビルマ民族中心的思考でいくか、そうではなくできるだけ多くの民族に対応する方法をとるかで、違ってくるのだ。
もちろん「中黒法」「非中黒法」云々というのは、あくまでも日本語での表記の問題であるが、ビルマ語であっても問題は基本的に変わらない。現在のビルマで行われているのは、ビルマ民族的な人名表記の、非ビルマ民族に対する押しつけであり、そこにはできるだけ多くの民族の名前のあり方を尊重するという姿勢はみじんもないのである(そして、これと同じ態度が人名表記法に限らず、言語、宗教、文化など人間のあらゆる側面に及んでいる)。
それゆえ、ビルマに住むあらゆる民族の人名が尊重される、そればかりではなく、あらゆる民族の人名が尊重されるような原理に基づいた表記法が行政の現場において実行される、ということもまた、非ビルマ民族の権利を保障する民主化のための実際的・具体的な必要条件となるのである。