2009/07/18

写真は恐怖を写し出す(3)

さて、インターネット上、もしくは雑誌などへの写真の掲載は、意図的になされる場合もあるし、本人の知らない間にされてしまう場合もある。後者の場合はともかくとして、自分の写真をわざわざ載せて、それでビルマに帰れないと言い張るのは、とんだ自作自演のように思えるかもしれない。

もちろん、そんなふうに取られても仕方のない場合もあるのだが、そうではなくまともな政治的動機に基づいている場合もある。これは特に非ビルマ民族(いわゆる少数民族)に関わりあることだ。日本の少数民族運動の立役者のひとりであるチン民族の政治活動家、タン・ナンリヤンタンさん(在日チン民族協会[CNC-Japan]会長)の言葉を引用しよう。

非ビルマ民族はビルマ独立のため、そして民主化のためにビルマ人に負けぬほど犠牲を払ってきた。だが、これらの努力と献身はビルマ人の陰に隠れ、埋もれてしまっている。わたしたちはビルマの歴史から抹殺されてしまっているのだ。それは軍事政権が意図的に歴史を歪めているせいであり、またわれわれ自身の歴史的記録がビルマ国内で公表を禁じられているからでもある。それが原因となって、非ビルマ民族の存在は国際社会や学問の世界でいまなお認められていないのだ。それゆえ、ビルマ国外にいるわたしたち非ビルマ民族は、自分たちの参加する活動すべての記録を取り、公表し、「そこにわたしたちがいた」という歴史を作ることを義務としなくてはならない。

このような理由から、タン・ナンリヤンタンさんによれば非ビルマ民族にとってはいかなる写真も重要であり、必要に応じて公表すべきものとなるわけだが、写真の公表に関するこうした姿勢には批判もある。日本にいる活動家の写真をインターネットを通じて公表することは、本人のみならずビルマにいる家族や親族の命を危険にさらすことであるから、極力避けるべきである、というのである。もちろんこれにももっともな理由があり、特に難民保護の立場からは重要である。政治的なビジョンか、難民保護か、どちらを取るかは非常に難しい問題だが、今ここで論じる問題ではない。