2011/02/07

独裁の大義(1)

独裁政治には大義が必要で、チュニジアの場合何が独裁を正当化していたかというと(エジプトもそうだと思うが)、イスラム原理主義の脅威であった。

これにはなんといってもアルジェリアの先例があって、イスラム原理主義が民主主義選挙によって勝利したのを軍が武力で覆したのをきっかけに、凄まじい殺戮が国内で展開するようになった。それを避けるためなら、どんなことをしても許される、というわけだ。

これはまた、ビルマに関してあれほど口うるさいヨーロッパの国々が、チュニジアの独裁(あるいはそもそも北アフリカの政治状況)に関してはなんの文句を言わない理由となっている。労働力、経済などあらゆる面で北アフリカなしではやっていけない連中にとっては、これらの国々がイスラム原理主義になってしまってはたまらないのである。

また、特にフランス、イタリア、オランダなどには数多くの北アフリカ移民がおり、北アフリカのイスラム原理主義化は、まさに国内問題でもある。これはつまり「ヨーロッパのイスラム原理主義化」にほかならないのだから。

また、北アフリカで活動するアル・カイーダの問題もある。こうした「テロリスト」どもを押し潰してくれるのならば、ベンアリたち、独裁者たちがどんな不正を働こうと、ヨーロッパ人にとっては見て見ぬをするのは簡単なのである。