2011/02/19

独裁の大義(4)

さらにもうひとつ留意しなくてはならないのは、イギリス植民地時代のビルマの領域がそのまま現在あるビルマの領土のありかたの根拠となるわけでもない、ということだ。

では、現在のビルマ連邦の姿の根拠となっているのは何かというと、独立以前の1947年2月にアウンサンらビルマ民族とシャン、チン、カチン諸民族とがともに連邦国家を作ると合意したパンロン協定であり、現在のビルマ連邦はこのとき始まり、それ以前には存在しなかった。

つまり、ビルマの現在の形の根拠は、植民地以前のビルマ王国にも、植民地のイギリス領ビルマにもない。それはただ1947年のビルマの諸民族の合意のみに存するのだ。

しかしながら、ビルマ民族には自分たちの国が多民族との合意によって保たれているという事態をついに受け入れることができなかった(あるいは、その合意の維持の仕方を知らなかった)。ビルマ民族は自分たちの国がいくつもの民族(州)からなる連邦であることを理解できず、むしろ多数派ビルマ民族が中央集権的に支配する国家、タイや中国(あるいは日本)のような国家像を思い描いた。

これはもちろん、パンロン協定の精神、いわば建国の精神とは矛盾する。 この矛盾を回避するために主張され強調されているのが、別種の建国神話、建国イデオロギーであり、すなわち、昔からビルマ民族はそれ以外の民族の上位に立っていたがゆえにより多くの支配権を持つべきである、という歴史観、すでに述べたようにビルマ軍事政権が自らの支配の正当化に用いている論理なのである(これはいわゆるビルマ民族至上主義[大ビルマ主義、マハーバマールミョーワダ]と呼ばれるイデオロギーの一形態である)。