2009/02/09

可能性に満ちあふれ強靱な(1/2) ビルマのキリスト教徒

以下の文章は在日ビルマ人政治活動家による日本語ビルマ語雑誌「平和の翼」に向けて書いたものです。平和の翼ジャーナルのウェブ・サイトはこちら


数年前のこと、ぼくは非キリスト教徒ながら、タイの某所で「カレン人キリスト教徒の使命」と題された会議に参加していた。会議はビルマ国内外で働くバプテスト、聖公会、カトリックのカレン人聖職者の代表が集うエキュメニカル(超教派的)なものであり、また、ビルマ国籍カレン人ばかりでなく、タイ国籍のカレン人も加わっていた。基調講演を行ったのはソウ・サイモン牧師で、彼はメラ難民キャンプで聖書学校を運営する著名な神学者だ。カレン人ではない参加者は、ぼくをのぞけば、韓国人の牧師がふたりいるきりだった。タイのカレン人の間で宣教活動をする彼らは、流暢なスゴー・カレン語を話した。

「カレン人キリスト教徒の使命」と書いたが、じつはこれは本当のプログラム名ではない。たとえ日本語であっても本当の会議名を記せば、ビルマ国内からの参加者の身に危険が及ぶかもしれない。会議で知り合ったある神学生はこう語った。「ビルマを出国するときは、ただ観光に行くんだって申請したんだ。ラングーンの空港の待合室では、何人か牧師がいたけれど、互いに知らないフリをしてね、本当は同じ会議に出るんだけど」

日本の法務省の公式見解は、ビルマに宗教的迫害は存在しないというものだ。かくして、ビルマ出身のキリスト教徒の難民不認定処分理由にはたいてい「関係資料によれば、ミャンマーでキリスト教徒が迫害されているという事実は認められない」などと記されることとなる。もっともこの「関係資料」がいったい何を指すのか、それを知りえた人はいないのだが。

いっぽう、ビルマにおける宗教的迫害を証明する資料はいくらでもある。もっとも有名なのが、アメリカ合衆国国務省が毎年公表している「世界各国の宗教の自由に関する報告」で、2008年度版ではビルマの宗教状況を「非常に抑圧的」としている。また、弾圧されている側からの告発や弾圧の事例をまとめた報告も、英文で数多くまとめられている。ビルマで宗教的迫害を受けている人々は、非ビルマ民族が多いので、これらの民族の報告にも宗教的迫害の事例が数多く見いだされる。キリスト教徒の迫害に関する報告で、もっとも包括的なものは、クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイドという国際的なキリスト教団体のベネディト・ロジャーズが2007年に出版した『十字架を背負って』だ。2008年4月に、日本のカチン人の政治団体、カチン民族機構(日本)KNO-Japanが根本敬先生の素晴らしい序文をつけて日本語版を自費出版している(ぼくも監修と編集に関わらせてもらった)。また、チン人、カチン人、カレン人の運営するニュースサイトにも、宗教的迫害のニュースが頻繁に登場する。

とはいえ、日本の法務省が誤った認識を持つのにもわけがある。ビルマにおける宗教的弾圧のあり方はぱっと一目で分かるようなものではないのだ。その理由は、ひとつには迫害の大部分が、非ビルマ民族の住む山岳地域で進行していることにある。そこにはほとんど外国人の目が、いやヤンゴンやマンダレーに暮らすビルマ人の目すらも届くことはないのである。

もうひとつの理由は、宗教者の行動原理に由来するものだ。ビルマのような政府のもとに生きる宗教者の務めといえば、まずなによりも信仰者たちを守ることにある。いわば、自分たちが楯になって、信仰者たちを政府から守らねばならないのである。それは、ひとえに政府との関係いかんにかかっており、宗教者たちは政府との対応にまさに骨身を削るような思いをしているのだ。そして、こうした努力の一例が、ぼくが上に引用した神学生の言葉なのである。

こうした慎重さを武器に権力の暴力をかわさねばならないという厳しい状況の中、カレン人のキリスト教活動をどのように発展させるか、それが前述の会議の主要なテーマとなっていた。カレン語の分からないぼくには、どのような議論が行われたのかは具体的には分からなかったが、韓国人牧師はビルマ国内における宣教活動の重要性を説いたようだった。つまり、信徒数が増えれば、それだけ大規模で多様な活動ができるというのだろう。だが、その日の会議が終わって、ともにお酒を飲み交わす時間が来たとき、古くからの友人である牧師がぼくに呟いた。「韓国の牧師たちの主張は、タイのカレン人の状況においては有効かも知れないが、ビルマにいる私たちの文脈からすればズレている。今、重要なのは宗教間対話なのだ」