2013/01/30

LAZUM HKUM HPANG(ラズム・クムパン)

今回のチャリティーコンサートで来日したL. ルンワとL. センズィはいとこ同士だ。

2人の祖父はラズム・クムパン(LAZUM HKUM HPANG)という人で、この人の長男の娘がL. センズィ、次男の息子がL. ルンワという関係で、つまりL.というのはLAZUMの略だ。

ビルマ社会では姓は用いられないので、姓を持つカチン人はこれを無くしたり、このようにイニシャルだけ用いたりする。

さて、ラズム・クムパンは、ビルマ軍で将軍となった唯一のカチン人とされる。そのような著名な人物であったせいか、1983か1984年頃に暗殺された。

彼は他のビルマ人軍人と異なり清廉潔白であったため、不正な蓄財は無く、彼の死後家族は貧窮した。

彼の妻はキリスト教徒のビルマ人でヨーロッパ人の末裔であった。そのようなわけで、カチン人の社会に馴染むことが少なく、夫の殺害も当時ビルマ軍と交戦していたカチン独立軍(KIA)の仕業であることを信じて疑わなかった。彼女はカチン人を憎むこと甚だしく、夫の葬儀にやってきたカチン人の弔問客も追い返したほどであったという。

その後遺族はヤンゴンに移り、カチン人たちと交わることなく暮らした。しかし、十数年ほど前から再びカチン人と交際するようになった。ラズム・クムパンを暗殺したのはKIAではないらしい、ということが分かったからだという。

しかし、長い間、カチン人と疎遠にしていたため、ルンワはカチン語を知らず、20歳になってから学びはじめたのだそうだ。

センズィの父、つまりクムパンの長男は麻薬中毒で亡くなった。これはカチン州ではしばしば起こることでもある。

最後にこのラズム・クムパンに関するエピソードを記す。これは在日カチン人のある女性の話だ。

彼女はシャン州のチャイントゥンのカチンの村の出身で、この村にはたびたびビルマ軍がやってきて乱暴狼藉を働いていた。それは強制労働に村人を駆り出したり、村の食料などを奪ったりするもので、村人たちはビルマ軍がやってくるたびに逃げ出して、村からは見えない崖の下に身を潜めていた。

しかし、あるとき村に非常にハンサムな軍人がやってきた。彼は背が高く、まるで白人のような風貌であった。その軍人はビルマ軍兵士たちを村の外に出し、それ以来ビルマ軍は村の外に野営するようになった。

ルンワが来たとき、この在日カチンの女性は彼に言った。

「わたしはあなたのおじいさんを見たことがあるかもしれない。写真ない?」

ルンワが取り出した写真にはまさしくそのハンサムな男が写っていたという。