カレン殉難者の日のために来日したオーストラリア在住のカレン人活動家、ポールチョウさんから、インドのカレン人についての話を聞いた。
アンダマン諸島のアンダマン島の北部にカレン人が3000人ほど暮らしているのだそうだ。以下は2008年に訪問したポールさんの報告である。
これらのカレン人はもともとこの島に住んでいたのではない。イギリス植民地時代にパテインから移住したのだという。
移住の経緯はといえば、当時アンダマン島では労働者が不足しており、イギリス人宣教師が同じ英領から英領へとキリスト教徒カレン人を連れてきたのだそうだ。
移住の公的な記録は1925年からだが、実際にはそれ以前に移住ははじまっていたらしい。
これらインドのカレン人は、スゴー・カレン、ポー・カレンのキリスト教徒からなり、農業・漁業に従事している。なかには、アンダマン諸島の行政のトップとして働くカレン人もいるとのこと。
カレン人としてのアイデンティティはしっかり保っているが、インド文化の中で暮らしているため、時にサリーを着用したり、額に印をつけたりなどし、中にはインド風に首を横に振って肯定の意を表す者もいる由。
インド政府はビルマ国籍の者に滅多にビザを出さないので、アンダマン島のカレン人を訪問するビルマのカレン人はまれである。また、これらのインド国籍のカレン人も、同胞が迫害されているビルマの地を訪れることはない。
ゆえに、オーストラリア国籍カレン人のポールさんの訪問は、久々のビルマ出身のカレン人との交流ということで、アンダマン島のカレン人は皆大いに喜んだという。
なお、2004年のスマトラ沖地震の津波では、さいわいにも犠牲者は出なかったとのことであった。