6月1日、在日カチン人姉妹の母がビルマで亡くなり、その追悼礼拝が新宿区の教会で行われた。
姉妹はともに難民としてビルマから日本に逃れてきた。姉のほうは1年前に難民と認定され、妹は現在、審査の判定待ちの状態。いつか2人そろってタイに行き、母との再会を、と結果を待ち望んでいたが、ついに間に合わなかった。
現在日本にいる難民の多くは1988年の民主化運動前後にビルマを脱出した人々だ。そのため、20年近くも、両親と、夫と、妻と、子どもと会うことのできない人もいる。
難民であるということは、家族関係、人間関係が、程度の差こそあれ損なわれているということなのである。
しかし、難民の家族関係、人間関係といったものが日本の難民政策の関心となったことはないようだ。もっぱら何をしているかというと、難民認定・不認定の決定、そして認定後の日本社会への「同化」にばかり力を入れている。
丁度ひよこのオスメスの仕分けに精を出すようなものだ。このあじけなさでは「難民であることにより破壊されてしまったなにか」はいつまでたっても回復しないに違いない。
これは結局、「同化」される側の日本社会が、その構成要素である人間をどう見ているか、の反映でもある。つまりわれわれはひよこの一種なのであり、卵を生むか産まないかが唯一にして重要な分別条件なのだ。