2008/06/18

ある大工の話

ヤンゴンのインセインは、悪名高いインセイン刑務所のある地区だが、カレン人キリスト教徒の居住地としても知られている。そのインセインの一角ににひとりの若い大工が暮らしていた。

ある日、ボーガレーの教会で牧師として働いている親戚が彼の家にやって来て、言った。

「教会の建物が古くなってね。ボーガレーに来てもらえないか。あちこち修理してほしいんだ」

たまたま仕事がなかったので、大工はこの依頼を引き受けることにし、牧師とともにボーガレーに行って教会の改修に取りかかった。

サイクロンがやってきたのはその2日後のことだ。

インセインに残された家族は、大いに大工の身を案じるが連絡のとりようもない。2日、3日と経ち、ボーガレーの惨状が伝わるにつれ、家族はすでに大工が死んだに違いないと考えはじめていた。

しかし、4日後に大工は家族のもとにひょっこり帰ってきた。家族は非常に喜んだが、やがて彼の様子がおかしいのに気がついた。何を聞いても一言もしゃべらない。黙りこくったまま、涙を流している。

1日中、大工は無言で泣いていた。そして、その次の日も。頭がおかしくなったのかもしれない、と周りの者たちが思いはじめた3日目になって、大工は大声を上げて泣き、自分が見たものを語った。

彼は村人たちが溺れ死んでいくのを見た。激しい風と濁流が村を襲った時、真っ先に水に飲まれていったのは子どもと女たちだった。子どもを守ろうとして木に縛り付ける者もいた。だが、木そのものが水に押し倒されるのをどうすることもできなかった。

大工が助かったのは、教会に逃げ込んだからだった。50人ほどの村人がそれで命を救われたという。ヤシの木にしがみついてなんとか生き延びた者もいた。牧師もその一人だったが、彼は自分の妻子を失った。

サイクロンが去った後、村に残されたのは無数の溺死体だった。とはいえ、それらはみんな、どこか別の村から流されてきた見知らぬ遺体で、村人たちの遺体はどこにも見当たらなかった。

牧師には身内の死を悲しむ暇などなかった。彼は生き残った者たちとともに、死者たちの埋葬に取りかかった。大工もひたすら穴を掘り続けた。それですぐに帰ることができなかったのだ。

この話は、ある在日カレン人難民から聞いたものだ。話をしてくれた難民と主人公の大工は親戚関係にある。

村の牧師によれば、650人の村人のうち、250人が死亡もしくは行方不明となったそうだ。