2009/07/03

写真は恐怖を写し出す(1)

まずはビルマの人々と写真を巡るエピソードを積み重ねていくつもりで、それは、そうすれば、最後にぼくが配置しようと思っているある悲喜劇についても読者の理解が容易になるのではないかと思うからだ。

ビルマの人々はデモや集会でよく写真を撮る。それも、周りを撮るばかりでなく、誰かにカメラを渡して、自分を撮ってもらっている。それこそぼくのような日本人がこうした集まりでブラブラしていれば、何人もの人々から「撮ってくれ」と声がかかることになる。

これは決してビルマの人々が写真に撮られるのが好きだからではない。入国管理局への提出書類に使うためにそうしているのだ。

つまり、難民認定申請中の人々はこれらの写真で、自分たちがこうしたデモや集会に熱心に参加している政治活動家だ、ということを証明しようとしているのである。

撮影された写真は、A4の紙に2枚ずつ貼付けられて提出されるのが普通のようだ。写真の上か下に説明が書かれている。例えばこんなようなものだ。

「2009年○月○日、品川、ビルマ大使館前。アウンサンスーチーさんらすべての政治囚の釈放を求めるデモに参加」

あるいは

「2009年○月○日、池袋、アメリカより招かれた政治指導者の集会に参加。わたしは○○の代表として壇上に立ち、挨拶の言葉を述べました」

そして、写真の中の自分の顔をサインペンで丸く囲み、矢印で示して「本人」と書く。デモの写真が多いので、そうしないとどこに写っているのかわからないのである。

熱心に政治活動をする人は、参加する集会やデモの数も多いから、写真も山のようになる。ぼくはこうした写真の説明を日本語で書く仕事をよく頼まれるが、写真のシートの束をどさりと目の前に置かれると、逃げ出したくなる。

入管の職員も、あまりに大量の写真資料を提出されると手に余るらしく、「こんなに提出しても見ませんよ」などとイヤミを言うこともある。入管職員とぼくとはあまり共通点がないが、写真の束に関しては奇しくも意見が一致する。