以下に書き記す話が真実かどうかは知らないが、非ビルマ民族がビルマ人をどのように見ているかについては、真実を伝えていると思われる。
1988年9月、軍が権力を握ると、ビルマ人の学生活動家たちは、弾圧を避けるためにタイ・ビルマ国境へ逃げた。
これらの学生たちは、そこではじめてカレン人の反政府軍に出会うこととなり、いっぽうカレン人側も喜んで彼らを受け入れ、できるかぎりの庇護をあたえた。
「このように援助することでわたしたちは民主化活動を救ったのだ」と国境のカレン人たちが今なお胸を張る出来事であるが、これについてビルマ人側はこんなふうに言っているそうだ。
「カレン人たちは、十分な食事や衣服を与えず、わたしたちを粗末に扱った」
だが、カレン人側にも言い分はある。これらの学生活動家は都会育ちの苦労知らず。ジャングルでかつかつの生活をしているカレン人がいくら精一杯もてなしても、そもそも満足するはずがないのだ。
これらの学生たちの中には、やがてカレン人とともに銃を持って闘う人々も現れた。
西山孝純氏の『カレン民族解放軍のなかで』を読むと、こうしたビルマ人学生兵士たちが少なくとも当初は軟弱で、あまり使い物にならなかったことがわかる。
なんにせよ、学生兵士たちはカレン人と協力してビルマ軍と闘い、約400人が戦死したという。
最近、これらの戦死者を「少数民族を守り、ビルマ軍と戦った英雄」として祭り上げようとする動きが、ビルマ人民主化活動家の中であるのだそうだ。
この話をぼくにしてくれた非ビルマ民族の活動家が苦々しげに言った。
「ビルマ人がまた歴史を歪めてようとしてるってわけだ」