2013/01/01

夷狄を待ちながら

『無援孤立』にも記したようにわたしのカチンランド訪問は2012年6月末から7月初めにかけてのことで、短い期間であったが、わたしはカチン人とビルマ政府の間の戦争についての幾ばくかを知ることができたのであった。

さて、帰国してみると、レバ刺しが食えなくなっていた。焼肉屋で働いているカチンの人にそのことを話すと、彼は言った。

「もう、戦争だったよ!」

今生の別れとばかりにみんな争うように注文したという話で、わたしはそっちの戦争に加われなかったことをはなはだ残念に思ったのであった。

レバ刺しは焼肉屋から姿を消した。しかし、カチンランドからはカチン人が姿を消すことはあるまい、とわたしは想定していた。

だが、それすら心配になるほど現状は緊迫している。ビルマ政府はカチン独立機構(KIO)の本部のあるライザ周辺への攻撃を強め、戦闘機や化学兵器なども投入しているという。激しい戦闘の様子が伝えられ、日本などの国外に暮らすカチン人は祈りながら見守っている。大晦日には在日カチン人が戦争に反対するアピール行動を都内で緊急に開催した。

KIO政府の首都ともいえるライザにいた数日間、わたしはこの小さな解放区で暮らす人々の自由で落ち着いた雰囲気を目の当たりにし、戦時下であるにしてもカチン人がどのような夢を抱いているかを見た。しかし、その一方、ライザを取り巻くビルマ軍がいつかこの町に押し寄せてきて略奪と破壊のかぎりを尽くすという可能性だってないわけではない、とも感じていた。

ライザの静かな暮らし、学校に通う子どもたちの姿、KIO本部の高官たちの自信に満ちた振る舞い、カチン料理の店の賑わい、カチン語テレビ放送から流れる兵士の恋の歌など、ライザ市民の命が生み出すものすべてが、ビルマ政府の軍の攻撃により幻となって消え去ってしまう……いつしかわたしは、廃墟となったライザを愴然と歩く自分を想像していた。

これはすでにひとつの感傷であるにはしても、ライザ市民とライザ内外のキャンプの避難民、合わせて3万を越える人々の命の実際の行き道を考えると、そのような感傷よりほかに逃げ出すところはあるまい。

わたしは別にKIOに勝ってほしいわけでも、ビルマ軍に負けてほしいわけでもない。ただ戦争が終わってほしい。戦うことなど与り知らぬ人々の苦しみが終わってほしい。誰もが平和に暮らせるようなカチンランドになってほしい。おそらくこれはわたしだけでなく多くのカチン人が願っているところであろう。

わたしにできることは少ないが、それでも戦争を終わらせるためにすべきことをしたい。なにせわたしの夢といやあ……

来年の正月には、平和を取り戻したライザで、日本のカチン人が経営する焼肉屋で、レバ刺しを何皿も食べるんだもんっ(日本の食品衛生法、No Thank You)。

誰が夷狄だか……。