さて、本題となる話ができる地点にようやくみなさんをお連れすることができた。まずはじめにお断りしておくが、この話の狙いは、あくまでもビルマの人々が心に抱いている恐怖、時には日本人に理解しがたい恐怖を描くことであって、人を非難することではない(それは別の機会にするつもりだから)。
日本で活動するカレン人の政治団体は3つあるが、そのうちひとつの議長を務めるカレン人は悪名高いといっても過言ではない人物だ。彼を仮にターターと呼ばせてもらうことにするが、ターターはいわば弱いものいじめの達人で、組織内で自分に従わない者に対して徹底的に弾圧を行うことで知られている。一度、彼は「反抗的なメンバー」について「この人は汚れた人間であり、カレン民族ではない」などという声明を作り、在日カレン人たちと、在日ビルマ人民主化団体のすべてに送りつけたことがある。念の入ったことに、送った相手には収容中のカレン人も含まれていた。もっとも、受け取った政治活動家の反応はひとしなみに「同じビルマの人間として恥ずかしい」とか「なんでこんなことをするのかまったく不可解」とかいうもので、まともに相手にする者はいなかったが。当時は、サフラン革命の真っ最中で、どの政治団体もひとつになって声を上げようと模索していた時期だった。こんなくだらない声明以外にもっと出すべき声明はあろうに、というのがその時のぼくの感想だ。
とはいえ、こうした強硬な姿勢は、ターターの組織のメンバーに対しては驚くほどの効果を生み出した。彼らの望みといえば、日本で難民として認められることだが、そのカギを握っているのはいまやターターなのだ。なぜなら、うっかり逆鱗に触れて追放されでもしたら、難民審査官の心証がその分悪くなることは確実だし、そうなればビザはとうていおぼつかない。いや、それどころか、ビルマに強制送還されて、政府に殺されてしまうかもしれないのだ。つまり、彼らにしてみればターターは自分たちの生殺与奪権を持つ全権者といってもよかった。ターターもまたこうした状況をよく理解していた。彼はメンバーの畏怖をさらに強めるべく、自分が日本の入管や政府の上層部と特別な関係にあるとしばしばほのめかしさえた。
かくして、恐怖でもってメンバーを支配する恐怖政治が出現する。メンバーはターターの言うことには絶対服従で、彼の前ではそのサンダルの塵を払う資格すらなかった。在日民主化運動関連のイベントでしばしば目撃されるのは、ターターとその家族と取り巻きがまるでロイヤル・ファミリーのようにメンバーたちを従えている光景だ。
なんとも厭わしい状況。だが、まさに同じようなことをビルマ軍事政権がしているのに気がつけば、あるいはこのターターに対して読者のみなさんが感じているかもしれない嫌悪感も和らぐにちがいない。つまり、軍事政権の中で育ち、その中でしか教育を受けたことのない彼は、人を統率するのに軍事政権と同じやり方しか知らないのだ。ターターの場合は極端な例だが、民主化、あるいは民族の解放を叫びながら、軍事政権のメンタリティから抜け出すことのできない政治活動家たちは多い。効力ある民主主義教育・訓練が必要とされるゆえんである。