3月22日午後1時半、アラカン民主連盟(亡命・日本)Arakan League for Democracy (Exile-Japan)の月例会議(3月22日、午後1時、高田馬場)に招かれる。
「新しいメンバーの励みになるような内容を」ということで、次のような話をする。通訳をしてくださったのはアウンタンテーさん。
「2003年にALDの会長のゾウミンカインさんにあったとき、ALDはほとんどメンバーがいませんでした。ですが、今日ここに来てみると、たくさんの若い人がいます。このようにグループが大きくなって、アラカン民族の声が大きくなることは素晴らしいことです。
ゾウミンカインさんにはじめてお会いして、しばらくして、牛久の入管に面会に行きました。当時、牛久にはALDのもうひとりのリーダー、フラエーマウンさんが収容されていました。フラエーマウンさんに今どれだけ収容されていたか聞いた所、18ヶ月だそうです。その頃は2年、3年以上も収容されている人がたくさんいました。
現在は、ビルマ国籍者の場合は収容されても2ヶ月から6ヶ月で釈放されることが多いようです。1年もいるというのはあまり聞きません。
また、難民として認定されたり、在留許可をもらう人の数も2003年に比べるとずっと増えました。とくに非ビルマ民族の活動家は2003年当時に難民認定されていたのは1人2人でしたが、現在はたくさんいます。
これは、もちろん入管、そして法務省の難民政策が変わったからです。その変化の理由には、いろいろあるかと思います。2007年9月のデモや翌年のサイクロン被害の影響も理由として挙げられるかもしれません。
ですが、ぼくはこんなふうに考えています。これまでに長い収容を耐え抜き、難民審査において繰り返し自分たちの置かれた厳しい状況を語り続けたビルマ国籍者難民個人個人が、法務省を変えたのだ、と。
日本でのビルマ難民に対する入管政策を変えたのは、もちろん日本人がビルマの難民を産み出す背景を理解したからにほかなりませんが、その気づきそのものを与えたのは、個々の難民認定申請者たちの努力と忍耐なのです。
つまり、ビルマ難民たちが日本の政府をある意味では変えたのです。この点に関して、みなさんはもっと自信を持ってよいと思います。
現在、ビルマの状況はますます厳しくなり、難民たちの間からは諦めの声すら聞こえます。ですが、時間はかかったにしても、難民たちは日本政府の対応を変えてしまいました。同じことがビルマ政府にできないはずはありません。
もちろん、日本政府を変えるより、ビルマ政府を変えることのほうがはるかに難しいかもしれませんが、それでも、長いスパンで見れば絶対に変わるはずです。そのためには今、ここで政治活動をがんばらなくてはなりません。
ゾウミンカインさんがALDをはじめたとき(当時は別の名前でしたが)、メンバーはほとんどいませんでした。だからといって、ゾウミンカインさんが諦めて止めてしまっていたら、今のこの発展はなかったでしょう。それと同じことがビルマ民主化活動、アラカン人のための活動についてもいえるのです。」