2012/05/29

ひんしゅく

以前、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の大瀧妙子さんの「会長のお願い」(BRSAブログ「2012年3月月例会報告」)にコメントしたら、いろいろな人から「ひどいことを言うもんじゃない」とのお叱りを受けた。

大瀧さんは「会長のお願い」で「一部役員の横暴な態度が会員のひんしゅくを買っている。」と仰っていて、わたしはこれに対し、公平な調査もせずに一方的に会長がブログを使って批判するのはおかしい、と指摘したのだが、そのあと次のように書いたのである。

「いや、もしかしたら、ひんしゅくを買っている「一部役員」は当の会長ご本人のことなのでしょうか? だったらいいのです。誰よりも先に自戒をする、これは、まさにトップに立つ人のあるべき姿勢ですから。」

これは揶揄、皮肉、当てこすりというものだが、単に修辞的技法をふるっているわけではなく、この背景には一応の理由はある。そこのところだけを補足しておこう。

問題は大瀧さんが使った「ひんしゅく」という言葉だ。この言葉は辞書を見ると「不快に感じて眉をひそめること。顔をしかめていやがること(明鏡国語辞典第2版)」とある。つまり、主観的な印象を表す言葉であり、まず、そうした言葉を用いて会長という立場の人がパブリックな場で誰かを非難するのはおかしい。

公的な場面で誰かを咎めるならば、誰にとっても明白な基準を持ってすべきだろう。今回の文脈に即して言うならば、例えば「BRSAの目的に反する」とか「人権に配慮しない行いがあった」とか、個人的な主観以外にレファレンスを持つこと(ここではBRSAの規約や人権上のとり決め)が必要だ。

そうしたレファレンスがなければ、「自分がイヤだからイヤ」と駄々をこねているのと変わらなくなる。

ことにビルマ難民と日本人から成り立つBRSAのような多文化的団体では、文化的背景の違いが思わぬところで相手の「ひんしゅくを買う」ことがありうる。それゆえ、こうした文化的なバイアスを反映しやすい主観的評言で誰かを非難するのは、本当に慎重であるべきだろう。

それに、「ひんしゅく」が主観的に印象に基づくものであるかぎり、「ひんしゅくを買っている」と誰かを非難する人自身が、その非難されている人から「ひんしゅくを買っている」という事態だってあっておかしくはあるまい。

そんなわけでわたしは言ったのだ。「会長だってもしかしたらそいつを買ってるかもしれませんぜ」と。

(ま、わたしもこれでまた買うってわけだ。いいさ、本と違って置き場所に困らないから……)