2011/08/29

カエル(2)

だが、そのとき家にいた人はカエルの処理に少々自信がないようだった。わたしは面白がって携帯を取りに行く。写真を撮ろうとしたのだ。だが、風呂場に戻ってみると、ポー・カレン人のAさんがカエルを鷲掴みにしている。彼はドライバーの取っ手でその頭を3度ほど叩いた。それでおしまい。

彼はそのカエルを台所に持っていき、水を張ったボールの中に入れる。そして包丁を取り出し、腹を切って内臓を取り出す。きれいに内部を水洗いする。こんなの見るのは中学校のカエルの解剖以来だ。

次に塩をバッと振りかけてもみ洗い。ヌメリを取るのだそうだ。「穴子と一緒」とAさんは語る。

後はまな板の上で包丁を振るって皮の付いたままぶつ切りにするだけ。嘴の先と手足の先だけ少し切って捨てていた。

カエルを捌く様子を見ながら、Aさんにエーヤーワディ・デルタのカエル事情について聞く。

「わたしのお父さんがカエルが大好きで、よく掴まえにいったものだ。雨が降っている日なんかに、バナナの木のあたりにたくさんいてね。泥にいるヤツはすぐに掴まえられる。川の中にいるヤツは、自転車のスポークを尖らしたもので銛を作って掴まえるんだ。夜はヘッドライトをつけて川に行く。するとカエルの目が反射して、光る。それでどこにいるかすぐ分かる。目の光り方で、食べられるカエルかそうじゃないか判別だってつく。それで、夜のうちに掴まえておいて、朝に料理するんだ。

「でも、美味しいのはこんな大きなカエルじゃない。もっと小さなカエルだ。それに小さなカエルのほうが掴まえるのが難しいんだ。

「わたしが十数年前、ビルマを出るとき、お父さんは『お前の掴まえるカエルが食べられなくってさみしいよ』って言ったもんだ。いや、そうじゃない、わたしの掴まえるカエルが特に美味いというわけではないんだ。息子が自分のためにカエルを掴まえてくれる、それがお父さんにはうれしかったんだな。もうお父さん、亡くなったけどね」